7・不良の探求心
月曜日。板ヶ谷らは当然のごとく、普通に登校した。
「おはよう」
繰り返される日常。飽きるほど交わされる、平凡なあいさつ。それは、日常が日常であることを確認する、符丁であるのかもしれない。その影であまたの波乱と混迷があったとしても。
などと彼がポエムじみたことを考えていると。
「おい、なんか藤堂がまた職員室に呼ばれてたぞ」
「またかよ。今度はなんの非行だ」
「いや、非行じゃない」
おや、と彼は思った。
藤堂とは、同じクラスの女子。不良である。容姿が優れているので、職員室に呼ばれるという毎度のことでも、いちいち男子の間では噂になる。
なお、中身はギャルではない高遠と違い、彼女は見た目も中身も不良であるはずだ。
だからこそ、非行ではない理由で呼び出されたことに違和感を覚えたのだ。
「聞いた話だと、小論文コンクールで佳作をもらったとか」
「えっマジ?」
えっマジ?
彼も思わず耳を疑った。
「名誉なことで呼ばれてたのか」
「ちょっと信じらんないけど、どうもそうらしい」
「でも……小論文を使うのって推薦とかだろ。内申の関係で藤堂には無理じゃね?」
「それもそうだ。受験には役に立たねえだろうな」
板ヶ谷も陰でうなずいた。
嫉妬かもしれないが事実でもある。仕方がない。
どうせ自分には関係のないことだから、と、彼は興味を失い、机に勉強用具を広げた。
ところが関係のないことではなかった。
「板ヶ谷、高遠、跡見。あたしに小論文を教えてくれ!」
「エェ……」
放課後、藤堂に体育館裏に呼び出されていたのだった。
「教えるって、僕たちが、きみに?」
コンクールで佳作を獲るレベルの人間が、畑違いの三人に何を教わるというのか。
「片倉から聞いた。お前ら三人は文芸に縁があるって」
「うん、まあ、それはそうだけどね。僕もね」
「いや、板ヶ谷くんは違うでしょ」
鋭いツッコミ。
「もっとあたしは小論文を磨きたい。佳作じゃ足りないんだ」
「進学とか将来のこととか?」
「いや、それはあんま関係ない。芸事は極めてこそ価値があるんだ」
まるで求道者である。この女子も見た目と中身が違うタイプだった。
「えっ、そんなに意識が高いのに非行はやめないのかい?」
「それとこれは別だ。オラつきながらでも芸事は磨ける」
「エェ……」
矛盾をものともしない求道者。それでいて不良であることも事実。
彼はよく分からなくなってきた。
「まあそれはいいか。でも、僕たちは畑違いだね。文芸と評論の世界は似ているようで違うのだよ。実際、エースの高遠さんでさえも、小論文でなら佳作相手には、多分及ばない」
「そうだね。私、小論文では確かな実績なんかないし」
高遠自身も同調する。
「……仮にそうだとしても、アドバイスとか欲しい。小論文は読まれて指摘されてこそ成長するんだ。頼む、定期的に見てくれないか?」
懇願。もはやどこから見ても求道者である。
「まあ別にいいけど。にぎやかなのも悪くないし」
「そうだね。私も別に大丈夫だよ。板ヶ谷くんはどうですか?」
「エェ……そんなあっさり」
板ヶ谷が困っていると。
「安心してくれ。非行の道には一切誘わない。迷惑はかけない」
「うーん……ちなみに、どうして小論文を極めたいんだい、懸賞論文の賞金稼ぎにでもなりたいのかい?」
「いや全然。何度も言うが、単に芸事を極めたいだけだ。まあ賞金稼ぎも悪くねえけど」
人によっては理解に苦しむ返答だが、しかし、彼には理解ができた。
道を極めるというのは、理屈ではない。――たとえ自分の限界を悟っていたとしても。
「よし分かったよ。僕も微力ながら協力しようじゃないかね」
彼は腹をくくってうなずいた。
◆◆◆
問【売名目的で慈善活動に協力する商売人は、非難されるべきか否か】
私は、この商売人は非難されるべきではないと考える。
第一の理由は、客観的にその慈善活動が、多かれ少なかれ他者を救っているからである。いかなる動機であれ、出力される結果が善であるならば、動機を含めて考慮したとしても、それが悪とまではされるべきではない。
この点、例えば救われた側を政治的、宗教的に傘下に組み入れようとしているのであれば、その「弱者の苦境につけ込んで勢力を増やす」行為は、客観的にも非難に値する。
しかし、本問においては、救われるところの弱者については、彼ら自身は商売人によって左右されることがない。商売人があくまで売名に徹し、勢力に組み入れることがないのなら、彼ら自身が介入を受けない以上、非難されるべき事由はどこにもない。
第二の理由は、善行に清廉な動機まで求めるとするならば、慈善活動は客観的に縮小が避けられず、救いきれない人間を生んでしまうからである。
人を助けるのに理由はいらない。そうしないと、動機の正しさまで求めたばかりに、本来百人救えることも、十人しか救えないことになりかねない。それは世界全体でみる限り、明白な損失である。
動機という主観は、一般論としては、決して完全に無視されるべきものではない。しかし慈善活動に関しては、まず目の前の人間を救うことが先決である。格別に悪辣な目的を有する場合を除き、非難すべきものではないと考える。
◆◆◆
彼女の成果物を「うどんや」で読んだ板ヶ谷は、なんとも言えなかった。
「うん、まあ、いいんじゃないかな」
なにせ分野が違う。この小論文が、求められているものを満たしてるのかどうかも、彼には分からない。
「何かアドバイスはないか?」
藤堂がせびるので、なんとか板ヶ谷はひねり出そうとする。
「そうだな……ちょっと使われている単語が難しめなのは気になるがね……」
この小論文について想定される読者層は、例えばライトノベルと違い、かなりの文章の素養を持った、おそらく中年以上の審査員とみるべきであろう。
また、彼女はその難しい単語を、おそらく大方きちんと理解して使っている。間違った使い方をしてはいないように見える。
となると、難しい単語で構成されていてもよいような気がする。
だが一方で、およそ文章たるものは、簡潔で分かりやすい作品が求められるという論もある。小説はほぼ確実にそうであるし、小論文にも当てはまる気がしないでもない。
「という感じだけども……」
ちなみに内容そのものに関しては、本当に板ヶ谷には判断する能力がない。ひとまずバランスは良いのだろうが、どこを改めればよりよくなるのか……「よりよい」と判定されやすいのか、それが分からない。
「私もよく分かんないや。とりあえず破綻はないし、理解もできる内容だけども、それ以上のアドバイスはね……」
「私も分からない。小論文の中身がじゃなくて、どう改善すれば点が上がるのかがね。……ごめんね藤堂さん」
三人はほぼ異口同音に、自信のない寸評を答えた。
「そういうものか……」
藤堂は一瞬うなだれるが、しかしすぐに持ち直す。
「だったら、せめてあんたたちの小説とか作品を読ませてくれ。そこから何か得るものがあるかもしれない」
「そうかなあ?」
「聞いた話だと、野球部はたまに水泳を練習しているし、吹奏楽部は肺活量のためのトレーニングをしているらしい。つまり、違う分野の練習も、きっと無駄にはならないはず」
「まあ、そうだね」
「というわけで、あんたたちの寸評会みたいなものがあれば、あたしも呼んでほしいんだ」
「まあ、別にいいけど」
「ありがとう、助かる!」
藤堂は心底嬉しそうな顔で言った。
この人は本当に求道者なんだな、と板ヶ谷は思った。
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