7 死後の世界!?

 ――君のそういう我関せずって態度よくないよ。


 快活な少女の声。どこか懐かしい気持ちになる。


「人に迷惑をかけることが悪ならば、人に関わらないことは善だ」


 ――そういう屁理屈だけは得意なんだから。だから友達が少ないのよ。


「安心しろ。少なくとも君より友達は多いさ」


 ――君はいつも嘘ばっかり。本心を隠して自分を偽って。いつか本当の自分自身も失っちゃうよ。


「哲学的な驕りだな。人の細胞は日々入れ替わっているし、価値観や記憶も日々更新されていく。テセウスの船さ。変化こそが人の正常な在り方だ」


 ――それでも、変わっちゃ駄目なものがある。私は君のそれを守ってあげたかった。でも、私にはもう無理なの。だからね。つないでおいたから。


「何を言っている?」


 ――君は何も悪くない。だからね、もう自由になっていいんだよ……。




「――ううぅっ」


 ジョーカーは小さく呻いて目を醒ました。ついさっきまで、あの少女と会話をしていたような記憶がある。


 更科結奈。

 電車で年寄りに席を譲らない若者と喧嘩になっていたところを助けたことで、変に絡んでくるようになった頭のおかしな少女だ。


 お節介で負けず嫌いな性格で、そのくせ心が弱くて、レイプされた程度で自ら命を絶った。

 最初から空いている穴に肉棒を突っ込まれたくらいで、人の尊厳が消えてなくなると思っていた愚か者だ。


 あの国家の犬に昔話をしたせいで、思い出したくもない記憶を思い出してしまったのだろう。自分では正常なつもりだったが、薬の影響で意識が低下していたのかもしれない。


 ジョーカーは周囲を見渡し、すぐにそこが自分の知っている場所と違うことに気づいた。


 白乳色の霧に覆われた床は底が見えず、まるで霧の上に立っているかのようだった。左右には真鍮の柱が均等に並んでいるが、柱の上には何もなく、こちらも白乳色の雲に覆われた空が広がっている。

 雲の隙間から光が漏れていて、どこか死後の世界を連想させた。


 いや、その認識は正しいのかもしれない。俺はあのとき、ミサイルの爆撃で命を落としたのだろう。


 柱が導く先には、場違いにも天蓋付きのベッドが置いてあり、そこに誰かいるようだった。


 ――ジャラ。


 手を動かそうとしたジョーカーは、左手首に手錠がはめられていることに気づく。その先には、SATの女がつながっていた。


 全裸だった。


 そして自分も服を着ていないことに気づく。いや、それどころか、体がうっすらと透けていた。


「う……ん」


 そのときだ。女の瞼がかすかに動いた。どうやら意識を取り戻したらしい。


 どこかぼんやりとした視線がジョーカーをとらえた瞬間、その瞳に力が宿った。女は素早い動きで立ちあがると、警戒したように距離を取ろうとする。


「ぐえっ!」


 しかし、首にはめられた手錠のせいで、潰されたカエルのような声をもらした。


 記憶が混濁しているのか、手錠のことを失念していたらしい。憎々しげにこちらを睨みつけてくる。しかし、次の瞬間、女は目をぱちくりとさせた。


「な、なんで裸なの!?」


 ああ、そのことか。とジョーカーは思った。ある意味度胸の据わった女だ。


「お互い様だろ?」


 ジョーカーの指摘に、一瞬きょとんとした女は、恐る恐るといった感じで自分の体を見た。


「ななななな、なんですとぉおおおおお!?」


 慌てて自分の体を隠しながら縮こまる。


「おいおい、もっと女らしい叫び声を出せないのか?」


 ジョーカーは小馬鹿にしたように言った。スタイルは良いが、色気のない女だ。


「う、うるさいわね、この馬鹿! なんで裸なの!? 変態! このレイプ魔! 舌を噛み切って死んでやるから!」


「おい、少し黙れ」


 ジョーカーは不機嫌さを隠さず言葉を放つ。意味のない会話に付き合う気はない。殺気を感じたのか、女が真剣な表情で、こちらの様子をうかがってくる。


「命はとても大切なものなんだろ? それとも君の人生は、捨てアカみたいなものか? まぁ、どのみち舌を噛み切ったところで人は死なないがな」


「知ってるわよ、そんなこと」


 どうやら怯えて押し黙るタイプではないらしい。そういうところは嫌いじゃない。


「それと期待に添えず申し訳ないが、俺は何もしていない。ここはどうやら死後の世界らしい。さしずめ、あいつは閻魔大王といったところか」


 ジョーカーは、天蓋付きのベッドを顎で示す。女の息を呑む気配が伝わってきた。


 天蓋付きのベッドの上には、ひとりの少女が横たわっていた。年齢は十代前半といった感じで、介護ベッドのように頭の部分が持ち上がっているため、一糸まとわぬ上半身が露になっている。


 けれどもその上半身は、複数の透明な球体に侵食されているかのように、原型を切り取られており、頭の半分も抉れてなくなっていた。

 残った頭部には、悪魔を想起させる禍々しくて巨大な角のアクセサリー。少女自体、作り物の可能性もあるが、おそらくは違うだろう。


「死んでるの?」


「あれで生きていたら、人間ではないな」


 言うや、ジョーカーは少女の元へ向かおうとする。


「ちょ、何する気? 私を巻き込まないで!」


 女が踏ん張って抵抗の意思を示してくる。嫌がる犬を引っ張っているような気分だ。


「君のいた特殊部隊はおままごとか? 珍しくもないだろう」


 ジョーカーが小馬鹿にすると、女はムッとした表情をした。どうやら、一丁前にプライドが傷ついたらしい。抵抗をやめてついてくる。


 やはりというか、少女は作り物ではなかった。肌の質や呼吸など、間近で見ると彼女が本物である証拠が五感を通して理解できる。


「ほう、驚いた。こいつ生きているぞ」


「あなた死んでるって言ったじゃない!」


 ジョーカーの科白に、女が非難するような声を出す。


「こらこら、勝手に人の言葉を誤解したうえに批判するな。俺は生きていれば人間じゃないと言っただけだ」


「じゃあ、この人は……」


「目覚めるようだ。黙っていろ」

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