第二十三話 くすぶる不安
呪いが解けると、エゼルバルドは軽装であちこちの村や町に馬で出かけるようになった。秋になってマントを着るようになってもマントの下は袖を肩までまくり上げたシャツ一枚にズボン。それはまるで
魔女の夢を見ることは無くなっても私の魔女の魔力と知識は残ったまま。もしかしたら魔女は消えてしまったのではなくて、私に同化してしまったのかもしれない。
「ミサキ! ただいま!」
エゼルバルドは、毎日、私にお土産を持って帰ってくる。
「おかえりなさい」
キスをして抱き合うのは当たり前になったけれど、時々、これは作業ではないのかと疑う私がいる。儀式の後、毎晩触れ合ってはいても一度も最後まで抱かれていない。
「砂糖が売っていたから買ってきた」
「ありがとう。嬉しい!」
渡された紙袋の中には薄茶色の砂糖が入っていた。この国の王族や貴族は砂糖を食べることがなくて、甘味は主に蜂蜜で取る。砂糖は一般国民の調味料らしい。私は厨房には入れないから、主にお茶の時間に使うことになる。
私も着いて行きたい。そう思うのに言い出せない。毎朝、出かけていくエゼルバルドの支度を手伝いながら不安になる。このままこの城に置き去りにされても、私には追いかける方法がない。
「今日は町に行ってくる。昼までには戻ってくる」
そう言って約束はしていても遅くなることはある。約束の時間が過ぎる度、私は心配で仕方ない。早く帰ってきて、出かけないでと言いたいけれど、それは束縛でしかないのではないかと迷う。
何故出かけるのかと聞くと、領地内の首長との会談や視察だと毎回きちんとした理由がある。これは領主の仕事なのだからと理解のあるふりをしていても、携帯電話もなければ通信手段もないことが悪い想像を掻き立てる。
毎日、好きな人と一緒にいられて幸せな筈なのに、私は小さな不安を溜め込んでいた。
■
エゼルバルドに贈物が届くようになった。呪いが解けたことは王城にも報告されて、貴族たちにも知られるようになったらしい。貴族から届けられた贈物は全て送り返しているのに、それでも何度も贈物が届く。
贈物の一つに添えられていた手紙を読んでいたエゼルバルドが、その手紙をぐしゃりと握りつぶした。
「どうしたの?」
「……エグバード……弟が非道なことをしているらしい」
王位継承権を持つエグバードは婚約者を側室にして、隣国カザルタの第三王女を迎える準備を進めていた。婚約者は四つの公爵家のうちの一人の令嬢で、毎日泣き暮らしている。
「どうするの?」
「知らぬ者でもないから放ってはおけない。外国に逃がすしかないな」
「逃がす?」
「そうでもしなければ、王になる者の決定からは逃れられないだろう」
握りつぶされた手紙を読ませてもらうと、回りくどい文章の言外に公爵家令嬢と結婚して欲しいと読み取れてしまった。
「これ……」
「ミサキ、大丈夫だ。俺にはミサキしかいない」
エゼルバルドがそう言って笑っても、私はまた少し不安を溜め込んだ。
■
贈物だけでなく貴族が訪れるようにもなってきた。
ほとんどは先触れがあるからエゼルバルドが城守に対処を指示して門前払いをしているけれど、突然訪ねてくる者もいる。
その日、先触れなく訪れたのは公爵で、エゼルバルドではなく私に面会を求めてきた。エゼルバルドは出かけていて、ジェイクや城守が丁重に断っても公爵は帰ろうとはしなかった。
城内に響き渡る公爵の怒声を聞きながら私は覚悟を決めた。エゼルバルドの隣にいる為には、客人の対応くらいはこなすべきだろう。ジェイクに手伝ってもらってドレスを着、髪を結い上げ化粧をして、エメラルドの首飾りを着けて公爵が待つ応接室へと向かった。
公爵はきっちりと油で撫でつけられた銀髪に青い目の中年男性だった。どことなくエゼルバルドに似ている所もある。尊大な態度で椅子に座ったまま動かない。
