第10話
ノバナはベンチにちょこん、と座る。
「三時間、ごめんね。でも、ひとまとまりするところまで出来た。ありがとう」
「全然」
思っていた程長い三時間ではなかった。むしろ、ここに座ってからの方が長かったくらいだ。ものの五分くらいだろうに。
「どこに行くの?」
「んー、ノバナが行きたいところがなかったら、吉祥寺とか渋谷とか新宿に行ってみるってのを考えてた」
「本格的に街に行くんだね。いいね」
「目的のない散歩みたいなものだけど、いい?」
「うん。でもどこも行ったことないや」
「実は俺もない」
じっと目を合わせる。両者不適に微笑む。ノバナが口を開く。
「冒険だね」
「一緒に冒険に行こう」
「何か夏休みみたいだね」
「うん。フィーリングで街を選ぼう。距離はどれも同じくらいじゃないのかな」
「あ!」
ノバナが声を上げるから、俺は目をパチクリとさせる。
「何?」
「新宿にはおっきな本屋さんがあるらしい。しかも二箇所。私そこに行ってみたい」
「なるほど。俺達が最初に向かうには、いい選択理由かも知れない」
「じゃあ、新宿ね」
「決まり」
俺は立ち上がり、ノバナも続いて、寮の正面玄関から出る。もし俺達が付き合っているカップルだったら、そんなに堂々と正面突破はしないのかも知れない。だから逆に俺達の意識は、友達同士なのだと言っている。
駅に向かう道。商店街。ラーメン屋の匂いを嗅いだら、途端に腹が鳴った。
「お腹鳴ってるね。ここで食べてく?」
「それでもいいけど、ノバナが食べたいものとかあったらそれにするよ」
「私も何かリュータの顔見たらお腹が空いちゃったから、これと言ったものはないんだけど、電車乗る前に食べたいな」
「ふむ。俺はラーメンは好きだ。でもどの店が美味しいかは分からない」
「当たり外れも遊びの内で、直感で美味しそうなところに入ろうよ」
そう言っている内にさっきのラーメン屋は遠くになっている。
「分かった」
歩きながら左右を見る。これまで寮で夕食を食べるから飲食店を意識したことはなかったけど、結構ある。でも、フレンチとかビストロとかのいかにも高そうな店は選べない。お小遣いで生きている高校生なのだ。しかも使い過ぎたら次の仕送りがあるまで何も買えない。食事は寮で出るから死ぬことはないけど、本が買えないのは嫌だ。かと言って牛丼とかマックとかよりはもう少しお洒落に行きたい。形式上は友達だとしても、俺にとっては初デートなのは間違いないのだ。でも、奢るのはやり過ぎだと思うから、そこは控える。
「ねえ、あそこのハンバーグ屋さん、どうかな?」
チェーン店っぽいけれども、何か雰囲気がある。美味しそうな雰囲気が。
「いいと思う」
店の前に立ち、値段を横目でチェックする。千円以内で食べられそうだ。俺はノバナを見て、頷いた。
カウンターがメインの中で数テーブルだけあって、そのテーブルに通された。
三百グラムの照り焼きマヨネーズソース。ご飯はおかわり自由。ノバナは百五十グラムのデミグラスソースを注文していた。東京に居ても寮と学校の往復だから、全然外界を知らない。だから、本当は駅前に着くまでだけでも俺達には冒険なんだ。外食だって知らない世界との交流だし、電車が乗せてゆく先には本当の未知が待っている。俺は東京の最初の冒険をノバナと始められたことが嬉しくて、ニンマリとする。
「どうしたの? 嬉しそうだよ?」
すかさずのノバナ。
「冒険が楽しい」
本当は「ノバナとの」が入るのだが、恋の秘匿方針により隠した。
「まだ駅にも着いてないよ。……でも、気持ち分かるかも」
「俺達は今東京の最初の冒険だ」
「そうだね。最初がリュータとで、私ワクワクしてる」
俺が隠したものを彼女は言う。ならば。
「俺も、ノバナと冒険を始められて、ワクワクだよ」
「最初のご飯は、どうだろうね?」
「当たり外れも冒険の内」
熱い鉄板にハンバーグが焼かれながら到着した。その音だけで涎が出るのに、目の前に置かれると匂いがたまらない。空腹が早く寄越せと声を上げる。
「いただきます」
口の中に熱と香りが広がって、それを噛むと味と肉汁が滲み出して、噛むほどにそれは強くなって、惜しみながらもゴクンと飲み込む。後味のあるところに追加される白米が、合う。
「美味しい」
「うん。私も美味しい」
俺達は何も会話せず、ただただハンバーグを楽しんで、無我の境地のように食べ終えて、ご飯のおかわりはしたけど、お腹いっぱいになったら自然と笑みが溢れた。いや、食べている最中から溢れていたか。
「美味しかった」
「ね」
口を拭いて水を飲んで、店を出る。
「リュータ、冒険の第一歩はどうでしたか?」
「超美味しかった。また行きたい」
「賛成! いい店見つけちゃったね」
駅の方に向かって歩く。もう飲食店は関係ない。
「あのさ」
ノバナが何かを決意したように声を掛けて来る。俺は満腹の余波でおおらかだ。
「どうしたの?」
「相談があるんだけど、あ、歩きながらでいいよ」
「どう言う?」
「今回感想に、ペンネームのことが入ってなかったのね、あれはわざと?」
「いや、本名にしたんだな、って思っただけだったから」
「本名でいいと思う?」
「あ、ごめん、今思い出した。『夏待ち月』を読んだときには、本名じゃない方がいいと思ったんだった。書き忘れだ」
「『舞茸あぶり』は?」
「それは却下だと思う」
