最終話 眠れる茨の城

 エゼルバルドの睡眠時間が急激に長くなり始めた。夕方に眠っても翌日の昼まで起きられない。近くの町から医術師を呼んで診察を受けても、理由は判明しなかった。


 神経を興奮させる効果がある薬草を煎じて飲ませると、短時間はすっきりと起きていられても徐々にその効果も薄くなってきた。


 高名な医術師に診てもらえるように城へと戻る手配を始めた時、ジェイクが私たちの前に跪いた。


「エゼルバルド様の病の原因が判明しました」

「原因は何だ?」

「魔女の呪いが完全に消えていないのが原因です。呪いが残っていることを言葉で説明するのは難しいので、その証拠を見て頂けないでしょうか」

 静かに微笑むジェイクに案内されて、エゼルバルドと塔の中の隠し部屋と向かった。


 光量が落とされた薄暗い部屋に入ると突然明るくなって、部屋の中いっぱいに複雑な魔法陣が炭か何かで描かれているのがわかった。

「あの日、こんなものは無かったが……これが証拠なのか?」

 エゼルバルドの問いにジェイクが楽し気に笑い出した。


「嘘です。すべて嘘。エゼルバルド様、貴方はどこまで甘いのでしょうね。……というより馬鹿だ。僕の母は五年前に死んでいるし、明らかに偽物の魔術誓約書を確認しようともせず、僕を信じるなんて」

 ジェイクはポケットから折り畳まれた書類を取り出して魔法で燃やしてしまった。


「何をするつもりだ?」

 エゼルバルドは私を背に庇う。扉に向かうにはジェイクの横を通らなければならない。私は小さな結界を張って、他に出口がなかったか魔女の夢の記憶をたどる。


「昔々ライトゥーナの王子と巫女は、自分たちを滅ぼしたローディア国に命を引き換えにした呪いを掛けました。その呪いは最初に王の体に異常を起こし、王の魔術師たちがどうやっても解けなかったので王は国中に助けを求めた。そこで応じたのが最初の生贄の魔女です。王子は純粋にその魔力量で選ばれた。当時、王子は五人いました。王にしてみれば、一人くらい犠牲にしてもよかったのでしょう。それは王子の回顧録に書かれていました。王子は魔女を愛し、幸せに生きて死んでいったようです」


「一方、生贄の魔女は死んだ後も自分自身の精神を犠牲にして呪いを封じ込めていました。……そう。あの日記は僕が作った偽物。魔女の日記は一冊も見つけられませんでした。恐らくは自らが死ねば消失するように魔法を掛けていたのでしょう。ミサキが違うと言ったので焦りましたよ。……僕が見つけたのは魔女の料理研究書。魔術師や魔女はその研究成果を簡単に他者が利用しないように偽装します。その本には様々な魔法薬と呪いを封じ込めた方法が隠されていた」


「僕が反対すれば、貴方は躍起になって解呪を実行するだろうと思っていました。多少の不自然さもすべて都合よく理由を付けるだろうと分かっていました。長い付き合いですからね」


 ジェイクはその空色の頭を楽し気に揺らしながら狭い室内を歩き回っている。高揚しているのだろう。時々、大声で笑う。


「僕は妹を女として見ていた。そのうち妹に手を出してしまいそうで怖かったから、魔術師の道ではなく、王子の側近を選んで物理的に距離を置いた。……幸せになって欲しいと思っていたら死んでしまったんだ。僕は妹から離れるべきじゃなかった!」


 ジェイクは突然壁を殴りつけた。加減のない殴打で、その拳から血が流れていくのに顔色を変えることもない。


「エゼルバルド……貴方は僕の光でした。僕は貴方になりたかった。多くの人から慕われ、毅然とした姿にあこがれていました。それなのに貴方はあの女を選んだ。あの女は腐った華だ。人を人とも思わない、自らの娯楽のために人を玩具のように弄んで壊す」


 『あの女』が誰を指すのかはすぐにわかった。先日訪れたベアトリクスのことだ。


「僕の妹はあの女に殺されました。妹の幼馴染、将来の約束をしていた騎士見習いを誘惑して心変わりさせた。上手い手ですよ。思わせぶりな態度だけで他人の男の心を奪う。捨てられた妹は絶望して命を絶ちました。直接手を下した訳じゃないから咎めることもできない」


「妹を捨てた男を殺し、あの女も殺そうと思っていたのに貴方は婚約した。貴方が選んだのだから仕方がないと反対する言葉を飲み込みました。僕の胸中は複雑でした。妹を殺した女と貴方が並び立つ姿に苛立ち、何度となく婚約破棄へと導きましたが、あの女は狡猾で貴方は男女関係においては愚鈍だった」


