第13話
夕食は別々に食べた。今日一日の、デートの中でのことが去来する。結局書くことの話がメインだったけど、それはそれで良かったと思う。
部屋に戻ると身体中が汗ばんでいて、今日の匂いを消すのはちょっと惜しいけどやっぱり、風呂に入った。
ノバナの涙の染み込んだハンカチ。変態のように宝物にしてもいいかも知れない、と一瞬過ったけれども、普通に洗濯することにする。明日、コインランドリーで。
夜の静かな時間。読書の時間。でも、その前にやらなくてはならないことがある。
「『冒険の記録』って、日記みたいなものでいいのかな?」
それ専用だと言って、ノバナが帰り道にノートを一冊買った。俺は書き手ではないのに、ノバナが書けばいいのに、と言っても、断固として譲らない。俺が書かなければ意味がないと言う。その理由を尋ねても、それは秘密です、と突っぱねられる。ノバナの押しと言うよりも、彼女がかわいいから、結局引き受けた。当然、書いたものは見せなくてはならない。
でも、あくまで日記なので俺が小説を直したようなことはされないと思う。ノバナにもそんな気はない筈だ。
それなのに、就いた机で固まる。見せると思うと下手な書き方が出来ない、訂正すら出来ない気がする。これは清書を書くためのものだ。それの裏側には企画を練ったり、アイデア出しをしたり、試行錯誤をしたりする場が必要だ。いきなり完成を出せと言われても、俺の手の中にある能力では無理だ。
「作品を作れ。そう言うことか」
ノバナが彼女のやっていることの一部分を俺に体験させようとしている。そうとしか考えられなかった。
「でも、何で?」
思い当たる節がない。俺が彼女の直しをしていると言うことに対する報復なんてする訳がない。少なくとももっとずっと好意的な筈だ。作る楽しさを知って欲しい? これはあり得るけど、少々周りくどい。だったらそう言えばいい。でも言ってもやらないと想定されていたら、確かに半ば強制的にやらせるのは、ありか。俺は読み手であって書き手ではないと断言し続けているから。ノバナとしては俺を書き手にしたいのかも知れない。
「いや、そこを考えても分からないままだ。本人に今度直接訊こう」
俺はカバンの中にあるノートから国語のノートを選んで、いつもとひっくり返して後ろを正面にする。表紙になった裏表紙に『ストラグルスペース』と書く。のたうって転げ回る、つまりトライアンドエラーのためのスペースだ。ノバナからの課題なら尚更ちゃんとやりたいけど、元々俺は何かに向かうときはキチッとしたい。剣道をやっているせいなのか、元々そういう性格だから剣道が続いているのかは定かではない。だからと言って授業のノートをちゃんと取ったりはしていない。多分、授業には向き合っていないのだ。受験生のときはちゃんとやっていたことを考えると、俺は高校の授業をどこかナメているのかも知れない。部活はキッチリやっている。ノバナの小説を読むのも、真山の小説を読むのもキチっとしている。まるで俺の世界の内側にあるものだけにはキッチリやって、その外側にあるものに対しては比較的いい加減なよう。どうして授業に向き合っていないのかは今度考えよう。
『ストラグルスペース』を開く。左側にノート、右側が表紙の裏。ちょっともったいないと思ったけど、そのページはパスして、見開きのページを使うことにする。
左上に『冒険の記録』と書く。
その下に今日行った場所を列挙する。箇条書きになったその横に、そのときの感想を書く。それとは別に、どこで話したか分からない内容を右側に書く。こっちの方がずっと多い。文学とノバナについてのことがどんどん出て来る。やっぱり新宿はいずれ消えて、二人の会話だけが残るんだと思う。
「さて」
ここまでは予めイメージしていた形だ。問題はこれをどう言う軸でまとめるかだ。シンプルなのは時系列と時間を超越したもので並べる形。時間という概念を全て取っ払ってもいい。地図を付けてそれに則って書くのもありだ。もちろん、重要度の順と言うのもある。俺かノバナかと言う、発言で分けるのもありだけど、もう分け難く意味になってしまっている箇所も結構ある。
「思ったより選択肢があるね」
