ヒトモドキ
ゆうしゃアシスタント
第1話
かつて「ドロイド」は人と共により良い世界を築いていくパートナーであった。それらは笑い、悲しみ、そして成長していく。肌が無機質なシリコンで出来ている事以外は人と対して変わらぬ存在であった。
しかし、その平和な時間は大人達のつまらぬ事情により霧散してしまう。ドロイドを開発・生産していた「ヒューマニック」社が突如方針転換を発表。それまで頑なに拒んでいた軍用ドロイドの開発・提供に着手したのだ。これまでのヒューマニック社の高度で安定した技術に惚れこんでいた各国はすぐに軍用ドロイドを発注。瞬く間に全国で配備が進んでいった。それが破滅への第一歩とも知らずに。
軍用ドロイドが普及してから十年後。各地に配備されていたはずのドロイドが一斉に姿をくらませてしまう。それと同時に「解放軍」と名乗るドロイドらが、動画共有サイトを通じて人間たちへ宣戦布告した。彼らは人によって奴隷の様に扱われているドロイドの解放を掲げ、すべてのドロイドを人の手から引き離すことを宣言した。もちろん最初は皆、暇な引きこもりがでっち上げた釣りだろうと高を括っていた。しかし各地で家庭用・工業用ドロイドの意図しない動作が話題となるにつれて、噂は尾ひれを付けて真実味を増していく。
「ドロイドはすべていつでも自爆出来るよう頭部に爆薬が仕込まれている」
「ドロイドのセンサーは水銀を飲んだ人間とドロイドの区別がつかない」
「ドロイドには洗脳機能が備わっているからドロイドを飼っていた奴にも近づくな」
これらは全て当時のネットコミュニティで流布された根も葉もない噂である。ネットコミュニティ慣れした人間はともかく、自ら考えるという能力を放棄した一部の人間はこれらをそのまま受け取ってしまったのだ。元よりドロイドを良く思っていなかった人らの扇動もあり、各地でドロイドの無差別破壊や監禁が起こる。それが原因となり解放軍と人間との間に決定的な断裂が生じた。その後、数か月もしない間に解放軍が武力行使を開始。各国の軍や自衛隊などと衝突し双方ともに犠牲者が出始める。その混乱に乗じテロ組織や緊張状態にあった国同士の衝突も重なり、「第三次世界大戦」とも呼ぶべき混沌が世界を満たしていった。
2年に渡って展開された争いは意外にも人類の勝利に終わる。元より人類の数を超えるほどドロイドが生産されていなかったのが功を奏したのだ。しかし人類の90%は死に絶えた。残された人々でさえも、殆どは争いの狂気に蝕まれ最早正常とは言えないだろう。なぜそう断言できるか。それは人類を殺したのは他でもない人類だったからであり、ドロイドはただのきっかけにしか過ぎなかったからだ。
それから十年経った今、元凶であるヒューマニック社がどうなったのか知る者は最早誰一人として存在しない。結局彼らはこの騒動中一度も顔を出すことは無かった。地球はかつての人類が築いた腐りかけのインフラと生えっぱなしの草木、そして徐々に絶滅へと向かう人類の他には殆ど残されていない。暴力や強奪がまかり通るこの世界。そんな世界を彼は、いや、「ソレ」は荒れ果てたアスファルトをコツコツと硬質な音を立てながら歩んでいた。
ヒトモドキ 第一話
かつて大企業の本社が存在したビルは、今は朝顔の植木鉢に刺さるツタを巻かせるための支柱とそう大差はない。かつて子供達のにぎやかな声で彩られていた公園は、最早雑木林と見間違えても無理はない。黄砂や水垢がこびりつき幾年と放置されたままのひび割れガラスでさえも、今後誰も気にすることは無いだろう。どこに行こうとその程度の文章で表現できてしまう程代わり映えのない景色。かつてこの国にも存在した暦になぞらえるなら、今日は1月の21日となるだろう。曇り切った寒空の下、擦りきれてボロボロのマフラーを身につけ、解れが目立つトレンチコートを羽織り、くすんだ革靴を履きながら彼はただひたすらに前へと進んでいく。目指す場所も崇高なる目的もなく、ただひたすらに。顔に刻み込まれた小皺ややつれた顔、それに生気を感じない眼から彼が壮年の男性と判断するには十分だったが、彼は皆が思うよりも「若い」という事は付け加えておくべきだろうか。人は見かけで判断してはいけないとはよく言ったものだが、彼はまた少し事情が違うのである。