 ジェイクがふらりと壁に近づいて、拳から流れる血で自らの名前を魔法陣に書き足した。


「生贄の魔女は死んでもこの世界に留まって呪いを抑えることを選んだ。ミサキ、この世界では人が死んだ後、女神の世界に行って永遠に幸せに暮らすと言われてる。魔女はその永遠の幸せを捨てたんだ。王子は死んで女神の世界に行ったけど、魔女はこの世界に残った」


「ミサキはどう思う? 生きている短い時間の間だけ幸せで、死んだ後は一人寂しく取り残される。永遠に、だ。可哀想だと思うだろう?」


 ジェイクは私に話し掛けているようで、そうではなかった。私の答えなんて聞くつもりもないのだろう。滔々とうとうと独白を続けていく。


 この人は狂っている。不安と恐怖に震える私をエゼルバルドが抱きしめた。


「僕は可哀想な魔女を救った。清浄であるべき祭壇を穢して魔女の魔法を破壊して解放したんだ」

 ジェイクの楽し気な笑いが部屋に響く。


 ぴたりと笑いを止めたジェイクが私の方を向いた。

「ミサキ、僕が死ぬのは君のせいだよ。この国が滅ぶのも」


「何をするつもりだ!?」

 エゼルバルドの声にジェイクが反応した。ゆっくりとジェイクはエゼルバルドに視線を移す。


「少し前から、生贄の魔女が命がけで止めていた呪いを再起動してる。すでに最終段階。あとは僕の全ての魔力を供給するだけだ。貴方の魔力程度では止められないよ。……ミサキが僕を選んでくれたら、こんなことにはならなかったのに」


 ジェイクは視線を再び私に移し、その橙色の瞳が優しく細められた。――違う。ジェイクは私を見てはいない。私を通して妹の姿を見ているだけ。きっと私がジェイクを選んでいたとしても、遅かれ早かれ妹の敵討ちは行われていただろう。


「さよなら、ミサキ」


 綺麗な笑みを浮かべたジェイクの頭が、空色の軌跡を描いて床に落ちた。

 頭を失った首から血がまき散らされて私が張った結界の壁を流れ落ちていく。ふらふらと歩いた体がぱたりと倒れた。


 私もエゼルバルドも目を逸らすことができなかった。


 床に流れていたおびただしい量の鮮血が赤黒く変色し、魔法陣に吸い込まれた。


 血を吸った魔法陣から無数の小さな黒い手が現れて、床に転がるジェイクの頭と体をむしっていく。まるでアリに集られた砂糖菓子のように十数秒で遺体が消え去った。


 魔法陣が不気味に鳴動し黒い光を帯び、祭壇の上に手を繋いだ男女の立体映像が浮かび上がる。

 男は長い金色の髪に茶色の瞳。幾何学模様が織り込まれた紺色の上着に黒いズボンにブーツ。女は長い黒髪に赤の瞳。白い上着に白いスカート。二人の服装はどこか和風の雰囲気を漂わせている。


『ようやく我らの祈りが叶う』

 男が口を開いた。


「誰だ?」

『彼はライトゥーナの最後の王子。私はライトゥーナの巫女』

 エゼルバルドの問いに女性が答えた。


『ローディア王に復讐する為に呪詛を行ったが、一人の魔女に阻止された。もはや魔女の枷はなく、この五百年で削られた魔力は補給された』


 男の声と同時に、エゼルバルドの腕の力が抜けた。

「エゼルバルド!?」

 咄嗟に倒れかかってきた体を支えようとしても、支えきれずに床に座り込む。


「……ミサキ……」

「貴方たちは、この国全てを滅ぼすつもりなの?」

 私は二人に問いかけた。魔女が封じていた呪いは、国土全てが荒廃し国民すべてが子を成せず、全ての作物が実らないというものだったはずだ。


『どう伝わっているのかは知らないが、ローディア王個人に対する呪詛だ。国民を巻き込むつもりはない。その男は王の代わりに永遠の眠りについてもらう』

 男が答えると同時に、初代の王は呪いが国と国民に向けられていると嘘を吐いて、魔女と王子を自分の身代わりにしたと私は理解した。これはきっと魔女の記憶。


「待って! 貴方達の国を滅ぼしたのは、彼じゃないわ!」

『王の血が流れているだろう? 私たちは血を断たれた』

 男の声は静かで、その決意は揺るがないことを示している。


「じゃあ、お願い! 私にも呪いを分けて! 私も一緒に呪って! 一人になるなんて嫌よ!」

 私はエゼルバルドを抱きしめながら、二人に願った。


「……駄目だ。ミサキは自由になればいい。……悪かった。俺の浅慮でジェイクの罠にかかってしまった。……少しでも冷静に考えればわかることだった。……約束を守れなくてすまない……逃げてくれ……」

