第3章 2月15日3時46分

「やっと終わりが見えてきた…」

 研二が伸びをしながら嬉しそうに言った。

 つい先ほど、鷹山が「できたあ!寝ます」と言うが早いか一瞬でこたつに潜り寝息を立て始めた。さすがに焦ってきた2人は必死に書き進め、気づけば3時半を過ぎていた。

「ちょっと一服してくる」

 立ち上がった研二に、俺も一本くれ、と険しい表情の宏樹も立ち、ベランダの引き戸を開けた。

 吹雪は止んでいたが、身を切るような寒さだった。人の往来の無い通りを街灯が寂しく照らしている。

 研二は宏樹にハイライトを一本渡し、ジッポーで火を点けてやった。続けて自分も咥えて吸う。

「そのジッポー、元カノからのプレゼントでしょ」

「うるせえなそうだよ。使っちゃ悪いか」 

「別に」

 しばしの間、二人は黙って煙草を吸った。

「なんかお前、杉岡氏の連載にご執心だよな。正直続きを勝手に書くって言い出した時意外だと思った」

「これなら書けると思ったんだよ。これまでの連載分も全部読んでるし。でも書き始めると難しい」

「だろうな」

「あと、この主人公が他人事に思えなくて」

「それで、書けそうなん?」

「うーん、煮詰まってきた。無理かも」


 ○


 3時間前。突如降臨した「永田」の投稿により、BBSは祭りのような騒ぎになっていた。


『杉岡真人の中の人!?』

『40年以上ひとりで書いてたのか?』

『誰かのいたずらじゃないの』

『どうせ釣りだろ釣り!!』

『例の連載終わるってまじ?』

『文芸部廃部ってまじ!?』


「いやー、盛り上がってますねえ」

 鷹山が目を輝かせて研二に言った。

「てかみんな意外と見てるんだな掲示板」

「文芸部創立以来の騒ぎじゃないですかあ」

「永田って…誰なんだほんと」


 宏樹は酔いが回った頭を回転させていた。この際「永田」が誰なのかは置いておこう。この投稿が悪戯でなく本物なら、連載は本当に終わってしまうのか…?それは問題だ。

 それでいい筈がない。宏樹は自分がこの連載に執着していたことに気づいた。少なくとも俺が部長の代で、連載が終わることは許さない。


 宏樹は2人にちょっと真面目に聞いてくれ、と向き合った。

「いま、我々は3つの疑問に直面している訳だな」

 宏樹はキーを叩き、3行の文章を2人に見せた。

『①永田氏は何者か

②永田氏は本当に連載の正体だったのか

③連載は本当に終わったのか』


「3行目要ります?終わったって言ってるじゃん」鷹山が言う。

「まあ聞いてよ。①について解決するのは難しい。『永田』ってハンドルネームが仮名だって本人が言ってるし、あの投稿だけを手がかりに本名の特定は無理だろう」

「特定してもそこまで意味はない気がするしな、誰か気になるけど」研二が口を挟む。

「この部のOBの人間、くらいの認識でいい気がする」

「そうだな。そして②だけど、永田氏が嘘をついてもあまりメリットがないから普通にその通りな気もする。でもそれはつまらない」

「つまらない…けど、終わっちゃったんならしょうがないんじゃないですか。今年の『諸相』には杉岡氏の原稿は載らない」


「そして③について。これはまだ、どうにかしようがあるだろう」

「それはつまり」

「勝手に続きを書くってこと」

「誰が」

 宏樹は不敵な笑みを浮かべた。

「俺が書く」


 宏樹が思いついたプランはこうだった。この場で例の連載の続きを勝手に書き、杉岡真人の名前で明日の締め切りに間に合うよう提出、第一発見者として3人で口裏を合わせ、そのまま『諸相』に掲載する…というものだった。


 流石に間に合わない、無茶だ無謀だと騒ぐ2人を無視し、やってやるよ、と勢いよくキーを打ち始めたのが2時間半前のことである。



 ○



 そして現在、宏樹の心は早くも折れかけていた。

「どうしたらいいんだろうな、俺は」

 宏樹は弱々しく煙を吐きながら呟く。

「問いが抽象的すぎる」

「細かいなあ…原稿だよ、書けない」

「どうするも何も、書くって言ったじゃん。ぐだぐた言ってないで書けよ」

「まあね…。いや、この連載の原稿もそうなんだけど、最近全然書けなくなってて」

「書きたいように書けばいい。やりたいことをやる人生にするべきだろ。だるいこと言ってないでやれよ」

「それが出来たら苦労しないんだけど」

 宏樹が吐いたため息は白いまま、暗がりに消えていく。

 研二に指摘されるまでもなく、宏樹はもう随分と長いこと、自分の小説を書き上げることができていなかった。前回の部誌はある小説についての評論を書いたが、それは逃げだと自分でも思う。小説を書きたい。書こうとしては、プロットから文章にする段階で「これって面白いのか」「書いて意味あるのか」と自答し、書き進められなくなるのだった。創作をする人間が最初に乗り越えなくてはならない「自意識」という高い壁に、今さら直面するとは…。文芸部に所属し、しかも押し付けられたとはいえ部長を務めている身で、こんな創作初心者みたいな悩みを抱えるとは宏樹自身思っていなかった。

