8 悪魔少女の悲痛な願い

 その科白に合わせるようにして、少女が顔を顰める。そして、ゆっくりと瞼を開いた。目が覚めた彼女は、何かを探すみたいに視線を周囲に這わせてから口を開く。


「そこに誰かいますか?」


 透き通るような綺麗な声だった。どこか温かさを感じる声。


「ほう、君は目が見えないのか?」


 ジョーカーの声に、少女は安堵したように微笑む。


「すみません、どうやら召喚の術で力を使い果たし、視力を失ったようです。私の名は、レクイチェル・アンガー。第十三階層の悪魔にて、あなたの魂を異世界より召喚せしめし者です」


「召喚ということは、ここは地獄ではないのか?」


「おそらく地獄とは、私たちの世界で言う冥獄のことかと思いますが、ここは地獄ではありません。ここは魂だけが存在できるプシュケーの座、アストラル界です。異世界で死んだあなたの魂を訳あって召喚いたしました」


 そんなことを言うレクイチェルの体は、複数の透明な球体によって徐々に侵食され、消滅し続けていた。


「体が消えかけているな。召喚の影響か?」


「醜い姿を見せてしまい、申し訳ありません。これは召喚の影響ではなく、神々の定めたルールに逆らった結果です。神々のルールを逸脱した者は、この世界から消滅してしまうのです。ここはアストラル界なので、体の消滅はゆっくりなのですが、すでに現実世界の私の体は消えてなくなっていることでしょう」


 レクイチェルは意を決したような表情になると、ベッドの上で深々と頭を下げた。


「無理を承知でお願いいたします。どうか、私の世界、アルゲンベスタをお救いください。私はあなたのような方をずっと待ち望んでおりました。この世の理不尽を憎み、絶対的な力にも臆さぬ、正義の殺人鬼の登場を!」


「ちょっと待ってよ! 正義の殺人鬼ってなに? 私は違うわよ! こんな奴と一緒にしないで!」


 抗議の声をあげたのは特殊部隊の女だ。


「え? 誰……です? ほかに人がいるのですか?」


 しかしレクイチェルは、戸惑った反応をみせる。


「誰って? 私も召喚されたんじゃないの?」


「いえ。え? なんでいる……ええぇっ?」


「良かったな。明らかに想定外な感じだ」


「へ? ……想定外? じゃあ、なんで私はここにいるのよ!?」


「そ、それが、私にも……」


 レクイチェルは申し訳なさそうに俯いてしまった。悪魔だと言っていた割には、根は素直で優しい奴なのかもしれない。


「そんな細かいことはどうでもいい。早く用件を言え」


「細かいことじゃないわよ! 元の世界に戻れなくていいの?」


「話を聞いてなかったのか? 俺たちは死んだ後に召喚されたんだぞ?」


 ジョーカーの指摘に、女は口ごもった。仮に戻れるとしても、そこがあの世であることを悟ったらしい。



「体の崩壊が早いな。ここに存在できるのもあと少しではないのか? どう世界を救ってほしいのか、何も訊いてないぞ」


「そうですね。確かにもう時間はありません。……あなたにお願いしたいのは、この世界――アルゲンベスタを創った神々の殺害です。彼らは娯楽と称し、多くの弱き者たちに過酷な運命を与え、弄び、残虐非道な行いをしています。いくら自分たちの創造物とはいえ、あのような非道な行いは許されるものではありません。どうか邪悪な神々を殺し、人々を不幸からお救いください」


「見返りはなんだ?」


「……ありません」


 レクイチェルが悲痛な表情で答える。


「俺に依頼する理由はなんだ? ただの人間より、悪魔である貴様のほうが適任だと思うが? 先ほどの『神々の定めたルール』とやらに関係するのか?」


「そうです。この世界では神々の定めた存在定義に従って、あらゆる命が存在しています。悪魔も同じで、その存在定義上、神々に逆らう行為自体が禁止されています。しかし、異世界者は違います。あなたはこの世界の神々によって存在を定義されていないため、ルールの適応を受けません。神々に逆らうことも、神々を傷つけることも可能なのです」


