第9主題 少女の名は

「ありがとう」

 と、おかあさんに感謝する言葉を忘れずに、ミヨシくんは蓋を開けてもらったジュースを飲む。


 少女は、おかあさんの瞳でミヨシくんを見守る。穏やかだ。穏やかな会話が、できそうだ。


「息子さん、可愛かわいいですね。ミヨシくん。どんな字を書くのでしょう」

「そのまま片仮名でミヨシです」

「それは、いい。読み間違いの危険が無くて。失礼。僕の名も、みよしなのです」

「まぁ、偶然、同じ名前」

「片仮名が良かったな。どんな字を充てると思います?」


 ミヨシくんのポシェットから小さい落書き帖と螢光ペンを借りて、少女は書く。

 美好・美芳・美由。


 そんなに美しい名前なら良かった。僕は筆記用具を借りる。

 三吉。


「可愛い」

 と、少女はほそい肩を震わせた。けがれなき白百合が風に揺れるようだ。


「さんきちくん。散々、そう呼ばれました。可愛いとってもらったのは初めてだ。あなたは? あなたの名は?」


 彼女は再び、僕の手からペンと落書き帖を取り返した。

 雛子ヒナコ


 お雛さまの雛。雛鳥の雛。

 そんな漢字が彼女には、とても似合っていると思った。


 僕等ぼくらは、名前について、漢字について、他愛なく話した。

 雛子さんは、自分の名を表わす漢字の画数の多さが、学校の試験中には疎ましかったと云う。付け加え、雛子と云う漢字が、あんまり好きではないと云う理由で、年賀状や手紙には、ヒナコと書いていたと教えてくれた。


 僕の脳内の雛子をヒナコに変換する。


 ミヨシくんは乳酸菌飲料を2本、飲み干した。おなかがいっぱいで眠くなったのか、ゆらゆらと眠り始める。


 僕はミヨシくんを膝枕ひざまくらした。かたわらではヒナコさんが、ミヨシくんの髪をでている。穏やかな家族の幸せな絵に思えた。


 ほどなくして、端末に呼び出されていたイワノ医師が戻ったのだが、もっとゆっくり戻って来てほしかったものだ。


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