第15話
吉祥寺のデートはノバナは終始ごきげんだった。街を練り歩き、昼食を食べ、雑貨屋に入り、お茶を飲み、本屋を覗いて、また歩く。新宿のような派手さはなかったけど、いっぱい喋った。映画館を幾つか見つけて、今度一緒に映画を観ようと約束した。そこから連想して、動物園や水族館、プラネタリウムとかも行ってみたいとノバナが言う。もちろん俺も大賛成。前回までは過去と今のことしか話さなかったけど、この日は未来についても話し始めた。これは転換点なのかも知れない。今という先端よりも先のことを話し合うってのは、二人が未来にも一緒に居ると言うことを予定している行為だから。
だからなのか、この先にノバナが俺の前からいなくなる危惧が払拭された。俺はもっと楽に、彼女とのことを考えられるようになった。多分、ノバナの方が先にそうなっていたのだと思う。直しを保留出来たのはそう言う仕組みなのだ。でもそれが俺が彼女の小説を読むのを後回しにするか否かとは別の話だ。何せ、今回の面白さがあるのなら、他を後回しにしてでも世界で最初に俺が彼女の作品に溺れると言う悦楽を、みすみす逃す手はないから。
吉祥寺から寮に戻ったとき、ノバナから『冒険の記録』が渡された。楽しそうな笑顔。
「今回も、リュータが書いて」
「分かった」
「今日さ……」
「うん」
「すっごい楽しかった! リュータとのデートは最高だね!」
「俺も……もっと、何回も行こう。デートしよう」
「うん!」
ノバナは羽が生えたかのように軽やかに、女子寮の方へ戻ってゆく。俺はその姿を見送って、彼女が見えなくなってから部屋に帰る。夕食までまだ間があったから、先に風呂に入って、その中で構想をある程度まとめて、『ストラグルスペース』にだだだっと書いてから、清書する。前回に比して相当早く出来た。なるほど、人間は成長するのだ。同じことをするのなら早く正確になって、前に進むなら新しいことが出来るようになる。俺も前に進みたいのかも知れない。学校や部活ではなく、恋でもなく、こうやって何かを作ると言うことに於いて。
「しかし、でも、なぁ」
何かを作ると言うことは、ノバナに仕組まれたことだ。それが嫌なんじゃない。むしろ起源が彼女にあることは好ましいことだ。でも、じゃあ、日記の精度をひたすら上げていくと言うのはちょっと面白くない。それは前に進んでいない。前に進むのなら、日記ではない何かを作ると言うことにしたい。
「だとしたら、やっぱり、小説なのかな?」
でも、それはノバナを裏切る行為のようでもあり、彼女が望んでいる行為のようでもある。両面から彼女に挟まれている。マンガや絵を描くモチベーションはないし、音楽はやったこともない。役者は作るとはちょっと違う感じがするし、じゃあ、俺が持っているもので何かを作れるものって。言葉くらいしかない。詩とか歌詞とかってのも何となく違う感じがする。エッセイ? これはいいかも知れない。論説文、いやぁ。小説が最も適しているのは疑いようのないことかも。
「そうしたら、ノバナに読んで貰うことになるのかな? それともそこは非対称なのかな」
そんなことを心配する前に、やったことのないゼロから、始めた一に踏み出すかどうかが重要だ。ノバナはいつでも背中を押してくれている。それを加味しても、うん。まだ、いっかな。
夕食ではノバナとは会えなかった。でも一日一緒だったからそこまでダメージはない。
部屋に帰り、『エンジェルズ・ルーティーン』の続きを遂に読もうと出す。結局ノバナの直しをしてからそれを伝えるまでは挟み込みたくなくて読まずに置いたのだ。
栞で封印していた時間を解き放つ。間が空いたにも関わらず、すんなり続きに入ってゆく。
あっという間に読み終える。時計は三十分以上経っているけど、時間感覚は違う。身体的な時間に関してはほぼ無になっていたけど、俺のこころの時間は物語りの流れと一致していた。だから、文彦が待てばそれだけウジウジして、のどかと会えば加速する。
最後までのどかとは結ばれずに終わってしまった。セックスはしているのに結ばれないと言うのが昔の言葉に蹴りを入れているみたいだ。文彦の気持ちは強くなって、強くなって、そして、それをちゃんとぶつけた。でものどかはルーティーンの一部のようにそのこころをいなした。文彦としてはこれまでも愛を伝えていた。今回は生活を共にしようと、結婚しようとまで言った。きっとそれが嘘でも詭弁でもないことはのどかには伝わった筈だ。のどかも嬉しそうだった。でも、自分は大切なあなたのために私を選ぶことなんてさせられない。彼女自身が一番、自分の価値を低く見積もっていたのだと思う。のどかも文彦が好きだった。なのに、自分で決めた自分の価値のせいで、彼を袖にする。限界まで彼女を求めた文彦は、遂にこの恋が虚しいものになることを悟って、店を出る。出口での店長の一言が、あまりにいつも通りに「またお越し下さい」なのが尾を引いた。
