12星座ヤンデレがハーレムだったら (プロローグ風)

@redbluegreen

第1話

 ―――それを、僕は夢だと認識していた。

 ―――向かい合う二人の人間。

 ―――一人は、僕。

 ―――そして、もう一人は、僕がよく知る彼女。

 ―――彼女が口を動かすが、台詞はうまく聞き取れない。

 ―――一瞬とも永遠とも取れる時間の後、彼女は語り終える。

 ―――それから、彼女はゆっくりとこちらに近付いて来る。

 ―――僕は、その場から一歩も動けない。

 ―――段々と、近付いてくる彼女。

 ―――目と鼻の先だというのに、彼女の表情は、もやがかかったように曖昧で、つかめない。

 ―――やがて、僕の目の前にやってくると、凶器を手にした彼女は、口元をゆがめた後……………………………………………………………………………………………………………………………………




 揺れていた。

 地震なんて比喩ではなく、むしろそれは、ジェットーコースターに乗せられているような感覚。

 ブンブンブンブンブンブンブンブンと、揺れている揺れている。

「………ろ。……………ろ」

 上も下も右も左もわからない平衡感覚。

 けれどもどういうわけか、その感覚は上半身のみで、腹から下はまったくといっていいほど微動だにしていなかった。むしろ、固定されているかのごとく動かない。

 上は大揺れ、下は金縛り、これなーんだ?

 僕は徐々に意識が覚醒し、その目を開く。

「あ、やっと起きたー! もう、折角私が起こしに来たんだから、早く起きてよね。プンプン」

「うわっ!」

 突如眼前に登場した人影に恐怖の含んだ悲鳴が上がる。反射的に後ずさりそうになるが、だが残念、そこはベッドの上であり、かつ彼女に馬乗りにされていたため、逃げる事はかなわなかった。

「えぇー、なになにー? かわいい彼女が目の前にいるっていうのに、悲鳴あげるなんてひっどーい。私泣いちゃうー、しくしく」

 と、悲壮感とはまったく無縁の大根役者の演技で泣き真似をしていた彼女は、僕の幼馴染である【おひつじ座】だった。

「………いやそりゃ、目を開いていきなり誰かいたら悲鳴の一つもあげるって」

 こちらの言い分に対し【おひつじ座】は、 

「そーう? 私だったら、目を開けて真っ先に君がいたら、王子様のキスで目覚めたお姫様の気分になって幸せになるけど?」

 首をコクンとかしげる【おひつじ座】。

 次いで、「あ」と、何かを思い出したように手をポーンと叩く。

 ………それより、早く上からどいてくれないかな。

「そういえばこないだ行った遊園地にも、そんなアトラクションがあったよね。シンデレラだっけ? 白雪姫だっけ? どっちかのおとぎ話のアトラクションでさ。すっごいロマンチックだったよねー」

