第25話 呼ぶ声
「頼むから戻ってくれロンバード!これではノーランマークは見殺しだ!」
舵を執っているロンバードの脚に縋り付いて懇願しているラムランサンのこんな姿を、ロンバードはかつて見たことが無い。心は痛んだが、ここで戻る訳にはいかなかった。ロンバードにとって、一番大事なのは、ラムランサンが生きていることなのだ。
「堪えてください、ラム様!今戻ったら、ノーランマークのしたことが無駄になります!」
「頼む!分かってくれロンバード!
私はノーランマークを…!」
口にした事のない言葉が喉元まで迫り上がる。それを押し殺すような声でロンバードに訴えた。
「私は…生きてゆけない…!あの男が生きて居なければ…っ、やっと分かったのだ。だから頼むから戻ってくれ…!」
ノーランマークは初めて生きていく歓びを教えてくれた。初めて人間らしい苦痛を与えてくれた。人生は一本道では無いと教えてくれた。両手を取って、太陽の下まで連れ出してくれると本気で思った。
例えそれが永遠で無かったとしても、今はまだサヨナラでは無い。始まってさえいない。芽生えたばかりの気持ちをどうしても摘み取る事は出来なかった。
ロンバードは考えあぐね、舵を逆に切ろうかと躊躇したその時、前方に白い波を蹴立てながら猛スピードで近づく物体にロンバードは目を凝らした。
「うん?何でしょう、アレは…」
ロンバードとラムランサンは揃って近づく物体に見入ると、すぐさまその正体が判明した。
そして二人同時に叫び声を上げていた。
「イーサン?!」
髪を激しく靡かせながら、これまで見たイーサンのどんな表情よりも、頼もしい顔でモーターボートをフルスロットルで走らせている。
「イーサン!!ノーランマークがまだ島に!」
猛スピードで互いの船がすれ違いざま、ラムランサンがありったけの声で叫んだ。
遠ざかるイーサンが振り返って頷きながら親指を立てていた。
「あの子はまったく、…何で戻って来たんだか」
ロンバードは嬉しいような、困ったような、そして頼もしいような、とても複雑な表情を浮かべていた。
頼みの綱はあのイーサンだけだ。
ラムランサンは彼の身を案じながらも、豆粒になってしまったイーサンへと、祈るように両手を固く握り合わせた。
「ノーランマーク。こんな所じゃ無くて俺の腕の中でくたばれば良かったのに」
入江の海岸からあと300mと言うところで、無情にもノーランマークはアスコットと数名の男達に捕獲されていた。
ぐったりと両腕を二人の男に抱えられ、半ば海岸を引きずられている。
「詰めが甘くなったもんだ。あの時俺を殺してれば今こんな無様な姿にはなっていなかったのになあ」
アスコットがノーランマークの顎を掴んで上を向かせても、生きてるやら死んでいるやらまるで生気のない様子だ。だらりとなすがままにされていた。
恐らく殴られたのだろう、顔は紫色に腫れあがり、腕からも脚からも出血の跡が見られた。
その時、けたたましいモーターの唸りが入江の中へと飛び込んできた。そこに居た者達が一斉にその方向に目をやった。
「うん?!何だ?」
アスコットは岸辺へ乗り付けられたモーターボートに乗っている人影に少しだけ驚いた表情を浮かべた。
「あれえ?イーサンじゃない?なんだ、お使いの帰り道か?残念だけど、もうここには、」
イーサンなど取るに足らないと言った風に、半ば馬鹿にしたように笑みを浮かべながらアスコットは話しかけた。
所がイーサンは怯む事なく、銃をアスコットに向けて叫んだのだ。
「ノーランマークを解放しろ!!」
尚も近づくアスコットへと、イーサンは牽制のつもりで銃を撃った。
連射可能な拳銃は、イーサンも意図せずに、立て続けてけに弾倉から弾が飛び出した。
それが偶然にもノーランマークの右腕を抱えた男に命中し、続けざまとんでもない所で立っていた男の足にも命中した。
そして事もあろうに、ノーランマークの左頬を銃弾が掠めたのだ。
とんでもないノーコン男の出現に、男達が騒然となった。予測もなしに、弾は何処に飛んで来るのか分からない。
男達が怯んだ隙に、今まで死んだ魚のようだったノーランマークが男達を振り切って走り出した。
「この馬鹿!よくも撃ってくれたな!!このヘタクソ!!」
「文句言うな!助けに来てやったんだぞ?!速く走れ!!」
ようやく、敵どもが反撃して銃を撃って来た。海岸を猛スピードでモーターボート目掛けて走ってくるノーランマークが、その銃弾からイーサンを庇うように飛んだ。
ズシリとイーサンの上に降って来たノーランマークが、己の下で驚いた顔をしているイーサンから拳銃を奪うとモーターボートの上から海岸に狙いを定めて何発が撃った。
五人居た男達の中で何人かが倒れたのが見える。
「撃つって言うのはこうやるんだよイーサン!船を出せ!!」
「偉そうに!!僕だって当たったじゃないか!」
「まぐれ当たりで助かったなあ、イーサン。でも、ありがとな」
減らず口は相変わらずだったが、心からイーサンに礼を言った。
イーサンは舌打ちしながらも、何処か安堵の表情を浮かべていた。
モーターボートを追ってくる気配もなく、穏やかな波間を元来た方へと突き進んだ。
ノーランマークは全体力を使い果たしたように、モーターボートの床に大の字で寝転がっていた。もう手も足も動かせないほど激しく消耗していた。
あちこち傷だらけ血だらけで、一見すると死んでいるようにも見えた。
沈みゆく太陽に眩しく目を細め、意識はその彼方へと吸われて行きそうだった。
その時、波間から自分を呼ぶ声がした。何故か懐かしく、心が暖かくなる声だった。
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