第3話

 マックでコーラのSを頼んで席を探していたら、ノバナがもう座っていて、手招きをする。

「お待たせ」

「全然。こっちは感想を貰う身だから、先に来て当然」

 そんなものなのか。あれかな、目上の先生に稽古をつけて貰うときみたいな礼のこころなのかな。文学に関しては俺が目下だけど、感想を貰う以上は礼を尽くす。かっこいいじゃん。

 正面に座る。

「早速聞いていい?」

「うん」

 俺はカバンから昨日まとめた紙を出す。ノバナが目でそれを追うのが分かる。

「えっと、どう言う風に話せばいいの?」

 俺の問いかけにノバナはうーん、と考える。

「最後に笑いたいから、厳しいところを先で、いいところを後にして欲しい」

「分かった」

 俺は書いた意見を選ぶ、ノバナは生唾を飲み込む、午前中でもマックは雑音が多い。

「タイトルの『かすみ草』なんだけど」

「タイトル?」

「うん。タイトル。主人公の名前が『かすみ』で、途中でモチーフになっているのが『かすみ草』で、最後に『かすみを食って生きられるなら、この恋は私を太らせなかったのに』って、かすみを重ねてるのが、ダジャレみたいで何て言うか、読んでいて余計な意識を取られる気がする」

「そっか」

「次に、ペンネームの『舞茸あぶり』」

「ペンネームも?」

「うん。本名の方が素敵だと思う」

「……そっか」

「文章全体の印象としては、文学ってどう言うのかよく分からないで言うけど、最後が締まってない感じがするんだよね」

「締まらない……」

「うん。せっかく色々広げて来たのが、終わりのところで結ばれないで、そのまま、開放的って言うのかな、バラバラのまま終わっちゃうような感じがする」

「それは、わざとだよ」

「そうなんだ。俺は落ち着きたいな、と思った。で、文体にムラがあるように思う」

「文体!?」

 気持ち大きな声を出したノバナの方を見ると、さっき会ったばかりなのに顔のパーツ全体が中心に吸引されたみたいに、色もやや青白くなっている。もしかして俺はとんでもないことを言っているのかも知れない。でも、言いかけで止めることは出来ない。

「文体は、感覚的なものでそう思ったんだ。女子高生的なポップな色味があるところの中に、倉庫の中の金庫みたいな言葉がゴツッ、ゴツッってあったり、過食しているところの悲壮な文の中に気の抜けた言葉が混ざったりって、感じた」

「すごいね。そんなことまで分かるんだ」

「何回も読んだからかな」

 ノバナは青い顔のまま言葉を継ぐ。

「他には?」

「先生ってのがどんな人かが俺には分からなかった」

「……そっか」

「先生の何に恋しているのかが分からないとも言える」

「それは、そうかも知れない」

「主人公の『かすみ』はでも、人物がしっかりしているように感じた。これって訊いていいのか分からないけど、この話ってノバナの体験談なの?」

 ノバナは高速で首を振る。

「違うよ。全然違う。空想の中のお話だよ」

「だったらよかった。もしノバナがかすみだったら辛いなと思ったんだ」

 思ったんだ、と言ったところで自分がたった今吐いた言葉の意味に焦る。それは俺が彼女のことを慮っていると白状しているようなものだ。でも、ノバナはそうは思わなかったよう。

「大丈夫。私じゃないから、私は辛くない」

「リアリティが薄いのはそのせいかも知れない。もう少しリアルさが欲しいと思うんだ」

「そっか」

「募る想いが食欲になるってのは面白いなと思った」

「うん。それで?」

「そのままで終わってしまうのがもったいないとも思った。例えば、別の欲望になったり、その症状がなくなる事件が起きたりとかすればいいのにな、って思う」

「なるよど」

「これくらいかな」

 ノバナはじっと目を見開く。

「いいところは?」

 しまった。いいところは『募る想いが食欲に』だったのだけど、それを繰り返してはいけない。でも、悪いところだけで終わらせるのは酷過ぎる。考えろ。考えろ、俺。

「ないの?」

「最後まで書いてあるところ」

「何それ」

「中途半端でなくて、書き上げられているところは、いいところだよ」

「つまり、ないってことね」

「そうじゃなくて……」

 ないんだ。つまらない作品なんだ。でもそれを言える程に近くはない。

「リュータ、ありがとう」

 極まりそうな俺を救う糸のような声。いつの間にか下がっていた視線を彼女の顔に戻す。相変わらず中心に寄って、青白いままの顔。

「すごーく参考になったよ。そのメモ貰っていい?」

「うん」

 メモを手渡す。つまらないと書いていないことは幸いだ。

「他はない?」

「ない」

「そっか。じゃあ、私帰るね」

「え」

「またね」

 ノバナは言ったまま去ってしまう。取り残された俺とコーラ。俺は失敗したのだろうか。間違ったことを言ったのだろうか。ノバナは怒っているようには見えなかったけど、多分、傷付いているからあんな顔をしている。もう二度と彼女は俺に作品を見せると言うことをしない、んだろうな。全然役に立てなくて、ただ傷付けただけなのかな。作品なんて作ったことがない。だから他人にその意見を求めると言うことがどう言う感覚なのか、目的なのかが分からない。でも分かることは、ノバナは傷付き、それは俺が傷付けたと言うこと。彼女は泣くかも知れない。すなわち、俺は嫌われるのだ。ちょっと近付いたからっていい気になっていたのだ。いい感じの関係になっていると勘違いしていたのだ。だからこれは失・恋未満、だ。失恋じゃない。まだ恋になり切っていない想いが挫かれただけだ。後悔するな。まだ彼女に嫌われたと決まった訳じゃない。落ち込むのはまだ早い。