だから、喪失感いっぱいで、それが二人分で、俺は自室に放り出された。
前回と全く違う読了感。叶わない恋の色。セックスだけの関係なんてやったこともないし、セックスすらしたこともないけど、この説得力。俺はただ楽しむだけのために読んでいるけど、これが書き手だったら、物凄い嫉妬をするんじゃないかな。そしてその頂きと同じかどうかは別として、同じくらいの高さのところに登ってやると決意するのだ。ノバナはきっとそう言うことになっている。純粋に楽しめないのは苦しいことのようにも思えるけど、付加的な楽しみ方をしているとも言える。もしくは、一旦忘れて読んでいるかも知れない。いや、そんな器用なことは出来ないか。
俺はもしノバナから、もう会わないと言われたら、どうなるだろう。
考えるだけで胸が締め付けられる。多分、いっぱい泣く。
部屋の静けさが妙に気になる。
今までずっと走り続けていた機関車が、止まったみたいに。
俺の主成分は、恋になっていたのかも知れない。でも、だからそれが悪いとは思えない。止めないで。さあ、動き出そう、もう一度。
「ノバナが居なくなるなんて、ない」
俺は悲恋の気配を打ち消そうと部屋をパタパタとあおぐ。自分もあおぐ。でも、一度発生してしまった夜の悲恋は、なかなか消えてくれない。文彦の気持ちが重なったままで、悲しくて、悲しくて、ノバナが居なくなってしまいそうで、やだ、やだよ。そう思うのに、文彦になってしまって、そっちが現実じゃないって分かっているのに、もう二度とのどかに会えないから、ノバナにも会えなくなってしまうから、もう生きている意味も分からない。
「ノバナ……」
遂に涙が出て来た。自分でもおかしいと分かる。これは文彦の涙なのに、俺の涙で、だからノバナが居ることを確認したい。でもこんなグシュグシュで会うのは格好が悪い。しかも、何と言って会えばいいのだ。でも、時間はまだそんなに遅くはない。今日デートしたばかりでどうしてこんなになっているんだ。と言うかこの姿は流石に気持ち悪がられる。何がって、実際に悲しんでいるのは俺じゃなくて文彦なのだから、ノバナをそこに巻き込むと言うのはやっぱり違うのだ。そもそも彼女は生きているし、存在しているし、俺とデートをして笑っている。こんな短時間でそのこころが消えると言うことはあり得ない。
「じゃあ、俺は一人で泣くよ。ノバナ」
Lineの通知が光る。え? 見えてる?
『今日は楽しかった。小説も褒めて貰えたのがすごく嬉しかったよ』
その短文で、俺に憑依していた文彦は成仏した。俺は涙を拭って返信を打つ。
『俺も楽しかった。また行こう。色々やろう。小説は思ったことを率直に言っただけだよ』
ノバナは居る。確かに居る。さらば文彦。さらばのどか。俺はノバナと生きる。もう君達のためには泣かない。
『ありがとう』
『どういたしまして。おやすみ』
『おやすみ』
もしかしたらこれから毎日のように「おやすみ」とかメールが来るようになるのだろうか。それは嬉しいけど、ちょっと面倒臭い。
しかし、期待したようにはならず、用件のあるときのみの連絡がその後も続いた。何回かのデートとノバナの作品のブラッシュアップを繰り返している内に、もうすぐ夏休み。
「ここ、いい?」
「もちろん」
「リュータは夏休み、実家に帰るの?」
「うん。帰って来いって。でも、部活の合宿もあるし、一週間くらいにしようかなって思ってる」
「ふーん。ねえ、リュータが居ない日取りを訊いてもいい? そこに合わせて私も実家に帰ることにするから」
「うん。合宿が二週目で、実家に帰るのが三週目。どっちもキッカリ一週間」
「分かった。その二週間帰れば親も満足するでしょう。でさ、学校もなくて、部活もなくて、実家でもない、寮に居るときに、何かしない?」
「何かって?」
「まずはそれを考えるのを一緒にしようよ」
俺の頬が綻ぶ。
「いいね。じゃあ、夏休みの初日にそれをしよう」
「オッケー」
そこからは黙って食べて、部屋に帰った。
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