「あー。そんなのもあったっけ………」

 記憶を掘り起こす作業と平行に頷く。

 あの日は【おひつじ座】に振り回されっぱなしの一日だったので、そこら辺の記憶はあまりよく覚えていなかった。

「あー、さては忘れてるなー。もう、折角の彼女とのデートを忘れるなんて、さいてーだなー」

 頬を膨らませ怒りアピールをする【おひつじ座】。

「いや、デートっていうか、遊びに行っただけだけど………」

「んー? 二人きりで遊びに行ったんだからデートでしょ?」

「いやいや」

「いやいや」

「……………」

「……………」

「…………………………」

「…………………………」

「………………………………………」

「………………………………………デート、だよね?」

「………………………………………はい、そうですね」

 【おひつじ座】の威圧ある視線に不承不承頷く以外の選択肢が僕にはなかった。

 いやそりゃ、すぐ真上から瞳を覗き込まれるようにしたら、誰だってそうなるって。

「また今度行こうね。デート♪」

「まあ、そのうちね」

「うんうん。そのうちそのうちー」

 既にそれに行く事は決定事項なのか、鼻歌を口ずさむ【おひつじ座】。

 ……………あのー、そろそろ起きたいんだけど。

「~~~♪ ~~~~~♪ ………ん、そーいえばぁー」

 突如鼻歌をやめ、甘ったるくなるような声が発せられる。

 【おひつじ座】はその口調を維持したまま、台詞をつなげる。

「デートでお昼食べたときぃー、君さぁ、売店の女の人とぉ、仲良く話してたよねぇー」

「う、うん。飲み物買ってた、よ?」

 流れ星のように突如変貌した雰囲気に、返事が途切れ途切れになった。

「私というものがいるっていうのにさぁ、なんで仲良くしてたのかなぁー」

「そ、そうだったかなー………」

 グサッ。

「……………!」

 おもむろに【おひつじ座】が取り出した包丁が、突き刺さった。僕の耳の真横、ベッドの上に。あまりの恐怖に心臓が止まったかとさえ錯覚するほど。

「次他の女の子と仲良くしたら、おしおきだよぉ」

「は、はい! わかりました!」

 僕は思考時間ゼロで軍隊の兵士のように高らかに明瞭に返事をする。

 【おひつじ座】はにっこりと表情に笑顔を映すと、

「うんうん、聞き分けのいいえらい子は私、好きだよ。よしよし」

 と僕の頭をなでた。

 そして、僕をまっすぐに見据え、甘い甘い声で唇を動かした。

「これからは私以外見ちゃダメだよ」

 包丁は、以前として僕の横に突き刺さったまま。

 当然、僕の返答は決まりきっていた………




 ―――ガチャッ。

「あっ! お兄ちゃんおっはよー。今朝ごはん作ってるとこだから、もうちょっと待っててね」

 僕がリビングの扉を開くと同時、キッチンの方から元気のいい声が飛んできた。

「おはよう。毎朝悪いね。たまには僕が作らなくちゃなんだけど………」

 妹の【おうし座】にそう返事を返しつつ、しかし体はテーブルの椅子へと腰を下ろす。

「ふふっ。いいんだよいいんだよ、お兄ちゃん。私がやりたくてやってるんだから。お兄ちゃんが気を病む必要なんてないの」

 と、このようなよく出来た妹がいるため、ダメな兄ができるのでしたとさ。

 キッチンから漂う朝食の香りをかぎつつ、調理中の【おうし座】に目をやる。

 何を作っているのか、大仰な動作でフライパンを振るっている【おうし座】。

 その料理の腕はピカイチだというのは、兄である僕が一番よく知っている。

 和食洋食中華。そのレパートリーは無限大。

 どの料理も完璧で舌鼓を打つ事は必須。一口口に運べばほっぺたが落ちる事間違いなしの腕前。僕が知る中で彼女より美味しいご飯を作れる人間はいない。

 料理だけでなく掃除洗濯家事全般も何一つ落ち度がなく、いつお嫁に行っても困らないレベル。

 自分の分くらいは自分でやらなきゃと思ってはいるものの、結局はこの妹様に任せてしまう。

 いやだって、僕がやるより何倍も何十倍も何百倍も妹の方がうまいんだもん。下手な横槍は妹の作業を増やすだけ。だから僕は悪くない。

 以前、僕が手伝おうとして失敗した時、

『もう、しょうがないなー、お兄ちゃんは』

 何一つ嫌味なく、温かい言葉をそっとかけてくれる妹様だった。

 ああ、可愛いな、可愛いな。僕の妹は本当に可愛い。

「はーい、おまたせー」

 そうこうしている内に料理が完成し、【おうし座】がお盆に料理を載せて運んできた。

「おお………」

 そこには朝の短時間で作ったとは思えないほど、色とりどり、たくさんの種類の料理が並んでいた。

「昨日の残り物とかもあるんだけどね………」

 少しばつが悪そうに言う【おうし座】だったが、それだって昨日の【おうし座】の成果の賜物だ。文句のつけようのはずがない。

 【おうし座】が料理を並べるのを待って(手伝う方が時間がかかる)、【おうし座】が向かい側に座ったのを確認し、お箸を手にとって、

「いただきます」ガチャリ。

 ……………?