 そう自分に言い聞かせながら、既に落ち込みは始まっていて、やっぱり失恋なのかな。どう言えば正解だったのだろう。でも、嘘で褒めることは決してやってはいけないことだ。そんな不誠実さで彼女の横に立つ資格はない。

 噛み締めた奥歯を意識して緩めて、口を大きく二回開ける。三回目に口を開けたときにコーラを全部流し込み、マックを出る。行くあてもないから、自室に帰る。

 

 部屋でツルツルした三四郎を読もうと思った。今なら滑らないんじゃないかと思った。でも、滑る。しっかり滑る。一度滑った三四郎はもう二度と摩擦のある本に戻れないのか。違う。恋が破れたんじゃないかと言う気持ちが俺の中心にあるままだから、読書に集中出来ないのだ。ため息をいて三四郎を置き、何の気なしにスマホをカバンから出すと、通知が一つ。まさか。

『今日はありがとう。厳しいことを言うのは大変だったと思う。精進します』

 ノバナからだ。

『素人が言いたい放題でごめん』

『頼んだのは私だから』

『傷付いた?』

 既読が付いてから、返信が来ない。やっちまったか。これはやばい地雷を踏んだかも知れない。でももう言ってしまった。何を加えても火に油だろう。

 慌てふためく準備を完了した頃に返信が来た。

『いっぱい泣いた』

『ごめん』

『だから、ありがとう』

 彼女が強いのかどうかは分からない。繊細で弱いのかも知れない。でも、彼女は文章をよくすると言うことに貪欲で、そのために傷付く準備が出来ていたのだと思う。ちょうど強い先輩に稽古をして貰うときのような、惨敗を踏んで前に進むような。だから、彼女の文学をよくしたいと言う想いは強い。清々しい。俺で良ければこれからも、彼女のために文章を読んで感想を言いたい。

 俺はそれ以上は返信をしなくて、彼女も追加では送って来なくて、俺は三四郎を諦めて、マンガに手を伸ばした。


 三日後、夕食時。

「ここ、いい?」

「ノバナなら、いつだって、いい」

 俺にとっては告白と同じような科白だったのに、ノバナはそれには何も言わずに俺の正面に座った。

「この前はありがとう」

「泣かせてごめん」

「人がいるところでそう言うこと言わない」

「はい」

 でもノバナは笑顔だ。大丈夫。嫌われていない。大丈夫、彼女が立ち直れないほどの傷は付けてない。

「剣道部はどう?」

「そこそこ厳しい。練習が非科学的」

「進学校なのに?」

「そこは旧態依然としている」

「男子高校生から『キュウタイイゼン』って聞くと不思議なハーモニーがあるね」

「そうかな」

「文芸部は? って訊いて」

 ほんの少し彼女が身を乗り出す。俺は苦笑いと微笑みのブレンドの顔になる。

「文芸部はどう?」

「のんびりしてるよ。それぞれのペースで書いてる。先輩が書いたの読んだけど、やっぱりレベルが違うって感じた。でもね、それを読むときにこの前リュータが色々言ってくれたことがガイドになったんだ。すごいよね。これを伝えたかったんだ」

 彼女は興奮気味に身振りが大きくなっている。

「俺の意見が役に立ったの?」

「すっごく役に立った。本当にありがとう」

「俺は読んで思ったことを言っただけだよ」

「もしかしたらリュータの方こそ、文学の才能があるかもよ?」

「それはないだろ」

「今は竹刀振ってるばっかだから気付かないだけで、やってみたらあるかもよ? 才能。あんな風に読めるってそうだと思うんだけどな」

 俺は大仰に肩を竦める。

「百歩譲ってあったとしても、読む才能じゃないの?」

「百歩下がって読む才能、千歩進んで書く才能」

「文学は大変だ」

「人生懸けるに値する面白さがあるよ」

「でも俺はいいよ、少なくとも今は、いいよ」

「そっか」

 そこで食べ終わったので俺は彼女を残してトレイを下げに行く。

「おやすみ」

「またね」

 階段を登りながら、頭の中を彼女の言葉が渦巻く「文学の才能あるかもよ?」「才能あるかもよ?」「かもよ?」文学の才能があるのか、俺に。考えたこともなかった。でもやっぱり俺は読むのが上手いだけなんじゃないのか。でもそれも一回したっ切りで、評価をするには早い気がする。

 部屋に戻ると、ノバナからLineが来ていた。

『この前の「かすみ草」直したから、読んで欲しい。都合のいい時に渡したい』

『今から貰うのでどう? 一階のベンチで』

『じゃあ、そこで待ってるね』

『了解』

 ベンチに行くと制服のままのノバナが手に紙束を持って遠くを見ていた。顔には緊張が張り付いている。

「お待たせ」

「厚かましいとは思うんだけど、読んで欲しい。お願い」

「もちろん。感想も必要だよね」

「いかなる感想でも受け付けます。泣くけど」

 泣くのか。でも、彼女はそうやって進もうとしている。彼女のために出来ることをしたい。

「分かった。本気で読む」

「私も本気で書いた」

 俺はこの前と同じように寝る準備の全てを終わらせて、原稿に向き合う。

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