第20話
ノバナがメモ紙を見ながら話し始める。
「あと、書き始める前にやった方がよさそうなのは、文学に必要な能力、くらいかな」
「俺のペンネーム」
「私としては空いた時間に一緒にキャッキャ言って、あの新宿のときみたいに考えるのがいいな」
ノバナの弁は甘くて、俺はコロリと行く。
「うん。じゃあそうする。取り敢えずは『龍太』にしとく」
「文学に必要な能力は、リュータが私にくれたアドバイスがそのままだと思う」
「おー」
「加えるならば、何を書きたいかを自分で見つける能力かな」
「だとすると、お題的な奴はあまり意味がないの?」
「違うよ。お題はテーマ、描きたいものはその縛りの中で自分が書きたいもの。もちろん極論すれば、書きたいが先にあったらテーマも自ずと決まるから、最後にはそう言う形になるのだと思うけど、お題で書くのは練習としてはいいよ。自分の書きたいものを探す練習としても」
「俺は俺が何を書きたいのか、考えたこともない」
「今日からは延々考えるから心配しなくていいよ」
延々か。
「他にもある? 必要な能力」
「照れないこと」
「照れ?」
「作品を作る初心者が通過することとして、自分の作品を出すことへの照れがあるんだ。それって文章にも乗って見える。これは最低限突破しなくちゃいけないものだから、今日中に照れを捨てよう」
「なるほど。照れ、か。ノバナの作品には感じなかったよ」
「私はそう言うフェーズは小学校時代に終わってるもん。イラストとかマンガだけど。例えば剣道の試合で、照れないでしょ? でも最初のときって人の目が気になったりしなかった?」
「あー、あった。目の前の相手に集中出来るようになるまで、ちょっとあったよ」
「そう言うのが作品の場合もっと如実に出るから、意識してみて欲しい」
「了解」
もう一度紙を見る二人。
「こんなものだね」
「そうだね」
「じゃあ、休憩にしようよ。結構集中したから、水分もちゃんと取らないと」
「運動部風だね」
「それが頭使う部活って、運動部ばりにカロリーと水分気にしないと、能率がものすごい落ちるんだ」
「そうなんだ」
「勉強のときもそうでしょ?」
「あ、確かに」
ノバナがチョコレートを出して、俺に半分くれる。その甘さが凄まじく美味しくて、体が欲していたと分かる。お茶も稽古の後のように体に吸い込まれていく。休憩らしくボーッとする。ノバナも外の景色を見ている。でも、どれくらいの長さ休憩するのかが分からない。分からないけど、この感じが心地いいから、このままでもいいように思う。
「リュータって、文学を芸術としてやるんだよね?」
窓の方を見たまま、ノバナが呟くように言う。でも二人きりで他に音もないから、くっきりと聞こえる。
「そう決めた」
「一緒だね。でもだからこそ分かり合えないこともこれからは生まれると思う」
「どうして?」
「私とリュータは別の人間だから、芸術が一致することはないから」
俺は彼女の言葉をお手玉をするように頭の中で反芻して、一つずつ飲み込んでゆく。
「もし芸術が分かり合えなくても、俺とは別の人間として、ノバナを理解して受け止めたい」
今度は彼女が俺の言葉を同じようにしているのだろう。間が空く。
「そうだね。芸術が分かり合えなかったら、人として分かり合えないってことじゃ、ないもんね」
「きっと、人を愛することとか理解することって、相手が自分と別の人間であることを認めることから始まると思うんだ」
「別の人間であることを認める……」
「穏やかなこころも、そう言う形で生まれるんじゃないかな」
ノバナは何も答えなかった。まるで初めからそうだったかのように窓の外を見ている。手がチョコレートを口に運び、咀嚼して飲み込む。お茶を飲む。その繰り返し。
俺も同じ動きを九十度ズレた視線で白板を見ながら、繰り返す。
時間が減速して行って、いつか止まるのではないかと思った。それでもいい。ノバナがここに居るから。
穏やかなこころは、違って、ノバナが居ることで生まれる。でも訂正することで時空が切り裂かれるのは嫌だから、チョコレート食べる。
ノバナがピョン、と座っているテーブルから降りる。
「そろそろ時間だね。二時間目に入ろう」
「時間って、計ってたの?」
「十五分って決めてた。でも言うの忘れてた。ごめん」
「いや別にいい。チョコレートがすごい美味しい」
「脳の疲れにはチョコレートなんだよ。砂糖そのものよりも効果が高い印象」
「うん。疲労が回復した」
正確には回復したことで疲労があったことに気付いた。読書間の回復にもチョコがいいのかも知れない。
ノバナが俺の横の席に座る。さっきまでは正面だったし、休憩中はテーブルの端っこに腰掛けていた。
「さあ、二時間目。こっからはザ・文芸部だよ」
「そう言えば学校の文芸部はいいの?」
「リュータとの方が価値があるから、いい」
「そっか」
「まず最初に、短編を作ろう。テーマを決めて。ゲーム的にテーマを決める方法もあるけど、最初の今回は私がテーマを一つ決めて、次にリュータがテーマを一つ決める、の一往復にしたいと思う」
「賛成」
「私のテーマは『白』、これで短編二千文字以内をひと作品作ろう」
「了解『白』ね。それ以外は縛りは何もなし?」
「何もなし。でも詩とかエッセイはダメだよ、小説ね」
「分かった」
伝統的な原稿用紙。これ一枚で四百字だから、五枚。
白。白。
しろ。何でもありだけど、白が絡まなくてはならない。
俺はまずアイデアを出すために原稿用紙を裏側にひっくり返して、そこに書く。ひとしきり出して、その中から面白そうなものをピックアップする。でも待てよ、面白いと言うだけで選ぶのは間違っている。何を伝えたいかを決めないといけない。なるほど、これが縛りのある中での書きたいことか。そう言えば。