 状況にそぐわない金属音が鳴り響き、音のした方向、即ち僕の手元に目を落とすと、なぜか僕の両手に手錠がかけられていた。

「ずっと一緒にいようねー。お兄ちゃん♪」

 と、僕のその手錠のかけられた両手を、伸ばした手で抱えつつ、透き通る湖のような純真な眼差しでこちらを見つめる【おうし座】。その瞳は自らのとった行動に一切の疑念も後悔も感じさせないもの。

 はあ、やれやれ、またか………

 僕は内心で溜息をつくと、諭すように妹に語りかける。

「こら、ダメだぞ。こんなものがついてちゃご飯が食べられないって」

「それなら問題ないって。私が全部、あーんってして食べさせてあげるから」

 むしろそれがしたいと、爛々と目を輝かせる【おうし座】。

「いやいや、そんな事したら学校に遅刻するし」

 至極まっとうなこちらの台詞にしかし、【おうし座】は「えー」と不満たらたらの不平の声を上げる。

「学校なんていいじゃない。お兄ちゃんはずっとずーっとここにいれば。そしたら私とずっとずーっとず――――――――っと一緒にいられるんだよ?」

 まるでこちらが常識外れかのようにのたまう【おうし座】。自分こそが正しいと心底から思っている表情。

「いや、さ」

 そんな【おうし座】に、僕は優しい声音で言う。

「僕達はずっと一緒だよ。兄妹なんだからさ、離れる事なんてありえないよ」

 僕は手錠につながれたままの手で、そっと妹の頭をなでる。

「お兄ちゃん………」

 ぽーっと、【おうし座】はされるがまま、それを享受する。

「だから、お前の料理も、僕はゆっくり味わって、食べたい、かな」

 と、両手を【おうし座】の前に持っていく。

「………うん。わかったよ。お兄ちゃん」

 とそう言って、【おうし座】はポケットから鍵を取り出すと、鍵穴へと差し込んだ。




「あら、おはよう。奇遇ね。こんな所で会うなんて」

 学校へと向かう通学路の最中、信号待ちをしていると背後からかかる声があった。

「あ、おはよう」

 僕は振り返って、そこに立っていた【ふたご座】に挨拶を返した。

「朝から貴方に会えるなんて、今日の私は良い事がありそうだわ」

 僕の横に移動しつつ、妖艶な表情で微笑む【ふたご座】。

「僕も良い事がありそう、かな」

 クスクス。

 互いの笑顔を見せあった後、青に変わった信号を歩き出す。

 しかし本当に奇遇である。

 確か【ふたご座】の家は僕の家とは正反対だったような気がしたのだが、僕の思い違いだろうか。

 ニコニコ。

 まあ、この笑顔を見る限り思い違いだろうと、僕は結論付けた。

 もし間違っているのだとしたら、【ふたご座】ではなく僕の方だ。きっとね。

 学校へと向かいつつ、【ふたご座】が話題を投げかけてくる。

「この間の委員会はお疲れ様でした。結構な重労働だったけど、大変だったかしら?」

「いやいや、全然そんな事なかったよ。委員長の指示が的確で、あっという間だったし」

 僕は何も気にしてない風に聞こえるようそう答えた。

 実を言うと重い荷物を運んだり、単純で地味な作業に骨が折れたものだったのだが、同じように働き、それでもぴんぴんしていた委員長、もとい【ふたご座】の前でそれは口にしにくかった。