「却下って、ひどくない?」
「あ、いや、ごめん。でもどうして『舞茸あぶり』なの? ギャグ作家みたいだよ?」
「うん。ギャグだよ。名前はギャグなのに内容が素晴らしかったらいいんじゃないかと思ったの」
「残念ながら、スベってるギャグだと思う」
「……そっか」
「ずっと本名の方が素敵だよ」
ノバナはちょっと黙って、歩みも止める。横並びだからすぐに俺も立ち止まる。
「私、三時間の内一時間は泣いてた」
そうなのか。
「でもリュータを責めてる訳じゃないんだよ。でもね、やっぱり自分が不甲斐ないと涙が出て来るの」
今にも泣き出すのだろうか。そしたらそれを受け止める。
「リュータの指摘は本当に的確で、間違いなく私を成長させていると思う。だからね、相談ってのはね、あのね、ペンネームを一緒に考えて欲しいの」
「俺が?」
「うん。今日のデートが終わるまでに、決めたい」
デートなのか。それとも彼女の文化では外に連れ立って行くことをデートと表現するのかも知れない。いや、そこじゃない。彼女の名前を俺が一緒に考える。一緒に考えて付ける名前って、子供に名付けをするみたいじゃないか。
「それって、人生最大の冒険だと思う」
「私もそう思う。でもリュータだから、一緒に考えて欲しいの」
ノバナの願いに応えないでいるなんて出来ない。責任は酷く重いけど、それだけの価値がある。
「遊びじゃなくて、本気で、やるけど、それでいい?」
「それが、いい」
「分かった。じゃあ、ノバナのペンネームを一緒に考えるの冒険、開始だ」
「変なタイトル」
ノバナが笑う。俺も笑う。どちらからともなく歩き始める。
「でも、だからって肩肘張らずに行こうよ」
「うん。どんな名前になるかな」
「きっと素敵な名前だよ。インパクトもある」
「真山白馬って、すごい名前だよね。一発で覚えたもん。イメージも何かよく分からないけど、うわーって感じのがあるし」
「でも、書いている内容を反映しているかと言えば、そんなことはない」
「そうなんだよね。他の小説家の人も、名前から作品の内容を想像することは困難。って言うか、何作品も書いてたら自然とそうなるよね」
「うん。だから、ノバナの作風を反映する名前じゃなくてもいいとは思う。俺はさ、変な意味じゃないよ、ノバナって名前が凄く好きなんだ」
「そうなんだ」
「だから、ノバナ、野の花だよね、の一部を生かしつつ、別の名前にするのがいいんじゃないかって思う」
「野を残して、
「それ
「う。確かに。じゃあ、野風とか?」
「だったら野分の方がかっこいいかも」
「野分って?」
「古文での、台風のこと」
「すごいね。名前が台風か。それ、候補に残しておこう」
俺は生徒手帳に野分と書く。生徒手帳を使った初めてがこれで、多分今日以外はもう使わなそうな予感がする。
そこで駅に着いた。新宿に向かう切符を買う。俺もノバナも定期は反対方向だ。
電車をホームで待つ。
一人で立っていたら味のない世界が、ノバナを共にするだけでこんなに鮮やかになる。彩りが生まれる。
「野菊は?」
「昔映画にあったから回避したい」
「野薔薇は?」
「感覚的にアウト」
「野モンハンは?」
思わず吹き出してしまった。
「どこに上陸するつもりだよ! しかもその先にはモンスター居そうだし! ハントするの!?」
ノバナはケラケラと笑っている。俺も一緒になって笑う。モンハンなんてやったことあるのかな?
電車が来た。各駅停車。横並びに座る。土曜日の空気を運んでいる。
「野舞茸は?」
「舞茸はもうよろしい。野茸とかかな、どうしてもなら」
「野茸かぁ。いや、あまり美味しそうじゃないから却下で」
「じゃあ、野雪は?」
「綺麗だけど、不幸そうだから却下」
「野トルダムは?」
「スベってるから却下」
「却下ばっか!」
「うん。仕返し」
「ドンと来いだ。野夢」
俺は胸を叩く。
「いまいちかな」
「野空」
「想像以上の野性味があってアウト」
「野村」
「うん。悪くないけど、普通の苗字だよね」
「うん。却下」
「自分で却下言っちゃったよ」
そこで一回行き止まった。候補にあるのは野分のみ。このままではノバナは台風女になってしまう。それはそれで悪くはないのだけど、何となく俺が持っているイメージと違うのだ。
電車は地下に入って、闇の中で光る電灯が幻想的で、俺は見とれてしまった。
「どうしたの?」
「窓の外が、不思議なんだ」
「本当だ。私達初めてだから感動しているのかな。それとも二人だから感動しているのかな」
「また二人で見れば分かるよ」
俺はノバナが手を握って欲しがっているような気がした。でも確証がない。俺達の距離はまだ触れ合えるところまで至っていない。
いずれ電車は駅に着く。広いひろいホーム。人間がうじゃうじゃ居る。
「ノバナ、迷子にならないように」
「うん。リュータが私を確認しながら歩いて」
「じゃあ少なくとも横に居て」
「分かった」
やっぱり手を繋いだ方がいいのかな。でも、迷子防止って子供じゃないんだから。
人波はあっても、二人を引き離す程ではなかった。よく映画とかで人波に
改札を潜ってもまだ人は多かったけど、そこまで不安にならずに歩けた。
もうすぐ、テレビでしか見たことのない街、新宿の東口を出る。
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