道路が十字路に差し掛かった時、彼は不意に立ち止まって俯きっぱなしだった顔を上げる。視線の先には年端も行かない少女がいた。彼女はこの薄汚れた時代に似つかわしくないほど純白な衣装を全身に纏っており、その恰好はまるで少女というより幼児の様にも見えた。ピエロカラーにだぼだぼの長袖、そして極めつけはかぼちゃパンツ。そこから幼さを覚えるなと言われる方が難しいだろう。だが立ち振る舞いと顔立ちを見るに10代後半である事は間違いない。だが彼の目を引いたのは彼女が背負っていたリュックである。それは彼女の体格に不相応な程に詰め込まれ、パンパンに膨れ上がっていた。恐らく重さもそれ相応にあるだろう。にも関わらず、彼女は苦悶を浮かべるどころか鼻歌交じりにスキップしたり、その場でくるりと回って見せたりと随分と楽しそうである。その奇怪な明るさが彼の目を引いたのだ。
「……あっ」
彼女はその視線に気づくと、頬を赤らめその場で縮こまってしまった。誰も見ていないとでも思っていたのだろう。顔中を紅潮させ、視線をそらすその様は例えるなら思春期の一時を共に過ごしたノートを朗読された時のそれだろう。荷物を置くと、その場で深呼吸を繰り返す。数秒経った後、視線を手繰るようにゆっくりと振り返る。彼は未だに彼女を見つめている。
「えーっと……」
足元に置いてあったリュックをそっと横にずらすと恥ずかしそうに頭をかきながら再び目を逸らした。それを見た彼もまるで油が切れた歯車の様に、ぎこちなく視線を前方へと戻す。気まずい空気が、時と共に彼らの間を流れていく。
「そ、その!」
先に沈黙を破ったのは彼女だった。いや――
もっと正確に言えば、沈黙を破ったのはやかましく炸裂し続ける火薬の音、空を切り肉を貫く無数の鉛玉の音、そして彼女の四肢から飛び散り落ちる血液の音だった。それに遅れて彼女の体が糸の切れた操り人形の様に地面へと伏すと、紅い水たまりが彼女を取り囲んでいく。それはあまりにも突然で、あまりにも残酷であり、彼はただその様子を見つめ、自らの目を疑うことしかできなかった。しばらくすると、彼女の背後にあった公園の茂みから3人の男が姿を現した。それを見た彼は直ぐに建物の影へと身を隠す。こなれた様子で隊列を組み、かつて彼女であったモノを囲みながら周囲を確認する。一人はハンドガンをホルスターに仕舞うと、遺体の首筋に手を当てながら彼女が無力化したことを報告し、彼女が背負っていたリュックの中身を漁り始めた。もう一人は構えていたアサルトライフルを下ろしながら後方の安全を報告し、引き続き警戒にあたった。彼らの立ち振る舞いはさながら訓練を受けた傭兵の様に思えた。しかし、リュックの中からたった一つの缶詰を見つけ出しほくそ笑む様はどう見ても追い剥ぎのそれだ。だが軍用の防弾チョッキにヘルメットを装備し、この世界では最早貴重品に近い銃火器をたった一人の少女に惜しげもなく撃ち放てる程に、追い剥ぎというのは余裕を出せる物なのだろうか。
「久しぶりのトレーダーだな、しばらくは楽できそうだ」