 まあ、ちょっとだけ格好つけたいというのも本音にありまして、はい。

「そう、ならよかった」

 クスクス。

 【ふたご座】は笑顔と共にホッと肩を下ろした。

 しかしそれはどこか、演じているような動作に見えなくもなかった。

 彼女は全てお見通し、って事も………

 ニコニコ。

 ま、それはないか。

 僕は【ふたご座】の笑顔を見て自らの愚考を改めた。僕と【ふたご座】

、間違っているとしたら(略)。

「………でも僕らの委員会、大丈夫なのかな?」

「? 何のことかしら?」

「いや、他の委員の事だよ。この間も、僕達二人しか来てなかったし………」

 クラスごとに一人ずついるはずの委員達。だが、集まりがある時に参加するのはいつも委員長である【ふたご座】と僕の二人だけだった。

 これまで通算幾度となく委員会は開かれているが、僕はこれまで【ふたご座】以外の委員を一人として見た事がなかった。

 まあ、そんな真面目に参加する方がおかしいのかもしれないのだが、ひょっとすると、もしかするところによると、【ふたご座】か、あるいは僕に何か原因が………

「私以外貴方にかまってくれる人はだーれもいないのよ」

「………え?」

「嘘嘘。冗談よ」

 クスクスクスクス。

 僕が思わず固まっていると、柔和な表情と共に笑む【ふたご座】。

「もう、ちょっと。からかわないでよ」

 クスクスクスクスクスクス。

 一瞬だけ本気にした僕の表情がよほど道化師を演じていたのか、【ふたご座】の笑みが続いていた。

 【ふたご座】以外の誰かにも見られたりしていたら………と、思ったものの、幸いにして見渡す限り他の人間は誰一人していなかった。

 って、あれ?

