第24話

 原稿を交換して読む。ものの五分で読み終わる。書くのにあんなに掛かったのに、読むのはあっという間だ。

 俺の方が先に読み終わったので、ノバナを待つ。いずれノバナも顔を上げる。

「リュータ、いいよ、これ、すごい、面白いしこころにズドンと来る」

「ノバナのもキュンとした。それも心臓を搾られるようなキュンだった」

「マリーアントワネットの秘密の愛人がギロチン職人って、無茶苦茶な設定なのに、その後を読んでたらむしろその設定が普通でそうじゃないのがおかしいような気がしてくるくらいの説得力。職人のガロンが刃を研ぐシーンとか背筋が寒くなる。それは刃を研いでるからじゃなくて、彼が命を研いでるからなんだよね。職人としてそれが殺傷の道具に使われると言うことは分かっていても、精を込めずにはいられない。きっとガロンも自分の作ったものが貴族の首を刎ねることに使われるって分かってたんだと思う。そしてそれを否認してた。絶対に自分の作ったギロチンではマリーは死なないって。でも、その日はやって来る。ガロンは職人として立ち会うことを余儀なくされる。もちろんマリーと言葉を交わすことなんて出来ない、視線だけが交差する。なんて切ない。悲しい話」

 一息に喋って、ノバナは肩で息をしている。なおも続ける。

「書きたいことを書く自由さってのがこの作品を生んだんだね。職人と言うのは私たち文士も同じだと思う。書いたことが何に使われるかで書くことをやめることは出来ない。いや、しない」

「まさに。見事な読み取り」

「書きたかったのは切なさではなくて、その求道精神が、悲劇にも愛にも勝ると言うこと。そうでしょ? リュータ」

「うん。むしろその覚悟を示したかった」

「でも、副次的なものとして、悲劇がある。そこに物語りがある。だからこっちも書きたくなかった訳じゃなく、書きたいと思って書いたものだって分かる。リュータ、成長の速度が異常だと思う」

「異常って……」

「直すところとしては、前半後半で色分けされているののコントラストがもう少しくっきり欲しいのと、処刑の描写、わざとでしょ? 簡素になり過ぎている。でもこれくらい。完全に一段階上がったと思う」

「ベタ褒めだね」

「評価はいつだって公正だよ」

「ノバナのは、内容と言うより、設定の不思議さを問いたいんだけど、年上のマダムと燕みたいな青年の恋愛って、どうしてこう言う組み合わせなの?」

「禁断ではギリギリないけれども、ちょっと異常だって感覚に訴える関係が、緊張感があっていいと思ったから。その関係自体は物語りの本筋とはあまり関係がないから、緊張度で決めた」

「なるほど。でもその緊張度が話の全体をキュッと締めていて、文章自体も余計な文言が一切なくスリムで、結果的にテンポよく読めて、スタイリッシュなスピード感が文章に生まれている。そしてそのスピードで燕の裏切りにぶつかるからとても痛い。でも燕は本当は裏切ってなかった。そこにある強いつよい恋心が、マダムが開けて待っているこころの箇所にギュッと入って、こころを締め付ける。俺としては、文章のテンポやリズムでイメージを作って、それによって読者をいざなうと言う技術に驚いたし、パクる」

「どんどんパクって」

「ストーリー自体はよくあるレベルのものだと思うのに、文章自体が秀逸だから全く違ったものになってるんだよね」

「リュータの言葉、麻薬みたい、ゾクゾクする。まさに、それこそが私がしようとしたことなんだ。文章のスピード、テンポ、そう言うものによって読み手に特別な体験をさせる、そう言う表現をすること」

「俺はそれに溺れた。そのスピードが今度は二人の関係の張りと対比されて、刹那的な情緒の『たまり』を弾けさせる。俺の中の読書体験の定義が一つ増えた。完全に」

 ノバナが、はぁ、と甘い吐息を漏らす。

「自分の狙った通りに感動させられるって、本当に、麻薬みたい。本物の麻薬はやったことがないよ、一応」

「そこは疑ってないよ。これが成されるためには、文体、語彙、改行とかが全部が調和しないといけないと思うんだ。そこに、かなりの神経を使ったでしょ?」

「うん。初めての試み。真山白馬が文章で読ませるじゃない? そう言うことをやろうと思ったんだけど、まだ普通の文章では太刀打ち出来ないって悟って、じゃあ特殊な状態のだったら出来るかもってやったんだ」

「着想がすごいと思う。……そうか着想か。もしかしたら新しい小説を生むのは、新しい着想なのかも知れない。それはノバナがしたような文章のスピードとかみたいな少しメタなものから、どう言うキャラクターにするかとか、関係性とか、伝えたいこととか、どこかにすごい着想があると小説が新しくなるのかも知れない」

「やっぱりリュータは本質を見抜くね。きっとそうだよ」

 二人してアハアハと笑う。俺が居て、ノバナが居る。それだけで世界が十分で、キラキラ輝いている。浮かされた熱、恋のそれとは全く違う、芯がまっている感じ。きっと小説が誰かに届いたときに感じる恍惚の中に俺達は居る。これが努力の末に手に入るなら、どんな努力も軽いものに感じるだろう。他の全ての行為で体験したことのない高揚。

「ねえ、リュータ、直すところは?」

「最初と最後が、アクセルとブレーキみたいにスピードが変化するんだけど、もし可能なら最初からトップスピードで、最後も走り抜けたらいいんじゃないかと思う。途中でぶつかるところはもちろんそのままがいい」

