第13話 愛と言うのじゃないけれど

 ラムランサンの朝はたいがい遅い。それは真夜中に集中して神託を行うからだった。

 昼食は食べず、早めの夕食をとり、その合間に持ち込まれてくる様々な依頼を読んでは真夜中に神託を行う。その隙間に好きな読書をしたり、クジャクと戯れたり。それが毎日の彼のルーティンだ。

 時折、依頼主に会いに出向く事はあったとしても、そのほとんどを城の中で過ごしている。きっとこの先もそんな毎日が続くのだ。

 たまに思う。自分は城飼いの孔雀と同じ。神託と言う城に繋がれ、一人では何処にも飛び立てない。美しく羽を広げても、見てくれる人は誰もいない。それでも、これが自分で選んだ道なのだ。



 今朝、珍しく台所で朝食をとった時、ラムランサンはノーランマークを冷たくあしらった事をぼんやり考えていた。

 この日、依頼書の入った封筒を丁寧に一通一通ペーパーナイフで開封しながら自然とため息が漏れていた。

 辛い夜など今まで沢山あったのに、昨夜に限ってなぜあの男に縋ったりしたのだろうか。泥棒で、詐欺師で、どこかきな臭さを感じるあんな男に。

 彼は自分とは全く違う生き方をする男だと分かっていたのに、一時の感情に任せて流された。

 最初はほんの好奇心で連れて来た。つまらない日常のほんの息抜き。悪い言い方をすると玩具のつもりだった。

 人をみだりにそんな風に扱った、そのしっぺ返しを今自分は受けているのだと思た。今更後悔しても遅かった。

 感情を滅多に表に出すような自分では無かったが、自らが誘った自覚があるだけに、ラムランサンは激しく落ち込んでいた。

 依頼の文字を読んでいても、目が字面を撫でるだけで、一向に頭の中へと入ってはくれない。

 切なくベッドを見れば、昨夜の自分の媚態と同時に、耳元の熱いノーランマークの吐息を思い出しては全身が泡立つのを感じた。

 初めて受け入れた花園は、まだノーランマークがそこに居るような感触が残っている。ズキズキとした痛みが残り火のように、鈍くそこに留まり続けていた。


「こんなのは私ではない!」


 全てを吹っ切るように、机を思い切り叩いて勢い任せに立ち上がる。足元に依頼の封筒がヒラヒラと舞い落ちた。


「神殿に篭る!誰も近付かせるな!」


「かしこ参りました」


 控えていたロンバードは恭しく頭を下げてその後ろ姿を見送ったが、ロンバードはラムランサンとはまた違う悩みを抱えていた。

 それは今に始まった悩みでは無く、もう十年も前からの長きに渡る悩みだった。

 それは自分亡き後、この城や主人を任せる者がいない事だった。イーサンがいるには居たが、城の雑務には長けても武闘の才能は壊滅的だった。よわい七十。もう先は長く無かった。


 考えあぐねたロンバードには、もうノーランマークと言う一手しか浮かばなかったのだ。


 ロンバードとノーランマークの真昼の決闘ならぬ、執事の決死のお願いが行われていたその頃、一人静かにラムランサンは神殿の中に居た。

 神殿は円形の小さな広間になっており、何かの神を象った五つの支柱とドーム型の丸天井で囲われた密室だった。

 正面の拝殿には天井まで届くほどの巨大な石の神体が、壁に埋め込まれるように立っている。西洋と東洋が入り混じったような神の立像だった。

 それは様々な動物が入り混じり、地球上の全ての生き物が集まっているような異形を成していた。

 その中央に配してある紫の敷物に、ラムランサンは額づいていた。

 顔を上げ、姿勢を正して跪き、腹部に両手を当てると、神に何かを問うように何時間もその姿勢のまま佇んだ。

 こうして天地がひっくり返るような一日が、静かに終わろうとしていた。


 月は真上に輝いていた。憂を含むような下弦の月明かりが、背の高い岩に囲まれた小さな入江に差し込んでいた。

 シャワーを浴びても身体の火照りの治らないノーランマークが、夜風に当たりながら砂浜を歩いている。

 明日、アスコットに会えたなら、どう言う方法だとしても、ここから脱出してしまおう。それは決意にしては脆弱なものだった。脱出のチャンスを目の前にして、ノーランマークには迷いが生まれていた。

 波音にやるせなく視線を上げると、浅瀬に人影があるのに気がついた。月明かりの中に浮かぶその姿は、月の女神が波と戯れているような、優美で神秘的な光景だった。

 夜を広げたような長い漆黒の濡れ髪に、白いパレオだけを纏った肌が青白く輝いている。ラムランサンだった。


 ノーランマークは引き寄せられるように彼の元へと近づいて行く。

 波をかき分ける音に気がついたラムランサンは、それがノーランマークであると分かると、慌てて踵を返して岸辺へと走り出した。

 ノーランマークは服が濡れるのも構わずラムランサンを追いかけた。

 とうとうラムランサンは腕を掴まれると、強い力で抱き竦められた。


「やめ……っ!」


 有無を言わせぬノーランマークの口付けに、ラムランサンの言葉は塞がれた。 

 ラムランサンも抱き竦められると、そこから抵抗する力がみるみる萎えた。

 重ねられた唇は、自分の意思を遥かに超えて、ノーランマークを欲しがっていた。息も出来ない程の激しい口付けに、束の間二人はその身を焦がした。



『愛と言うのじゃないけれど、私は抱かれてみたかった』



 そんな異国の歌の歌詞が、ラムランサンの心に泡となって浮かんで消えた。

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