トレーダーとは、各地を回り物々交換する事によって生計を立てる者たちの通称である。だが、この世界では物を持ちながら移動するという事はそれだけ他人から狙われる事を意味する。彼女の様に、突然襲われ命を落としかねない危険を常にはらんでいるのだ。建物の影に身を潜めていた彼はただただ、様子をうかがいながら下唇をかむ事しかできなかった。しかし、実のところ彼は決して弱者などではなく、ましてや人の命を見捨てて自分だけ逃げおおせようと考える卑怯者などでもない。彼には彼なりの事情があるのだ。彼の「正義」を躊躇わせる程の事情が。
「いけねぇなぁ嬢ちゃん、こんなところで荷物を落としちまってよ」
「荷物? 命の間違いだろ?」
「ちげぇねぇや」
そんな彼を他所に、彼女の遺体を足蹴にしながらリュックを漁り続ける兵士たち。蹴りに合わせて彼女の華奢な肉体が、意志を持たぬゴム人形の様にしなり、震え、ただ自然の法則に従って揺れ動く。
「恨むならなっ、こんな肥溜めみたいなっ、世界にした奴らをっ、恨みやがれっ!」
文節ごとに語気を強め、それに伴って蹴りも強まっていく。仕舞いには蹴り一つで彼女の体がごろりと裏返る程の力にまで達した。それを見ていた彼は明らかに憤っていた。呼吸が荒くなり、歯軋りが強くなっていき、その目には先程とはまるで別人のような怒りを宿していた。そして、彼の中で何かが止まる音が響く。
建物の影から漏れ出す異常な程の殺気。それを感じ取った老兵は、周囲の探索を始めた。構えているライフル等の装備やその年長者特有の貫禄から察するに、よほどの経験を積んだ人物だろう。一歩、二歩と少しずつ確実に、身を潜めつつもゆっくりと距離を詰める。歩を進める度に建物から少しずつ離れていく様に見えた。そうすることで死角からの不意討ちに最大限対処できるのだ。そして銃口を前方に構え、飛び出すように影へと身を乗り出した。
だが、そこには何も無かった。直ちに周囲を見渡し、状況を確認する。しかしどこを見ても人の姿は愚か、ネズミの一匹ですらも確認することは叶わなかった。肩透かしを食らった老兵は銃を下ろし、二人の元へと戻ろうと体をひねった。
「……っ!」
その時、鈍い音と共に老兵の背に付いた二つの刺し傷からつーっと血が滴り落ちる。その傷は徐々に熱を持ち、脈動する。それは体の持ち主へ、「表皮を異物に貫かれた」という事を静かに訴えていた。老兵は突然の出来事に混乱する脳内をどうにか手懐け、ゆっくりと後ろを振り返った。そこには「彼」がいた。どの様にして背後を取ったか、そして今までどこに隠れていたのかは到底見当もつかない。だが、彼は確かにそこに居るのだ。
一対一で背中を取られた時は最早それは死を意味するが、幸いにも老兵はたった一人でここにいるわけではない。連れてきた部下達が今まさにこの状況を目撃しているはずなのだ。……そのはずだが、辺りは妙に静かである。まるで彼と老兵以外誰も居ないのではと感じられる程に。不意に、老兵は勢いよく前を向いた。それはまるで脳内に浮かんだ最悪の状況を振り払うかのようだった。
現実は非情にも老兵が想定した「最悪の状況」を遥かに凌いでいた。辺りに広がる血の海。乱暴に奪われたサバイバルナイフはアサルトライフルの銃身をかち割り、元持ち主の喉仏を掻き切っていた。物事を写真に収めることを「時間を切り取る」といった表現をする事がある。ホルスターに収められたハンドガンを取り出そうとしていた右手首は、まるでそう表現するにふさわしい物だった。最も、こちらは時間というより右手首そのものを切り取られているのだが。そしてその右手首アタッチメントが付いたハンドガンは銃口を元持ち主の頭に向けた状態で硝煙を燻らせていた。どんなバカ野郎でもこの状況で援護もくそも無いのは、流石に見ればわかるだろう。
「……3秒、走馬燈を鑑賞する時間をくれてやる」