「なるほど。途中から始まって途中で終わるイメージだね」

「あとはごめん、堪能するばかりだった」

「ついにそう言う日が来たね」

「来たよ。俺のも堪能してくれた?」

「思い切りしたよ」

 そう言った後、ノバナはすーっと平時の顔に戻る。俺も引っ張られるように穏やかな自分を取り戻す。二人ともがいつもの状態になることが、世界に馴染むのを待つまでの間があって、ノバナが口を開く。

「でも、私達が目指すのはもっともっと上。だとしても、今日の感動と興奮を私は忘れない」

「そうだね。もっと上があることは分かる。そしてそこに到達しないといけない。俺も、こんな恍惚が文章を書く中にあると言うことは、忘れられそうにない」

 ノバナが悪戯っぽく笑う。

「最高だったね」

「今なら戻れるよ?」

「耽溺しても仕方ない。前に進もう」

「了解」

「でも、休憩を挟んだ方がよさそう。さっき昼休みだったばっかだけど、脳がかなりエネルギーを消費してると思うんだ」

「賛成。ねえ、ノバナ、今日は俺がチョコレートを持って来たよ」

「素晴らしい学習能力!」

「いや、流石にあんだけチョコレート食べたら嫌でも覚えるって。人生で一番食べたもん」

 俺はカバンから板チョコを十枚出す。昨日はミルクチョコレートばかりだったから、ブラックとホワイト、あとカカオ多めとかのバリエーションを付けてみた。

「どれも二枚ずつあるから好きなのを食べてよ」

「じゃあ、ホワイトにする」

「昨日は何で全部ミルクだったの?」

「部屋に箱買いしたのがあったから」

「箱買いしてるの!?」

「賞味期限長いし、ないと困るシチュエーションの方が、学生しながら小説書いてると多いと思って」

「それを放出したんだ」

「その通り」

 太ってはいないところを見ると、本当にエネルギーが不足したときに食べているのだろう。怠惰の象徴のようなおやつを、コントロールしていることに恐れ入る。

 ノバナはミルクチョコレートをパキンと割って、口に放り込む。それを見ていたら唾液が出て、俺もホワイトが食べたくなった。

「俺もホワイト」

 甘くて美味しい。枯渇しているからこその美味しさがあることを昨日知った。食事にはそれがあることをずっと前から理解していたが、おやつにも余剰としてではなくエネルギーとしての役割があるのだ。脳が元気になってゆくのが体感される。

 喋らずに、ホワイトチョコレートを割る音だけが間を開けて聞こえる。

 急に眠くなった。

「ノバナ、何かすごく眠い。ちょっとだけ寝てもいいかな」

「いいよ。直しが終わったら、私は次の自由課題を書き始めてるから、起きたら始めてね。文字数制限は一万字ね」

「了解」

 俺は腕枕をして、目を瞑る。寝ようと決めると眠気がぐずついて、でも、ノバナの横顔を見て、彼女のペンの音を少し聞いたら、寝た。


 そのおじさんが真山白馬であることは顔を知らなくても知っていた。

 どこかの壇上、しかし観客席に人が居るのか居ないのかは分からない。

「次は君だ」

 真山から万年筆が手渡される。使い込まれているが丁寧に扱われている道具の持つ光り方をしている。

 俺は本当にそれが俺なのかに疑問を持って「俺なんですか? 何でですか?」と受け取らずに返す。

 真山は迫力の笑みを浮かべる。

「次は、君だ」

 これで受け取らなかったら俺は永久に欠格者になると理解して、そして彼を継ぐなら、やってやると腹を決める。両手でその万年筆を受け取る。

 真山は壇上を去ってゆく。有無の分からない観客席は、世界の全ての目がそこにあるようで、世界から隠されているようで、俺はその万年筆を握り締めて真山と反対方向に降りてゆく。

 何故か涙が止まらなくて、右手の重みを胸に重ねて、泣きながら前に進む。


 目を開けるとノバナが居た。

 俺はまだ泣き止んでいなくて、鼻を啜ったら、ノバナがこっちを見る。

「リュータ、泣いてるの?」

「泣いてる」

「どうしたの?」

「夢のせいだよ。夢で、真山白馬に『次は君だ』って万年筆を渡された」

「それで泣いてるの?」

「何で泣くのかは分からない。悲しい訳じゃない」

 ノバナはペンを置く。

「背中さする?」

「うんん。大丈夫。でも何故だか無理に止めない方がいい涙のような気がするんだ」

「きっとそうなんだね。存分に泣きなよ」

「そうする」

 ノバナはペンを持つ。彼女の世界に戻る。俺は俺の涙の世界に浸る。理由なんて本当はない。たまたま夢が涙のスイッチを押しただけなのだ。それでも、今一回全てを浄化した方がいいと思う。嗚咽こそしなかったが涙はしばらく出続けた。いずれ止まって、流しっぱなしにしていたものをティッシュで拭く。

 さっきまでの興奮も涙も嘘のように、俺の胸は平らな湖のように、いや逆だ、興奮の残渣を涙が絡め取って、だから静かになったのだ。空気の震えが少ないことがよく分かる。ノバナを見て、生まれ直した自分でも、好きだと思う。何回寝て起きても、何回狂ってから泣いて洗われても、何度出会っても、ノバナが好きだ。そう言うことなんだ。合宿が終わったら告白しよう。もう、気持ちを隠したままに一緒に居るのは限界が近い。

「ノバナ」

「何?」

「泣き止んだ」

「うん。書こう」

「はい」

 寝て泣いた分のビハインドを取り戻すなんてことは意識してはいけない。書きたいものを見つける努力をする。そして書く。時間に追われても、字数に追われても、テーマに追われても、きっと上手くいかないことと、そうでないときに素敵な作品が生まれたことが両極からサンドイッチして、正しいやり方を俺に教える。その前に直しをしないといけない。

 俺は書く。

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