第18話
明日から合宿状態に三日間すると言う約束をした後、寮の中にある勉強部屋の予約をしに行った。わざわざ講義が出来るような部屋がふた部屋用意されているのだが学生が使っているのを見たことがない。案の定予定表は空っぽだったから、そこにマジックで矢印を書き込み目を合わせて笑った。
ノバナとの秘め事のような合宿に対する期待感はしかし、シモンさんとのパフォーマンスの余熱には勝らない。部屋に戻ると、彼の言葉が思い出される。
「Do art, be art, not to art」
難しい言葉は全く使っていないが、何も気にせずに直訳すると「アートをしろ、アートをしろ、アートをするな」になってしまって意味を全く成さない。もちろんそれが彼の言いたいことではないことは分かる。Do artは、アートをする、それはアートを主体的に、アートをアートとしてしろと言う意味だと、後半からの比較で分かる。Be artはアートであれ、つまり、自分の存在そのものがアートであることをやれ、と言う意味だ。これは彼がダダイズムをする人間として、ダダイストとして生きていることと同値だろう。そして、not to artはアートのために行動をするな、と言うことだ。もしくは、何かをすればアートになるからする、と言う意味で、do artと比較される。同じようにアートをするなのだが、前者がアートそのものがすることと同じであるのに対して、後者は結果としてアートのような感じの、距離のある、する、だ。多分、商売としてアートをしたり、名声のためにアートをすると言うような手段としてのアートも含むのだと思う。つまり、意訳すると、自分の存在をアートにしてその行動がそのままアートであるようにしろ。と言うことになる。
「アートをすることなんて考えたこと、なかった」
彼にはこれからするかも知れない佳境に俺はいた、と言ったけど、本当のところは文学を始めるかどうかと言う境界線上をうろうろしていた訳で、つまり、文学はアート、芸術なのか。それを明確にして前に進まないといけない。さっきのパフォーマンスは血に火が点いたように俺が勝手に動き出した。でも、ああ言うことをずっとやって行きたい訳じゃない。確かに面白かった。知らなかった興奮があった。多分他では絶対に得ることの出来ないものがそこにあった。でも、シモンさんの言うようにあれをする人間として今後生きていくことが、俺のやりたいことかと言えば、違う。彼はそれを選択したし、恐らくああ言う初心者向けらしきパフォーマンス以外にも多くの技を持っているのだと思う。それを余すことなく知ってから選ぶと言うのは、地球上の全ての女性と出会ってから恋人を決めるようなものだ。そしてアートは他にも種類がたくさんある。きっと出会いなのだ。どう言う表現と、手法と、思想と、出会うかと言うのが、そしてその出会いを求めて行動するのかが、その人がアートを選ぶときの肝で、だから、運もあって、シモンさんと出会ったのは俺にとって大きい。そして彼が、勧誘をせずに自分のアートをしなさいと言ったことが大きい。もし勧誘されていたら違ったことを考えていたと思う。拒否していたかも知れない。
俺は部屋の中をうろうろと歩きながら考える。
俺がしたいのは文学なのか。それともアートなのか。もしくは、それは一致しているものなのか。ここのところをはっきりさせずに合宿を始められない。
「じゃあ、俺が憧れる真山白馬はどうか。……世間の評価は分からないけど、やっぱりあのレベルまで行くと芸術作品だと思う。書くならばああ言うものが、俺は俺の色で、書きたい。アートと文学は一致でいいのかも知れない」
ノバナの文章はどうだろう。正直まだ発展途上で、芸術的とは思えない。でも、彼女は彼女の表現をしていると言う点において、それはやはり芸術なのかも知れない。
「すると、文学はそもそもイコールアート、と言うより芸術のひとつの形として文学がある、と言うことなのか」
本棚に並んでいるラノベや漫画が目に入る。そこで首を捻る。
「でもラノベにはそう言う感じは感じない。面白いし好きだしむしろこっちを読むけど、芸術を感じない。どうしてだろう」
小難しさではないことは真山が証明している。イラストを見るときと、例えばルノワールの絵を見るときで違いがあるのは何故? 音楽でもアーティストと言うべきと感じるときと、何だろう、エンターテイナー? って言えばいいのかな、ショーみたいな感じの音楽と両方ある。前者には好き嫌いが結構しっかり出るけど、後者は流れてても嫌悪感はない代わりにそこそこ楽しいを超えない。もしかしたら作品を作るのにはアートとエンターテイメントの二種類があるのかも知れない。
「それは文学と言うか、小説でも同じなのかも知れない。アートとして書かれている小説と、エンターテイメントとして書かれている小説。うん。きっとそうだ。真山もノバナもアートとして書いている。ラノベはエンターテイメントとして書いている。その違いはどこにあるんだ?」