 もうすぐ学校に着くかという地理的距離のこの場所。比較的大通りの道を歩いているというに。

 そこには、

      誰も、

         歩いていなかった。

 誰もいない。そんな事って、あり得るのだろうか………

 まるで僕達二人を邪魔しないように。

 二人きりの舞台を作り上げているかのように。

 無観客の舞台にいつの間にか立たされているかのように。

 木枯らしだけが唯一の効果音の空間。

 うーん………と僕が頭をひねる隣で、【ふたご座】が僕の肩に手を乗せて、そっと囁いた。

「でも、心配しなくていいわよ。

 たとえ誰もが貴方に近付かなくなっても。

 たとえ誰もが貴方から離れていこうとも。

 たとえ誰も彼もが貴方を迫害する事になっても。

 たとえ誰も彼もが貴方を疎外する事になっても」

 ―――私だけは一生貴方の傍にいるからね。




 ガラガラ………。

 僕は扉を開き自分のクラスの教室に入った。

 自らの机に向かう最中、視線の先に一つの人影があるのを発見する。

 その人物は僕の机にかがみこむようにして何か作業をしていた。

 一体何をしているのか。まさか、机にカッターとか、椅子に画鋲とか、そんなのだったりして………

 と、僕の足音に反応してか、はたまた別の要因か、その人物がバッと顔を上げこちらに振り向くと、パァッと花開くような笑顔が浮かぶ。

 そしてそのままトテトテとこちらに近付くと、おもむろに両腕を開いて、「!?」僕の頭部をぎゅーっと胸の前で抱きしめた。

「~~~♪」

「……………(い、息が息が!)」

 ジタバタと抵抗するも、中々解放されない。時間と共に息苦しさが増す中、僕を拘束する張本人の声が真上から発せられる。

「ああ、もう本当に可愛い可愛い愛しの子。思わず抱きしめたくなっちゃう♪」

「……………(いやもう既に抱きしめてるけど!)」

 反論を試みようとする口は残念ながら、胸の中でモガモガと吐息が零れる結果しか生まれなかった。

 その腕をパシパシと何度か叩き、何とか遺憾の意を表明すると、ようやっと拘束が解除された。

 ハァハァと息を整えつつ、僕は苦言を呈する。

「もう、いきなりこういうことするのはやめてよね………姉さん」

 すると僕の姉の【かに座】は少しだけ悲しそうな声を上げる。

「姉さんって。そんなちょっと冷たい呼び方しなくてもいいのに………。昔みたいに、『お姉ちゃん』って呼んでくれてもいいんだよ?」

 見るからにしゅんと気分を沈めて、肩を落とす【かに座】。

「いやあのでも、この歳にもなって、その呼び方はちょっと…………」

「……………(しゅん)」

「ああ、もう、わかったわかったよ。………お姉ちゃん」

 僕がそう呼んだ途端、しおれた花に水を浴びせたかのように、【かに座】の表情がパッと明るくなった。

「もうだから、私は私の可愛い可愛い愛しの子が………大好きー!」

 シュタッ。ブンッ。

 再び抱きしめられそうになったので、今度はそれを後ろに下がって回避。【かに座】の両腕が空を掴む。

 再度こちらを抱きしめようと腕を伸ばしてくる【かに座】を牽制の意味を込め、僕は会話の糸口をつむぐ。

「えっと、それで、僕の机でどうしてたの? 今日は生徒会で早かったんじゃなかったんだっけ?」

「あ、うん。見て見てー」

 【かに座】は僕を抱き締める代わりに腕をとり、僕の机へと導く。

 ………って、あれ? なんか僕の机にしては、すごくキレイなような………

 僕のその疑問は【かに座】の台詞によって氷解した。

「ピッカピカになるようにお掃除してたんだ。これでお勉強もはかどるかと思って」

「そ、そうだったんだ」

 よく見てみると机の表面だけでなく、脇や下、椅子にいたるまでピカピカになるよう磨かれていた。蛍光灯の灯りがきらりと反射している。

「どうもありがとう」

「いえいえ、どういたしまして。それより、体操服はちゃんと持ってきた? 今日体育あったはずだよね。机の上に出しておいたと思うんだけど」

「うん、ちゃんと持ってきたよ」

「ハンカチとティッシュは?」

「ポケットに入ってるよ」

「………うん、ちゃんと入ってるね。あ、ボタン外れてる。ちょっとじっとしててねー………うん、これでよし」

「わざわざありがと」

「ううん、そんなことないよ。可愛い子のためだもん。このくらいへっちゃらだよ♪」

 苦労や疲労が一片たりとも見つからない言葉。世話する事こそが至上の喜びだというのがよくよく聞き取れる。

 それが【かに座】の喜びだというのなら、こんな風に甘えちゃってもよくない? よくなくない? よくなくなくない? よくなくなくなくない?

 どっちでもいーや。

「………それで、朝ごはんもちゃんと食べた? テーブルの上に用意しておいたんだけど」

「え? えーっといや、その………」

 言葉を濁す僕の返答に、【かに座】の表情がみるみる曇ってくる。

「うーんと、ですね………」

 なおも曖昧な台詞を続ける僕に、とうとう核心に至ったのか、【かに座】の表情に心配の二文字が浮かび、その口が怒涛の勢いで動き出す。

「え、え。食べてない。食べてないの? 私の作ったご飯食べてない? 食べてない? もしかして調子悪いの? どこか痛いの? おなか痛いの? ああ、大変大変。どうしましょうどうしましょう。 私の可愛い子に何かあったら。一大事一大事。緊急緊急緊急事態。ああ、早く早く病院に連れて行かないと連れて行かないと。私がおんぶして。いやいやいやいや。救急車、救急車呼ばなくっちゃ。えーっとえとえと、救急車って何番だっけ何番だっけ。1、1、0、0。1、1、0、0。ああ、押しすぎちゃった押しすぎちゃった。早く早く早く。早くしないとこの子が大変大変。この子の命が大変。急いで急いで急いで急がないとこの子が………」

 パシ。

 スマートフォンを操作する【かに座】の手をとり、僕は早口でまくしたてる。

「あ、ごめんごめん。僕の勘違いだったよ。うん。食べたから。ちゃんと食べたよ。お姉ちゃんの朝ごはんは、ちゃんと。うん、食べた食べた」

 【かに座】は手の操作こそ止めてくれたものの、不安げな顔のまま台詞を返す。

「本当? 本当の本当に………? それじゃあ、何が一番美味しかった………?」

 うう、なんて的確な質問を………。

 僕は首下に冷や汗をかきつつ、答えを口に出す。

「えーっと、その………うん。全部。全部美味しかったよ。お姉ちゃんの作ったご飯は全部美味しかったよ! お姉ちゃんの料理は最高だ!」

「……………」

「……………」

「……………ならよかった♪」

 心配の色をかき消し、うってかわって安堵と歓喜を【かに座】はその顔に色塗った。

 僕も内心で、ホッと息をついた。

 甘えたい姉ではあるのだが、少々、いや多少、いや多分に、心配性な姉なのである。




「………ここは完了形だから、haveと過去形の動詞が入って………世界の終わりだから、うーん、『world end』かな、多分………よーし、この英文は完成! じゃあ次行こう」