「ノバナ、制限時間は?」
「ないよ」
「ないの?」
「一応今日中がいいけど、創作なんだもん、時間では区切れない。出来上がって直しも終わっちゃったら、次のテーマに先に進んで」
「了解」
決まった。思ったよりすんなり決まった。陳腐かも知れないけど、俺としてはこれは書きたいことだ。
原稿用紙に
結局最初の一文が決まるまで三十分悩んで、それを最初に書いてから続きを書き始めた。その後は最初の一文を考えている間にも構成が練られていたようでスラスラ書ける。これパソコンだったらもっと早いのだろうな。それから一時間程度で書き終えた。で、そこから直し。文字数がよく分からないことになるけどそれはノバナも条件は同じだから気にしないで後で訊くことにする。抜本的な直しはないけど、大きく変えるところが複数箇所あった。自分で見ても直す前後でかなりの差がある。ノバナのを直す過程で身についた目は、自分の作品に対しても同じように発揮されるようだ。
もう一度見直して、を、五回繰り返して、完成とした。
チラリと見るとノバナはまだガリガリ書いている。ちょっと疲れたし休憩にする。休憩が終わってもノバナが書いていたら、次のテーマを伝えて進もう。
静かな部屋にノバナのペンが走る音だけが聞こえる。俺は鉛筆だったけど彼女はペンだ。どっちがいいのだろう。消しゴムを使わなくても、二重線とかで消すことは出来るし、出来上がりの綺麗さで言ったらペンの方がいいのかも知れない。次はペンでやってみよう。既に右手の小指の外側は真っ黒だけど。
彼女がそうしていたように窓の外を見る。本当はノバナを見ていたかったけど、視線があったらやり辛いと思うから、窓の外を見る。頭の中にさっき書いた短い話に出て来る光景がフラッシュバックのように浮かぶ。これが俺が最初に生み出したものなのだ。ちょっと悲劇だけどハッピーエンドになるからよしとする。
十五分経って、ノバナは終わっていなそうだった。
「ノバナ、俺出来たから、次のテーマ出していい?」
「いいよ」
「『水』で」
「分かった。それ以外のルールは同じでいこう」
「了解」
自分でテーマを出してみたものの、何のアイデアもない。また原稿用紙の裏にアイデアを募るところから始める。いずれ結実して、書きたいことがこれ、と言うことが出て、一文目に悩んで、本文を書いて、直して、直して、直して、直して、直す。多分今やっていることってのが最低ラインなんだと思う。今後はさらに工程が増えることが予測される。それはいい作品を創るのには必要なものなのだと思う。でも今はそれが何かは全然分からない。
途中でノバナが恐らく一本目を仕上げたのだろう、書いてもなくて直しをしてもない時間を過ごしていた。チョコレートを食べていた。まだ持っていたのだ。俺にもくれればいいのにと思ったら、無言で一枚原稿の横に差し出された。こころが伝わっているんじゃないかと言うことがこれまでも何度もあった。こう言う小さなことであっても、以心伝心があるってことに、繋がりを感じて嬉しい。俺はノバナの方を見て、会釈をして、それはノバナの視線の脇には入っていたと思われるけど彼女は何も反応しなくて、俺はチョコレートを食べた。やはり美味い。そしてお茶を飲み、続きと創り始めた。
いずれノバナも同じように二作目に取り掛かり、俺達は二人っきりでこの部屋にいながら、同じテーマのものを創りながら、しかしお互いの作業に全く干渉をすることなく肩を並べている。そのことを意識したら、休憩中のそれもいいのだけど、こうやってそれぞれが向き合っていると言う構図も、いいなと思えて来た。だから俺はそれを感じながら、楽しみながら、二作目を直してゆく。時計を見ない。時間は経っている筈だけど、ないのと同じだ。ここでの時間軸は、作品が出来るか、出来ないか、だけに因っている。だから俺はふた作品目が出来た時点で時間が終わる。終われば、今度こそは待つからその旨をノバナに伝えなくてはならない。そしてそのときが来た。ノバナは書いている。もしくは直している。
もうちょっとだけ待ってみる。
終わらない。
もう少し。
やはり終わらない。
「ノバナ」
「終わっちゃった?」
「うん」
「どうしよう、まだかかる」
「三つ目書くよ」
「分かった。ごめん。私の二本目終わったら読み合おう。三本目のテーマは?」
「ノバナ決めて」
「じゃあ『時間』」
「了解」
三回目にもなると同じ工程をするのにも慣れが出て来る。俺は速筆なのかも知れない。単に筋肉が多いからではないと思う。向いてるのかも知れない、書くことに。そして今のところのゴールデンロードを通って、作品を仕上げるところまで向かう。が、最初の一文がまだ決まる前にノバナから声が掛かった。
「終わった。でも、ちょっと休憩させて」
俺も鉛筆を置く。
「もちろん。俺も一緒に休憩する」
「リュータ書くの早いね」
「ね。思っていたのと違って、早くて自分でもびっくり。クオリティはまだ分からない」
「もうすぐリュータの世界初公開が、私だけにされるんだね」
「プレミアム感」
「あはは、肉の希少部位みたい」
「俺としても、最初に捧げるのがノバナってのは、嬉しい」
「捧げないから。見せるだけだから」
「ん、確かに」
チョコレートを食べる。一体何枚ノバナはチョコレートを持って来たんだ?
休憩は十五分がいつの間にか決まりになって、その後はあまり喋らずにぼーっと過ごした。
「さて、じゃあ発表しますか」
「どっちから?」
「ジャンケン」
ノバナからになった。
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