では、どう選ぶか。楽チンな方法にすると言うのも、今後続けていく上では重要な要素だろう。でも、これはノバナに見せるためのものだから、二人でこれを見て楽しいのが一番いいような気がする。時間・場所に関連付けて書いた場合は、デートのトレースが出来る。でも、それってそんなに大事じゃないような気がする。細かい記録にはあまり意味はないのではないか。そう考えると、今日一日あったことで、俺が思う、二人にとって重要な出来事は何か、それをその順で書く、ランキング形式とかが面白いように思う。一番は『紫花』と名前が付いたことだし、二番は『紀伊國屋事変』だ。箇条書きにして、その横に説明を付けると言う形にしよう。
『ストラグルスペース』に列挙された事柄に順位を付けてゆく。まとめるものはまとめてゆく。コメントも書いてゆく。
「あとはこれを清書すればよし」
一区切り付くと、頭の中であれこれ考えて、それが形になることに熱中していたと気付く。
『冒険の記録』のノートを開いて、やはり見開きで使いたいから最初のページには要諦をかく。
『この「冒険の記録」は、リュータとノバナが共に冒険をしたときにその記録を記す。その日の中で起きたこと、したこと、言ったことなどをランキング形式にして書き、コメントを加える』
そこで思い付く。素晴らしいアイデア。
『書いた方ではない方が、それを読んで、そこにさらにコメントを書き加える』
こうすれば出来たものにノバナがさらに書き込むことが出来るし、今後もしかしたらノバナが先に書く場合にも対応出来る。多分、ずっと俺が書くのだろうけど。
ページを捲り、下書きで付けた順位の通りに上から書いてゆく。
「出来た。ノバナ何て言うかな。作るって、人に見せたくなるものなんだ」
俺の顔は笑っていると思う。
しかし時計を見るともう十時。ベンチで会うには遅すぎる時間だ。でも出来上がったことを早く伝えたいから、メールを送る。すぐに返信が来た。
『明日、ベンチでどう?』
日曜日が最高の始まり方をすることが決まった。ノバナに会えることが嬉しい。だけどそれに加えて彼女に自分の作ったものを見て貰えることが嬉しい。彼女の狙いは何かは分からないままだから、明日訊こう。俺は真山の本を読もうかとも思ったけど何となく集中出来なそうな気がして、音楽を聴いてから寝た。
ベンチで待っていたら、昨日デートだっただろうと思われる彼がロビーにまた居た。昨日に比して落ち着きがある。あのソワソワは最初の日だけ感じることが出来るギフトなのかも知れない。余裕な表情でスマホをいじり、やって来たケバケバの彼女と目配せの挨拶をして連れ立って出てゆく。昨日一日でどこまで進展したのか分からないけど、俺とノバナの進んだ距離を考えればどう言う方向でもかなり進むことが出来るように思う。そして彼等のは俺達のそれと全然違う方向なのだと思う。居なくなった彼等のことを思うと、普通の高校一年生はどう言うデートをするのだろう。きっとデートに固定の正解はないのだと思う。それでも、正しいデートってのはあるような気がする。それは、二人のこころが動くデートだ。どんなに刺激的なプランであっても、二人のこころが無反応ならそれは失敗したデートだと思う。倦怠期ってそう言う感じなのだろうか。逆に、素朴な内容であっても、例えば公園で喋るだけとか、二人のこころが動くならそれは正しいデートだ。恋の始まりってのは実のところはどこに行っても正解なのかも知れない。あの食堂の太い柱を見ながら話すだけでも、デートなのかも知れない。
「お待たせ」
「全然」
ノバナは悪意の一切ない笑顔で満ちている。やっぱり報復とかはあり得ない。
「リュータの作品、見たい!」
「へっへー、ジャジャーン!」
俺は『冒険の記録』と書かれている表紙を彼女の方に向けて渡す。ノバナはそれを受け取ってからベンチに座る。横並びになって、物語りが始まるまさにそのときのように表紙が捲られる。
「おお。まずはルールの表記から。……なるほど。リュータはこれを私が書く側になることも想定しているのね」
「一応。現実に則すかは不明だけど」
「少なくとも、私もコメントを入れるようになってるんだ」
「そう。俺の作品として生み出すけど、完成させるのは二人で。だって、二人の冒険なんだもん」
「なるほど。こころしてコメントします」
