第18話 水面下

 部屋に戻ったラムランサンは、あんな騒ぎを起こしたにしては、意外にも普段の様子と変わらなかった。たが、ロンバードには分かっていた。こういう時ほどラムランサンは深く傷ついている事を。水面下で溺れまいと、必死で足掻く美しい白鳥。まさに今のラムランサンはそれと同じだった。

 しかし、こちらの水面下も気になるところではあったが、もう一つの水面下をロンバードは気にしていた。さっきから何か嫌な予感に囚われて心が波立つのを感じていた。こう言う勘が鋭く働くおかげで、先代から長きにわたって主人を守って来られたのだと言う自負がある。


「何事にも先手を打っておきませんと」


 傷心のラムランサンを一人部屋に残し、ロンバードはイーサンの部屋へと向かっていた。

 部屋を訪ねるとイーサンは既に寝支度をしていた。眠い目を擦りながら、夜中の執事の訪問に何事かと此方も嫌な予感を感じていた。こんな風にロンバードに訪問されたのは初めてだったからだ。


「どうしたんですか?ラム様に何かあったんですか?」


「いえ、そうではありませんが。君に一つ頼まれてもらいたい事があるのです」


 そう言うとロンバードは一通の封書と小さな黒いアタッシュケースをイーサンに差し出した。


「これを持って、陸に上がって欲しいのです。いつも使うアシェットホテルへ今直ぐに」


「どなたかにお会いするのですか?」


 こう言ったお使いをイーサンは何度か言い使ったことがある。今回もそうなのだろうと思ったのだが、ロンバードの表情が重苦しい事に気がついた。


「何か良くない事ですか?」


「いえ、年寄りの取り越し苦労かもしれませんから。万が一の保険みたいな物ですよ。今は何も聞かずに急いでここを発って下さい」


 そう言うと、アタッシュケースの上に、一丁の銃を重ね置いた。それを目にしたイーサンの目がみるみる大きく見開かれた。事情を訊ねようとした矢先、ロンバードが手でそれを止めた。


「向こうに着いたら、この封筒を開けて下さい。それまでは決して開封してはなりません」


 イーサンは、何かとてつもなく恐ろしい事態が迫って来ている予感に、膝が小刻みに震えていた。今は何か分からないが、本当にロンバードの取り越し苦労で終わって欲しい。そんな思いでこれらを受け取った。


「いいですか?船着場のドックは使わずに、反対側の入江の方から出て行きなさい。アスコットさんに気づかれぬように行くのですよ。

入江の洞窟に古いモーターボートがありますね?あれを使いなさい。古いですがちゃんと動いてくれるはずですから」


 走り出したイーサンの脳裏にはロンバードの言葉が繰り返し響いていた。アスコットさんに見つかるなとロンバードは言った。アスコットがどうしたと言うのだろう。

 疑問と不安で一杯になりながら、入江への道を急いだ。木立の陰から見上げた城は、黒々とした夜空にいっそう暗く、禍々しくそびえていた。夜だと言うのに鳥が激しく鳴いている。生暖かい海風がまるで不安の吐息のように、イーサンの頬を撫でていた。



「ノーランマーク。起きていますか?ノーランマーク」


 イーサンをその場で見送ってから、今度はロンバードはーランマークの部屋の前にいた。声をひそめてドアをノックすると、

寝ていなかったノーランマークはすぐに扉を開いた。


「どうしたんです?ラムがどうかしたのか?」


 ノーランマークも様子の違うロンバードに胸騒ぎを覚え、廊下を警戒するように左右に視線を走らせ、ドアの隙間からロンバードを部屋へと引き入れた。


「貴方のお友達が何か怪しい動きをしています。昼間クルーザーに残されていた筈の三箱の荷物が消えているのです。何か嫌な予感がするのですよ」


 ここは洋上の島。ここ以外に何処に荷物を届けるのか。荷物が消える事事態、ロンバードには解せない事だった。同じようにノーランマークもその中身が気になった。

 アスコットと言う人間は、決して善良とは言い難い。いつも悪い方へ悪い方へと容易く流される。今思えば、この秘密の島にあの男が出入りしていた事自体が、既におかしかったのかもしれない。

 ラムランサンに気を取られていたせいで、そう言ったノーランマークの危機感が鈍っていたのだ。


「ラムにこの事は?」


「まだ何も。先程アスコットさんといざこざがありましてね。とてもこのような事を切り出せる雰囲気ではありませんでしたので。それに、私の取り越し苦労ということもありますから」


「イーサンは」


「イーサンは島からすでに出しました。何かあればあの子が真っ先に危ないですからね。保険をかけたと言う所です。何事もなければそれで良いのですから」


 確かに武闘の苦手なイーサンでは何かと心許ない。うっかりすると、可哀想だが足手纏いになる可能性もある。島を出たのは懸命だとノーランマークも思った。


「オレに武器をくれ、ロンバード。

アサルトライフル一丁と弾さえあれば良い。何だか分からんが、警戒するに越した事はない。それと…」


 ノーランマークが言い淀む。視線が不自然に左右を彷徨った。


「それと、ラムとアスコットは…その、何を揉めたんだ」


「やれやれ、そっちの心配でございますか。…貴方達は本当にもう。揉め事と言ったら貴方のこと以外に無いじゃありませんか」


 うんざりと顔をしかめたロンバードの言葉に、ノーランマークはバツが悪そうに鼻の頭をを掻いて目を泳がせていた。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る