「え、まだ続けるの? きりのいいところだし、ちょっと休憩しない………」

「ダメだよダーメ。英語の時間次じゃん。早くやんないと休み時間に終わらないよ?」

「はーい………」

 僕の心からの叫びである泣き言を【しし座】はばっさりと一蹴した。

 授業と授業の間の休み時間、宿題をど忘れしていた僕は、仕方なく隣の席の【しし座】を拝み倒して救援を求めた。

 僕が声をかけると【しし座】は顔をほころばせ、『もう、しょうがないなー』と口では言いつつ、意気揚々とノートを取り出し、得意げな顔で僕に教えてくれるのだった。

 僕としては『ノートを写させてください』と、暗に頼んだつもりだったが、【しし座】が一つ一つ丁寧に講釈し始めるので、頼んだ側としてはそれに甘んずる他なかった。

「えーっと、ここの所はね………」

 実際の所僕と【しし座】の成績はどっこいどっこい。だが対等であるが故にわからない部分も共通している事が多く、僕限定で言えば【しし座】の説明はとてもわかりやすかった。

 ふむふむと聞きつつ、ノートに文字を埋めていく。

 この調子なら大分早くに終わりそうだな。

 と、僕はそう思ったので、席を立ちつつ、「ちょっとトイレ行ってくるよ」と、【しし座】にそう告げた。

 その瞬間、

「―――――え」

 今しがたまで得意げだった【しし座】の表情が、コンセントを急に抜いたかのように真っ黒に彩られる。

 【しし座】はまっすぐ視線でこちらを射抜くと、か細い声をつむぐ。

「え、なんで。君に言われたから教えてあげてるのに、行っちゃうの?」

「行っちゃうって、別にトイレだよ?」

「トイレでも何でも、私から離れるって事でしょ。一人にするって事でしょ。一人ぼっちにするって事でしょ」

 悲壮感溢れる口調でつむぐ【しし座】。

「え、いや、そんなつもりは………」

 否定の言葉を出すものの、しかし【しし座】の耳にそれは届かない。

「ねえ、何で。何でそんなひどいことするの。ひどいひどい、ひどいよ………グスッ」

 俯く【しし座】。その両目から、大粒の涙が瞬く間に零れ落ちる。

「君がいなくなっちゃったら………私、一人ぼっちだよぉ………そんなの、やだやだ、やだよ………」

 必死に指で涙をぬぐうが、決壊したダムのように零れ落ちる涙は留まる気配を見せない。

「そんな一人ぼっちの世界じゃ、私、生きていけない………もう、死ぬしか………」

 チキチキチキチキチキチキチキチキ。

 【しし座】はどこからかカッターナイフを取り出すと、スライドさせその刃を出す。

 そしてそれを自らの首下へ向けると、ゆっくりと近づけていき………

「ま、待って待って待って!」

 僕は慌てて【しし座】の手を掴んでその動きを止めた。

 【しし座】はびっくりしたように体を震わせる。

 そしておずおずと顔を上げ、悪戯が見つかった子供のような表情をその顔に映す。わなわなと唇を震わせ、悲痛な声を上げる。

「ああ、ごめんなさいごめんなさい。またこんなことしてごめんなさいごめんなさい。変な子でごめんなさい。ウザイ子でごめんなさい。めんどくさい子でごめんなさい。もうしないからもうしないから。もう絶対しないもう絶対しない。絶対にしないから。だから、だからだから………」

 【しし座】は一度えずいてから、その先の台詞を述べた。

「私の事嫌いにならないで………捨てないでぇ……………」

 グスッ。

 グスグスッ。

 【しし座】の泣き声だけが教室内に響き渡る。

 あれ、休み時間なのに、こんな静かだったっけ………?

