第17話

 盛況を予測したけどそんなことはなかった。俺がいつも食事を食べている柱の脇の席が、その場所になっていて、香山さんと、白髪のおじいさん、多分この人がダダイストの人、ノバナと、もう二人先輩らしき人が居るだけだった。

「お、島崎くん、こっちこっち」

 香山さんが嬉しそうに声を掛けて来る。はい、と返事をして輪の中に入る。

「これで全部かな。時間だから始めよう。毎年この季節になると日本に来て、大体毎年ここに顔を出してくれる、シモン=ヴィトさんだ」

 学生四人が拍手を贈る。

「プリントで通達した通り、シモンさんは現役のダダイスト。特にだから何を企画してここにみんなを呼んだ訳じゃないけど、交流してみて下さい」

 紹介されたシモンさんが、何かを述べ始めた。しかし、英語ですらない。全く何を言っているか分からない。多分ポーランド語だ。誰も多分分からない。香山さんは頷いているからポーランド語が出来るのかも知れない。

 しかしシモンさんは穏やかかと思ったら急に情熱的に何かを語る。学生四人は熱心に耳を傾ける。香山さんは通訳するつもりはないらしい。やおら、一番近くに座ってた女子の先輩の手をとるシモンさん。はにかみながら立ち上がり、付いてゆく彼女。次にノバナにも同じように手を取り、もう一人の女子の先輩も引っ張り出され、やはり俺も手を引かれて柱の前に四人が並んだ。手は年に似合わずふわふわだった。

「!!!!!」

 シモンさんが叫び、叫びながらしゃがむ。そして立ち上がる。

 両手でやるジェスチャーは、さあご一緒に、としか読めない。

「!!!!!」

 言葉と同時に皆がしゃがむ。端っこの方で香山さんもしゃがんでいる。

「!!!!!」

 これは試運転がなくても分かった、立ち上がれだ。

「!!!!!」

 またしゃがむ。

 シモンさんが自分の目を両指で指して、前を指す。俺は目線を動かして、ノバナを見付ける。目が合うと二人とも笑う。もっと目を動かす。先輩とも目が合う。初めましてなのに、笑う。

「!!!!!」

 立ち上がる。また目のジェスチャー。俺は最初にノバナを探す。なのにノバナは違う方向を向いている。別の先輩と目が合う。笑う。笑う理由なんてないのに、笑う。さっきもそうだ。しゃがむ理由はないし、見る理由もない。目が合って嬉しいのはノバナだけの筈なのに、はにかむ。

 シモンさんが両手を挙げて、素晴らしい! と多分言った。こっちに来いとジェスチャーして、俺らは四人まとめて抱き締められた。すぐ横にノバナがくっついて、ドキッとした。抱き竦められてから解放されたら、何だかまた雰囲気が変わったような気がした。

「アブダブデブ」

 シモンさんは人差し指を立てて呪文のような言葉を言う。

「アブダブデブ」

 その立てた指を俺に向ける。意図は分かった。

「アブダブデブ」

 俺は言った。喜ぶシモンさん。次にノバナが指されて言った。女子の先輩達も言った。

「アブダブデブ、アブダブデブ」

 シモンさんが唱えながら歩き始める。俺には意図が分かる。俺は彼の後ろを付いて歩く。同じリズムで「アブダブデブ」と言いながら、歩く。ノバナも残りの二人もそれに従って、一列になって「アブダブデブ」と唱える。

 歩く。

 歩く。

 歩いて柱の周りを回る。

 丁度五人で輪っかになって、盆踊りのような要領で「アブダブデブ」を言いながら回る。回る。早くもなく遅くもないテンポで回る。理解不能な楽しさが襲って来る。俺の中のテンションが上がってゆく。きっと後ろのノバナも、前のシモンさんも同じなのだ。

「アブダブデブダブデブダブ!」

 シモンさんが叫ぶとスピードが上がった。俺たちは「アブダブデブ」しか言えないけど、同じようにスピードを上げる。走る程ではない。早歩きくらいだけど、さらに興奮が高まる。

「アブーダブ」

 シモンさんが言う。俺にはゆっくりにしろと言うのが分かる。いや、皆に分かっていたみたいで、スローな回転になる。遅くなったらテンションが下がる、訳ではない。不思議な緊張感の中にある。

「アブダブデブ」

 元のスピードに戻る。三段階のスピードを行ったり来たりする。十分に柱を回ったらシモンさんが終了を宣言する。「アブ!」と言っただけだが。

 俺達はハイタッチをして成功を称えあった。シモンさんともした。知らない女子の先輩ともした。もちろんノバナともした。今だけは俺とノバナの関係もフラットだった。フラットに、回転して興奮した。柱にこんな効用があるとは思わなかった。柱じゃなくて集団行動なのかも知れない。意味不明の行動だ。そうか、これがダダイズムのパフォーマンスなんだ。言葉が通じなくても全く関係ない。座って聞くと言う既成概念をさっさと破壊して、客に参加させて、それでいて盛り上がって楽しい。

