第21話
ショートショート作成、お題「白」、ノバナの場合。
『歯車草 島峰紫花
真っ赤な空のその下に、私は立っていた。
一面に白い花が、背の低い、たんぽぽのようなしかしその花弁は歯車のような白い花が、咲いていた。
私は右手を見て、左手を見て、それからまたその白い花を見て、直前の光景を思い出す。それは、自分のために予め立てておいた線香の匂いの充満した六畳一間の、狭さに似合わぬ仏壇に、昔と変わらぬままの笑顔の夫の遺影。あの日夫はわざわざホームセンターで買って来たフックを天井に太いネジで設置して、首を吊った。私はその一部始終を見ていた訳ではない。でも、フックの設置に疑問を持って、問うと、「何か籠でも吊って花を活けてこの部屋を明るくしよう」と笑うので、させるがままにしたら、外出から帰ると吊られていたのは夫だった。同じフックで私は首を吊る。彼の葬式を終えたときにはもう決めていたことだった。子供もなく老境に入り、仕事もない。ただ生存するために生存するだけの日々に飽き飽きしていたのは私も同じで、生きる上での最後の役目を終えたら後は、自分の身を始末することだけが必要なことだと理解していた。
きっとここはあの世なのだろう。でも、賽の河原でもなく、審判がどうこうとかでもなく、ただ私きりが立っていると言うのはどう言うことか。このような花は見たことがない。私は死んだのではないのか? 歩いてみれば分かるのか? しかしどちらが前かも分からない。一面の白い花。
私はしゃがんでその中の一輪を手に取ってみることにする。茎はすぐに手折れて顔に近付けた花は、回転している。本当に歯車のようだ。香りがほのかにする。気が落ち着く香りだ。その回転を見ていたら、幻覚のように夫のことが思い出される。まるでその回転に記憶の糸を絡め取られるかのよう。
「何か籠でも吊って花を活けてこの部屋を明るくしよう」
「二人だけの老後だけど、二人もいるんだ、悪くないだろう」
「もうすぐ定年だ。これまでよく支えてくれたな」
「子供は出来なかったけど、お前と居れた人生に悔いはないよ」
「昇進だ。これで生活がもっと楽になる」
「京子さん、俺と結婚してくれ」
「大学まで同じなんて、腐れ縁だね」
「京子ちゃんを、いじめる奴がいたら、俺がやっつけるからな」
「俺太一。お前は?」
走馬灯の逆回転。夫の全ての記憶が歯車に吸い取られた。でも、私から夫が消えることはない。体に刻み込まれた夫の記憶は、きっとすぐに復活する。
歯車の白い花がさらに回る。
「お前、俺がここで首を吊ると思ってるんだろ? それはしないよ。俺は死ぬまで生きる。お前を看取ってやる」
目が開く。
私は首吊りのロープに顎を乗せている。
そうだ。夫は自殺なんかしていない。私を看取ることは叶わなかったけど、天寿を全うした。私の左側に置いてある花籠こそが、彼の生きた証だ。
私は注意深く首をロープから引き抜く。遺影を手に取る。
私は死ねない。この人のために、死ねない。
あの白い花が何かは分からないままだけど、夫の声を届けてくれた。
籠を見ると、一輪だけこの世のものとも思えぬ歯車の形をした白い花が刺さっている。私は遺影と花とを交互に見て、あなた、ありがとう、呟いたら、歯車の花は灰のように崩れ落ちた。』
黙読した。
「どう?」
ノバナが覗き込んで来る。
「前回よりもさらによくなってると思う。なんて言うか全体の緊張度が一定で、少し不思議な感じってのが死やあの世と言うテーマとよくマッチしていて、それでいて読み易い」
「ベタ褒めだね」
「もちろん改善点もあるよ」
「そりゃそうか」
「カギかっこの連続のところがちょっとクドい感じがある。わざとやってるのは分かるけど、ここに地の文をパラパラと入れたらもっと読みいいかも。重ねることで深くなっていく、と言うよりも、逆にダブついてる感じがする」
「なるほど」
「始まり方は好き」
「好き、って」
「そうとしか言いようがないんだもん。終わり方も締まっていていい。話がちゃんと最初から最後まで考えられている感じなのが、この長さに纏まってるのは技量を感じるよ」
「ふむ」
「夫の追加の記憶がちょっと最初混乱した。すごい大事な場面なのに、セリフだけってのがその混乱の元だと思う。もう少し丁寧に、記憶を体験としてそこに書けばもっといいと思う」
