8・波乱


 伝聞によると、その日の夜、高遠の家に来客があった。

「失礼する。ご無沙汰しております」

 やってきたのは高遠の叔父である山阪とその妻。高遠の曽祖父の、十何回目かのちょっとした法事だそうだった。

「おお、よく来たな」

「いらっしゃい。せっかくだから、このあと晩御飯でも召し上がってください」

 夕飯時に来るのは一見マナー違反に見えるが、このときは諸事情があり、高遠の家もそれを苦にしない家風だった。

 しかし高遠個人にとっては、この叔父は苦手だった。


 夕食後、居間で一家が話していると。

「そういえば、ミミはまだ小説を書いているのか」

 うるさいなあ。

 高遠――通称「ミミ」は、山阪の言葉に一瞬顔をしかめた。

「おお、そうらしいぞ。まあ趣味だからな、そこそこやっているよ……ところで」

 高遠の父が適当に言葉を濁して、別の話題に移ろうとする。

 しかし山阪はそうはさせなかった。

「そんな無駄なことをまだ許しているのか。浮ついた軟弱者の趣味を」

 始まった。

 高遠一家は全員等しくそう思ったに違いない、とは、のちの高遠の弁。

「あんなものは暇を持て余したボンボンの遊びでしかない。歴史をみれば分かるだろう」

「いやそれはちょっと……むしろ今の世の中は、野心が若者を突き動かしているケースもあるみたいだし……」

 高遠父の反論を、しかしはねつける山阪。

「起源がそうである以上、今の話は意味がない。歴史とはそういうものだ。……そして歴史を鑑みれば、漢文こそが真の教養。馬鹿をさらす評論だのエッセイだの、けったいな空想をさらす小説だのと比べるなら、その権威は一目瞭然」

 呆れかえったのは、他の誰でもない、高遠本人である。

 いつの時代なの……?

「そうだ、ミミの小説を禁止してはどうだろうか」

「エェ?」

 高遠父も明らかに呆れかえったが、まくし立てられる。

「若い時分を、そのような無駄で害のあるものに費やす必要はない。そしてその同類にも縁を切らせようではないか」

「ちょっと待て、それは」

「権威だ。正しいものに権威は集まる。漢文こそが起源であり権威の極み。そして人は正しくあらねばならない。ならばミミは小説を捨て漢文の世界に生きるのが、真っ当な生き方であるとは思わないか」

「ちょっと待て、暴論が過ぎるぞ!」

「何が暴論だ、俺は正しいことしか言っていない! それともお前は、親として小説なんぞに親しむ同類を、娘のために排除しようとは思わないのか!」

 ケンカが始まった。


 そして山阪は、高遠が「改心」して小説を捨て、漢文に取り組むまで、近くのビジネスホテルに泊まって毎日訪問するらしい。

「エェーなんと迷惑な!」

「ホント迷惑なんだよ。何か方法はないかな?」

 板ヶ谷たちはその話を聞いて、頭を抱えた。

「方法か……」

「いい作品……漢文は無理だけど、いろんなものを見せて説得するのは?」

「いや、それは無理だろうね。ラノベではよくあるんだろうけれど、自分のジャンルに響かないものを拒絶しているタイプにそれは無理だと思うよ」

 板ヶ谷は冷静に返す。

「やるなら漢文を見せないと」

「でも、それじゃ意味ないじゃん。相手の信念を強くするだけで」

「その通り。だから漢文を見せた上で、それをダシに逆方向の説得をするんだろうね」

「そんなことできるの?」

 彼はあごに手を当てる。

「高遠さん、山阪さんはどれぐらい漢文に詳しい?」

「たぶん素人。漢文に心酔している自分に酔っている感じだからね」

「昔の学業とか、漢文についての実績なんかは?」

「大学は理系。実績も聞いたことないよ。以前話を聞いたけど、『鶏鳴狗盗』とか『七歩詩』も知らないレベルだった」

「それでよく漢文を拝するものだね」

「全くだよ、全然詳しくないじゃんって」

「しかし七歩詩も知らないのか……これは、むむ」

「どしたの?」

「いや、なんでもない」

 頼れる人間は他にいない。跡見、藤堂、浜名、いずれも漢文に詳しいとは思えない。

 自分がやるしかないのか。

「よし、僕に説得を任せてほしい」

「えっ、板ヶ谷君が?」

「なんだね、その変な目は」

「いや、だってその」

「どうせ他に当てはないんだ、僕がやってもいいんじゃないかい?」

「うーん、でも……」

「僕に」

 彼は真剣に言った。

「僕に任せてくれ」


 高遠の案内で、板ヶ谷は山阪の客室の前まで来た。

「山阪の叔父さん、『漢文のできる』友達を連れてきました」

 インターホン越しに「なんだと……?」とあからさまな動揺を漏らす山阪。

 この言い回しは、板ヶ谷の指示によるものだ。

 高遠は終始「そんな嘘をついて、いくらなんでもバレない?」とひたすら不安げだったが、なんとか協力を取り付けた。

「とりあえず、この板ヶ谷君の話を聞いてみてください」

「……分かった。ドアを開けよう」

 ガチャリと開くと、眉間にシワの寄った、眼光の奇怪な中年男性が迎え入れた。

「はじめまして。高遠さんの友人の板ヶ谷と申します」

「ふん」

「お邪魔します」

 室内には二人分のイスがあり、「座りなさい」と促された。

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