「はじめまして。魔女ミサキ・クラガヤです」
付け焼き刃だけれど貴族の礼を取る。魔女と名乗れば、見下していた公爵の顔が一瞬強張った。
当たり前のように応接室の女主人の椅子に座れば公爵が息を呑む。公爵の挨拶はなかったけれど別にどうでもよかった。
「わたくしに、どういったお話でしょうか」
一言一言、区切るようにしっかりと発音する。怒声を浴びせられても怯まないようにと何度も心の中で覚悟する。部屋の中には城守たちがいるし、私には結界魔法もある。物理的には絶対に大丈夫だと自分の心を奮い立たせた。
「エゼルバルド様を解放して頂きたい。呪いは解けたのだろう? もう、君に用はないはずだ」
公爵が尊大な態度で言い放った。
「貴方はエゼルバルド様に何を望まれるのですか?」
身を引けという言葉に内心震えても、言葉程度で退くことなんてできない。静かに公爵を見つめて質問を返す。公爵はいらいらとした感情を隠そうともしなかった。
「王城に戻り、娘と結婚して王位継承をして頂く」
「次代の王はエグバード様とお聞きしております」
「あれはダメだ。無能な働き者は傀儡にも使えない」
エグバードが使えないからエゼルバルドに取り替えたい。それが公爵の本音だろう。
「正直に言おう。エグバード様が王になることは国の為にはならない。エゼルバルド様が王になって頂くことがこの国と国民の為になるのだ。一生暮らせるだけの金は出す。屋敷も使用人も用意する。結婚したいのなら相手も紹介する。だから国の為に身を引いてくれ」
「お断りします。お帰り下さい」
私は即答して立ち上がった。話は聞いても要望に応えるつもりはない。国の為と言われても、エゼルバルドを一度捨てたのは王と貴族だから心は揺るがない。何よりも、私はエゼルバルドの隣にいたい。
公爵が怒りに顔を染めて立ち上がった途端に扉が大きく開いた。
「ミサキ! ……公爵、ここで何をしている?」
エゼルバルドが私を庇うようにして公爵と対峙した。
「エゼルバルド様、どうか王城へお戻り下さい」
公爵は態度を一変させた。先程までとは別人かと思える程だ。
「私は王城へは戻らない」
「それでは国が滅びてしまいます。どうか国をお救い下さい」
「エグバード一人で国を滅ぼすようなことはないだろう。それ程までに我が国は弱くはない筈だ。皆で支えてやって欲しい」
エゼルバルドの毅然とした答えに、公爵は頭を下げて帰って行った。
■
早朝の日課になった散歩の中、私は繋がれた手を強く握って立ち止まる。
「どうした?」
日の光がエゼルバルドの銀色の髪を輝かせて、紫水晶のような瞳が優しく微笑む。
「エゼルバルド……好きよ」
毎日好きだと言われるだけで私は返答できていなかった。今更、どう思われるのかわからなくて、不安で胸が震える。
「ミサキ!」
嬉し気な笑顔のエゼルバルドが強く抱きしめてきた。耳元でそっと愛していると囁かれて、心が解ける。嬉しくて強く抱き着く。
私の気持ちを言葉で伝えた後、タガが外れたように毎晩抱かれるようになった。時には朝まで。儀式の後抱かなかったのは、私が好きと言ってくれるのを待っていたとエゼルバルドが笑う。
「……王城には帰らなくていいの?」
茨の消えたエゼルバルドの胸に抱かれながら、私は心の底でくすぶっていた疑問を口にした。
「帰らない。弟が次の王になるのは決定事項だ。今更覆せば国民が混乱するだろう。俺はここでミサキと一緒に暮らす」
答えに安堵して擦り寄ると優しく髪を撫でられるけれど、どうしても不安は消えない。
エゼルバルドはこの国の王子だ。私よりも国を選ぶ未来の可能性に震える。
エゼルバルドをこの城に閉じ込めたい。
私だけを見ていて欲しい。
いつの間にか、私は、そう思うようになっていた。
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