第23話

 合宿二日目。朝九時集合。

 十分な睡眠、食事。そして回復。それはノバナも同じようだった。

「今日も書くよ」

 勉強部屋に入るなりノバナの鼻息は荒い。

「あのさ、ノバナ」

「何?」

「昨日のテーマを決めて書くのとは違うのがいいな」

「どうして?」

「何て言うか、昨日の夜に気付いたんだけど、今俺、自分の感性がいつもより鋭くなっている気がするんだ」

「いいことじゃん」

「それでさ、テーマをランダムに決めるのは、練習には悪くないのかも知れないけど、やっぱり自由度が低過ぎる気がする。その中でやれとどうしてもって言うなら従うけど、そうじゃなくて、自分が書きたいことを書くってのをした方がいい気がするんだよね。練習の作品って、どこまで行っても練習であって本番でなくて、俺達がしなきゃいけないのは練習じゃなくて、本番を積み重ねることじゃないかと思うんだ」

 ノバナは黙って考える。俺は間違ったことを言ってない筈だ。俺達がしなきゃいけないのは上達への最短距離を行くことであって、練習のための練習ではない。

「リュータは」

 言葉を切る。その間が引力を持つ。視線がノバナに吸い込まれる。

「リュータは天才かも知れない」

「いやいやいやいや、急に何だよ」

「私は文芸部でやっていることを参考にプランを考えて来たのね」

「うん」

「徐々に練習から本番に向かって行く感じなんだけど、確かに言われてみれば練習のところをすっ飛ばして本番をしても、何も問題はないみたい。ちゃんと直しをするって言う鉄の掟だけ守れば、本番は練習で手に入れるべきものを余すことなく提供してくれる。私達がやりたいことは自分の書きたいこと、伝えたいことをちゃんと伝えると言うことであって、お題に沿った話を作る能力が欲しい訳じゃない。むしろそんなもの要らない。……どうやってそこに気付いたの?」

「練習が嫌ってのじゃないんだ。ただ、書きたいものをちゃんと書きたいってのを中心に考えたらそうなっただけだよ。天才ではないと思う」

 ノバナは真剣な顔。

「私の小説の直しのときもそうだったけど、多分リュータには、物事の本質を見抜く目がある。それは小説をやる上でもの凄い強い武器になるよ」

「そうなのか。自分では分からない。これが普通だと思ってた」

「普通じゃないよ」

「そうなのか」

「ひけらかしたら人間関係を壊しうる程の強力さだけど、リュータをそれをしない賢さも併せ持っているから、そして必要なときだけそれを使う出し入れも出来るみたいだから、パッと見分からないけど、今私と真剣にやり合っている日々の中ではこうやって際立って来る。小説には全開放で行きなよ、それで大丈夫だから」

「でも、それってどうするんだ?」

「それは私には分からないよ」

 肩を竦めてニヘラとノバナが笑う。でもね、と続ける。

「書きたいことを書く、と言うことをするのは、きっと力の開放に繋がると思うよ。何か少年マンガみたいだけど、天性のものとか秘められた能力とかじゃ全然ないから。確実にその力はリュータが人生を懸けて培って来たものだから」

「分かった。やってみる」

 そう言うノバナも俺にそう言う力があることを見抜いているから、同じなんじゃないのかな。

「じゃあ、今日の午前中のテーマは、書きたいことを書く、二千字以内で。長さに関してはね、最初は短く、次第に長くするのがいいと思うんだ。長さごとのコツはそれぞれあるけど、先人曰く、長く書くのにはある程度以上の技量が必要らしい。まずは短くを何個かやってみよう」

「了解」

 と言ったものの、何が書きたいのだろう。「俺はこれが面白い、お前はどうだ」のスタンスだから、俺が面白くないと始まらない。だから、俺が感動したことを書くのは一つの形だろう。もう一つが、俺が感動するであろうことを書く。これは書いてみていまいちならボツになる。あとは、主張。理論的な主張は論説文でやればよくて、感覚的な主張とか、感性的な主張ってことが挙げられるだろう。ギャグとかもそう言う観点では含まれるし、ホラーとかミステリーとかサスペンスとかは特定の感情に焦点を絞った「面白い」だ。恋愛がテーマになり易いのは感情的な動きが多くあるからだと思う。

 ノバナも何も書かずにペンをくるくる回している。いつでもこれが書きたいと言うのがノバナでもある訳ではないのだ。ちょっとほっとする。

「自分にしか出来ないこと、と言うのを基準にすると迷子になる」

 急に叔父さんの話を思い出した。人生何かをするときに、自分にしか出来ないことと言う観点でものを選んではいけないと言う。半面が、大抵のことは誰にでも出来るけれども価値があり、もう半面が、そもそもそう言うものは最初から最後まで自分にしか出来ないのだから意識する意味がない。そう言う話だった。叔父さんは彼が見付けた真理を俺に話す。俺は影響を多分、受けている。それもアートだ。でも文学よりもずっと直接的なものだ。

