第14話

 食堂にある太い柱に一番近い席に俺はいつも座っている。と言っても密接している訳じゃないから、大体ノバナが声を掛けて来るときには柱と俺の隙間を通る。だからなのか、約束なくノバナを待つときには俺は柱を意識するように、いつしかなっていた。今週は一度も会えていない。会いたくなったら連絡をすればいいのだけど、用事もなくただ「会いたい」と言うのはまだ憚られた。俺達は付き合っている訳じゃないし、恋の告白もしていない。俺からはきっと漏れてはいるだろう好きの気持ちをだけど、まだ公式に扱ってはいないから、二人ともそこについては触れない。もし触れて、今の関係が終わってしまったらと思うと踏み込めない。でもいつかちゃんと言うつもりだ。もう俺の中では恋心は確固たるものに育っているから。

 結局今日もノバナは現れない。切ない。

 『エンジェルズ・ルーティーン』は今日で読み終わるだろう。『掌に垂線』のときの如き読了感が待っている。でもそれを待ちながら読んだらそれが逃げてしまうような気もする。とは言えあんまり心配はしていない。栞を抜けばもう物語りの世界に俺はどっぷり漬かるから、勝手に忘れさせてくれるだろうから。

 部屋に戻ると、Lineの通知が来ていた。ノバナからで、直しが終わったと。ベンチに向かう。

 ノバナは座っていた。

「何か、久しぶり」

 俺がそう言うと彼女も頷く。

「ずっと会ってなかったみたいに感じる」

「週末、デートしようよ」

「する」

「どこか行きたいところある?」

「どこでも、いっぱい話をしたいから、それが出来ればどこでも大丈夫」

「じゃあ、吉祥寺なら、カフェとかたくさんあるらしいし」

「うん」

 ちょっと寒いような雰囲気が、あって、それが急峻に熱を持つ。

「俺、もう少しノバナに会いたい。偶然によって食堂で会えるのがないと、会わな過ぎて」

「私も」

 言いかけたノバナが口籠る。俺は彼女の続きを待つ。

「私も、もっと会いたい。でも、書くのもしなくちゃだし、デートをグングン増やすのは違うと思うんだ」

「ちょこっとでいいんだ。今日みたいに、さ。でも今までは用件がないとベンチに来なかった、もし、ノバナが嫌じゃなかったら、用もないのにちょっと会おうって、誘ってもいい?」

 ノバナは考える。空の星の中に答えがあるかのように。

「いい。いいんだけど、やっぱり頻度が多くなり過ぎたら、嫌」

「今日くらい間が開けばいいと思うんだけど、どう?」

「うん。それならいい。……わがまま言ってごめんね」

「わがままじゃないよ。ノバナと俺とのことなんだから、二人で決めないといけないことだよ。それに、今日は違うなって思ったら断ってよ」

「そうだね。絶対の決まりごとじゃないんだよね」

 俺はゆっくりと頷く。

 ノバナは手に持った原稿を俺に渡す。

「よろしくお願いします」

「しっかりと読ませて頂きます」

「じゃあね」

 ノバナは去る。俺はベンチで見送る。

 『エンジェルズ・ルーティーン』はお預けにする。たとえ佳境だとしても、ノバナの方が優先だ。いつかこの絶対と思っている順位が入れ替わるときも来るのかも知れない。俺の中の流れの方が強くて、ノバナの直しを期限までなら保留にする。それは、そうなる以前に、そう言うことが出来るような関係になることが先立つのだと思う。今よりずっと彼女との関係が強固なものになったら、やっとその選択肢が発生する。多分。でも今のところはノバナのことが何よりも上に立っている。そしてそれに俺は疑問を持っていない。

