第24話 一目会えたら

 自分を呼ぶラムランサンの叫びと共に、クルーザーは遠ざかって行く。それを名残惜しく見送る暇もなく、目の前にはアドレナリン沸騰中のサイラスが迫っていた。

 雄叫びを上げ、ナイフを振り被って突進して来られると、ノーランマークは咄嗟に一歩後ずさったが、丈の長い草に足を取られて後ろに倒れてしまった。

 サイラスのナイフが右頬を掠めて地面に突き刺さる。自分に覆い被さるようなサイラスの股間を膝で蹴り上げノーランマークは素早く立ち上がり、ナイフを構えた。


「サイラス。お前だけは絶対に許せ無い。ここで完全にけりを付けさせてもらう」


 そう言うが速いか、立ち上がりかけていたサイラスの腹目掛けて鋭いアーミーナイフが左右に薙ぎ払われた。アーミースーツの前が切り裂かれ、鮮血が滲んだ。

 サイラスは傷に手を当てて血の付いた己の手を一瞥し、不適にも笑って見せた。


「子猫の復讐の為に残ったのか?ダサいことするんだなぁ、それを死ぬほど後悔させてやる!」


 突き出した手には縦向きに構えられたナイフ。下から突き上げるように襲って来た。

 茂みから突き出した何本もの小枝に動きを取られるが、そんな事は言ってはいられない。身体中に小枝が刺さるのも構わずに、頭上に伸びた太い枝に飛びつき、突っ込んでくるサイラスの首に脚を巻き付け、共に地面へと倒れ込む。

 その瞬間、右の太腿に激痛が走った。咄嗟に倒れたサイラスが首に巻き付くノーランマークの太腿にナイフを突き立てていたのだ。

 痛みに任せてノーランマークはサイラスのこめかみ辺りを殴りつけ、二人は草むらを転がった。お互い素早く体勢を整えるが、二人共々に肩で激しく息をしながら睨み合った。見れば共に血塗れでボロボロだった。


「そんなにあの子猫が大事か、裏の世界では少しは名の知れたお前が腑抜けたもんだな。あの執事のじい様の方が骨があったぞ」


「そうかもな、そんな腑抜けに躍起になってるお前はお笑い種だな」


「口は災いの元だと教わらなかったのか?!」


 そう言いざまに、ノーランマークの血で滴るナイフが正面から襲ってきた。すんでのところで躱したが脇腹を思い切り蹴り上げられて蹲る。体制を立て直す暇も与えられず、立て続けに蹴られ、ノーランマークは息もつけない。 

 しかし蹴られながら、相手を仕留める確実な一手をノーランマークは見計らっていた。肩口にサイラスのナイフが突き刺さった瞬間の隙を捉えると、慢心の力を込めてサイラスの股間目掛けてナイフを突き刺した。手応えがあった。


「ぐおぉぉぉ!!!」


 獣じみた雄叫びを上げてサイラスは股間を押さえて前のめりに倒れんだ。サイラスの身体がのし掛かる前にノーランマークは身を躱していた。


「ははっ、はははははは!!仇は取ってやったぞ!ラム!」


 ラムランサンを穢した憎い悪魔の凶器を切り裂いてやった。

満身創痍だったがノーランマークの気分は爽快だった。苦しみながら地べたにもがき転がるサイラスを目の当たりに、自然と腹の底から笑いが込み見上げた。

 もうどうなろうと何の悔いも残らない。人生で初めてそう思えた瞬間だった。


「ここでお前にとどめを刺すのが良いんだろうな。だがラムランサンがオレが人殺しをするのが嫌だと言った。だから命は取らずにいてやる。運が良ければ生き延びられる」


「殺せ!私を殺せ!!殺さなければいつか後悔させてやる!」


 夥しく出血しながら、叫ぶサイラスをその場に残して、ノーランマークはその場を離れようとしていた。

 その時だった。乾いた銃声が辺りに響き渡った。鋭く熱い衝撃が、ノーランマークの鎖骨を掠めた。掠めただけなのに、まるで撃ち貫かれたような衝撃が走ったが、ノーランマークはその場から逃走していた。

 何処から撃ってきたのだろうか。ノーランマークは弾の飛んできた方向を振り返りながら藪の中をひたすら走った。反撃しようにも、ライフルはクルーザーに置いて来てしまっていた。今手元にあるのは、血塗れのナイフが一丁。

 あと何人この島で自分を狙っているのだろうか。そもそもクルーザーも無く、この島からどうやって脱出すれば良いのか。そして今自分は、何処に向かって逃げているのだろうか。もうこの島には、味方は一人もいないのだ。死ぬのを待つのは結局はサイラスでは無く自分なのか。百戦錬磨の男も今度ばかりは大ピンチだった。

パンパン!とまたしても銃声が轟いた。

 一発の銃弾が今度は左脹脛の浅い部分を貫通した。まるで鹿撃ちにでも遭った獲物のようにノーランマークは地面に転がった。

 いつの間にか入江の近くまで走って来ていたらしい。転んだ地面は砂地に短い草が生えているだけの、何も身を隠すことの出来ない場所だった。

 必死に立ち上がる足元には血溜まりが出来ていた。左足を踏み込むだけで激痛が走り、過呼吸になって意識が朦朧とし始めていた。


「もう、ここで終わりか、こんな所でか。せめて死ぬ前に一目だけでもアイツに会いたかったぜ」


 こんな時にも余裕を誰に見せたいというのか、自嘲気味に片方の口角を吊り上げて笑うと、その場に崩れた。

 入江に差し込む夕日はまるで何かの果実のように、まったりとその身体と頭を重たく熟れさせていた。さっきまでは人生で一番の爽快感を味わっておきながら、今は人生で初めてノーランマークは死を覚悟していた。








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