 いやいや、今はそんなこと気にしてる場合じゃない。

 僕は【しし座】の手を掴んでいた自分の手を、そのままそっと引き寄せた。おのずと、【しし座】の体もこちらへと引っ張られる。

 僕は泣きはらした顔をした【しし座】になるたけ優しく聞こえるよう、諭すような声音にして、言った。

「大丈夫、大丈夫だから。こんな事で君を嫌いになったりしないから、ね?」

「私の事、捨てない………?」

「捨てない捨てない。どこにもそんなゴミ箱はないって」

「…………………………」

 【しし座】はしばらくその言葉をかみ締めるよう沈黙すると、灰色だった表情に一筋の光が現れた。

「よがっだ………よがっだぁ……………」

 まるで救世主の女神が現れたような物言いでつむぐと、【しし座】は僕に掴まれた手を額に当て、ワンワンと泣き始めるのだった。

「……………」

 別に特に【しし座】を嫌いになる要素なんてこれっぽっちもないので、当然の事を言ったまで。

 しかしそれにしても、どうして【しし座】はこんなにも僕に嫌われる事を恐れているのだろう。

 世界最大級の深遠なる謎である。

 と、

 キーンコーン、カーンコーン。

 チャイムの音が耳へと届く。

 結局、宿題、終わらなかったな………

 いまだなお泣き続ける【しし座】の前で、僕はそう、心の中で愚痴るのだった。




「………一体どうしたんですか? こんな怪我、ちょっとやそっとのことじゃできないと思いますけど?」

「あー、いや、その………あはは」

 僕の腕に包帯を巻きながら問うてくる【おとめ座】の言葉に、僕は曖昧に言葉を濁した。

 生徒用ではない机が一つと、ベッドが三つ。それらを仕切るためのカーテン。薬品や書類が納められた戸棚。

 かすかに消毒薬の匂いを感じながら、保健室であるこの場所で、【おとめ座】に応急手当を受ける僕。

 さすが専門なだけあって、てきぱきと処置が施されていく。

「気を付けてくださいね。階段で転ぶだけでも、打ち所が悪ければ大変な事になるんですから」

「はい。肝に銘じておきます」

 怪我の理由を【おとめ座】は勘違いしているようだったものの、本当の訳を話せない僕にとっては好都合。

 体育の時間にあんなばかげた事をしようとして怪我をしたなんて、口が裂けても言えない。心の中でも言えない。絶対絶対言えない。

「………はい。終わりました。しばらくはこのままにしておいてください。安静にして、運動などはしない方がいいと思います。無理に動かすと、傷が開くかもしれないですから」

「わかりました」

「あ、それとも、しばらく保健室で休んでいきますか? 貴方が望むのであれば、一向に構いませんが」

「いえ、チャイムが鳴ったら教室に戻りますよ。授業出とかないとまずいので」

「そうですか………」

 そう言って、こちらを見つめてくる【おとめ座】。その視線は怪我をした生徒を心配する教職員のそれにも見え、他の何かの感情のそれでもあった。

 じゃ、あたしはよくなったんでそろそろ行きまーす。

 と、室内にいた別の生徒が立ち上がり、扉へと手をかける。

「あ、お気をつけて。もし気分が悪くなったら無理せずまた来てくださいね」

 ガラガラ………バタン。

 【おとめ座】に声をかけられた生徒は、わかりましたと頷くと、保健室から出て行った。

「……………」

「……………」

 そして保健室には僕と【おとめ座】の二人だけになる。他には誰もいない、その空間。

 カチャ。

 【おとめ座】はかけていた眼鏡を取ると、それを机の上に置く。それから腕を伸ばすと、僕の怪我をしていない方の手を掴み、自らの胸の前にもっていく。

 まるでお祈りするような体勢をとりつつ、【おとめ座】はゆっくりとしとやかにたおやかに語りだした。

「もし、何かご用命があればこの私に何でも言ってください。貴方のご命令とあらば、たとえ火の中水の中、貴方が月にいようが、必ず駆けつけ、その命令を叶えますから。私にできる事でも、私にできない事であろうとも、絶対にかなえて見せます。ですから、遠慮なさらず、命令してください。私は貴方の物ですから。意思を持たない、貴方に都合のいい物。貴方にだけこき使われる物です」