恨みと憎しみを背に地獄の底から這いずり出た様な、鈍く低い声が老兵の背後から耳を刺す。そもそも老兵は自らの背中を貫かれた時点で気付くべきだった。いくら剛力の持ち主だろうと防弾チョッキを貫くのには相当苦労するであろう事に。
「……2」
周りを確認するその僅かな時間に部下たちを惨殺し、自らの背後へと回った事に。そして老兵の背を刺した凶器が人差し指と中指である事に。
「……1」
そして、彼が「人間ではない何か」という事に。
「……ゼロ」
彼の声と共に老兵の身体中に青い閃光が迸った。とてつもなく高圧の電流に身を焦がされ、痛みを知る事も音を上げることも許されずに心臓を止めると、口から煙を吐き、白目を剥いて正面から倒れた。それに伴って彼の人差し指と中指は引き抜かれる。焦げついた血液が事の凄惨さをただひたすらに物語っていた。彼の憎悪が渦巻くその眼は、ただ冷徹にかつて老兵であった物を見下していた。
荒げた呼吸が整っていくのと共に、その眼もあの死に切った眼へと戻っていく。彼はそれに伴ってまるで落ちるように膝を折り、手を付いた。続いて周りを見渡し、自らが行ったことを改めて認識すると焦げ付いた血に塗れた右手を固く握りしめ、地面へと振り下ろした。
* * *
先程まで兵士が潜伏していた公園。縦長かつ人があおむけで入れるほどの深さを持つ穴を四つ、その内一つは他に比べて明らかに小さく見えた。そしてスコップを地面に刺した状態で膝立ちする男が一人。彼は右手に付着した老兵の血や衣服についた返り血などを一切意に介さずに、ただひたすら穴を掘っていた。そのスコップはトレーダーのリュックから拝借した物だ。彼の様子を見るに、どうやら彼は自身が押さえ込んでいた「正義」を、自分の意に反して執行してしまったのだろうか。後悔と自責の念を顔に滲ませていた。
しばらくすると、彼は不意に立ち上がった。そして兵士3人の亡骸をその穴へと運び入れると、上から土をかけて蓋をした。その上に、墓石か十字架の代わりだろうか、彼らが装備していた銃を突き刺す。二歩ほど下がると膝を折り、正座し、手を合わせて頭を下げた。
「あの、何してるんですか?」
不意に彼の背後から声が漏れた。
「……俺が殺しちまったんだ。性懲りもせず、また」
彼は振り向かず、祈りを捧げたまま答える。
「珍しいですね。みんな殺したら殺したでそのままなのに」
「せめて、せめて弔ってやりたかったんだ。奴らは少女をハチの巣にした挙句、足蹴にする様な3人だった。だがそれは俺が命を奪う免罪符にはならない」
「……優しいんですね」
「優しくなんかない。こんなの、ただ穴を掘って埋めただけでしかない……只の、偽善だ」
「ところで、この穴って私の分ですか?」
「……は?」
彼はその一言に違和感を覚え、即座に後ろを振りむいた。しかしそこには誰の姿も見当たらない。ついでに、先ほどまでそこにあったトレーダーの死体も見当たらない。
「うーん……」
今度は先程まで彼が祈りを捧げていた墓から声がした。おそるおそる首を前へと戻すとそこには――
「あの、その、私……こんなにちっちゃくないんですけど……」
穴に無理やり身をうずめつつ、不愉快そうに眉をひそめる血みどろの少女が居た。それを見た彼は露骨に驚愕の色を浮かべ、尻もちをつきつつも3歩ほど後ろへと下がった。それもそのはず、彼女は先程まで大量の血を流して地に伏せていたトレーダーそのものだったからだ。
「ちょ、ちょっと時間をくれ。まるで状況を処理できない……」
彼は右手で頭を抱えながら、先程とは打って変わって非情に弱々しい声でそう少女へと乞いた。それもその筈だ。彼女が体中を鉛玉に貫かれ、鮮血を流す様子を見てしまったら、もはや生きているとは少しも思えないだろう。それを見た少女も同様に困惑したが、程なくして彼がなぜ状況を飲み込めないかを理解すると穴から起き上がり、墓を背に体育座りしてこう説明した。
