第二十四話 過ぎ去りし華
「迎えに来たわ! エゼルバルド!」
「貴方の噂もすべて払拭しておいたから、安心して頂戴!」
居間に流れ込んできた彼女の香水の匂いが強すぎることに気が付いた。王城では誰もが強い香水をつけていたから当然のことと捉えていた。
不自然な香りだと認識した途端に、輝くような美しさが作り物の花のように思えた。あれ程までに、例え自分の人生が壊されても焦がれていた気持ちが無くなっていることを自覚した。
「どうしたの? わたくしが迎えに来たのよ? まさか嬉しくないというの?」
彼女が怪訝な顔を見せた。昔は跪いて迎えていた私が、ソファに座ったままであることが不思議に思えるのだろう。
「王城に戻るつもりはない。帰ってくれ」
面会するつもりはなかったが、顔を見て良かったのかもしれない。憧れは遥か彼方に思い出として消えた。輝く花は少年の日の幻想だったのだろう。
「もしかして、わたくしが隣国に嫁いだことが許せないの? あれは
一方的にまくしたてる彼女は昔と変わらない。懐かしいとは思うが、それだけのことだった。
「いや……君には一切関係がない。私はこの領地で一生を終えるつもりでいる」
私は話を続けようとする彼女を遮った。
「何故? 呪いは解けたのでしょう? 今なら貴方が世継ぎになれる。邪魔だというならエグバードを始末させるわ?」
彼女が驚愕の表情を見せ、さらに畳みかけるように話を続ける。これまで彼女の話を遮ったことは一度もなかったから驚いたのだろう。
「その発言は反逆罪になる。ここで処分されたいのか?」
静かに告げると、彼女が口を閉ざした。
反逆罪は即時処分が許される。ここには証人が複数存在していることに、ようやく彼女が気が付いた。
「……わたくしがわざわざ迎えに来たのに喜ばないなんておかしいわ? 貴方、どうしたの? ……わたくしが欲しいのではないの?」
「不要だ。帰ってくれ。君の礼賛者は王城に沢山いるだろう。その護衛の騎士も」
彼女の後ろで静かに佇む騎士は紺色の髪に紫紺の瞳の男だった。かなりの手練れであることが察せられる。王城では一度も見かけたことはないから、彼女が隣国カザルタから連れ帰ってきた愛人の一人だろう。
彼女の青い瞳が怒りに燃えた。私の拒絶が気に入らなかったらしい。
「帰ります!」
踵を返した彼女に、私は一つの謎を思い出した。
「赤いドレスを送ってきたのは君なのか?」
「……そうよ。あれはわたくしの婚礼ドレス。送り返してきたなんて意外だったわ。あのドレスでわたくしを思い出して、慰めにでも使って頂けるかと思ったの。本当につまらない男ね。目の前に王座があり、未来の王妃がいるというのに、手を伸ばさないなんて」
振り返りながらの見下すような視線と言葉も気にならなかった。
「国の混乱は望んでいない。ただ国民が平和に豊かに暮らせることが私の望みだ」
「馬鹿馬鹿しい! もう二度と機会はなくてよ!」
彼女は一度も座ることもなく、豪華なドレスを翻して帰って行った。
見送る必要も感じなかった。
隣に座るミサキを見ると、表情を硬くして黙り込んでいた。
「驚かせてすまない。あれは元婚約者だ」
人払いをしてミサキを膝の上に座らせた。不安げに揺れる黒い瞳が愛しい。
「昔は赤い炎の華のような彼女に憧れていた。……赤い炎に近づけば焼かれると分かっていても隣に立ちたいと思っていた」
ミサキが哀し気な瞳で私を見る。その瞳が劣情を煽っていることを知らないのだろう。
「今となっては少年の日の懐かしい思い出でしかないな」
あれ程焦がれていたはずなのに、全く彼女に関心が無くなっていて苦笑するほかはない。
「私も、綺麗な炎のような色をした竜に憧れていたわ。番じゃないから絶対に隣には立てないと思ってたけど好きだった。……私たち、手が届かない綺麗な物に憧れていたのね」
ミサキが少し寂しげに言葉を紡いだ。竜への想いがミサキの中で思い出になったことを感じて、優越感に震える。
「俺でいいか?」
「私でいい?」
同時に口にした言葉に笑みがこぼれる。
「竜じゃないが」
「地味だけど」
次の言葉も同時だった。
ミサキが声を上げて笑い出す。私もつられて笑う。
赤くて激しい炎は遠くから見て憧れるべきもので、隣にいるのは優しく包み込む緑の方が私には合っている。
「もうすぐ婚姻のドレスが出来上がってくる。春になったら城の中庭で結婚式を挙げないか?」
「え?」
ミサキが目を丸くした。
「町や村に行って婚礼の準備をしていた。私の呪いが解けたことも知られてきたから、盛大に祝ってもらえる。……本当は直前まで隠しておきたかった」
何度も町の仕立て屋に行ってミサキに似合う赤で婚礼ドレスを注文している。そう説明するとミサキが羞恥で顔を赤らめる。嬉しいと囁きながら抱き着かれて、我慢が限界を迎えた。
寝室へと場所を移して、私の財産の預け先と隠し先、
「私にこんな大事なことを教えていいの?」
「もう隠し事はしないと決めたから不安に思わなくていい。俺はミサキだけが好きだ」
右手の指先に刻んだ魔術刻印は、魔力を注がなければ普段は現れない。
お揃いだと呟いて指先を合わせて微笑むミサキが可愛くて仕方ない。婚姻の腕輪を急がせよう。
「それから。一番、重要なことを俺は隠している」
迷いはしたがミサキに告白することにした。ミサキがその黒い瞳を強張らせた。
「ミサキは、おそらく元の世界には戻れない」
私の言葉にミサキは苦笑した。
「……薄々そう思ってたの。この世界の人……貴方と交わってしまったから?」
「違う。この世界に召喚された者は元の世界では死んでいるそうだ。ずっと元の世界でミサキが生き返る方法を探していた」
言い訳めいているとは思いつつも、言い訳をするしかなかった。
「なんだ……最初から嘘を吐いてたのね?」
「すまない。許してはもらえないか?」
「許せないわ」
表情を硬くしたミサキの言葉に衝撃を受けた。心のどこかで許されると期待していた。どうすれば挽回できるのかを必死で考える。
「……だから一生、私と一緒にいて?」
無言で見つめ合った後、ミサキがそう言って微笑んだ。
「もちろん。一生を掛けて償う」
ミサキの笑顔に、安堵の思いで誓いを立てる。一生、絶対に離さない。
「償いとかじゃなくていいの。絶対、約束して?」
どこか子供のような言葉で強請るミサキに煽られた。
「絶対に約束する」
抱きしめて、そのままベッドに連れ込んだ。口づけをしながらお互いの服を脱がし合い、求め合う。
甘く激しい時間を過ごした後、ミサキの甘い匂いと柔らかさを感じながら心地良い倦怠感に包まれていた。まだ夕方にもなっていないというのに体が睡眠を求めている。
「どうしたの? 眠そうね」
ミサキの気遣う声が聞こえる。
「……ああ。少し疲れているらしい」
「少し眠ればいいわ。夕食前には起こすから」
ミサキの声に完全に目を閉じて力を抜く。
「エゼルバルド、好きよ」
そっとミサキが囁いた声が聞こえて心が歓喜に震える。目を開いて口づけたいのに指一本すら動かせないほど体が重い。
髪を優しく撫でられる感触が心地いい。
「ミサキ……愛してる」
聞こえるように口にできたかどうかは、私にはわからなかった。
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