サンダルでダッシュ!

ON YOUR MARK

 その男の履いている靴は異様だった。

 規則や競技精神に反しているのではないか? そう議論と注目の的になった。

 陸上競技会は徹底して男の靴を調べたが、最後には出場を認める事になった。

 今、屈強な四足の男がスタート位置に着いた。



「しょうくん、待ってよ~」


 フラフラの少年が、自分を追い越していった元気な少年の背中に声をかけた。


「いっくんはアホか! マラソン中やで! 終わるまで止まらずに走るんや!」


 関西弁の少年が土ぼこりを上げる疾走を見せながらグラウンドを走り抜けていく。周回遅れの少年は疲労困憊の頼りない足取りで、その背中を追いかけていった。


 体育の時間。最下位の成績を飾ることが確定した華奢な少年が、ヒーヒー言いながら学校のグラウンドを走り続ける。トップでゴールしていた少年が、走り終わってもまだまだ元気な様子で、彼に並走しながら声援を送っていた。


「おらー! いっくん走れ走れー。ゴールはもうすぐやでー」


「ひぃ、ハァ……もう、無理だよ~。しょうくんは、なんでそんな元気なの……」


「体を動かすのが好きなだけや! いっくんも気合いだせ! 元気にやれー!」


 土汚れを顔につけた少年は快活に笑った。声援を受けている少年は、もう無理死ぬとか思いながら、重い足を引きずるようにして走り続けた。


 授業が終わり、終業のチャイムが鳴り、帰宅の時間になっても疲れを残したままの少年が、ぐんにゃりしながら歩いていく。


「うぇ~、まだ足が痛い気がする……」


「まーだ疲れとんのかい。今度の体育も走るらしいぞー。ケツに力いれろー!」


 帰宅部だった二人は、一緒に仲良く下校していた。ガハハと笑いながら尻を叩かれた少年は、涙目になりながら非難する。


「いたっ! ちょっ、やめてよ、しょうくん……もう、走るの苦手なんだよ……」


「苦手でも足をしっかり動かせば楽に走れる。悪いトコ教えたるから頑張ろうや」


 この辺の振りが甘いなー、などと触られながら、少年は走り方の指導を受けるハメになった。楽しそうに教える姿を見た少年は、呆れたように呟いた。


「そんなに走るのが好きなら、クラブに入ればいいのに……」


 呟きを聞いた少年は、少し遠い目になりながらボヤいた。


「あー、まー……俺はな……あれや、転校生やろ? 途中参加は恥ずかしいんや」


「嘘だぁ、そんなの気にしないでしょ、しょうくん……」


「これでも繊細なんやでー……ってな、んじゃ俺は先に帰るわ。また明日なー」


 やけに太い字で刻まれた表札の付いた、厳つい門の中に少年は帰宅していった。

 中から野太い声で少年の帰宅を歓迎する男たちの声が聞こえてくる。


「坊ちゃんお帰りなさいませ……? しょうくんの家、お金持ちなのかなぁ?」


 ちょっとした勘違いをしていたが、二人は友達になって一緒に過ごしていた。

 謎の付き合いの悪さの理由や、家の看板内容に薄々気付く程度に成長した頃。

 それでも二人の付き合いは続き、親友となって過ごしていた。


「いちについてー……」


 広い家の前。白線がどこまでも伸びるように続く塀の前に、二人が並んでいた。

 道路に軽く引いた線の後ろにかがみ、ゆっくりと声に出して調子を合わせる。

 鍛え上げられた腿に力が入り、太い筋肉を浮き上がらせる。


「よういどんやー!」


 一人が早口で合図を出して、即座に上体を起こして走り出した。


「あっ、ズルっ! 待ってよ、しょうくん!?」


 素早くスピードに乗る背中を、調子を崩して慌てる声が追いかけた。


「待つかいボケー!」


 結局追いつく事は出来ず、「俺の勝ちやー!」という叫びが道に響いた。

 その道は、奇妙に静かな道路で車はほとんど通らない。

 たまにパトカーが注意や威嚇するように通りかかったりはする。

 そんな近隣住民の皆様が恐れる豪邸の前の道で、二人は競争していた。


「これで俺がこの街の一位やな! いやー勝つのは気持ちええなー!」


「クソー、そんなんだからこの家の子はー……とか言われるんだよ……」


「それ言うか!? 陸上クラブチームの優等生サマは言う事が違うなー!」


 何だかんだで走る事に付き合っていた二人の足は速くなっていた。

 家の事情でクラブに入れなかった一人は、普通に陸上大会に出場して優勝をかっさらう程に足が速くなったもう一人を、大会の後に家の前に呼び寄せて勝負をもちかけるのが恒例行事になっていた。


