第3話 囚徒

「なんの騒ぎです?」

 

 鞭の唸りに気付いたらしい強面執事が緊迫した場面とは思えない、のんびりした様子で隣の控え室から現れた。靴磨きの途中だったらしく、左手に黒い革靴をはめ、右手には布を持っていた。


「おやおや、もう見つかってしまったのですか?貴方」


 侵入者の発覚に驚いた様子もなく、小馬鹿にした目つきで床に転がる男を一瞥した。

 

「ロンバード、お前この侵入者に気がついていたのだろう?何故すぐに捕まえ無いのだ」


「首相が言っていたじゃありませんか。このことが漏れたら何とかかんとか。首相の目の前で賊を捕まえられるわけ無いじゃあませんか。で、どうなさいますか?殺しておしまいに?」


「お前ねえ、私を殺人鬼にしたてたいのか?神の申し子にもう少し敬意を払ってはどう?」


 ノーランマークを無視して主従の漫才を見せられている気分になり、囚われの身だと言うのにノーランマークは何となく面白くなかった。窮地に陥ることよりも無視されることの方が我慢ならない男なのだ。


「おいおい!この状況を見ろよ。オレになんか言うことないのか?何か質問してたんじゃないのか?ほら、何者だ?とか聞いてなかった?他にも何かあるだろう。鞭で打ってすみませんでもいいぜ?」


 最後の一文がラムランサンの神経を逆撫でた。鞭を派手に床に打ち鳴らし、ノーランマークを威嚇した。


「調子に乗るな!くせ者のくせに!話す気があるなら話すが良い。だが答え次第では…」


「殺す」

 

 間髪入れない執事の余計な突っ込みに、ラムランサンは黙れと睨んだ。執事は肩を窄めて見せると、再び靴磨きをしながら奥へと引っ込んでいった。


「あんたら何なんだよ!さっきから殺す殺すって!」


「さっき?と言うことは、さっきの会話も聞いていたのだな?誰かに頼まれての侵入か?」


「違う!ただのコソ泥だ。あんたらは裏口から入ってきろう?相当な金持ちなんだろうと思ったんだ。何かお宝でも無いものかとね」


 ノーランマークは敢えて全部は語らなかった。三日月の公子が持つ輝石を盗みにきたなどとは、お首にも出さずに様子を見る作戦だ。


「本当にそれだけか?」


 ラムランサンは、床に座り込んでいるノーランマークに屈み込み、訝しそうに目を細め不躾に眺めた。

 たわませて握った鞭の先をノーランマークの頬から顎にかけて撫で下ろし、顎先をクイと上げさせると、値踏みするよな目つきでノーランマークの胸元のボタンを二つはずすと男らしい頑丈そうな鎖骨が現れた。逞しい体がシャツの下に隠れているのが分かる。何を考えているか不気味に思ったノーランマークが身動いだ。頬や首筋に乱れ髪が絡みつく。


「お前、良く見るとなかなか男前だね。コソ泥にしておくには少々勿体ない。命と引き換えに私の下僕になると言うのは?」


「はあ??

意味がわからない!」


「頭が悪いのか?ではもう一度、」


「そう言う意味じゃない!コソ泥を下僕にして怖くないのかってことだ。お宝盗みまくってあんたらを殺して逃げるかもしれないぜ?」


 そう言うと目力込めて睨みながら目の前の男の襟元に掴みかかった。その諸行にラムランサンは怯むどころか、可笑しそうに吹き出し高笑いをしたのだ。


「お前が?殺す?ハハハハっ!これでも人を見る目はあるんだよ。お前はそんな事はしない」


 明らかにバカにされた気がしてノーランマークは苛立った。互いの鼻先が触れるほど胸ぐらを引き寄せて力強く締め上げた。


「あんたの細首なんざこのままへし折る事だって出来るんだ」


 凄むと形成は逆転したように見えたが、余裕の生まれた僅かな隙を狙うようにノーランマークは不意を突かれた。いきなりラムランサンは伸び上がり、ノーランマークの唇にキスをして来たのだ。

 驚いて突き放すのも忘れ、暫し茫然と目を見開くノーランマーク。突然の口づけは驚くほど甘く、先程彼が口に含んでいた紅茶の、甘酸っぱいラズベリーの香りがした。女のそれよりもしっとりと吸い付くような唇の感触。滑り込んできた舌はベルベットのような味わいだった。


「な、何する貴様っ!」


 慌てて相手を突き飛ばしたが、しっかりラムランサンの唇を味わってからでは遅すぎた。何かを見透かすようなラムランサンのニヤついた顔に図らずもノーランマークは羞恥した。


「下僕決定!帰るぞ!」


 文句はないなと言わんばかりの尊大な態度で、ラムランサンはノーランマークではなく、奥の執事へと叫んだ。

 ノーランマークは強引に逃げようとすれば逃げられた。だが輝石を諦めたわけでもなかった。このチャンスを失えば次はいつやってくるか分からない。この危機に乗じてお宝を手に入れてやろうと抜けめ無く考え始めていた。

 三日月の公子のアジトに潜れるなんてラッキーだ、ぐらいに思っていたノーランマークには、何の危機感もない。いつだってこんなピンチはチャンスに変えて来た。どちらに転ぶかはその時になってみないと分からない。ただ、上手く立ち回ることに関しては少しばかり自信がある。ひとまずここは大人しくラムランサンの拠点へと連行されるのが上作だと彼は思った。


「オレが大人しく囚徒に成り下がると思うなよ、今に見ていろ!オレを殺さなかった事を後悔させて…や、る」


 虚勢を張ってラムランサンに噛みついたものの、ノーランマークは急な眠気に襲われた。立ち上がろうとしていた膝が崩れ、再び床へとグニャリと崩れた。手足からは力が抜け、ラムランサンを最後まで睨み見つけていた瞳の力が失われて行く。


「貴様…やりやがった、な…っ」


 その時になって初めて、あの口づけの意味にノーランマークは気がついた。甘いラズベリーの正体が睡眠薬であったことに!

ラムランサンの胸ぐらを掴んでいた手がズルズルと滑り落ち、やがて瞼が閉じられた。



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