ミチルとバーで、山小屋について

なまのーと

ミチルとバーで、山小屋について

 僕は昨日もへべれけになるまで酔っ払ってしまったんだ。昨日も、というより、ここのところ毎日のことだけど。僕はこのところ、大学に行くことをすっぱりとやめてしまっていた。なにか明確な理由を持って行かない訳ではなくて、ただなんとなく、行かなくなった。「だるいから」って理由が最も的確かもしれない。なんだか本当、『今どきの若者風』、な理由だ。正直そんな自分に、僕は心底辟易してる。今だって新宿の、ただ酒が安いってことだけを売りにしているようなバーで、同じゼミの(若しくは同じゼミ、だった)ミチルと二人で酒を飲み交わしている。昨日は朝の五時過ぎまで、どこの誰かもわからない女と二人で飲んで(記憶が曖昧なんだけど、たぶん道端でナンパでもして引っ掛けた女だ)、始発で下北沢のアパートまで帰って、シャワーだけ浴びてそのまま寝た。起きたのは夕方の十六時で(隣に女は居なかった。この手の展開になると、六割方は居るものだけど)、寝ぼけ眼なままにスマホの通知を見ると、ミチルから、今日飲もうか、って連絡が来てたった訳だ。僕は了承の返信を送ると、そのまま、顔を洗って、歯を磨いて、着替えるとアパートを出た。そして今が十八時。起きている間は常に酒を飲んでるって生活なんだ。本当、こんな生活、自分でも嫌になる。だって、この今の日々に、なんの生産性や意味を見出せないんだ。もし僕が、ただ今が楽しければいいって考えの、そこらへんにいくらでもいるような馬鹿みたいな大学生だっていうのなら別だよ。でも僕は少なくともそんな奴らとは違う。でもそう思いながらも、もう二週間も酒浸りで学校になんか行っていない僕なんだ。落ち込むよ、やっぱり、こんな自分に。でも、酒を飲んでいると、その落ち込みも、泥水を濾過するように消えていく。そして濾過された水がまた濁ってくれば、また酒を飲んで濾過していくんだ。本当、最低な好循環だ。

「もうどれくらいになるっけ、お前が大学に来なくなくなってから」ミチルが言う。

「二週間くらいかな。正直もう、このままやめちゃおうかと思ってる。意義を感じないんだ、大学に毎日通うっていうことに対して。実際この一年で僕が何を学んだって、学生の奴らはみんな、学ぶ気なんてこれっぽっちもないんだってこと。ただ、陳腐なキャンパスライフってものをそれぞれ楽しんで、卒業さえ出来れば良いって連中しかいないってこと。そのまま何処かの企業にでも就職出来ればいいって、ただそんな奴らしか大学ってものにはいないってことだ。正直さ、馬鹿らしくなるよ。だってさ。本来大学ってものは、あらゆる学問を突き詰めていく場所でなくちゃいけないはずだろ? まともな研究をしてる奴なんて、あの大学の学生の何パーセントだと思う? 僕は正直、二パーセントもいればいいとこだと思うね。それ以外は、同じ空間にいるだけで、道連れ式に自分の学生としての地位を果てしなく没落させられちゃうような、どうしようもない連中だよ。そう思わない?」

 ミチルはボックスの煙草の蓋を開けると、摘み、咥えた。そして百円ライターで火を付ける。

「それはそうかもな。ただイズミ、そういうお前は、どれほど高尚な研究をしてるっていうんだ? 少なくとも俺は、お前が何かについて、それこそ、お前の言う学生論的に研究してる、その素振りすら見たことがないぜ。それについてはどう思ってる? そして、俺はお前と違って、そういう連中はあまり嫌いじゃあないな、実際。いいじゃないか、大学は、俗にいうところの青春、若しくは、モラトリアム的なその猶予ってものを楽しんで、それぞれの場所に落ち着いていく、それは、彼らが望んだ、もしくは彼らの進むべき、適所であると思わないか?」

 僕もテーブルに置かれた煙草を手に、ミチルのライターで火を付けた(自分のライターはどっかにいっちゃったんだ。店に着く前に一度道端で一本吸ったから、忘れたってわけじゃないはずなんだけど)。

「研究だって? そんなものするもんか。僕が言いたいのは、自分も含め、大学生が本来すべきことを成していないってことにうんざりしてるって話だ。彼らに対する論調については、勿論そうだと思うよ。そういう類いの奴らは、そういう類いの人生を歩んでいく。別にそれが悪いことだとも僕は思わない。むしろ、現代社会を、いや、この国での現代社会を、かな。生きていくうえで、彼らは僕なんかよりもずっと優秀であって優位な存在だ。言わずもがな、だけど。でもさ、そんな彼らと同じキャンパスで過ごす自分っていうものに、時々、どうしても耐えられなくなる。それは、彼らを嫌悪しているわけじゃなくて、たぶん、彼らの今後の行く末、そういう諸々を含めた上での、その全てに対する嫌悪なんだ。ああ、ここまで話してふと思ったよ。きっと俺は、俗に言う、ただの社会不適合者ってやつなのかもしれない」

