第二十二話 呪いの茨の消滅
「最初の魔女の日記を見つけた!」
部屋に駆け込んできたエゼルバルドは、古ぼけてバラバラになりそうな革の装丁の日記を持っていた。塔の図書室で見つけたらしい。
私は違和感を感じた。確かに魔女は日記をつけていたけれど、もっと小さな手帳程のサイズだった。そのことを告げてみても一冊ではなかったかもしれないと言われれば、そうかもしれないと思う。
その日記には、魔女は婚約者がいた王子を手に入れる為に国に対する呪いをでっち上げ、この城に閉じ込めることに成功したと書かれていた。王子と暮らす毎日は楽しいと綴られている。
「魔女は嘘の呪いを作って王子を手に入れた。だから白い蝶の精霊が『可哀想な魔女が王子を閉じ込めていた』と言ったと説明がつく」
エゼルバルドの解説に何故かすっきりとした気持ちは持てず、内容にも違和感を感じる。魔女は日々の生活の記録も付けていたはずだし、王子が見ることができる場所で日記を書いていた。常に読まれる可能性のある日記にこんなことを書くだろうか。その指摘も日記が二種類あったのかもしれないと言われた。
私が見た夢は断片的で、男性と一緒にいる場面しか知らない。一人でいる時に、何か行動していてもわからない。
「それで……解呪の方法が隠されていた」
糊で貼られていた日記の最後のページに書かれていたとエゼルバルドが示す。経年劣化で半分剥がれていたので簡単に見つかった。
解呪の方法は、白い月と女神の星が重なる日に塔の隠し部屋で呪茨を持つ者が祭壇で性交し、その証拠で祭壇に呪文を書くという内容だった。
読んで理解した内容に、私は顔が赤くなるのを止められなかった。
「……これ……」
「その……呪いが解ければ、城の外にも出られる。ミサキにいろんな場所を見せられる」
エゼルバルドの耳も赤い。
「該当する日は二十日後、その日を逃すと十年後になる」
「でも……魔女が王子を手に入れるためだけの呪いなら、普通は魔女の代で終わらない?」
「そうか。そうだな……だが、王子は自ら国の犠牲になったと崇められている。呪いが嘘だと知られれば王子の名誉が毀損される。魔女が王子を愛していたなら、死後の辱めも許さないだろう」
そう言われればそうだ。王子は国を救った英雄のままでいて欲しいと思うだろう。
それでも私には違和感があった。確かに魔女は王子が好きだったけれど、嘘を吐いてまで好きな人を閉じ込めておきたいと思うだろうか。私に見せられた夢では、魔女がそんなことをするとは思えなかった。
ジェイクに相談してみると、意外な答えが返ってきた。
「私は反対です。エゼルバルド様」
「何故だ?」
「これが本物であるという確証がありません。ミサキが言うように違和感があるというのであれば、さらに調べてみるべきです」
静かで淡々とした口調のジェイクに、エゼルバルドが反発心を持ったことに気が付いた。
「呪いが解かれると何か不都合があるのか?」
「……いえ。そうではありませんが」
ジェイクの疑問をエゼルバルドが次々と論破して、最後にはジェイクも折れた。
「わかりました。準備を致します」
眉を下げ苦笑するジェイクの顔が綺麗過ぎて、どことなく人形のように思えた。
ジェイクの魔法による捜索で図書室の棚の裏に隠し部屋が発見された。
「春の音は二界に右から一。夏の空は一界に左から三。秋の実りは四界に右から二。冬の氷は五界に左から六」
ジェイクはそう言いながら本を動かしていく。本を入れ替えるとかちりと棚板がわずかに沈む。本の場所は私が以前読んだ詩集がヒントになっていた。
春の音は『花咲く時』、夏の空は『青嵐』、秋の実りは『豊穣祭』、冬の氷は『風花』というタイトルの本に対応しているらしい。四冊全てが収まると棚が左右に開いて扉が出現した。
扉の奥は十畳ほどの狭い部屋だった。壁も床も全て白い石で作られていて魔法灯を付けると反射して明るく輝く。最奥に白い石の祭壇がある。五百年近く放置されていたのに埃も砂も全く落ちていない、不思議な部屋だった。
「ミサキ……どうする?」
エゼルバルドの問いに私は頷くしかなかった。この機会を逃せば、次の機会は十年後だ。儀式の内容も複雑な魔法陣がある訳ではない。試してみる価値はあるだろう。
