第12話 小石の波紋
「やりますね。思った通りです。素晴らしい!」
驚いたことに、ノーランマークを襲った犯人は執事のロンバードだった。
構えていたナイフを納めて不適に笑う姿はドラキュラ伯爵か悪魔のように禍々しい。
普段の善良で温厚なじじいの姿とはだいぶかけ離れて見えた。
驚きと怒りの表情を浮かべたノーランマークはまだ警戒を解かずに構えていた。
「何をするんだ!サー・ロンバード!オレを殺す気か?!
もしや昨夜の仕返しなのか?」
「はて?昨夜の仕返しとは?」
「惚けるな!オレたちがやってたの知ってるだろう?!大事な坊ちゃんに手を出したのが許せないのか?
だったら言うが誘って来たのはあいつの方だからな!」
ノーランマークは今朝からのロンバードの奥歯に物が挟まったような態度にイライラを募らせていた。
さらに後ろめたさも手伝って一気に怒りに任せてまくし立てた。
そんな様子と正反対に、穏やかな表情に戻っているロンバードが顎をさすりながら可笑しそうに言う。
「まだお若いですなあ、ノーランマーク。そんな事で七十のじじいが動揺しているとでも思ったのですか?」
「なにっ?!」
「少しばかり試させて頂きましたよ、ノーランマーク」
再びその表情をロンバードは固くした。
「試す?何をだ」
「私同様に貴方も相当お出来になるのではないですかな?」
質問の意図が見えずにノーランマークは眉をひそめて黙した。
「貴方は身体能力が高い。身のこなしを見るからに腕の立つお方だ。頭の回転も早く、私同様にあらゆる武器に精通しているようだ。無論あらゆる乗り物も恐らくは乗りこなせる。これは推測ですが、違いますかな?」
確かに、これまで死ぬほど危険な目にも遭って来た。戻れない橋もいくつも渡り、普通の人間が見てはいけないものも見て来た。
そのどれからも生還し、生き延びて来た自負はあった。
「そこまで買い被って頂いたのに申し訳ないが、生憎、自慢するのが嫌いな性質でね」
「能ある鷹は爪を隠す。と言うところですな?」
「いいから早く用件を話せ!」
ノーランマークはじれていた。思わず一歩相手へとにじり寄る。
「では、単刀直入に申しましょう。
ラム様の執事になっては頂けませんかな?」
「………はい?」
余りの事にノーランマークは言葉が理解出来ずに呆然となった。
「それは。何の。冗談だ?……分かったぞ。
これも嫌がらせか?」
「そうではありません。真面目なお願いなのです。私はもう年寄りです。ご存知のように、私亡き後、ラム様をお守りする人間がおりません。これまで十年、探しては見ましたが見つかりませんでした」
「そんなバカなことあるか!オレより使い物になるやつなんて五万といる。オレみたいなコソ泥で詐欺師なんざスカウトする価値もない」
卑下したつもりはないが、結果的に同じだった。
「そうです。腕が立ち、頭の回転が良い人間は沢山いますが、ラム様が信頼おける方となると」
ノーランマークは思わず鼻で笑った。
「信頼?オレがラムに信頼されていると思うのか?今朝の態度見ろよ!あれで信頼されていると思うか?」
あれだけ熱い情を交わしておきながら、今朝は言葉はおろか目すら合わせては貰えなかった。
自分だってラムランサンと話そうとはしなかった癖に、勝手な事を思っていた。
さらにロンバードは恐るべき事を口にした。
「初めてなのですよ。あれはラム様にとって初めての事だったのです。あのプライドの高いラム様が、誰かに全てを許すとは。十年お仕えして初めての事なのです」
ノーランマークは一瞬足元がぐらついた。やらかした。と言う思いが頭を駆け巡り、胸苦しさを覚えて額に手を当て項垂れた。
誘われて抱いてみたものの、慣れた風でもない。そう言う事だったかと得心していた。
「要するに。責任をとれと」
「そうではありません。貴方もラム様の事を少しは好いてらっしゃるかと」
「一回抱いただけで惚れたの腫れたの言ってたら身がもたない。申し訳ないが、そんな気はオレには無い」
ノーランマークは突っぱねた。突っぱねたはずだが、心に波紋が広がるのを認めざを得ない。
ざわついた気持ちを宥めるようにシャツの胸元を握り締めた。
その時、遠くでイーサンがノーランマークを呼ぶ声がした。
近くの木々が風に騒めいた。
「悪いが他を当たってくれ」
素っ気なくノーランマークはそう言い捨てると、逃げるようにその場を去った。
後に残されたロンバードは、そんな彼の後ろ姿を長いこと見送った。
ノーランマークは明らかに動揺していた。
経験豊富な方だと自負していたが、初物の経験は無かったからだ。こんな事くらいで自分が動揺するとは自分自身、想定外だった。
娘をお願いします。
そう言われたような気分になりながら、ノーランマークはイーサンに言いつけられた煙突の掃除をしていた。
長いブラシを煙突に突っ込み、顔中すすだらけになりながら、頭は違うことばかりを考えていた。
明日にはここをおさらばしよう。
輝石が欲しいとか言ってる場合ではない。このままでいくと本当にラムランサンの下僕になってしまう。
自由気ままに生きていくのが何より好きな自分としては、それは耐え難い事だった。
そう考える一方で、一度狙い定めた獲物を手にする事すら出来ずに退散するのは釈然としない。
それに加えてラムランサンの事が確かに気にかかっていた。
一度心に投げられた小石が、じわじわとその波紋を押し広げた。
自分に抱かれている時の彼の顔がチラついて、掃除をしている手が何度も止まった。
夕食をとっている時も、ラムランサンの甘い唇の事を思い出した。
一仕事を終えてシャワーを浴びている時も、身体で覚えたばかりのラムランサンの肌の感触が蘇る。その香りまで漂って来る錯覚に、雄が硬く勃ち上がる。
堪らずに自分を抱きしめた。
降り頻るシャワーの雨の中、ノーランマークはラムランサンを思い浮かべながら自分自身を慰めていた。
ロンバードに昼間言われた事を認めざるをえなかった。
悔し紛れにシャワー室の壁を拳で殴ると鮮血が滴り落ちる。
自身で吐き出した欲望の成れの果てが、拳から流れた血と共に排水溝に流されて行った。
「くそっ!
オレはあいつにハマってる」
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