 いつものように風呂に入ってから原稿を開く。そう言えば直しに入ってからの日数がこの前よりも長かったような気がする。二週間以上掛かってる。

『夏の音を待って』

 タイトルが変わっている。

『島峰紫花』

 もちろんこの名前だ。

 タイトルの変更以上に中身が変わっていた。

 時代は現代で、小料理屋の女店主美代子は一人で切り盛りをしている。暖簾を下げるのは最後のお客さんが笑顔で帰るとき。そう言うポリシーでしていた店に、ある日男が来る。他の客が全員帰った店の中で酒を飲む男に、美代子は話しかける。他愛のない会話。それから月に一回はその男が来るようになる。誰も他に居ない店で、次第に打ち解けてゆく二人。いつしか、男女の仲になるようになる。美代子はその男に自分と一緒になって欲しいと密かに思うようになるが打ち明けられない。

 そんな折、男が「次の夏に一世一代をやる。それが成功したら俺はきっと人を養えるくらいの稼ぎになる。美代子、もし上手くいったら俺と結婚してくれ」と寝物語で話す。半信半疑の美代子。そもそも一世一代とは何なのだ。訊けども「上手くいったら話す」の一点張り。もしかして犯罪じゃなかろうか。男が名前を名乗らないのもそう言うことなのかも知れない。でも美代子は男が好きだ。惚れている。彼が何者か分からないのに惚れると言うのは、きっと普通よりも強い想いなのだ。次の朝、覚悟を決めた美代子は男に告げる「一世一代が終わったら、成功如何に関わらず、話して欲しい。その条件でなら、結婚を待ちます」男は快諾した。

 夏、その年のロックフェスは伝説尽くめだった。その中でもロックバンド『白い熱源』が当日になって発表した『ミヨコ』と言う曲が話題になった。当日の熱狂は凄まじく、Youtubeでの動画再生は百万回をゆうに超えて、テレビにも引っ張りだこになった。ギターヴォーカルの『カカ』は時の人となる。

 美代子にもその話題は入って来た。何せ同じ名前なので客がからかうのである。「みよちゃんのことを歌ってるのかもよ?」そう言われて動画を見ると、歌ってるのはあの男だ。美代子は確かに一世一代であり、そして彼は成功した。恐らくミュージシャンとしての地位を得ただろう。でも、だったら、もう私のところには来ないのかも知れない。だって、ただのしがない小料理屋のママだ。美代子は一人決めて勝手に絶望する。

 いつもなら男が来る日、男は来なかった。やはりそうかと諦めを確定させようとしたそのとき、入り口が開く。

「まだ、やってるよな?」

「あなた」

「一世一代は成功した。約束通り、結婚してくれ」

 喜びに泣き咽ぶ美代子。抱き締める男。

「もう一つの約束、俺は『カカ』本名の真ん中を取ってる。田中角太郎かくたろう。カカでも角ちゃんでも、好きな方で呼んでくれ」

「角ちゃん」

「そうかそうか」

「幸せになろうね」

「幸せだ。でもこれからもっと、二人で幸せになる」


 読み終えて、ノバナの描いた世界に漬かっていた自分に気付く。

「レベルが全然違う! ここまで人間進化出来るものなのか!?」

 短いから一気に疾走する感じだったが、美代子のこころの動きがよく分かる。まるで、前に書いていたときには恋を知らずに書いていたノバナが、恋を知ったかのような。と言っても男女の仲とかは流石に知っていないと思う。それはきっと俺との恋がベースになっている筈。いや待て、ノバナが俺に恋しているかは断言出来ない。でも、少なくとも、俺が恋をしていることはバレバレだろうから、そこから体験を引っ張って来たと言うのはあり得ることだ。いや、やっぱり、ノバナも恋愛感情が、ちょっとはあるのかも知れない。もしなかったとしたらそれはそれで素晴らしい技能だ。恋をしている女の気持ち。そう考えれば、逆に男の見栄の気持ちのところはノバナが体験したと言うのは信じ難いものだから、それは空想で書いているとしたら、恋も空想かも知れない。

 前回問題になった設定を、一新することで無理のない形にしている。男が名乗らないままでいることの合理性もちゃんとある。名乗らないのに『ミヨコ』と言う歌、名前の付いた歌を歌うと言うところがニクい。