 エゼルバルドの目が抗いながらも閉じていく。諦めにも似た溜息を聞いて、絶望に震える。


「どうして謝るのよ! 目を閉じないで! 嫌よ! 一人にしないで!」

「……ミサキ……」

 私は震える腕でエゼルバルドを抱きしめることしかできない。心の中で魔女に助けを求めても、何も返ってこない。


『……貴女にも呪いを分けます。王子は永遠の眠りにつきますが、三年に一度、一カ月だけ目が覚めるよう呪いの一部を書き換えました。私が介入できるのはこれが精一杯です』

 巫女が指先で空中に白く光る五芒星を描くと、私の胸に白い羽根が舞い降りて溶けるように消えた。


「ありがとう」

 巫女の赤い瞳は憐れみに満ち、私の感謝の言葉で視線を逸らした。

 三年に一度、エゼルバルドに会える。それだけでも良かった。


『礼は不要だ。本当にいいのか?』

「ええ。私は彼と一緒に居られるなら、呪いでも何でも受けるわ。貴方達も同じでしょう?」

 現れた時から二人はずっと手を繋いでいる。きっと愛し合っている二人なら、私の気持ちも理解してくれるはず。


「……ミサキ……何て馬鹿なことを……」

「馬鹿だもの。仕方ないでしょ」

 私は精一杯の笑顔をエゼルバルドに向けた。


『時間切れだ。我らの祈りは成就する』

 男の静かな宣言と同時に、エゼルバルドは完全に眠りに落ちた。


 魔法陣の光も二人の姿も消えてしまって、魔法灯の灯りだけが部屋を照らしていた。眠るエゼルバルドを床に横たえると黒い石像に変化した。


「私は一緒に眠れないのね」

 呟いてみても石像になったエゼルバルドは答えてはくれない。

 そっと胸に耳を付けてみても、心臓の音も聞こえない。


 途方に暮れていると、私の足元に黒い魔法陣が現れて、一瞬で私だけが塔の外に転移した。


「え? 外?」

 塔から爆発音がして、大量の黒い茨が中から溢れ出してきた。茨は中庭を這い、城の内部にも入り込んでいく。


 使用人たちが慌ただしく門の外へと逃げていく中、いつも竪琴を聞かせてくれていた使用人が私の腕を掴んだ。


「王子は?」

「王の身代わりで真の呪いを受けました。あの塔の中です」

「とりあえず逃げましょう。馬で町まで出ます」


 使用人は王の間諜だった。城が見える高台の宿屋に宿泊して様子を見ていると、三日で黒い要塞のような城は茨に全て覆われた。


 私は王の間諜に顛末のほとんどを話し、私自身も呪いに掛かっていることを告げた。ずるい話だけれど、この世界で女一人で生きていけるとは思えない。私が王によって保護されるように話を少しだけ作り替えた。


 間諜は王へと報告を上げ、私は城の近くの森に小さな住居を与えられて、周囲を兵士が護るという監視下での生活が始まった。呪われた魔女として完全に隔離された生活でも、使用人も誰もいないので気楽ではあった。生活に必要な品は間諜が定期的に届けてくれるから心配ない。


 真の呪いが解き放たれた直後、この国の魔術師は全員が外国へと逃げていた。それほどまでに、この呪いは恐ろしいものらしく、王が外国の魔術師を呼んでも誰も解呪に応じない。


 私が魔術師たちに手紙を書いても、関わり合いになりたくないという返事しか戻ってこなかった。


 誰にも相談できないまま呪詛を解く為の本を読み、小さな庭で育てた薬草で魔法薬を作っては貴族たちに納品して稼いだ。忙しく生活していると三年が過ぎるのは、あっという間のことだった。


     ■


 三年が過ぎ、城を覆っていた茨が徐々に姿を消していくのを、私は少し楽しみに眺めていた。目覚める日の朝、兵に守られた馬車で門の前まで送られた。


 城の内部は三年前と一切変わっていなかった。雪壁が溶けて春になる直前。もうすぐ中庭には、あのシロツメクサに似た白い花が咲くだろう。


 一人で塔に入って、隠し部屋の扉を開けた。三年ぶりに訪れた部屋の壁は真っ白に戻っていて、床には黒い石像になったエゼルバルドが眠っている。何も変わっていないことに、私は奇妙な安堵感と満足感を覚えた。


 横たわる黒い石像を撫でていると、白い光に包まれて一瞬で生身に戻った。

「……ミサキ」

「おはよう。気分はどう?」

 泣き出しそうなエゼルバルドの表情に、私も泣きそうになりつつも堪えて笑う。


「おはよう……良かった……会えて嬉しい」

 抱きしめる腕は強く、三年間眠っていたとは思えない。


 エゼルバルドの眠りは恐ろしい物だった。上下もわからない、何もない空間に一人でただ浮かんでいて、朝と夜が変わることだけが判る。眠ることもできず、毎日朝と夜だけが繰り返す世界。