「なるほど。神々を害することのできる人間を召喚した。それが反逆行為と見なされたわけか」


「ちょっと待って。神々ってことは、複数いるのよね? みんながみんな残虐非道なわけ? 抗議する神様はいないの?」


 女の質問に、レクイチェルは複雑な表情を浮かべた。


「……私もかつては女神でした。しかし、同胞に意見した結果、悪魔として階層の奥深くに堕とされてしまったのです」


「この世界も、俺たちの世界となんら変わらないみたいだな」


 正しさや思いやりよりも、権力者の気分ですべてが決まる。彼らにとっては、自分に逆らうこと自体が悪なのだ。


「ところで念のために質問だが、神とやらを殺すのに条件はあるのか? ナイフで首を掻っ切れば死ぬのか?」


「はい。多少生命力は高いですが、人を殺すのと同じ方法で神を殺すことはできます。しかしながら、人の力で強大な力を持つ神々に対抗するのは現実的ではありません。そこで、あなたに二つの力を授けます。どうか、私に口づけを」


「了解した」


「え? ちょっと待――」


 女が制止しようしてきたが、ジョーカーは構うことなく、レクイチェルと口づけを交わした。


「ちょっと、やめなさいよ! 危険じゃ――むぐっ!」


 女が邪魔してきたので、その頭をベッドに押さえつけて、そのまま十数秒、じっくりとレクイチェルの唇を堪能する。今にも死にそうなのに、やわらかくて瑞々しい唇の感触。やがて唾液の糸を伸ばしながら口づけを終える。


「これであなたは私の契約者となりました。悪魔と契約した者は魔人と呼ばれ、強大な力を有します」


「ふむ、まだ実感は湧かないな」


「ふむ、じゃないわよ! 悪魔とキスするなんて正気? 警戒心が足りないんじゃない!?」


 自分の体の状態を確かめるジョーカーに、女が唾を飛ばしながら注意する。


「それは小物の発想だぞ。小物ほど騙されることに怯えて、チャンスを逃すものさ」


「騙されるよりはマシでしょ」


「わかっていないなぁ。大事なのは、正確に物事を見抜くことだ。騙す気のない相手を疑っている時点で、それは騙される以上に愚かでしかない。コスト&プロフィットではなく、ゼロイチでしか物事を考えられない馬鹿だ。損失はすぐに挽回できるが、チャンスはなかなか巡ってこないものだぞ」


「うっ、それは……」


 女は再び言葉に詰まった。どうやら思い当たる節があるようだ。なんでもそうだが、やらない理由を探す人間よりも、やる理由を探す人間のほうが成功に近づくことができる。愚か者のみが、王を殺せるのだ。


「それで、もうひとつの力とやらは?」


「それは――既にあなたが持っている力で、それこそがあなたを召喚した理由なのです。アルゲンベスタでは存在定義こそが世界の理を成し、同時に世界の理を破壊することができるのです。人が持つ生まれながらの運命のことを『【生質:きしつ】』と呼びます。その者がなんのために生まれ、なんのために生きているのか? 生質が加速し、スキルとして使用できるようになった運命を『レゾンデートル』と呼びます。あなたの生まれた理由、生きてきた意味こそが、邪悪な神々を滅ぼす力となりましょう」


「ほう、趣味でやっていた殺人鬼が役に立つというわけか」


 ――それは違う。


(なんだ?)


 ジョーカーは突如頭の中に聞こえてきた声に戸惑いを覚えた。これはレクイチェルの声でも、横にいる騒がしい女の声でもない。


 懐かしいようで、まったく知らない声。


 おそらくは、記憶にある誰かの声を組み合わせてつくられた自分自身の声だ。なぜか、その事実を理解することができた。


 ――あなたは常に本心を隠してきた。

 ――偽りの人生を送ってきた。


(当然だ。誰しも己の心に嘘をついて生きている)


 ――否、それは否。

 ――あなたの嘘は攻撃のための嘘。

 ――あなたの嘘は世界を殺すための嘘。

 ――誰かのために嘘をつき、自分の心はどこにもなく、

 ――幾重にも重ねられた嘘は、現実さえも書き換えていく。

 ――それが、あなたの生きる理由。

 ――それが、あなたの生きる意味。

 ――生質は加速し、運命は姿を成す。

 ――顕現せし運命は、新たな力として汝に宿らん!

 ――レゾンデートルはここにあり! 汝、『フールゴールド』を獲得せり!

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