「確かに。言われてみるとそこまでセリフだけにする必要はなかったね」
「あと、子供のいない夫婦が老後に生きることに飽きるってイメージは、いいのかこれ、と思った。でも、実際は連れ添った夫が死んだから絶望してるんだよね?」
「うん」
「ちょびっとその曖昧な感じがヒヤヒヤした。そして、この作品を読んで俺が感じたものってのは、大切なパートナーを失うってのは死ぬほど辛いことで、死んだとしても相手には死なないで欲しいと願う想いがあると言うことで、何て言うか、想いの強さは次元を超えると言うことなのだろうな、と思った。でも、逆に言うと、頭で理解する以上のことはハートには届かなかった」
「書こうとしていたことはその通りだよ。確かに浅い内容な気がする。いや、同じテーマであってももっとズドンと来ることもあるから、私の力が足りないんだね」
「平たく言うとそうだけど、発展途上だよ。さっきも言ったけど、前よりよくなってるから」
ノバナは肩を竦める。
「大丈夫だよ、ズバズバ言って」
「泣くでしょ?」
「半分以上褒められて、泣かないよ」
「確かに褒める割合、ぐーんと増えたね」
「うん。嬉しいの。よし、じゃあ、次はリュータのね」
ショートショート作成、お題「白」、リュータの場合。
『白い涙 龍太
先天性にメラニン色素が欠損している個体をアルビノと言う。あらゆる動物でアルビノは発生し得る。しかし僕が見付けたのはアルビノのひまわりだった。本当は仕組みは別のものかも知れないし、メラニンの問題かも知れないけど、いずれにせよ、白かった。
失恋の帰り道は蝉の嵐の中、涙だか汗だか分からない液体でびしょびしょになった顔を晒したまま、僕は土手の方に歩いていた。別にそっちに用事があった訳じゃない。ただひとところに留まっているのがあまりに痛たまれなくて、足を動かしていたに過ぎない。だから本当に偶然に、ひまわりの群生地に到達したのだ。
真っ青な空、緑の上に黄色と茶色の群れ。でもだから何だろう。それはひまわりにとって普通のことだとしか思えなかった。相手にとって普通のことで感動してもいいとは思うけど、そんな余裕は僕の中には一切なかったから、ああ、ひまわりだなぁ、くらいにしか思わなかった。なのに、僕はその中に分け入って行く。足が勝手にそうしたとしか言いようがない。そうすると、三百六十度、ひまわりになった。あとは空しかない。自分までもがひまわりになったんじゃないかと思うくらいで、もし僕がひまわりなら失恋なんてなかったのにと思いながらやっぱり前へ前へ進んで行った。
ふと、黄色の中に白がある。
それは真っ白なひまわりだった。
花弁も、種も、茎さえも白い。こんなに白くて生きていけるのだろうか。
「いや、それでも生きているからここに立っているんだ」
美しいと言うよりもずっと、儚さを思い知らされる。さあどうしよう。僕はそのひまわりを持って帰りたくなった。でも、折れば必ず死ぬ。植物を殺してはいけないと言う感覚は今の今まで感じたことがなかった。それはこの白いひまわりが普通ではあり得ない程の弱さを表明しているから、感じたものだと思う。
僕は悩んだ。
恋のことすら忘れて。
そして手を伸ばした。
そっと触れて、「じゃあね」と呟いて、手を引いた。
青い青い空の下の真っ白なひまわりは何も言わないし、自分が今生命の危機に瀕したと言うことすらわからないだろう。擬人化するつもりはないけど、逆に、僕がひまわりのように外の世界に本当は気付いていないだけなのかも知れない。
思い出した失恋は胸をまた焦がすけど、全てがそれだけで生きている訳じゃないことを思い出した。でも、こころの空間が元の広さを取り戻しても、胸は痛い。最初から勝ち目がない戦いだったと周りは言うだろうけど、僕は記念に告白した訳じゃない、本当に、好きで、好きで、だからこの想いを伝えたくて、受け止めて欲しくて告げたんだ。
また涙が出て来た。でもさっきよりもさらさらしている。きっと、さっきよりもずっと、白い涙が流れているのだと思う。これはメラニンの欠如ではない。僕のこころの中の色素が抜けたんじゃない。逆で、僕のこころに色素がちゃんと溜まったことによって、その上澄である涙が、白くなったのだ』
