第11話

 人の流れに乗って、幅広の階段を上る。踊り場があって、また上ると地上に出た。

「すごい人」

 ノバナが立ち竦む。俺は後ろから人がまだわんさか来ると思ったので邪魔にならなそうな位置まで誘導した。人が歩いている左右に動いていない人が立っていたり、ガードに腰掛けていたりして対象の不明な人垣を作っているのでそれに紛れる形だ。

「すごい人」

 もう一度ノバナが言う。俺も応じる。

「とんでもない量の人間がひしめいているね。その一人ひとりに人生があると思うと拡散し過ぎておかしくなりそう」

「そんなこと考えるからだよ。目の前の人数だけで十分目が回るって」

「うん。でも、進もう」

「そうだね」

 濁流のような人の動きに則って進むと、ロータリーの中心の島のようなところに出た。面積が広いせいか心なしか人による圧力が減ったような気がする。

「あ、リュータ見て! ALTAがあるよ」

 ノバナが指差す方向にオーロラヴィジョンと共にかの有名なALTAはあった。

「本当だ。じゃあここがいわゆるALTA前ってことか」

「どうだろう、ちょっと距離ないかな? そこの道路を渡った向こうのことを指すんじゃない?」

 ガヤガヤした顔のない声の集合が煩くて、声量が大きくなる。本当は耳を近付けたいけど、まだ早い気がする。

 信号が青に変わって、どんぶりで水を汲むみたいに人が渡る。それに追従して俺達も渡る。渡ったら右の方へ進む。

「リュータ、ここは誰が何と言おうとALTA前だよ。私はついにタモリと並んだんだ!」

「並んでないから! でも、ここがそうなんだね」

「『冒険の記録』にしっかり書いといてね、ALTA制覇って」

「そんな記録付けるの?」

「うん。リュータの仕事だよ」

 悪戯っぽく笑ってノバナは来た道の方に戻って行く。さっきまでと全然違う自由さが背中に生えている。このまま空にでも飛んで行きそうな軽いステップ。俺は追う。

「リュータ、果物屋さんがあるよ。ALTAの下は果物屋なんだね」

「微妙にズレてるけど、『百果園』か、あ、何か立ち食い出来そうだよ。買ってみる?」

「買うーー」

 メロンとパインのそれぞれ割り箸に刺さっているのを買って、人の行き交う中でしゃぶしゃぶと食らい付く。

「美味しい」

 ノバナが顔を輝かせる。

「俺はちょっと酸っぱい」

 唾液腺がキュッと締まるような感覚をそのまま顔に出してノバナに言うと、ノバナは声を出して笑う。

「本当に酸っぱそうな顔。むしろ酸っぱいが顔」

「どんなだよ」

「交換する? 私酸っぱいのは好きだから」

 いいのかな。女の子と食べ物を交換するのって、それは、普通の友達のレベルを超えているってことなのかな。いや、彼女にしてみれば、友達とすることなのかも知れない。でもメロンのを食べてみたいのもある。

「リュータ、どうするの? 食べちゃうよ、メロン」

「うん。交換して」

「はい」

 渡されたメロンはちょっと青臭くて、でも甘くて。それ以上にノバナの香りがついているような気がして。

「メロン美味いね」

「だからリュータにも食べさせたかったの。パインは酸っぱいけどそれがいい。リュータにはまだ早いのかもね」

「お子様だから酸っぱいのだめって感じ?」

「そうそう。修行して出直しましょう」

「いずれ克服して見せる」

 あははは、と笑いながらパインを食べ終えたノバナ。俺もメロンを終えて、割り箸を専用のゴミ箱に捨てる。

 駅を背にして、進む。どれだけの人がこの道を通って来て、今後も歩くのだろう。それがどれだけ大きな数であっても、俺達はゼロから一に今この瞬間なっている。メガネのでっかい看板も、怪しげな店も、ありふれたチェーン店も、全てが俺達にとっては初めてだ。

 ノバナはあっちこっち指で指しては「あそこ変だね」「ちょっとと近付いて見てみようよ」とはしゃいで、俺は引っ張られるがままに店を冷やかす。でも店内に入る程に魅力的な店舗は見つけられないままに、大通りに出た。