 エゼルバルドは三年という区切りを目標に一日一日数えていたから耐えられたと、搾り出すような声で言った。目覚めた時に私が必ずいてくれると信じていたと言って、抱きしめる。


「俺が眠っている間、ミサキは何をしていたんだ?」

「呪いを解く方法を探しながら、魔法薬で稼いでいたの。結構貯めたわよ?」

 私が笑うとエゼルバルドが驚きの顔になった。


「俺の財産の隠し場所を教えておいただろう?」

「あれは貴方の財産であり、国のものでもあるでしょう? 私は、私の生活の為に使えなかっただけよ」

「すまない。苦労を掛けた」

「苦労なんかじゃないわ。随分ずるいこともしているの」

 私は間諜に嘘を吐いて、王に森の住居を用意させたことを話すとエゼルバルドが笑った。

「その家に行ってみたいな」

「……私たち、この城から出られないのよ。周囲を兵が取り囲んでるの」

「そうか。残念だ」


 そうして最初の魔女と王子と同じ生活が訪れた。

 城の中にはエゼルバルドと私の二人きり。私が作った食事を二人で食べる。掃除や洗濯はエゼルバルドがどうしても手伝うというので一緒に行った。


 城の水道や気温調整の設備は問題なく稼働している。食品や生活必需品は手配していた町から定期的に城門に届けられる。


 夜は寝室で激しく求められる。時には朝まで抱かれることもあって二人で寝坊して笑う。


 呪いについては何も話すことはなかった。本を読むよりも、エゼルバルドは私の三年間の話を詳細に聞きたがった。一ケ月の間、とにかく何でも話をして、お互いを温め合った。


     ■


「……そろそろ時間のようだな」

「そうね」

 目が覚めてから一カ月。さまざまな花が咲く中庭で抱き合ってキスをする。


「このまま外にいたらどうなるのだろう」

 エゼルバルドの呟きに反応するように黒い魔法陣が地面に現れて、一瞬後には祭壇のある隠し部屋へと強制的に転移させられた。


「……やはり逃げられないということか」

 苦笑するエゼルバルドの背中を撫でて、布を敷いて横たわらせる。彼にはこれから辛い眠りが待っている。


「おやすみなさい。次の目覚めの時も必ず待っているわ」

 軽いキスをするとエゼルバルドも返してくれた。


「ミサキ……愛してる」

 微笑みながらエゼルバルドが眠りに落ちて黒い石像へと変化した。


     ■


 様々な試みをしても呪いは解けないまま、三年の眠りと一カ月の逢瀬を私たちは繰り返していた。


 真の呪いが発動してから十年。ローディア国は隣国カザルタに滅ぼされた。

 ベアトリクスが連れ帰った騎士や吟遊詩人たちは間諜だった。エゼルバルドの弟が隣国の王女と婚姻して王位に就き、王女の望むままに大臣たちを隣国出身者にした結果、王族や貴族は全て王女に毒殺され、国民全ても殺されてしまった。


 私の命が度々狙われていたのは、呪いをローディアに拡散する目的があったと後に判明した。ローディアを滅ぼす為に張り巡らせた作戦の一つだったのだろう。国を滅ぼす為には、武力による戦争だけが方法ではない。積み重ねた情報、相手の国に入り込んだ間諜、知力による戦争というものもある。


 王によって護られていた森の家も略奪に合って見る影もなく、私だけは魔法で助かってあちこちの国を転々と旅している。

 国が滅びたことをどう告げるべきか迷っているけれど、彼は何も知らないままでもいいかもしれない。


 私は呪いのせいか年を取らない。若い女一人での旅は危険なので普段は魔法薬で老婆に化けて暮らしている。旅の途中に野盗に襲われて剣を受けても、流行り病にかかっても死ぬことはなかった。


     ■


 国が滅びたことを知らないままエゼルバルドが五度目の眠りにつき、茨が城を覆いつくした。

 私はまた、この異世界で呪いを解く方法を探す旅に出る。

 いろいろな物を見て、いろんな人と出会って、そしてまた彼の元へと戻ってくる。


 茨で護られた城の中で眠る王子はどこにも行かない。誰にも触れられない。完全に私だけのものという不可思議な満足感が心に満ちていく。


 寂しいとは思っても、悲しいとは思わない。

 だって、ここに戻ってくれば彼に会える。


「さて。次はどの国に行こうかしら」


 青い空には赤い月と緑の月。

 この世界には、私の知らないことが、まだまだ残っている。

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生贄の魔女と呪われ王子 ―R15版― ヴィルヘルミナ @Wilhelmina

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