 俺はもう席に就く気が失せてしまった。シモンさんの前に立つ。

 香山さんが何か言おうとしている。いや待て。次は俺の番だ。

「ファーー、ホイ!」

 俺は右手を鳥のように羽ばたかせる。

「ファーー、ホイ!」

 左手も同じように。

「ファーー、ホイ!」

 そして両手を羽ばたかせて、でも飛ばない。俺はクルクルと回転した。比較的ゆっくりと。

 それを見たシモンさん。

「ファーー、ホイ!」

 右手、左手、両方を羽ばたかせて、俺と逆回りに回転する。

 負けじと他のメンバーも「ファーー、ホイ!」と回る。羽ばたきながら、回る。

「ファーー、ホイ、ホイ!」

 俺はピタっと止まる。

「ホイ、ホイ!」とシモンさんも止まる。ノバナも止まる。皆止まる。

「ダベルボ」

 俺はそのまま座った。「ダベルボ」と皆が続く。

 シモンさんに、これで終わり、のジェスチャーをする。彼は座ったまま寄って来て、俺を抱き締める。さっき皆でされたときとは全然違う、強い熱い抱擁。

「Boy, you’re great!」

「Yes!」

 そこだけ英語で、伝えてくれた。向こうで香山さんが非常に満足気な顔をしている。

 床に座ったままでシモンさんが香山さんを呼ぶ。通訳だろう。以下、香山さんが通訳をしている。

「今のがダダイズムのパフォーマンスの一つだ。言葉が通じなくても、芸術は通じて、そして楽しいことが伝わったと思う」

 その通りだ。

「予想外だったのが、そこのboyが、即興でダダイズムのパフォーマンスを始めたこと。僕は興奮した。こんな素晴らしい体験はずっとしていなかった。もちろん参加させて貰った」

「Oh yes!」

 俺は彼に伝わるように英語で応じる。英語で会話したのは生まれて初めてだ。

「君は何か芸術表現をしてるのかい?」

 そこを訊かれるか。俺は生唾をごくんと飲む。

「まだ。でも、これから始めようと思っています。いや、正確には、今、その決心が着きました」

「そう言う佳境に、たまたま居たのかな?」

「その通りです。俺は芸術の傍観者でした。でも、やっぱり、する方がいい、そう思ったんです。あのパフォーマンスをして」

 後ろに座っているノバナがどんな顔をしているのか。笑ってるといいな。

「そうかそうか。芸術の醍醐味のひとつは、他者を芸術にいざなうと言うことだ。何を志すかはその人次第だから、もし、ダダイズムがしたくなったら連絡を下さい。香山に言えばいい」

「Thank you very much」

 彼の伝えたかったことはそこまでで全てだったようで、すぐに散会となった。それが宣言されたとき、背中をグリグリと指で押される感覚があった。もちろんノバナだ。振り向くと、ニヤリと笑っている。でも、俺はシモンさんに直接挨拶がしたかったから、その旨ノバナに言って、後で話そうと一旦シモンさんの方に行った。

 シモンさんに寄ると、香山さんが呼ばれた。

「一つだけ伝えておくから、いつか私が必要なときが来るまで、自分で磨きなさい」

 通訳はそこまでで、最後にシモンさんが俺に言ったことは、

「Do art, be art, not to art」

 俺はそれを復唱して、彼と握手をして別れた。


 食堂の出口でノバナは待っていた。

「ベンチで、話そう」

 ベンチに着くと、ノバナが口を開く。

「芸術、する、に決めたんだね、さっきのあのリュータがやったパフォーマンスのときに、それを決めたんだね」

「うん。俺の中でまだ幼かった創作への気持ちが、さっき、柱の周りを回っている内に花開いたんだ。外から見たら完全に意味不明なのに、俺達はめちゃめちゃ楽しかった。観客参加型のアートパフォーマンスってことだよね。そんなのやってるの見たことがなかった。もちろん参加したこともなかった。アートって、可能性が俺が思っていたよりもずっと、広いんだと思う。そして文学もアートの内の一つ。もしかしたらこれから他のアートをしたいって俺は言うかも知れない」

「そのときはそれをしようよ」

「だけど、今熱中しているのは文学だ。ダダイズムも今日みたいのだったら面白いと思うけど、やっぱり俺の主流は文学なんだ。ノバナに薫陶されたおかげで」

 ノバナは咲く。

「同じものを目指すのは、ちょっと追い抜かされそうで怖いけど、やっぱり、嬉しいんだ」

「俺は、書く。多分ゆっくりだけど、今日から始めるよ」

「だったらさ、合宿、やろうよ」

「やろう。きっとスパルタだけど、やろう」

 ノバナがさらに笑う。俺が午前中に言ったことをもう翻したことに全く怒っていないよう。

「きっと、喧嘩もするでしょう。涙もあるでしょう。でも、だからこそ二人だけの日々になるよ」

 その通りだと思う。ノバナが続ける。

「朝はああだったのに、ダダイストと交わってこうも変わると、ちょっと不思議なくらいだね。やっぱり芸術の力ってのは、すごいね」

「俺が書こうと思った元々は、ノバナの小説を読んでだよ?」

「そうなの?」

「『夏の音を待って』の影響はすごいよ。もちろん真山白馬の影響もあるけど、俺の本流はノバナ流だよ」

「そっか。私もなかなかだね」

「なかなかだよ。……これからもよろしくお願いします」

「今度は逆の立場もあるからね、頑張ろう」

 俺達は初めて握手をした。シモンさんの影響かも知れない。違って、対等になったと言う宣言なのかも知れない。

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