 彼女が言っていた、待った女が幸せになると言うことがいかんなく発揮されている。

「これは、面白い」

 あとはあるとすれば、音楽フェスが唐突なのでそれの伏線を張って欲しいのと、酒を飲むシーンが何となくフェイクな感じだから取材をして欲しい。感覚的に、導入のところが何か他の所に比して、なまくらな印象だったのでそこを改善して欲しい。でも、それくらいだ。

 これまではマックに行って話をしていたが、ちょっとフライングしたい。Lineを送る。

『ノバナ、速報です。おもしろい! 細かいことはまた今度に』

『本当!? やった! じゃあ週末にいつものマックでお願い』

『デートはどう言うタイミングでする?』

『マックスタートでそのままデート行く』

『すぐ直さなくていいの?』

 そこで返信が止まる。トイレに行って戻って来たら、ようやく来た。

『直しも必要なことだけど、デートが先にあってもいいと思う。デートの後にアドバイスを貰うのだと気になり過ぎるし、デート行きたいし、最初はすぐに直さなくちゃ気が済まなかったけど、書いてもらったりしてる直すべきところがあれば保留にすることも出来ると思う』

 俺が今日考えていたことそのものだ。保留に出来るか否か、彼女の方が先に行った。

『分かった。ノバナが大丈夫なら、アドバイス伝えてすぐに、デート行こう』


 土曜日のマック。いつもの席。

「今日は俺の考える順番で、話させて貰おうと思う」

「分かった」

 何回目になってもきっとこの緊張の表情はあるのだと思う。それこそが成長の理由の一つなのだろう。

「全体的には、面白い。びっくりするくらいこれまでと違うよ」

 えへへ、とはにかむノバナ。

「嬉しい。努力の成果が出始めたんだね」

「そうだと思う。特に、まず世界観だけど、刷新したことで統一感があるし違和感がない」

「勇気を持ってやりました」

「キャラクターは、美代子の雰囲気がいい。ちょっとエロくて、ちょっと線が細くて、でも気丈な感じがあって、その上で男とくっついてと言う重層的なキャラクターになってると思う」

「練ったよぉ。美代子は練ったよぉ」

「男も、名前を名乗らなかったことが理解出来るし、最後に名乗るところもいい。田中角太郎って名前がちょっとギャグっぽいけど」

「そんな名前を親に付けられたから、アートに走ったと言うのもあるんだよ」

「実はちょい役の他の客の、美代子いじりとかも妙にありそうな感じで、と言っても俺は見たことないんだけど、取材したの?」

「あれは、映画とかで見たのからイメージで書いた」

 俺は「なるほど」と頷く。

「結構、リアルの経験じゃなくて映画とか小説からイメージを引っ張ってるのはあるんだよ」

「そうなんだね。で、だからなのかな、酒の飲むシーンがちょっと嘘っぽい。まあ未成年だししょうがないけど、もうちょっとリアリティーが欲しいかも」

「分かった」

「全体のストーリーは、よかった。もう途中から『美代子幸せになってー』って思いながら読んでたもん」

 ノバナはガッツポーズをする。そのポーズの先っちょの拳でヴイサインまでする。何で?

「前回にコンセプトを煮ると言うことをして、書きたいことはこれだと決めて全てをそれを表現するために従わせたんだ。一応言っておくけど、結婚を約束した男とかいないからね。ファンタジーだからね」

「うん。居たら切ない」

 しまった。本音溢れた。

 ノバナがにっこり笑う。でもそれ以上は何も言って来ない。

「俺はとにかく、このストーリーは好き。没頭した。さて、今回はいいところばっかりになって来たのだけど、そうでないところを二つ。一つが、音楽フェスの唐突さを回避して欲しいと言うこと。もう一つが、書き出しから暫くの部分が、その後に比して、ぼうっとしていると言うか、いまいちシャープさに欠けると言うか、そう言う感じがあること。今回は以上」

「面白かったって、もう一回言って」

「ノバナ、すっごく面白かったよ!」

 ノバナは恋の実を受け止めたようにキュウンとした表情をする。

「更なるブラッシュアップ、するね」

「頑張って」

「じゃあ、ここからは……」

「デートだ!」

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