 今思い出したのはつまり、俺が俺のオリジナリティに拘り過ぎようとしていたからなのかも知れない。別に一般的な内容でも構わないのだ。肩肘を張り過ぎていたようだ。

 物理的に肩の力を抜くために、両肩をグーっと引き上げて、ストン、と落とす。それを二、三回繰り返す。

「何してるの?」

「力み過ぎてたから、肩の力を抜いてる」

「私もする」

 ノバナが真似をする。

「体から入るとこころも自由になる気がする」

「力み過ぎたら、素敵なものはきっと生まれない」

「その通りだと思う」

 そこからまた二人とも黙って、原稿用紙の裏とか壁とか、窓とか、ペンとかを見ながら考える。

 理想の恋だとすると、まさに今してる。流石にそれを書く訳にはいかない。

 好きなことを書くなら、マンガとか音楽とか、文学もそうか。でも何か違う。

 料理とか香りとか五感をくすぐるものは入れてもいいかも。でもこれは要素であって書きたい中心ではない。

 やっぱり情緒的な動きだ。これだ。でも、どう言う?

 悲しい苦しい方向にするか、そこから助かるのはどうか、ハッピーエンドに拘った方がいいのか、それとも関係ないのか。二千字だからそこまで複雑な感情は書けない。あ、逆か、ある感情があってそれを書くのにどれくらいが必要かが算出されるんだ。だから、二千字の制限も本当は要らないんだ。でも、今回は単純な内容になるだろうからそれでよしとして、後でノバナに言おう。

 ギロチンの刃の職人、捨てる携帯、老夫婦の愛、あと一歩届かないレーサー、人助け、カッパ釣り、エルヴィスの下半身がテレビに映せないのはセクシー過ぎるから、禁断の恋、汽車に乗って会いに行く……。

 禁断の恋をしていたギロチン職人。これで行こう。理不尽と自分の技術を最高に使うことと、そのことが最愛の人の命を奪うことに使われる。彼女はいつも俺の職人の手を愛おしいと言ってくれていた。だから書きたいことは、技術を高めることの素晴らしさはその結果が最悪のものであっても、美しいと言うこと。それは悲しい話で、ハッピーエンドとは程遠いけど、つまり俺が文学を究めることが出来たとしてその結果生まれることには無責任でいい。この恋がそれによって捻れるのだとしたらそれを受け入れ、その上で恋だって手に入れるように気張る。そう言う覚悟が裏にある、話だ。

 俺は原稿用紙の裏にざっとプロットを書く。頭の中でその流れでいいかを確認しては訂正しを繰り返し、完成プロットを横に置きながら原稿用紙に書き始める。


 休憩を一回挟んで、正午までまだある頃に、俺は書き終えて直しも数周終わった。ペンを置いて、ちょっとボーッとしていたら、その気配を察知したらしくノバナが声を掛けて来る。

「もう終わった?」

「概ね。今詰めの作業の前の小休止」

「私も同じくらいの状態。それが終わったらご飯にしようよ。昨日の反省を生かして」

「賛成。お腹空いた」

 そこから二周直しをして、ほぼ扱うべきものはなくなったと結論した。

「終わったみたいだね、それでね、ご飯を食べたらその後に、もう一回見直しをしてから完成にするってのをやって欲しい」

「どうして?」

「道々話すよ、ご飯行こう」

 勉強部屋を出る。街に向かう。

「ノバナ、どうして?」

「それはね、直しと直しの間に時間を開けたり、精神的に別のことを入れたりすると、見えなかったものが見えるようになって、さらにぐっと引き締まるんだよ」

「そうなんだ」

「書いてすぐって、水で〆る前のうどんみたいなもので、でも書いた本人が熱くなっているから締まってないことに気が付けない。で、時間を開けることでそれが出来るようになるんだ」

「一旦離れるから客観化するってことか」

「まさにそう」

「じゃあもしかして何日か開けた方がいいのかな?」

「ヘミングウェイは金庫で一年寝かしたと言う逸話があるよ。色々やってみて自分に適した間の開け方を見付けるしかないとは思うんだけど、私は概ね、一回寝るか、他のことをしたら見え方が変わる。だからお喋りしながらご飯を食べるってのはちょうどいいんだ」