ノバナが黙読するのを脇で待っているのは、居ても立っても居られない感覚だった。どう言う評価が下されるのか早く知りたい。高校受験の結果だってこんなに待たなかった。
「読んだよ」
ノバナが顔を上げる。俺はどんな顔をしているのだろう。
「初めて小説書いたんだよね?」
「そうだよ」
「とてもそうは思えないレベルを感じたよ」
「本当?」
俺のこころに花が咲く。
「と言っても、真山白馬とかのレベルじゃ、もちろん、ない」
「そりゃそうだ」
「で、その上で、まず、導入のところが説明的過ぎると思うんだ」
「説明的って?」
「説明自体は小説の大事な要素だと思うんだけど、その部分だけ論説文みたいになっちゃってて、何て言うか、こころで読むんじゃなくて頭で読む感じになってる。中盤から物語りが進むところは、もっと自然な流れが、こころの流れがあるから、序盤を違う形で始められたらもっといいと思う」
三十分以上かけて練ったものが一刀両断された。俺がノバナにしていたのはこう言うことだったんだ。さっき咲いた花はもう存分に
「メラニンの説明自体が要らないかも知れない。最後の方で一回拾ってるけど、物語りの本筋とはズレちゃってると思う。本文を書いた後に、冒頭をざっくり書き直すって方法もあるから、総取っ替えってことね、そう言う手法もあるって、知っておくといいと思う」
「分かった」
「失恋が唐突なのは問題ないと思う。でも、何歳くらいの人が、男性なのか女性なのかも分からないのは、わざと?」
「いや、中学生男子だよ」
「なら、その描写があった方がいいと思う。私は大学生くらいの印象で読んでたもん」
「そっか」
「白いひまわりに出会うところから先は、いい。すごく、いい」
「マジで?」
「うん。だから初めてなのか訊いたくらい。白い涙と白いひまわりって、綺麗」
「文体とかはどう?」
「統一感は二段階であるよ。前半の説明文と後半の物語文がそれぞれでまとまりはいい。だからこそ別々の話みたいに感じちゃうのかも知れない」
「その二つって合体した方がいいのかな?」
「多分、違う。意図的に使い分けるのがいいと思う」
「てことは、手持ちの武器は二つはある、と」
「で、ラスト、ここでメラニンが出て来るけど、あまり効いてない。違う表現の方が締まると思う。締めようとした意匠は伝わったよ」
「うん。説明が最後に干渉したのが悪くしているイメージなんだね、聞いてて分かって来た」
「これくらい」
ふー、っと大きく息を吐く。まるでノバナの話を聞いていた間はずっと息を忘れていたかのように。ノバナがチョコレートを出す。
「休憩しながらもうちょっと話そう。二人とも花を題材にしたけど、全然違う話になったね」
「そうだね。ノバナは自殺をテーマに据えてたけど、何か思うところがあったの?」
「白い小さな花のイメージが先にあって、それはきっとあの世に生えてて、と連想が広がって、結局首を吊ることとそれを思い止まる話に成長したイメージ。だからリュータが言った通り、伝えたいことがズドンとある訳じゃなかったから、伝わらないのは当然と言えば当然なんだ」
俺は頷く。
「俺は白でまずアルビノが思い付いて、そっから。もしかしたら、そう言う思考の流れをそのまま書いたのがいけなかったのかも知れない。その向こうにあるものだけを書く方がいいのかも」
「それはあると思う。説明がいまいちになる最大の要因って、私の説によると、相手が空想する余白を奪うことだと思うんだよね。人の描写とかも、細部まで細かくしない方が、伝わるようにも思う」
「空想する余白か。なるほど。大事にしよう、それ」
ノバナが自信たっぷりの笑顔をする。こんなノバナは初めてだ。
「小説は相手のある芸術だと思うんだ。相手に届いて、相手が想像して、初めて完成する」
「……まさに、その通りだ」
「だから作る側はその余白をコントロールしないといけない。でも、まだ上手く出来ない」
「修行だね」
「修行だよね」
そこからは黙って、チョコレートとお茶で、時間まで脳を休める。
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