第13主題 死と再生

 ヒナコさんをうしなって以来、何日が過ぎただろう。


 大学院の仕事を休み、点滴治療に通うことを怠った。


 そうすると心だけではない、身体もむしばまれ、哀しみは僕の視力を落とし、新譜を読めない眼にした。本もニュースも読めない。日常の景色が遠退く。


 絶望して、ありったけの睡眠薬を集めて呑んでみたが、そんなことでは死にきれず、イワノ医師は僕を白百合研究室に入院させた。しくも彼女が晩年を生きた個室だった。僕等が月曜日の逢瀬おうせを楽しんだ部屋だ。


 千羽鶴をすべて託された効果なのか。僕は生き永らえる。眼も見えている。イワノ医師の緊急治療は、見たくないものを見せるほどに視力を回復させていた。


 家族の無慈悲な目に見下ろされ、

「迷惑をかけない」

 ことを誓い、また、ひとりの時間に還ってゆく。


 月曜日の通院と、火曜日から金曜日の講師業と、土日の休息というルーティンに、何の感慨も無い日々を閉じ籠めて生きる。何も考えないように心掛けた。


 心を真っ白に。

 真っ白は真っ黒と表裏一体だと気付く。

 ピアノの白鍵と黒鍵をはじいてみる。


 昔、おぼえた『人形へのセレナード』だった。発条ゼンマイ仕掛けの人形の螺子ネジの軋む音が、鍵盤の奥にび付く。


 僕の人生にいて忘れられない、ふたりの少女のうち、ひとりめの話をおわりにしよう。


 ヒナコさんは、永遠の少女として、過去の動かない時間と共にクローゼットの中に仕舞い込まれる無疵むきずの宝石で、標本と化する想い出である。


 もうひとりの少女・ヒナノさんは、ヒナコさんと似た名前で在りながら、未来の動いていく時間にクローゼットの鍵を打ち破って輝く宝石で、発展していく人生の絵を描く人である。


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