「社会不適合者か、本当、通俗な理由だな」ミチルは、ふっ、と笑った。

「まだ社会に出たこともないのにな。そんなものは、実際に社会に出てみないとわからないものだろう、きっと。もしさ、お前が社会人、例えばどこかで会社員になんかになったとするだろ? そうすると今のお前の解釈と憂いは、ただの杞憂に終わるかもしれない。あの時の俺は、ただ捻くれて物事を考えていただけだったんだな、ってな。つまり、俺は今のお前のその、同じキャンパスに通う学生に対する嫌悪だとか、それらには甚だ疑問を感じざるを得ないなってこと。正直、俺にはただの捻くれ者、もしくは、斜に構えた、プライドだけは人一倍高いだけの、お前の言う、そこらへんの下らない連中と変わらないって思う。むしろ、お前の方がその連中なんかよりも、よっぽどたちが悪いとすら思うな」

 僕は、洗い流した後のグラスを拭く店員に、自分とミチルの分のラム・コークを注文すると、煙草の煙を天井に向け吐き出す。

「ミチルって、普段こそ馬鹿そうに見えて、それなりに、鋭く突くもんだな、やっぱり。ただ、そのお前の考えについては、僕は否定をしなくちゃいけない。まず、僕は死んでもどこかの会社員なんてものにはならない。こういうこと、それこそ僕が嫌悪する、下らない馬鹿な連中が考えていそうなことで、あんまり言いたくはないけど、人生、一度っきり、だぜ? 僕には、どう頑張っても無理だ。一会社員として、一生を終えるなんてさ。なかには社会での経験を元に起業する、なんて奴もいるかもしれない。どちらにせよ、社会ってものに身を置きたくないんだ、僕は。そんなもの、実際に自身が社会に身を置いてみないとわからないって言うんだろうな、ミチルはきっと。でも、それはあり得ない。だって言うならば、大学だって社会だ。更に言うのなら、社会性を自覚すると言う面で言えば、小学生の高学年くらいから、僕たちはもう社会に身を投じてるんだ。その、今までの経験を元に、僕は確固とした、一種の信念みたいなものが、固定観念のように根付いてるんだ」

「つまりだよ」店員がラム・コークを二つカウンターテーブルに置くと、空になった二つのグラスを下げた。

「お前はその、小学生の高学年くらいから、社会に嫌気が差してたってことになるけど、そういうことか?」

 僕はラム・コークを一口だけ飲んだ。

「その通りだよ。僕は昔から、社会的なものが大嫌いだ。社会的なものって言い方をすると、大義なものになっちゃうな。例えば、誰かが誰かのことが好き、だとか、逆に嫌いだとか、この人には気を使わないといけない、つまり、気を使わないと、それこそ社会的に不味い立場になる、とか。自分の行動に伴う責任、だとか。自分が好意を持つ相手に嫌われたくない、だとか、社会性を持つ人間であれば持っていなければいけないものを、僕は持ち合わせていたくないんだ。きっと誰もがそう思っているはずだけど、我慢が効くレベルなんだ、きっと。少なくとも、僕は我慢出来ない。まだ学生な癖をして、なんて言われるかもしれない。でも僕からしたら、大学生まで、この二週間、大学に通わなくなる前まで、よく持ったとすら思ってる。本当に、疲れちゃったし、心底うんざりしちゃってるんだよ、もう」

 僕の話している間に、ミチルはグラスを、半分ほども空けていた。

「お前がそうであるとして、これからどうするつもりなんだ? もう二度と大学には顔を出さない? 現実的なことを言えば、それで今後、どうやって生活をしていくつもりだ? 言ってしまえば、お前の家は割と裕福なはずだ。いわゆる、ニートってやつにでもなるつもりか? まあ、俺は特段、その類のものを悪くいうつもりはない。むしろ、実家が、比較的貧しい部類に入るだろう俺からすれば、羨ましいとすら思うくらいの一派だからな」

 僕はかぶりを振った。

「ミチルはやっぱり、まだ勘違いしているよ。というより、本質がわかってない。これは、ミチルだからこそ言うんだ、それはわかってくれよ。それはつまり、家族のなかに閉じこもるっていう、そういうことだろう? 僕からしてみれば、家族間のコミュニティだって、社会と同義なんだ。つまり、さっき僕が話したことは全て、家族間の関係についても当てはまるってこと。僕が社会から身を引きたいと思うということは、家族からも離れてしまいたい、っていうことなんだよ」

 ミチルは顎を人差し指と親指で摘むと、少し考えた。僕のラム・コークはまだ八割も残っていたから、彼は自分の分のマティーニだけを頼んだ。

「お前の言うことがそっくりそのまま事実であるとして、今こうして俺と飲んでいることはどうなる? 二人きりであったとしても、十分な社会性を持っていると俺は思うけどね。そこまで社会ってものを嫌悪しているのなら、今日の俺の誘いにだって乗ってこないはずじゃないか? つまり俺は、お前が本当の意味で社会性を失おうとしているようには、到底思えないってこと」