「超重要な技術じゃん」

「そう。超重要。今日はこの前行ったハンバーグ食べようよ」

「いいね」

「リュータは昨日は寝れた?」

「ぐっすり。風呂に入ったときに疲労の感じが取れやすくなった」

「あ、分かる。疲れの質の変化ってあるよね」

 ハンバーグ屋は混んでいて、三人待っていた。

「待っていい?」

「いいよ。もうお腹がハンバーグカスタムになっちゃってる」

 ノバナが声を上げて笑う。

「私も!」

「照りマヨカスタム」

「私はデミグラカスタム」

「デミグラカスタムって、なんかえらい強そうだね。必殺技が超豪快で」

「茶色い大波がドバーッてね」

「でも食らった方は幸せになる。悪人が幸せになって解決する話」

「そう言えば悪人は倒すばっかだね。ハッピーにしちゃった方が再犯率低そう」

「再犯率! 倒したらゼロパーセントだって」

「確かに」

「でもそう言うヒーローが居てもいいよね。敵も幸せにする」

「それで一本いけるね」

 前に立ってた人までが店内に吸い込まれて行き、後ろにはまた数人が並んでいる。

「ノバナはやっぱり文学部に進学するの?」

「そうだね。文学部で学べることが役に立つかは分からないけど、文学に興味がある人が集まる場所には興味があるから」

「もう学校選びとかした?」

「一応ね。中高一貫だからそう言うの早いんだよね。で、途中で実力に合ったところに方針を変えたり、勉強を頑張れと言われたり。どうして?」

「今回さ、シモンさんに会ったこと、真山白馬に出会ったこと、そして何よりノバナ、君とのことが、俺が人生を何も考えずに、竹刀ばっかり振ってれば過ぎて行く日々のままにさせてくれなくなったんだ。要するに」

 店内から呼ばれる。

 注文を、カスタムの通りにする。

「要するに?」

「要するに、どう言う進路にするか考えたくなってるんだ」

「考えたらいい」

「そうじゃなくて、ノバナに、相談したいんだよ」

「どこになら行けるかじゃなくて、どこに行きたいかで考えるのが一番大切だよ」

「実は元々将来に何がしたいってのはなかったんだ」

 ノバナは微かに仰け反って、意外、と言う。

「そうかな」

「リュータしっかりしているから人生設計とか晩年まで決めてそうって思ってた」

「行き当たりばったりだよ。東京の高校に来たのも何か目的があってじゃない」

「で、影響を受けた偉大な三人のせいで、自分の未来を考え始めたんだ」

「ところがその三つの影響が全部芸術に向かってると来た。じゃあ芸術系の大学かと言うと、文学は何故か普通の? 大学にある。そこで考えた。普通に文学部に行ったとして、芸術が出来るのか」

「それは答えは簡単。芸術はどこででも出来る」

「だとしたら、文学部に敢えて行く必要はないのかも知れない」

 ハンバーグが運ばれて来た。相変わらずの香ばしい匂い、鉄板に焼かれる音。

 食べるのに集中する。美味しい、くらいしかもう言わない。

 ペロリと平らげたら店をすぐに出る。まだ人が並んでいる。

「そうすると、でも、余暇とか潰しとか考えたら就職しないで済むなら進学はした方がいいと思う」

 ノバナの言葉に頷く。

「俺もそう思う。それでね、さっき書きたいことを考えてたら、人間のことばっかだったんだよね。数学とか自然とか、宗教とか経済とか、そう言うの一切なくて、人間のことばかり考えてた」

「人間を学ぶ学部、ってこと?」

「そうなんだ。どう言うところがあるのかな」

「こころって意味では心理学部があるね」

「確かに」

「哲学科もある意味人間を学ぶんじゃないのかな」

「哲学か、確かにそうだ」

「あと変化球だけど、医学部」

「医学部?」

「殆どは人体を学ぶんだろうけど、精神科は人間かもよ?」

「精神科をするために、医学部に行くの?」

「最終的に医者にならなくてもいいんじゃない? でも、ある意味人間を学ぶとは、思う」

 精神科。行ったことはないけど、微妙に接点がある仕事。

「俺の叔父さんが、精神科医なんだけど、人生に於いて大事なことを色々教えてくれる。でもこれが精神科医だからなのか、叔父さんの個人の趣味なのかは分からない」

「私が思い付くのはこの三択くらいかな。興味が出たところ、ある?」

「精神科」

「だと思った。精神科医から小説家になった人もちらほらいるものね」

「そうなんだ」

「箒木蓬生、北杜夫、加賀乙彦らへんが有名。他の科出身の人もいるし、医者と小説家って相性いいのかな?」

「それは俺には分からないよ。でも潰しと言う意味では悪くない、それ以上に、俺さ、ノバナの直しをしていて、人の役に立つことに喜びってあるんだなって言うことを知ったんだ」

「うん」

「だから、人のために働く医者ってのは、合ってるのかも知れない。逆に、哲学は合わなそう。心理学も、心理士になれば人のために働けるのかな」

「多分ね」

「分かった、ありがとう。もう少し自分で考えてみるよ。また相談に乗って貰ってもいい?」

「もちろん。さあ、着いたよ。文学の時間に戻ろう」

 時間を開けて見た自分の文章に、ここまで直すべきところがあるとは思わなかった。寝かせると言う技術は半端ないものだ。約束通り、一回直して、開帳となる。

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