第17話 火花散る
「面白くないねえ〜、なんか面白くない」
己のクルーザーのデッキの上で、自前のパーコレーターでコーヒーを煎れながら、アスコットは何だか面白くなかった。
考えれば、兄弟分であるノーランマークとは育った修道院でもあった孤児院を抜け出してから、何年かは行動を共にしていたこともあったが、それぞれ道を分つようになってからは、十年近くも疎遠であった。
共に居た頃も、ノーランマークは何人もの男女と関係を持っていたし、別々になってからも、そんな噂も耳にした。自分と関係を持ったとしても、成り行き上であって、別に恋人でも何でも無かった。
ノーランマークと言う人間は、誰かを本気に好きになるような奴ではないと、アスコットは何処かでそう思っていた。ところが、どうやら今回ばかりはいつもと同じ。と言う訳では無いようだった。遠ざかっていたとは言え、自分が一番ノーランマークを分かっている気になっていた。その鼻っ柱を思いっきり挫かれたような、何処かで裏切られたような思いに勝手に陥っていた。
水路の延長線のような船着場は潮の香りに夜の匂いが入り混じっている。ランプの明かりだけがドックの壁を明るく照らし出していた。
コーヒー片手に船のエンジンプラグを交換していたアスコットは人の気配に作業の手を止め、耳をそば立てた。後ろ暗い商売をしているせいで、こう言う事には敏感だった。一向に声を掛けてこない相手にじれてアスコットから声をかけた。
「だあれ?覗き見しないで出てくれば?
三日月君」
半分当てずっぽうのつもりだったが、片手にランタンを掲げたラムランサンが壁の影から姿を見せた。
「まだ帰っていなかったのか?」
「アンタも同じ事言うんだな。プラグがかぶっちゃってね。今交換していたんだよ。そんで、明日の出航にしたと言うわけ」
アスコットは古いプラグを適当にポイっと投げ捨てて船のデッキから顔を出して来た。
「敵情視察?三日月君もそんな事するんだね。いつも余裕しゃくしゃくって感じじゃない?
俺の事、気になってんの?」
そう言うとアスコットは、コーヒーカップをラムランサンに掲げて見せて、「飲む?」と社交辞令で誘ってみた。ラムランサンは「いや」とだけ短く答え、気になっているかとの問いには、そうだとも言えず、自分でも何を相手に聞けば良いのか咄嗟に思い付かずに佇んだ。
「あんな奴の何処が気に入ったの?
見栄えはまあ、悪くはないよなあ?
だけど、ジーザスはこんな所、似合わないと思わない?」
ノーランマークの事をジーザスとファーストネームで呼ぶ親しさにラムランサンは胸苦しさが込み上げた。
「私が引き止めているわけでは無い」
この期に及んで、まだ強気な事を言ってしまう自分の性が恨めしい。
「アンタだろう?口で言わなくても十分、ジーザスを引き止めてるよ。俺のものだったのに横から掻っ攫うようなマネしやがって」
口先では優位をとっていたと言うのに、何故か圧倒的に負けている気がしてアスコットは苛ついた。思わず、意地悪く「俺のもの」などと言って相手を打ちのめしたい衝動に駆られたのだった。
「アンタさ、あいつと寝たんだろ?」
答える代わりに、ラムランサンの唇がピクリと小さく蠢いた。
否定もしないその表情が雄弁に語っていた。ノーランマークと寝たと言う事を。
それを感じた途端、アスコットは更にラムランサンの気持ちを追い詰めたいと思った。自分だって、あの男の身体を識っている。そう言ってやりたかった。不遜な嗤いを浮かべてラムランサンの心を揺さぶった。
「アイツ、良かったろう?」
その言葉を聞いた瞬間、ラムランサンは身体を巡る血液が、カッと沸騰するのが分かった。頭の中が白く弾け飛んだ。「黙れ!!」と叫ぶと手にしていたランタンを投げ捨て、後ろ手に丸めていた鞭が、アスコットの手元のコーヒーカップを勢い良く叩き落とした。呆気にとられたアスコットの顔はみるみる意地悪く歪み、邪悪な微笑みへと変わって行った。
「アンタが聞きたくても聞けない事言ってやるよ。アイツと俺は何回もやった。アイツは俺の名前を呼びながら、俺の腹ん中に何度もぶちまけたよ!何度もな!」
「黙れ!黙れ!黙れ!!」
耳を塞ぎたくなるような言葉ごと砕け散れとばかりに、鞭が何度も唸りを上げた。一発はデッキの床を打ち、もう一発はクルーザーの窓を砕き、最後の一発がアスコットの頬を掠ってしたたか鮮血が飛び散った。
「このヒステリーめ!明日ジーザスを引き摺ってでも連れて行くからな!お前が言った事だ!恨むなよ!」
「その減らず口!燃やしてやる!」
もはやラムランサンはいつもの理性を失ってしまっていた。足元に落とした、まだ火の灯っているランタンを拾い上げると、相手目掛けて振り上げた。
「ラム様!」
背後からその手を止める者がいた。
ロンバードがその手からランタンを取り上げ、息を荒げているラムランサンの肩を宥めるように抱いた。
「なんの騒ぎです。無闇に鞭を振るってはいけませんよ、ラム様。
例え失礼な輩がいたとしてもです」
丁寧な言葉ではあったが、その目は明らかにアスコットを非難していた。
「さあ、お部屋へお下がりください。イーサンが着替えを持って行きましたよ?」
さあさあと、背中を急かしてラムランサンを部屋へ行くようにと促した。
「貴方も。何故今日、出航しなかったのですか?」
ロンバードはそう尋ねながらも、船内の様子をさり気なく観察していた。
「ここの連中は、よっぽど俺がここにいるのが気に食わないと見えるね。説明すんのもう面倒だよ。気になるならさ、後で三日月君に聞いてよ」
修理用の汚れた布で、頬の傷から流れる血を拭きながら、アスコットは退散を決め込んでクルーザーの中へと引っ込んで行った。
ロンバードは何かの違和感に囚われて、もう一度クルーザーを見渡した。そしてある事に気がついた。
昼間クルーザーに積み残していた三箱の姿が見当たらない。恐らく違う所の頼まれ物だと思っていたのだが、それが消えていることが何故かロンバードには引っ掛かった。
「嫌な感じがしますねえ。本当に嫌な感じです」
珍しくその表情を固く曇らせながら、ロンバードもその場を後にした。
「俺。アスコットだ。この前の件、まだ有効?
気が変わった。引き受けるよ。場所はこのGPSを辿ればいい」
暗闇でスマートフォンの明かりがアスコットの顔を冷たく浮かび上がらせていた。
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