「靖国通りって書いてあるね」

 俺が標識を見て言うと、ノバナが首を傾げる。

「靖国神社の靖国なのかな?」

「多分、この道をずっと行けば到達するんじゃないの?」

「国を守った人達の眠る場所と、繁華街が一本道とは、なかなかやりますな」

「英霊にも娯楽が必要なんだよ、きっと。それくらいおおらかでいんじゃないかな」

「そうだね」

 ノバナはすごく穏やかな顔をする。さっきまで飛び跳ねていたのが別人のような。

 靖国通りの横断は車線が多過ぎて感覚的には縦断だ。

「あのね、私のひいおじいちゃん、元特攻隊員なんだって」

「そうなんだ」

 彼女の言葉が喧騒から浮いて聞こえる。

「終戦の次の日が出撃予定だったって言ってた。だから仲間がたくさん靖国神社に眠ってるんだ、って」

 運が強いと思った。でも、何だかそんな弁で話の腰を折りたくなくて、頷く。

「生き残った自分を責めたこともあるって。でも生きているのだから、精一杯生きようって決めたって」

「強い、決断だ」

「うん。強い。そして重い。でもだからと言って、死んだ人の分を生きるってのは違うって。彼等は彼等の人生を生きたし、死んだ。時代が命を奪ったけど、彼等の人生は永久に彼等のものだって。……さっき、リュータが『英霊』って言葉を使ったのが、なんだかちゃんと戦争のことを考えたことがあるみたいで、ほっとした」

 誰にも話すことはないと思っていたことが、自然に引き出される。

「俺のひいばあちゃんは、原爆の生き残りなんだ。たまたま漁に出ていたんだって。兄弟の半分がそれで亡くなった。俺は小さい頃どうしてかひいばあちゃんに戦争の話を聞くのが好きで、そのときのことも含めていっぱい当時の話を聞いたんだ」

「私も、何故かひいおじいちゃんに戦時中の話を聞いてた。関心も生まれて、調べたり、読んだりした」

「でも、悲惨なことには変わりなくて、他の誰とでもこの話題は避けてきたんだ。でも、ノバナになら話してもいいと思う」

「私も。自分のルーツの一つではあるけど、私自身ではない。だけど重要な私の一族の物語り」

「ちょっと秘密なくらい大事だよね」

「うん」

 胸がふるふるする。大切を分け合えること。そう信じられる相手。

「あ! 見て!」

 ノバナが指した先に、ゴジラが居る。東京は何でもありだ。

「あれ、放射能吐くのかな」

「リュータ、それは流石にないでしょ。吐いても火炎くらいまでだよ」

「いやいや、それでも十分に前のビルとか燃えちゃうでしょ!?」

 クスっと言う笑いが、二人の呼吸が合う形で生じる。

 ゲームセンターとかパチンコ屋とか、飲食店とか。ノバナがキョロキョロしている。

「ここって歌舞伎町なのかな」

「多分」

 左側にのぞき小屋があった。東京見物、ストリップ。

「リュータ、ああ言うの興味あるの?」

「え、と」

 ノバナはとっても平熱な顔をしている。

「まあ、男の子だもんね。興味があるのと行くのは全然違うし」

「行こうとは思わないよ。思い出したんだ、中二のときに叔父さんに東京見物に連れてって貰ったときに、ストリップがあったな、って」

「ふうん、行ったの?」

「いや、前を通過しただけ。なのに東京見物の覚えている映像がそれだけだったんだよね。叔父さんと色々話した内容のことは克明に覚えているのに、あんまり観光とかには興味がないのかも知れない」

「じゃあ、今も?」

 俺はかぶりを振る。

「この冒険は全然違う。これは観光じゃない。冒険だ。ノバナと俺の、冒険だ」

 ノバナは膨らむように笑顔になる。

「でも私も景色とかそこまで興味ないのかも、リュータと叔父さんの観光みたいに、今日のことも新宿のことなんて全部忘れて、リュータのことだけ記憶に残るのかも知れない」

 そうだといいな。

「俺も同じ感覚だよ。でもだからって、今が面白くないってことじゃない。ワクワクだらけじゃん」

「ゴジラも居るしね」

「もっと奥に行ったら何が居るかな」

「モスラも居るのかな」

 大きなゲームセンターの脇を抜けて、明らかに裏通りの雰囲気の場所に出た。俺達は顔を見合わせて、ここは流石に入り込んではいけない場所なのだろうと思って引き返した。来た方向と直角に折れて、街を散策するけど、お酒を飲むところと、風俗のようなところが乱雑にあるだけで、モスラは居ない。

「大人が遊ぶのって、お酒と、セックスと、カラオケとかばっかなのかな」

 ノバナが呟く。

「東洋一の歓楽街ってことだから、もっと色々あるんだと思うけど、昼間にストレンジャーが到達出来る場所にはないのかも知れないね」

「ストレンジャーって、いつの間にか冒険者から迷子になっちゃったね」

「確かに。でも、そんな気分。ここはもういっかな、そうだ、大きな本屋に向かおうよ」

「あ、完全に忘れてた。でも、どこにあるんだろ?」

「調べていい?」

「冒険にも調べるのが必要なときはある。よろしく」

 スマホで調べたら、紀伊國屋と言う大きな本屋が靖国通りの向こう側にあると出た。俺達はそこに向かって歩き始める。

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