9 奴隷剣士の少女
ジョーカーの意識が急速に覚醒する。
わずかな時間、自分は確かに精神世界の奥深くに立っていた。
「どうやら、なんらかのレゾンデートルを得たようですね。それとは別に、あなたは既に『ドリフターズ』のレゾンデートルをも獲得しています」
「まぁ、当然だろうな」
異世界から来た時点で、その存在定義は余所者だ。獲得していて当然だろう。
強く意識することで、胸式呼吸と腹式呼吸を切り替えるみたいに、レゾンデートルの存在を認識できた。ドリフターズの能力。それは、神々が定めたあらゆるルールの制約を受けない、だ。
「……どうやら、もう限界のようです。どうか、お願いいたします。心優しき殺人鬼よ。この世界を救ってください」
悲痛な声と真摯に願うような表情で、レクイチェルが懇願してくる。その顔の大部分は、透明な球体の侵食で消失してしまっている。
「ちょっと待ってよ! 私はどうなるの? 神様と戦うとか冗談じゃないんだけど!?」
周囲に漂っているしんみりムードをぶち壊すような勢いで、女が抗議の声をあげた。
「……ごめんなさい。本当にごめんなさい」
「謝った!?」
そしてレクイチェルの姿は飲み込まれるように消えていき、次の瞬間、激しい光があたりを覆い尽くした。
† † †
光が収まると同時に、さまざまな刺激が結奈の五感に飛び込んできた。肌を撫でる風の感触と草木の匂い、照りつける太陽と森がざわざわと揺れる音。
結奈は呆然と、目に飛び込んでくる風景に見とれていた。
どうやら自分たちは、小高い丘の上にいるらしい。背後には鬱蒼と茂る森が広がっており、前の崖下には、肌のめくれた荒れ地が見渡せる。その先には再び森が広がっていた。
「……ここは?」
「どうやら、ここがアルゲンベスタらしいな」
結奈の質問に、隣に立つジョーカーが答える。その姿は全裸ではなく、黒を基調とした衣装に身を包んでいた。
ズボンとジャケットに、シャツといった現代的な服装。しかし、肩や手足などには甲冑の一部のようなものが取り付けられており、一応は鎧なのだろう。
しかし、保護部位が少なすぎて、防具の意味がないような気がする。
結奈は慌てて自分の姿を確認する。質素な布を縫い合わせたワンピースのような衣装。
スカートの下には、ショートパンツのような物を穿いている。とりあえず全裸でなかったことに、ほっと息をつく。
その瞬間、ずしりと首のあたりに違和感を覚えた。
恐る恐る首のあたりを触ってみる。硬い金属でできたチョーカーみたいなものが、首に巻いてあった。え? なにこれ?
「随分とデカい首輪をつけているな。まるで奴隷のようだ」
「は? 首輪!? 奴隷!?」
確かに言われてみれば、この無骨な形は金属でできた首輪に違いない。ご丁寧に鎖をつける輪っかの部分まであった。
「ななななななな、なによ、これ!! なんでぇ!???」
「おおかた手錠が変化したものだろう。もともと警察の犬だったんだ。問題ないじゃないか」
「大有りよ! 私は国家公務員であって奴隷じゃないわ!」
「それは無知蒙昧というやつだな。奴隷たちから文句が出ない形に奴隷制度をアレンジしたものが、現代の公務員やサラリーマンといった仕組みだ。働いても働いても給料が大して上がらない事実に疑問は抱かなかったのか?」
「うるさいわね。いまはそんなこと、どうだっていいの! これ、どうやって外すのよ!」
「奴隷には奴隷らしく、命令のひとつでもしてやろうか」
「だから、誰が奴隷よ!」
「命令だ、犬のちんちんをしろ」
「誰がす――」
しかし、結奈の言葉は最後まで続かなかった。首輪が赤く光ると同時に、結奈は犬のちんちんの格好をする。
「――え? なん……で?」
我に返った結奈は、信じられないといった表情で自分の両手を見つめる。そこになにか書いてあるとは思っていないが、思考を落ち着かせる場所が欲しかった。
「ほう、おもしろいな。もう一回、ちんちんをしてみろ」
「し、しないからね! 絶対にしないからね!」
結奈は必死になって顔を横に振る。先ほどと違い、今度は体に異変はなかった。
「……ふむ」
ジョーカーはわずかばかり思案してから、
「命令だ。ジャンプしろ」
結奈は言われたとおりジャンプした。
「命令だ。猪木のモノマネをしろ」
「元気ですかー!」
「ふむ。顎のシャクレはいまいちだが、努力は認める」
「――って、なにやらせるのよ!」
「頭に『命令だ』をつけると、首輪が赤く光るな。そしていま『命令だ』と言っても、なんの反応もないところを見ると、文脈まで理解していることになる。意外に高性能だぞ、その首輪」
「そんな感心したように言われても、ぜんぜん嬉しくなんだけど……」
溜息交じりに漏らした結奈は、あることに気づき、自分の体を両手で守るような仕草をした。そしてジョーカーを睨み付けながら言う。