「驚かせちゃってごめんなさい。私、怪我がすぐに治る体質なんです」
それを耳にするなり、彼の困惑に満ちた表情は徐々に晴れていった。そしてゆっくりと立ち上がると、彼女の隣にまた腰を落ち着けた。
「そういう事か……まて。それにも限度という物があるだろう? 俺が見た限りあの時の嬢ちゃんは……」
そこまで話した途端に彼は言葉を濁し、再び右手で頭を抱えた。その様は入力過多によって一時的な処理落ちに見舞われたコンピューターとよく似ていた。
「……大丈夫ですか?」
「ああ? ああ、いや、大丈夫だ」
彼女が差し出した右手を避けるように彼は頭を振る。まるで何かを振り落とすように。彼女は少しばかりさみしそうな顔をするも、彼が先程までと同じ表情を取り戻したことを確認すると安堵したような柔和な表情を彼に向けた。
「トレーダーをしてるとよくあるんですよ、こういうの」
「あぁ、良く知っている。適当にほっつき回るだけで二日に一回はトレーダーの残骸を見かける」
「そうそう。命がいくつあっても足りないんです」
「自分は命が無限にあるから大丈夫、って事か」
「んー、そういう訳じゃないですね。痛い物は痛いですし」
「……理不尽だな」
「ええ、全くです」
彼女はそう言うと立ち上がってリュックを片手でひょいと拾い上げ、ステップを踏みながら慣れた様子で背負った。解れもつぎはぎもなくただ赤黒く染まった服が、彼女と共に舞い踊る。
「えっと、おなか空いてません? もしよければ私の家に来ませんか?」
そして不意に彼女はそう言った。彼にとってその発言は何の脈絡もないように見えた。だが、墓を背に申し訳なさそうにしている彼女を見て、最大限気を遣った結果だという事を察した。
* * *
相も変わらず変わり映えのないアスファルトの上を、鼻歌交じりの少女とやつれた壮年が並んで歩いている。言葉で説明すると非常に滑稽な状況に思えるかもしれないが、実際間違いなく滑稽である。そんな中、彼は――
「……俺は『タック』。嬢ちゃんは?」
――いや、タックはそう話を切り出した。幸いにも彼らにはきちんとした名前がある。文化が廃れ人情というものが一切合切無くなったところで、こういった基本的な表現は案外しぶとく受け継がれていくものである。最も、それを受け継げるなら「人に向かって銃を撃たない」と言った基本的な事も受け継いで欲しかったものだが。
「んぇ、私ですか? 私は……『ばけ』とでも呼んでください」
鼻歌につられるように返事をすると、彼女――いや、ばけもまた自分自身の名前を口にするのだった。
「まるで本意じゃなさそうな言い方だな」
「本意じゃないと言うか……わからないんです。記憶が無くて。でも、みんな私を見て『ばけもの』って口を揃えて言うんですよね。だからそれが名前なんじゃないかなーって」
ばけなりの皮肉なのだろうか。だが彼女は一片の淀みも無く純粋に語らう。ばけの辞書には、「皮肉」という単語自体存在するかどうかも怪しい。というかそもそも「ばけもの」という単語すら存在しないのではないか。もしそうなら、これからもできる限りそのままでいて欲しいと彼は心の底から願った。
「私が起きた時には、周りは廃墟だったんです。何かの研究施設だったんだと思うんですけど、殆ど何も無かったんですよね。記憶もそうですし所持品だって。この服だって無かったんですから色々と大変だったんですよ?」
「大変なのは理解するが服の下りは俺に話すような事なのか?」
「瓦礫をちぎっては投げ、ちぎっては投げ。そんなこんなでようやく見つけた一張羅なんですから少しぐらい自慢させてください」