「普通に走っても早いのに、そんなアホな事するから言いたくなるんだよ……」


 仲良くなって、口の悪さが移って軽く罵倒できる関係にもなってしまっていた。


「そか、まぁええけどな。走れば、うっとい事忘れて頭空っぽにできるしな」


 へらりと笑って、白塗りの厚い塀を軽く叩いた。

 軽口を叩いたのを申し訳なくなった一人は、少し気になっていたことを聞く。


「……家の事、嫌い?」


「いや? 別に? 大会に出られんけど、いっくんのおかげで競う事はできるしな。……銀行口座が開けんのとか嫌なことはあるっちゃあるな。けどなぁ、面倒で苦しい事があるからこそ、走った時の一瞬の光が綺麗に見えるんや……」


 虚ろな目になって危ないことを言い出したので、慣れたツッコミが入った。


「うん、そっか、ごめん。嫌いなんだね……」


「なんでや! こんど家の手伝いするのを決めたくらいには好きなんやで!?」


「なんの手伝いするの? というか聞いて大丈夫……?」


「ふふふ、聞いて驚け! 家が主催するクラブチームの手伝いや! 俺もクラブに紛れ込んでもおかしくないトシになったからな!」


「ああ、そう。夜の倶楽部だね、がんばって……」


「冷めたツッコミすんなやー!」と悲しげに叫ぶ声が響いた。

 たまたま通りかかった短髪の若い連中が、ご苦労さんです若。と姿勢を正して挨拶をしていく――


 たまに妙にガタイの良い人物に話しかけられたりしつつ、二人は仲良く過ごした。

 そんなある日の夜。普通の家の中、風呂上がりにストレッチをしながらテレビの声に耳を傾けている男の耳に、不穏なニュースが流れ始めた。


「倶楽部――に爆発物が投げ込まれました。犯人は――組の――。従業員は重軽傷を負い、病院に運び込まれました」


 倶楽部襲撃事件の報が流された。

 店の名前は、聞き覚えのある名前と同一だった。

 手榴弾の爆風を浴びた従業員の中に、親友がいるかもしれない。

 そう思い、無事を確認しようと急いで電話をかけたが繋がらない。

 男は曰くつきの関係者がよく運び込まれる病院に向かって走り出した。


「しょうくん!? 無事……だったかぁ……」


 既に簡易の処置は終わっていた。

 ベッドの中に横たわり、包帯を巻いているが元気そうな姿を見た男は安心する。

 しかし、声をかけても返事をせず、ブツブツと呟く様子を見て首を傾げる。


「あんなぁ……光がな……ぶわーっと広がってん……綺麗な光が……」


「……どうしたの? 頭でも打っちゃった?」


 見えないところに怪我でもしているのかと思い、シーツに手をかけた瞬間


「触んなッ!!」


「うわっ!?」


 叫ばれてしまった男が、シーツを握ったまま後ずさりした。

 めくれ上がったシーツの中には、何もなかった。

 彼の足があるはずの部分に、何もなかった。


 倶楽部内で炸裂した攻撃型手榴弾の爆風を受けて、彼の足はちぎれ飛んでいた。


「俺はもう、走れん……いっくんと遊ぶ理由も、のうなった……」


 再接合が不可能なほどに焼け爛れてしまった足の残骸を持って、呟いていた。

 変形して残っている足の一部も切断することになり、両足を失ってしまうと。

 嗚咽と共に上げる弱気な声が、病室の中を満たしていく。


「何もない……オマエの前を走られへん俺には、価値なんて無い……ッ!」


 繋がっていたものが断ち切れて、壊れてしまったと嘆き続ける。

 一緒に居たいから趣味に無理やり付き合わせていたと泣きながら話す。

 いつもの二人には戻れないと泣きわめく声を塞ぐように、男は手を伸ばした。


「しょうくんはアホだなぁ……走るのは、ずっと苦手だったよ。一緒に走るのが好きなんだ」


 腕の中にあった足の残骸を手に取った。


「いっくん……?」


 焼け残った硬い足を持って言った。


「一緒に走ろう。ずっと一緒に」



 スタート位置に屈みこみ、男は革ひもを強く自身の足に縛り付ける。

 毛穴が見える素材で作られた、皮のサンダルを履いた男が走る準備を整えた。

 二人分の足を持つ男が、笑みを浮かべてスタートの合図を待つ。


「一位を取らせたる……見とれよ、しょうくん……」


 何よりも先にサンダルをゴールさせると誓った男が、狂気めいた笑顔を上げた。

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