9・決着の時(最終)
開口一番。
「まずは僕の『作品』をお聞きください」
「作品?」
山阪はいぶかしむ。
「まさかミミ、得意の小説でも開陳するのか?」
「そうではありません」
代わりに板ヶ谷が答えた。
「山阪さんのお好きな『漢文』です」
無人荒野寂
多客行商栄
安問其上下
唯揺晴天影
人無き荒野は寂れ
客多き行商は栄ふ
安んぞ其の上下を問わんや
唯だ晴天の影を揺らすのみ
詠み終えた板ヶ谷はただ息をつき、聞いていた山阪は目を見張る。
「なるほど、板ヶ谷君は相当の教養を持っているようだな」
「この漢詩の出来はどうですか?」
聞くと、山阪は答える。
「最高だ。素晴らしい。独創的だ」
だが板ヶ谷は。
「この程度の漢詩を最高と述べる時点で、あなたに『教養』が備わっていないことは明白でしょうね」
「な、なにっ!」
彼は種明かしを始める。
まず、この漢詩、僕の五言絶句は平仄を全く考えていません。これに気が付かないというのは、あまりにも漢詩をなめています。
それに比喩が直截すぎて、風情がありません。これが何を意味するか、誰でも読み取れるもので、底の浅い詩です。まさかどういう趣旨か読み取れないなんて言いませんよね?
この点に関連して、これは曹植という詩人が作ったといわれる「七歩詩」を参考にしたものです。それが独創的ですか、同じ発想の有名な漢詩があるのに?
山阪さんは、ご自分の唱える「教養」とやらを身につけておいでではない。それが何を理由とするのかはともかくとして。
これが僕の考える結論です。
山阪は顔を青くしたり赤くしたり、忙しく変化し始めた。
「それに、仮に教養があったとして、漢文はもはや権威ではありません」
直球の否定。
「あまりに時代が遠ざかりすぎて、もはや権威すら失った種目です。もちろん漢詩などを楽しんでいる人はいるでしょうが、それは断じて権威のためではありません」
山阪はただ沈黙する。
「例えば、ご自身の受験勉強時代を思い出してください。漢詩を読み解く問題はあっても、漢詩を作ったり、『純粋な日本語を』『漢文に』訳する問題はごくわずかでしかなかったはず」
「それがどうした」
「需要がないということです。少なくとも漢文は英語と違い、『話者として』使いこなす需要が、趣味人を除いておそらく無いのです。需要を半ば失ったものが権威と称えられるのは、いかにも不条理でしかありません」
彼は一言を述べる。
「山阪さんの主義は、不条理で独善でしかないのですよ」
その後、高遠によれば、山阪は憔悴した様子で、自宅へと去っていったという。
いくつか疑問が残る。
「板ヶ谷君、漢詩なんて作れたんだ!」
「いや……僕は挫折した側だよ」
彼は中学生の頃、漢詩に興味を持ち、自分で作り始めた。
しかしちょっとしたコンクールに送ったところ、酷評を受け、散々な結果だった。
彼はめげずに、様々なコンクールや実力を試す場に出向いて挑戦を続けたが、どれも全く成果が上がらなかった。
彼には、才能がなかった。彼自身はそう感じた。
「僕は虎にならなかっただけ、李徴よりはましだったのかもしれない。だけど僕は、中学卒業とともに筆を折った。そして高校に入ってからは、ご覧の通りになったというわけだ」
板ヶ谷は淡々と語る。
「うーん、もうちょっと続ければいいのに」
「私もそう思います。せっかく一度は鍛錬を重ねたんですから、また作ってみたりとか、しません?」
「正直、私も板ヶ谷君の作品を読みたいな」
彼は腕組みをする。
「むむ……まあ前向きに考えよう」
「ところで、山阪さん? が漢文主義を主張する割に、基礎知識が全くなかったのは不思議ですね。どういうことでしょう」
「全くなかったわけではないかもしれない。ちょっとかじって全部知った気になっていたとかかな。あとは権威に弱かったとか、天邪鬼だったとか、思い込みが激しいとか」
「ああ、山阪の叔父さんは、確かに昔から天邪鬼とか思い込みとかの傾向があったかもね」
高遠がうんうんとうなずく。
もしかしたら、漢文がすごいというより、単に若者の小説が気に食わなかっただけかもしれないな、と板ヶ谷は考えたが、まああまり深入りしても仕方がないと思い直した。
「しかし、とりあえず高遠さん断筆の危機がなくなってよかった。僕としても創作論を語り合いたいからね」
「小説は書いたことないんでしょ」
「ふふ、でも僕が天才であることは明白。創作論の中身でこそ、力量は計られるものだからね。論こそが正義」
「またわけわからないことを。まあいつものことか!」
いつもの日々を、彼らは過ごす。
作品のない天才作家 牛盛空蔵 @ngenzou
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