ただ、エゼルバルドと交わった後、元の世界に帰ることができるのかが気になっている。私が変質してしまわないか、そして、私の心が完全にエゼルバルドを好きになってはしまわないか、少し怖い。
その夜、ベッドの中でエゼルバルドに優しく抱き込まれた。
「体を慣らしておこうか」
頷くと、最初は唇を合わせるだけのキス。
「ミサキ」
名前を呼ばれて目を開くとエゼルバルドが笑っているからほっとする。キスをされながら夜着のボタンが外されていく。何度も着替えさせてくれた時は何とも思わなかったのに、今は心臓が痛い程、早鐘を打つ。
素肌で抱き合うと息をするのも難しい程緊張した。初めて会った時、裸で抱きしめられた時は何とも思っていなかったのに。
「ミサキ、息をしてくれ」
慣れない刺激で体が強張る。気持ち良さより触れられていることに意識が集中してしまう。エゼルバルドの首にしがみつくとキスが優しくなった。
恥ずかしさと私が変質してしまいそうな恐怖、いろいろな感情が沸き上がって涙が溢れた。
「ミサキ、すまない。今日はここまでにしよう」
私が流した涙を唇で拭いながら、エゼルバルドが優しく囁いた。
毎晩、少しずつ体を慣らされる。恥ずかしい時間が終わった後にエゼルバルドに好きだと囁かれながら抱きしめられることが嬉しい。
「ミサキ、ほら」
浴室の鏡の前で背中から抱きしめられると、エゼルバルドの左腕の
「繋がってるのね」
「そうだな。消すのが少し残念だ」
「どうして?」
「ミサキといつも繋がっている気がするからな」
体の深い場所まで触れられるようになってから、私の心は完全にエゼルバルドに囚われてしまった。好きだと囁かれてキスをされれば心が震える。これは魔女の歓喜とは別の、私の感情であることは私自身がよくわかっている。
元の世界に帰れなくなるかもしれない。それでも、エゼルバルドの隣に居られるのなら、好きな人の側に居られるのなら、幸せなのかもしれない。
迷いもあったけれど決断は早かった。私は元の世界よりもエゼルバルドを選んだ。
■
儀式の夜は、夏とはいえ少し気温が低かった。脱ぎ着のしやすい服を着て、夏用のマントを羽織って部屋へと向かう。
隠し部屋には特に魔法陣が描かれる訳でもなく何もない白い空間のまま。私の要望で魔法灯の光量を落としてからジェイクが外に出て部屋の扉を閉めた。覚悟したつもりでも体が震える。そっと優しく抱きしめられて、その腕と胸の温かさに息を吐く。
「ミサキ、なるべく痛みがないようにする。堪えてくれ」
「はい」
私は祭壇の上でエゼルバルドに抱かれた。一つになった時、ぴたりと何かが噛み合ったような異様な感覚が痛みを凌駕した。涙が零れて止まらない。痛みはあっても、何故か幸福感が沸き上がる。
「よし。これで終わりだ」
エゼルバルドは祭壇の中央に指で文字を書いた。
『我は契約の破棄を宣言する』
薄赤い文字が黒く変化して霧散した。パキパキと音を立てて、呪茨の黒い紋様が剥がれていく。エゼルバルドの紋様も同じだ。剥がれた紋様は、ボロボロと崩れて砂になって消えた。
私の胸に咲く赤い薔薇から一枚ずつ花びらが散る。最後の一枚と同時に小指の先程の大きさの種が床に転がり落ちて、砕けて消えた。
「ミサキ! 呪いが解けた!」
エゼルバルドに強く抱きしめられて緊張が解けていく。
確かに自分の中に誰かがいるという感じが一切なくなった。何故か少し寂しいと思うけれど、呪いが解けたのなら良かったのだろう。
「ありがとう、ミサキのお陰だ」
優しくて温かいキスが嬉しい。そっと頬にキスを返すとエゼルバルドが満足気な笑顔になる。
「やはりミサキには赤い薔薇は似合わないな」
エゼルバルドが囁いて床に落としていたマントで私をくるんだ。
ふと気が付いた。
これでエゼルバルドと私を繋いでいた呪茨が無くなった。
何も繋がる物が無くなってしまった。
もう、エゼルバルドがこの城に留まる理由がない。王子と普通の女。身分も育ちも違う二人がこれからも一緒に居られるのだろうか。
エゼルバルドの温かい腕の中で、私は底知れない不安を感じていた。
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