第16話
夏休み初日。俺達はこれから二人でする何かを決めるために集まろうとしていたのだが、朝食の時点で報せが舞い込んで来た。プリントには「ダダイストが来る」とある。言っている意味が分からなかったけども、俺はそのプリントを持ってノバナとマックに集合した。十時はいつも通りだけど、こころなしかマックの中に居るメンバーが違うような気がした。だけどいつもの席を取れたので問題ない。
「ノバナ、ダダイストって知ってる?」
「うん。ダダイズムをする人だよ」
「ダダイズムって何?」
「文学の一つの形かな。意味のない文字列を繰り返すことに美を見出す、ような。正確には分からない」
「文学なんだ」
ノバナがSコーラをちゅっと吸う。
「うん、文学。音楽とかパフォーマンスもあるから、もうちょっと広いかも知れない。芸術のジャンルかも」
「で、来る、と」
「香山さんの仲間って書いてあるね」
「香山さんって誰?」
「リュータ、寮母さんだよ」
「あ、そう言えばそうだった」
ノバナがうーん、と言った顔をする。
「ごめんやっぱ調べる。……第一次世界大戦に対する抵抗やそれによってもたらされた虚無を根底に持っており、既成の秩序や常識に対する、否定、攻撃、破壊といった思想を大きな特徴とする。Wikipedia。やっぱり芸術のスタイルの一つみたい。ごめん、適当なこと言った」
「適当でもないのかもよ。意味のない文字列って、既成の秩序の破壊だし」
「多分、私が知っていたのはダダイズムの一部なんだと思う。でも、第一次世界大戦って、もう百年前だよね」
「今もその余波を受けた芸術をしている人がいるってことか」
「ポーランド人らしいよ、って言うか来るの今日じゃん。どうする?」
「俺は興味あるな。最近文学が面白いし」
「私も、書き手であることと言う立場的なものだけじゃなくて、一つの芸術の形に人生を捧げる人と言うのに興味がある」
「よし、今夜することはダダイストと話をすることに決定。で、他の日に何をするかだけど、何かアイデアある?」
ノバナが左右の上の方を交互に見る。その目の運動に引っ張られてか、口角が上がっている。
「何日もさ、空いてるわけじゃん、連続で」
「そうだね」
「かと言って、旅行に泊まりで行くのは流石にバレるでしょ?」
ちょっと旅行は期待していた。でも、
「日帰りくらいはいいかも」
「それは確かにそうだね。候補に入れておこう」
俺は持って来ている裏紙に記す。
「文芸部って合宿はないんだよね。学校でやる感じで。でさ、私とリュータって実質合宿してるでしょ?」
「そうと言えないこともない」
「文学合宿やろうよ」
「それって?」
「リュータも一緒に、書こう」
「え」
「私最近感じているんだ、リュータが書きたがっていること」
「ど、どこで?」
「『冒険の記録』の二回目での質の向上に端を発して、リュータは気付いてないと思うけど言葉の端々に書きたそうな、少なくとも何かを創りたそうな、気配が滲んでるんだよ」
そうだったのか。自分でも、自覚はある。何かを創りたいと言う気持ちが生まれつつあるのは分かっている。でも、まだまだ幼若で、もっと育ってから扱うべきものだと思っていた。まさか、そんなにだとは思わなかった。
「漏れるほどなの?」
「少なくとも私はキャッチ出来る程度だよ」
ノバナだから掴めると言うのは十分にあり得る話だ。他の誰からもそんなことを言われたことはない。もっとも、感受して思っていてもそんな立ち入ったこと言わないか。
「そうなんだね……」
「ねえ、やろうよ、文学合宿。私リュータの小説読んでみたい」
「うーん」
「やっぱり、俺は読み手だって思うの?」
「それもあるんだけど、書き手になる踏ん切りが付かないって言うか……、ノバナはどうして書き始めたの?」
ノバナはびっくりした顔をして、ふむ、と小さく唸る。
「それはおいおいちゃんと話すよ。何か、今この場所で話すこととは違う気がする」
「確かに場違いな気はする。分かった」
ノバナがじっと俺の顔を覗く。その目は自分の思いが百パーセント通ると信じて疑わない目だ。でも、ノバナであっても、俺が何をやりたいかを決める裁量は持っていない。俺が何をやりたいかは俺だけが決めることが出来るものだ。彼女が背中を押すのはずいぶん前からだけど、たとえそれが一助になったとしても、一歩を踏み出すのは俺でなくちゃいけない。同時に、俺は何かを創ることに興味を惹かれている。でもそれはまだ若い気持ちなんだ。助長して枯らせたくない。きっとその内俺は手を伸ばすだろう。でもそれは今じゃない。
「一緒にやったら楽しいと思うよ?」
「ノバナ、きっと楽しい。合宿をするのはいい。でも、俺が創作をするのは俺が決心してからにしたいんだ。まだ、今日はそこまで行っていない。……正直に言うと、ノバナが感じている通り俺は創ることに惹かれ始めている。でもまだ十分に育ってないんだ。まだ今は早いと思うんだ」
「そっか」
ノバナは落胆するでも拗ねるでもなく、すんなり受け入れて、頷く。
「ごめん」
「謝ることじゃないよ。私の方こそグイグイやってごめんね」
「怒ってないの?」
「そりゃ、夏休みのプレミアムプランがポシャりそうなのは残念だけど、もっと大きな収穫があったから」
俺が意志を持っていることだろうか。それを伝え合える仲になったことだろうか。そうであっても壊れない仲に育って来ていることだろうか。
「何か分かる?」
「俺がちゃんと断れる仲になったこと」
ノバナは笑う。花が咲くように。
「それは確かに大事だね。でもそれじゃないよ。……リュータが創作に向かっているって分かったこと」