ノバナはページを捲る。
「ランキング一位は『ペンネームを決めた「島峰紫花」』。これは納得。これからの人生にダイレクトに影響があるもん。で、リュータのコメントが『野花の一字を残して決めると言う形にしたがかなり難航。デートの最初と最後に集中的に議論して決定した。名字が島峰なのは二人の名字を足したから。俺は嬉しい。名字も嬉しいし、名前を一緒に決めたことがすごく、嬉しい』、うんうん。リュータ、私も一緒に名前を決めてもらったの、すごく嬉しいよ。昨日の夜からもうペンネームとして使い始めていて、と言っても『夏待ち月』の直しからだけど、タイトルも含めて抜本的にやり直そうと思ってるんだ。新しく生まれた私をちゃんと育てたい」
「その意気だよ。読ませてね、次も」
「もちろん、よろしくお願いします。で、二位は『紀伊國屋事変』それはそうだよね」
「外せないっしょ?」
「私の書き手としての覚悟が問われた事変だもん。泣いたし」
「コメントにもそのようなことを書いたよ」
「うん。三位は靖国通りで曾祖父母の話をした。おお、これがここに来るか。私は次あたりはALTAでタモリに並んだことかなと思ったんだけど」
「俺は初めて話した一族の話。ノバナもそうだと言った。だから、とっても大事な話だったと思うんだ。だから三位。そしてタモリには並んでません」
「で、四位が初めての新宿。ALTAもゴジラもここに纏められてるけど、百果園だけが別枠で五位なんだね」
俺は頷く。理由を説明しようかなと思ったら、ノバナが続きを言う。
「確かに、その区分けは意味があると思う。四位は見て楽しむで、五位は食べて楽しむだもんね」
俺としてはメロンを半分で交換したことが大きかったのだけど、そこは曖昧にして肯首した。
「食べて楽しむで六位がハンバーグ。なるほど」
ノバナは黙る。俺はこの沈黙は真空のそれだと分かる。評価がされる直前の。
「リュータ」
「はい」
「すっごく面白いよ、この書き方」
俺から力が抜ける。
「マジで。よかった」
「ちょっと待っててね、呼び起こされた感覚が生きている内にコメントを書いちゃうから」
ノバナはペンを持っていて、それでスラスラと感想を書いてゆく。いや、ときにつっかえつっかえし始めた。嬉しそうにニヤニヤしながら書く。俺はそれを宝物を見つめる気持ちで見ている。
「はい、出来た」
一読する。どれも、実際のときに彼女が言っていた内容だった。紀伊國屋事変のところでは「泣いた」とイラスト付きで書いてある。
「書いてみてどうだった?」
「より、合作感が出たね。面白いこと考える。リュータはやっぱり作り手になった方がいいんじゃないの?」
「『冒険の記録』を書かせたのもそう言う意図なの?」
ノバナは、笑う。大輪の花が咲くように笑う。
「違うよ。ただ、デートしっぱなしってのがつまらないなって思って、でも自分でやるのは作品もあるしちょっと面倒だと思ったから、まるっとリュータに投げ付けたんだよ」
「それはえらいわがままな話だね」
「でもリュータは受けた。そして次の面白いを作った。私は思う、この男は何かを作る才能があるだろうと」
「倒置法で言っても俺は読み手だから。ノバナの、紫花の読み手だから」
「読み手であることと、書き手であることは両立可能だよ。でもね、リュータ」
「何?」
「急がなくていいから。私が押しているのって、いつかリュータが書きたいなって思ったときにほんの少し背中を押すようなものだから。そう思ったときには、やってみてよ、ね?」
「……そう思ったときにはね」
「うん。最高の『冒険の記録』ありがとう。ねえ、これ次のデートまで私が持っていてもいい?」
「それは構わないけど、次のデート?」
「しようよ、デート。そう頻繁過ぎでも書く暇がなくなっちゃうから、二週間から一月に一回くらいはさ、デートしよう」
俺は強くつよく頷く。今何が欲しいってノバナとの時間が欲しい。
「する。しよう」
「決まりね」
「決まりだ」
「じゃ、またね」
ノバナは冒険の記録を手に、去ってゆく。
俺は急に始まったデートの予定のある日々に内心踊り狂いながら、平静を装って彼女を見送った。
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