 原因はなんなのか、思い当たるものは色々ある。上手くいかない就活、家族からのプレッシャー、面倒な文芸部の仕事、或いは行き詰まりを見せている自分の人生そのものについて。頭に抱えたもやもやとした全ての物事が邪魔をして、どうにも文章を書き進められないのだった。


「あとはあれだ、焦らないことだな」研二は言う。

「学生時代に書けなかったからって、人生終わるわけでもないし、この先就職して、結婚して、子供ができても、書く人は書く」

「そうだね…」

「いいか、お前が何を書いても、書かなくても、世の中の大勢に影響は無いんだよ。お前がちょっとした文章を書いたところで読む人なんてどうせ限られてるし、リアクションをくれる人なんてほとんどいない。それでも書くかどうかはお前次第だし、何も考えずに自分が好きなように書いて自分が気に入れば、それでもう十分だろ。だいたい、人を感動させようなんて烏滸がましいし。誰に読んでもらう訳でもなく、自分のために書く。自分で書いてて楽しくて、たまに自分で読み返してちょっと救われる、そういうのがいい」

「お前さ…」

「なんだよ」

「いや…お前が部長になるべきだったな、と思って」

「なに言ってんだ今更」

 研二は呆れたように笑ったが、宏樹は本心で言ったのだった。こいつは、熱いロマンチストだなと思う。そして、文章を書くのにそれが一番必要なんじゃないか、と思った。

 唐突に、宏樹は寂しい気持ちに襲われた。

「なんか、あっという間だったな、大学生活」

「その台詞は早えよ、俺らまだ3年じゃん。あと丸一年ある」

「まあそうだけど。この部誌仕上げて部長引退したら、部活に顔出すのももう潮時だなと思ってさ」

「俺もそうかも。研究室忙しいし、就活もしなきゃだし」

「就活して、卒論書いたりしてたら4年生なんてあっという間だろ。なんか淋しくなっちゃってさ。最近はそんなことばかり考えてる」

「わかる、なんていうか、楽しいピークは過ぎちゃったな」

「文芸部とかいう居心地いい場所があってよかったよ」

「変なやつばっかだけどな」

 研二は大きく伸びをした。

「俺はこの感じ好きだけどな。大学の独特な自由さっていうか。各々が好きなことやって、それをみんなが自然に受け入れてる感じが。うちの部に限らず、周り見てもそうだよね。チャラいやつらはそいつらで集まって遊んでて、ひとりが好きなやつはずっとひとりで居れて」

「そして俺らみたいな隠キャは隠キャで集まる、と」

「隠キャって言うな」


 宏樹は煙草の火を見つめながら、スランプに陥っている自分自身を振り返ってみた。

 取り立てて得意なことがある訳でもなく、何もかもが中途半端。何も成し遂げていない酒浸りのダメ学生。自分の凡庸さに嫌気が差しつつも、ただ文章を書くのが好きで、文芸部にいる。

 そして今、杉岡氏の連載を勝手に書く、という面白いアイデアを思いついたものの、実行に移すところで挫折しそうな状況である。もしここで連載の原稿を書き上げることができれば、少しは自分の仕事に満足できる気がした。研二に言われなくてもわかっている、書きたいなら書こう、失うものは何もない。

 宏樹は、なんとしてもこの小説を書き上げないといけない、そんな強迫観念に取り憑かれていた。理屈はないが、これを完成させないと自分は次へ進めない。そんな気がした。


 もう一本吸おうとする研二をベランダに残し、宏樹は暖かな部屋に戻ってBBSを開いた。何人かが自作を書き上げた旨を報告している。


『滑り込みセーフです』

『ギリで間に合ったぞ!今回こそ自信作』

『傑作出してきたぜ あとは任せた編集委員』

『提出完了しました 未だに杉岡氏のやつは無いです、賭けはもらったな』

『載らない方にことぶきのラーメン一杯賭ける』

『わしも載らないに一票じゃ』

 最新の投稿は02:57となっていた。どうやら杉岡真人の原稿が載るかどうか、賭けが始まっているらしい。面白い。


 キーを叩き、宏樹は匿名で投稿した。

『杉岡氏はきっと書くよ ラーメン奢れよな』

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