「あ」
「自分が感じていたことが正しいと証明されたんだ。そしてだと言うことは遠くない未来に、二人はそれぞれの作品を見せ合っていると思う。夏休みがそれになったら、面白かったけど、急いで気持ちが挫けるのはダメだと思うから」
「ノバナは強いな」
「全然。泣き虫繊細ガラスのハートだよ」
「だって今」
「自分のことはそうでも、リュータのことは受け止められるのかも。不思議」
決めた。俺が創ることに踏み込むかは別としても、気持ちはきっと伝えよう。夏の内に。
「俺も、ノバナのことなら、受け止められる自信がある」
「お揃いだね」
「うん」
「じゃあ、夏休みの計画、どうしようか」
「デートはしようよ」
「それ以外だよ。もし嫌じゃなかったら、私が書いてリュータがお題を出したり、読んだりするって言う、変形の合宿してみない?」
「うん。それならいい。じゃあさ、まずは三日間やってみようよ。運動部って一週間くらい合宿するけど、文化部ってそれくらいのイメージだし」
「分かった。じゃあ、明日からね」
「明日?」
「だってやっている内に他にやりたいことが見つかっちゃったときに、出来るだけの時間の余りが欲しいじゃない」
なるほど。ノバナは夏休みを目一杯楽しむ魂胆だ。楽しむことの内側に、スパルタ臭のする合宿を持って来るのが面白い。まさか俺がいれば何をしていても楽しい、とまではならないと思う。合宿ってのはそう言う厳しさがある。
俺が笑ったら、ノバナもまた笑った。それ以上のアイデアは出なくて、明日からヘミ合宿をすることと、デートを土曜日が来たらすることだけ決めて、解散した。
夕方にダダイストの人が来るまで時間があったので、ノバナから借りた『リードオーバー』を読み始めることにした。多分俺は真山作品を全部読むことになるのだと思う。ノバナは真山白馬の著作の半分を寮に持って来ていた。一度読んだ本をわざわざ持って来ているところに、作品への愛が感じられる。残りの半分は実家に置いてあるらしい。厳選した本だけを持って来るのに、半日くらい選別に時間が掛かったと。全部で何冊持って来ているのか分からないけど、真山以外の彼女のお気に入り作品も是非読みたい。俺としてはこの夏休みは読書の夏にする。これまで人生で読んで来なかった分、楽しみがいっぱいあるとノバナは言ってくれた。一定量以上の読書をしたら、インプットが過剰になって自然にアウトプットをしたくなるのだろうか。多分違う。創作の経験こそが次の創ることをする原動力になるのだと思う。『冒険の記録』を書いたのは間違いなく俺に最初の起爆をくれた。まだ育ちが足りない。他に何が必要なのだろう。俺はいつの間にか創作をするための自分の納得を探している。これって、もう創作したいってことなんじゃないだろうか。ノバナは普通の顔をして俺に悩ませてくれたけど、彼女の目から見たら自明な問題に取り組んでいるように見えるのかも知れない。そして、俺が自ら手を伸ばすのを待っていてくれているのかも知れない。それが正しい姿勢と知っているから。
『リードオーバー』、真山白馬の最新作は、宇宙に一人ぼっちのところから話が始まる。どうして一人ぼっちなのか何の説明もないままに、主人公らしき達也が思考に
突拍子もない世界を説得力を持って伝えるのはすごい技だ。その上文章が美味しい。いつものように。夏休みの始まりがこの作品でよかったと思う。全く同じ本が自分の本棚にプレゼント包装されたままで眠り続けているのをちょっと思い出すけど、ノバナから借りた方がいい。
でも集中力が四十五分で途切れてしまう。それでも最初よりかは伸びたけど、休憩をどれくらい入れたらまた熱中して読むことが出来るのか。その塩梅を見付けるのもこの夏休みの課題としよう。実家に帰ってるときも時間は余りあるだろうし、素振りを一人でやるのより読書をしたい。もしかしたら剣道部をやっている場合ではないのかも知れない。いやいや、それとこれとは別の話だ。それも俺だし、これも俺だ。
十五分休んで続きを読んでみる。読めるが没頭し辛い。多分適当でいいものだったらこれくらいの休みで十分なのだろうけど、本気も本気で読むのには、もう少し休みが必要なようだ。休憩中には音楽を聞いたり、マンガを読んだりしてみたが、読書の休みにマンガって何かおかしい。もしマンガが没頭するレベルのものだったら、同じように集中力を要する筈だ。俺の部屋にあるのは何回も読んだマンガばかりだから気楽に読める訳で、同じような行為である以上は根本的な休息にはなっていないような気がする。だからマンガは外す。一眠りするのでもいいかも知れない。三十分くらい、今読んだ部分を反芻してもいいかも知れない。一日があって、夜に読むと言うのではない形だと、休みの取り方に難しさが生まれる。学校があって夜に小一時間読むくらいが本当は丁度いいのだ。でも、今は時間があるからなるべく読み進めたい。それも質のよい読書で。だから、休みを取ると言うのがやはり必要で、三十分以上、音楽か、反芻か、多分寝てもいいのだけどそれだと夜に眠れなくなる危惧があるからやっぱりやめて、これは時間を掛けてでも他の何かを探した方がいい。ヨガとかパズルとか。読書ってこんなに大変なものだったっけ?
試行錯誤をしながら『リードオーバー』を読み進めてゆく。時刻が四時近くになり、ダダイストが食堂に来る時間だ。俺は本に栞を挟んで、食堂に向かう。
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