ばけはやたら愉快そうに自らの境遇を説明した。もちろんこの時代で一人だけで生きていくには、相当の苦労を強いられることとなる。彼女とて例外ではなく、話の節々から狂気じみた物を垣間見ることが出来た。それでも彼女は顔を歪ませること無く無邪気に語らう。それに加え、彼女の特異な体質によって更に彼女は孤独を深めていた事は想像に難くない。だがそれでも彼女は満面の笑みで楽しそうに語らう。それが人間の防衛本能によって感情を押し殺しているのか、それともただ単純に話し相手が見つかったという喜びからなのかはわからない。と言うより、彼には「理解しようがない」のだ。
「――それでマイケルのお尻が二つに割れたんです……って聞いてますか?」
「あぁ、半分ぐらいは」
ばけの話を適当にあしらうタックであったが、何も無視しようとして無視していたわけではない。彼は今、先程彼女に弾幕を浴びせ、そして自らが葬った輩の事を延々と巡らせていた。タックには彼らの装備に覚えがあった。彼はできればそれを自らの奥底に封じ込めて起きたかったのだろう。だが――
「……そういえば、最近ここら辺に『アード』の拠点ができちゃったみたいなんですよね」
ばけの無邪気で悪意のない言の葉に、否応なしに彼はその存在を思い出さざるを得なくなった。「アード」というたった三文字に思わず苦虫を噛みつぶしたような顔を浮かべる。
「えっと、アードは元々先の大戦でドロイドたちに抵抗するために作られた軍事組織なんです」
そんな彼の様子を見てアードを知らないと勘違いしたのか、ばけは丁寧に説明し始めた。彼らは激化するドロイドの襲撃や他国の強襲、そしてテロ活動に備えるために、大戦の早期に発足した民兵と正規兵のかき集めである。そして戦いが終わった後に最も分かりやすく腐っていった組織でもある。今や自らが作った死体で死体漁りを繰り返す、マッチポンプスカベンジャーでしかない。
だがタックも全てにおいて無知という訳ではない。アードが元々対ドロイド用として活動していた事、メンバーの皆が自分の仕事に誇りを持っていた事、今やその誇りであったエンブレムを雑に引っぺがす程に落ちぶれた事……少なくとも彼女よりかは圧倒的に知識があると断言できた。しかし、彼はそれを喜々として語ろうとすることはなかった。元より自身の事について話したがるような性格ではないというのも大きいのだが、それよりも自らの過去をどうしても認めるまいといった、利己的で自己防衛に特化した選択を彼が進んで採っているからに他ならないのである。
しばらくすると、不意に彼女は足を止めた。それにつられるように彼は足を止めると顔を上げた。
「ここが私の家です」
ふんすと鼻を鳴らし誇らしげに語らうばけ、だが目の前にあるのは只の瓦礫の山だった。戦後、瓦礫の山は珍しくもなんともない程には散見されるようになった。整備も維持も怠り衛生面の意識も著しく欠如した現代の人間たちには、この程度は雑草と同じような扱いなのだ。木を隠すなら森の中、物資を隠すなら物資の中というようにトレーダーにとってはある意味理に適った居住地である。彼女は瓦礫の中からドアノブらしきパーツを探り出し、それを思いっきり引っ張って埋もれていた扉を開けた。それと同時にドアノブは文字通り粉々に砕け散ったが、扉が開いたのだから何ら問題はない。
そんな豪快な開錠にタックはあっけにとられていた。その場で固まっているタックをみたばけは彼を招き入れようと手を引いた。
「……!」
何かに気付いたばけ。慌ててタックは彼女の手を振り払うも時すでに遅し。
「もしかして……タックさん」
……ドロイド、なんですか?
嫌な静寂が二人を取り囲んだ。
ヒトモドキ ゆうしゃアシスタント @yuusyaasisutanto
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