 僕は肺に溜めた煙草の煙を吐いた。

「それに関しては、僕ははっきりとノーと言える。僕はただ、恒久的に社会と関わるのが嫌なだけなんだ。つまり、一過性の、いっときの、自分の気が向いたときにだけ、自分が会いたいと思う人と会うことについては、僕の言う社会性の定義には当てはまらないんだ。これはきっと、僕だけが持つ特有の観念ではないはずだから、なんとなくミチルにもわかると思うんだけど」

 ミチルは、「なるほどねえ」と小さく呟くと、咥内に溜めた煙草の煙を吐いた。

「それで、お前はこれからどうするつもりなんだ? 大学も辞めて、家にも帰らない。お前の話を聞く限り、勿論、アルバイトだってしないだろう。どうやって生活をしていく? そして、なにを目的として……」

 僕はグラスから口を離すと、割って入った。

「目的ってなんだ? もしかして、人生の目的って意味か? そうだとして聞くけど、ミチル、お前の人生の指針、目的ってものがあるのなら、聞いてみたいね。そんなもの、きっと誰にだってありはしないだろう。そりゃあ、目先の目標ってものならあるかもしれない。勤めた会社で出世して、資産を増やしていきたい、だとか、麻布やら青葉台やら、とんだエセな、成金風情が暮らしているような高級住宅街に住んでみたい、だとか、結婚して子供を作って、昼下がりの公園の芝生になんか座って、自分の子供を含めた、たくさんの子供たちが走り回っている光景を、陽光の下眺めていたい、だとか、その類のものならね。でも、人生そのものの目的、なんか、無神論者である僕なら尚更、その影すら見えやしない。ああ、それと、どうやって生活をしていくかって? お前が言うように、アルバイトなんてものはもってのほかだ。大学を辞めればアパートの賃料だって、両親は払ってくれなくなるだろう。そのときは、簡単な話だよ、何処か遠くの田舎町にでも行って、そうだな、山奥に自分で小屋を建てるんだ。そして、そこで自給自足の生活をしていく。それは決して、不可能なことではないよ」

 ミチルは、ハッと笑った。

「もしお前がそれを本気で言っているのなら、大した虚者だよ。昨日の酒がまだ残ってるのか? 意地を張った子供みたいなことを言うのはよしてくれ。大人なら大人らしく、もっと分別のついた話をしてもらいたいものだな。今までの話はまだ良いとして、山奥に小屋を建てるって? なんだか、聞いてるこっちまで気が変になりそうだ。おい、イズミ、今日のお前、本当におかしいぞ? どうしたっていうんだよ、本当に」

 ミチルはそう言うけど、べつに僕は頭が変になったわけでもなんでもない。今話したことは、ここ最近の僕がずっと考えていたことなんだ。正直、どうして彼がここまで僕の意見に対して否定的なのか、本当にわからないんだ。僕は今日、このバーカウンターの席について以来、ずっとまともなことしか話していないつもりだ。むしろ、今日は何故だか、今まで考えていたことを、自分でも驚くほどに、素直に彼に話せているとも思ってる。そしてそれが、これからの僕の人生の転機に成る程じゃないか、とすら思ってるんだ。今の僕は、どこまでも素直だ。そして、今彼に話している全ては、どこまでも本当の僕の言葉だ。

「僕が今言っていることって、ミチルが言うほど、そんなに変なことかい?」僕は聞いた。

「当たり前だろう。現実的に考えればわかるはずだ。お前だって馬鹿じゃないだろう? むしろそこらへんの大学生なんかより、よっぽど優秀な頭をしているはずだ。お前の口から今みたいな言葉が出てくるなんて。おい、どうしちまったんだよ、本当に」

 僕は煙草を吹かし、カウンター奥に並べられたウイスキーのラベルを、焦点を合わせずに眺めながら少し考えた。そして、まだ半分しか吸っていない煙草の火を消した。

「本当、きっと今の僕は、どこまでも辟易しちゃっているんだろうな。今の自分の考えを、やっぱりどこもおかしいとは思えない。むしろこの上ない、自分の人生に対する、最高の施策であるとすら思ってる。もし僕が実際にそんな暮らしを始めたなら、ミチルは勿論、気の合う奴らなんかには、ときどき遊びに来て欲しい、なんてことすら考えてるんだ。その光景を思い浮かべると、そんなに素晴らしいことはないって、本気でそう思えるんだ」

 ミチルは溜息と一緒に煙を吐いた。

「俺はとにかく、明日になったらまた、まともなイズミに戻ってくれることを祈ってるよ。あの哲学者、名前はなんていったっけ? お前の好きな。ああ、サルトルだ。彼の新訳書なんかについて、こっちがうんざりしちゃうくらいに、嬉々と話すようなお前にさ」

 僕は、今まで気にも留めてなかった隣の奥の席を見た。深い紺色にグレーのストライプが入ったスーツを着た、恐らく三十代であろう男と、同じく三十代か、二十代後半であろう女が、静かに笑い合っている。僕は自身のグラスが空であることに気付くと、店員にマティーニを頼んだ。続けてミチルも店員に、僕も同じものを、とマティーニを頼んだ。

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