アート、エンターテイメント、アート、エンターテイメント。呟きながら歩き続ける。
「エンターテイメントってのは、読み手を楽しませるためのもの、で多分いい。だから、主人は読み手だ」
思い付きがカミソリのようにこころに入って来て、髪が逆立つ。
「もし単純な二分法なら、アートは主人が書き手と言うことになる。何て傲慢な! それを人に見せて、どうだ、ってやる訳だ。でも凄かったら読み手は震える。だから『俺はこれが面白いと思う、お前はどう思う?』ってことをするってことか。……そんな問いかけやったことがなかった! そしてそれをさっき俺は、したんだ。シモンさんがしたのもそうだし、俺がしたパフォーマンスも、巻き込む形で問い掛けている。そしてだからdo art, be artが必要になるんだ。他者に偉そうに提示するなら、最低限俺自身がアートじゃないとダメなんだ!」
俺はへたり込む。へたり込んだのは人生で初めてだ。
「まさか文学をするしないと言う選択が、人生をアーティストとして生きるかそうでないかの選択に化けるなんて」
でも俺はラッキーかも知れない。何も知らず考えずに始めてから迷宮に入るのではなく、イニシエーションを受けてから選択をする自由がある。まだ今ならノバナにごめんと言えば引き返せる。
でも俺はアンラッキーかも知れない。アートをすると言うことをもう知ってしまった。知らないと言う状態には二度と戻れない。自分でも分かっている。一度知った味が、俺を突き上げ始めていることを。
「俺はナチュラルボーンのアーティストではないのはもう確定している。これまで表現をしないで生きて来たくらいだから。竹刀ばっかり振っていた。でも将棋の駒のように成ることはあり得ることだ。そして、成った駒は元には戻れないのも同じ。俺は、芸術家に成るのか?」
俺は立ち上がる。
芸術家になったとして、進学をやめなくてはならない訳ではない。
芸術家になったとして、それ単独で生きていかなくてはならない訳ではない。
芸術家になったとして、成功する保証は何もない。
芸術家になったとして、幸不幸にどう影響するかは分からない。
芸術家になったとして、ノバナに好かれるか嫌われるかも分からない。
つまり、文学をすることは人生の変化になるけれども、それ以外のところには良くも悪くも影響が薄いと考えられる。無論、感受性とかアイデア探しとか、付帯する色々はあるけれども、ずっとそれをしなくてはならないと言う話ではない筈だ。
それとも、芸術家になると言うのは、二十四時間そう言う人間であり続けることを要請されることなのだろうか。俺は仮説する。そうではない。外から見てどうかは不明だけど、俺の内部的には芸術活動をしているときとそうでないときの両方が存在するだろう。大学には行きたいし、今の時点で、まだ一文字も書いてない時点で職業小説家になりたいかどうかなんて、言える方が嘘だ。
「だから、もっと気楽に始めてもいいんじゃないかな」
小さく息を吐く。人生の最大の選択のように思うのに、気楽にって。世の中的に有名なアーティストが奇矯な人が多いのは多分取り沙汰されるからで、バイアスがあって、まともな普通の人間も大勢いるんじゃないだろうか。自分がまともか普通かはよく分からないけど、異常ではないと思う。シモンさんはちょっと奇矯だったけど。少なくとも俺は自分がどう言うbe artをするのかはまだ見付けてないから、そのように振舞うことも出来ないけど、自分が信じるアートの形にそう言う態度の問題が絡むなら、それに殉じられるかと言うのは確かに俺が一人前の芸術家を名乗れるかどうかの
「と言うか、やってみてから違ったらやめればいい。そうなったら、書くことも違う形になる。それはそれでいいと思う」
新しい衝撃で視野が大分狭くなっていた。選ぶのは俺だ。そして選択は一回ではない。ならば。
「やってみよう。俺は芸術として文学をする。それはノバナや真山と同じだ」
結論が出たら力が抜ける。
「メシ、行かなきゃ」
食堂ではノバナに会えなかった。俺が部屋でぐるぐる考えている間に食べ終わってしまったのだろう。ひどく集中を、パフォーマンスの興奮の後にしたせいか、頭が全然回らない。回らないのだけど、回らないなりに、芸術家として生きると言うことを考える。今、俺はゼロの地点に居る。書き始めればもう始まっているから、今の場所には二度と戻れない。それは人生の全ての重要な始まりの前にある凪いだ時間だと思う。全ての危惧に意味があって、全部の予測に意味がないような。目の前にある未来に、ちょっと目が眩む。食事がいつもより鮮やかに感じた。
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