「最初に言っておくけど、命令で私に卑猥なことをしたら、あなたを軽蔑するからね」
「まるで、いままで軽蔑していなかったみたいな科白だな。まぁいい、安心しろ。俺に獣姦の趣味はない」
「だから、犬じゃないってーの!」
「そういや、君の名前はなんだ? 名前を知らないと、なにかと不便かもしれん。別に名乗らなくてもいいが、その場合は『大福丸』と命名するぞ」
マイペースに会話をしてくるジョーカーに、結奈は「なんなの、こいつ」と内心で呆れ果てた。残忍な殺人鬼をイメージしていただけに、なんだか調子が狂う。
「……坂西結奈よ」
「ゆいな?」
珍しくジョーカーが戸惑った表情を見せた。結奈は一瞬訝しく思ったが、すぐにその理由に気づく。
「ああ、そういえば、あなたに告白してきた女の子の名前も結奈だったわね。確か漢字も同じだったはずよ」
「そうか、なら君の名前は大福丸にしよう」
「だから、なんでよ!」
「冗談だ。……命令だ。東京特許許可局と十回言え」
「東京特許許可こく、東京とっここか――ぐぁ!」
「おいおい。せめて、一回くらいは成功しろ」
ジョーカーは茶化すように言った。
「うるさいわね。っていうか、いきなりなによ」
「渡された武器の性能を事前に確認することくらい常識だろ? この命令とやらが、どこまで有効か確認したまでさ。少なくとも本人の能力以上のことはできないし、できないと分かった時点で、命令もリセットされるようだな。さて、できなくとも続けるよう命令したら、いったいどうなるのかな」
「ねぇ?」
ひとりで物騒なことを思案するジョーカーに向かって、結奈は神妙な面持ちで訊ねた。
「本当に、あの悪魔の依頼どおり神様を殺すの?」
ジョーカーは戦後最大の殺人鬼であると共に、いくつもの戦場で戦果をつらねた戦闘のプロフェッショナルでもある。
普通の人間であれば、彼に殺せない者はいないだろう。だが、いくらなんでも神様は別格だ。
元の世界にいたような紛い物の神ではない。死んだ者の魂を異世界から召喚するような悪魔でさえ敵わないほどの強大な敵。
いくら悪魔から力をもらったからといっても、勝算は極めて低いように思える。
「は? なぜだ? 誰がいつ、そんなこと言った?」
ジョーカーは、「なに言ってんだこいつ」という表情を向けてきた。
「殺さないの!? その気はなかったの!? じゃあ、なんで力とかもらったのよ!」
「本人が『あげる』と言ったんだ。もらっておいて損はないだろう。どのみちここに来ることは決定事項のようだったしな。危険そうな場所みたいだし、装備は整えていたほうがいい。常識だと思うが?」
「いや、常識とかじゃなくてさ……、悪魔相手に嘘ついたってことに驚いたんだけど?」
「おいおい、勝手に嘘つき呼ばわりしないでくれ。俺はやるともやらないと言っていない。仮にそれで勘違いが起こったとしても、それは勘違いした向こうが悪い。そうだろう?」
「うわぁあ……」
結奈は心底どん引いた悲鳴を漏らした。この殺人鬼の前では、悪魔ですら詐欺被害者なのだ。
「……君はレクイチェルと名乗ったあの悪魔、悪い奴だと思ったか?」
不意に真面目な感じでジョーカーが問うてきた。
「え? いや、そうは見えなかったけど、悪魔なんだし……、普通に考えたら悪い奴じゃないの?」
「自分の感性よりも先入観を優先するか。愚かだな」
結奈はムッとした。先入観じゃなく一般的な定義だ。直感で物事を判断するよりはマシだと思う。
「知っているか? 聖書で神が殺した人間の数は約二百万人、大洪水も考慮すると三千万人に及ぶらしい。ひるがえって悪魔が殺した人間の数は十人かそこらだ」
「え? そうなの?」
結奈は意外に思った。どうしても悪魔のほうが人を殺している気はする。だけど、確かにノアの箱舟の話で大洪水を起こしたのは、神様のほうだ。
「神か悪魔なんて所詮敵か味方かの違いでしかない。戦いに勝った者が善を名乗り、負けたほうが悪とされる。君もよく知っているだろう?」
「つまり、この世界では神が悪で、悪魔が善ってこと?」
「さあな。だが、一度は死んだ俺たちが、こうして第二の人生を与えられたわけだ。こっちの世界も存分に楽しまないと損だぞ」
まるで子供みたいに明るい口調で言うジョーカーの横顔は、その明るい口調とは正反対に、醜く残忍に笑う悪鬼の笑みを想起させた。
理不尽に神々に虐げられる世界。この世界で「正義の殺人鬼」たるジョーカーは、どのような生き方をするのか。結奈は底の見えない不安を覚えた。
優れていれば何をやっても許されるのか!? ~異世界でも思い上がった上級国民は絶対に許さないマン~ 赤月カケヤ @kakeya_redmoon
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