「は、はは………」

 僕の口から苦笑が零れる。

 また【おとめ座】のこれが始まった。

 【おとめ座】は何が一体どういう訳なのか、僕と出会った当初からこんな感じだった。自らを物扱いし、その所有者が僕である、という風な態度と行動。

 最初言われた時は冗談かと思ったものの、僕の言う事には何でも、それこそどんな事でも従順に、従前に、完璧に、完全に、応えているのだった。

 どんな命令でも従う【おとめ座】。

 下手な命令をしようものなら後先がえらい事になる。いやもう本当、ちょっと未成年で思春期の欲望を思わず口走った時はもう大変だった。あんな露出プレイまがいの事となるとは、その時の僕には思いも寄らなかったのだ。

 少なくとも、【おとめ座】の尊厳を守るためにも、あまり下手な事は言わないようにしておかないと。

「あのー、あんまりそういう事、人の前で言うのは………」

「はい。以前、貴方に言われましたので、他の人には言っていません」

「あー、うん。そう………」

 まあ、他の人の前で言うのはまずいよね。【おとめ座】の尊厳の事を考えたら。

「……………」

「……………」

 互いの呼吸音と、時計の針が進む音だけが生じている保健室。

 今は僕達二人だけ。

 二人っきりの空間。

 誰も見ていない密室の場所。

 ……………。

 まあ、ちょっとだけ。ほんのちょっとだけくらいなら………

 とそんな風に僕が思春期特有の欲望の渦に入り込もうとした矢先、備え付けられたスピーカーから無常にも、次の授業を知らせるチャイムが鳴り響いた。

「あ、チャイムが鳴りましたね。それでは勉強の方、頑張ってくださいね」

「……………はい」

 僕はノロノロと立ち上がると、緩慢な動作で保健室を後にした。




 モグモグモグ。ゴクン。

「うわっ、なにこれ。美味しい!」

 おかずを一口口に運んだ途端、僕の口から飛び出した感嘆の声が屋上に広がった。

「ふふふ。そうですか。それは何よりですわね。たくさん作ってありますので、どうぞご堪能くださいな」

 ベンチの隣に座る【てんびん座】の許可が下りたので、僕はさっそく別のおかずへと箸を伸ばす。

 ここへと来る前に二つ三つの弁当が既に腹の中に入っていたのだが、その満腹感を忘れさせる美味さに舌鼓を打った。元々食が細い僕でも、その美味しさの前には別腹という都市伝説が体現されるほどだった。

 何より、人からもらったお弁当を残すなんてもったいない真似を、この僕ができるはずがない。

 パクパクパク。

 パクパクパク。

 パクパクパク。

 僕が箸を止める事無く一心不乱に食べ進める様を、上品な笑顔で見守る【てんびん座】。

 僕が美味しいの一言を発するたびに、その口元が満足げに緩まる。

 僕の箸がようやく止まったのは、彼女も分も残しておかなければと、その思考に今更ながら思い至ったためだった。

「はい、どうぞ」

「ん、ありがとう」

 ズズズ………。

 【てんびん座】から差し出されたお茶をいただく僕。何の種類かはよくわからないが、優雅な香りのする紅茶だった。飲みやすいよう、熱々ではなく少しぬるめの温度で、火傷の心配をする必要はなかった。

 ふう………

 ほっと一息吐く音が屋上内にこぼれる。

 所々にベンチが点在し、中央部には花の咲いた花壇が置かれている屋上。そこから見上げた景色は、満点の青空。白い雲は欠片もなく、青々とした空がどこまでも続いている。ベンチの上にはひさしがついており、吹き抜ける風が心地いい空間。

 そんな空間を一人占め、いや、二人占めできるとはなんと幸運な事だろうか。

「それにしても、美味しいよ。このお弁当。君の家の使用人さんとかが作ったの?」

「いいえ。これは私が手ずから作ったものになりますわ。腕の立つコックに習いましてね。上手くできたか不安でしたが、美味しく食べていただき光栄です」

「へえ、手作りなんだ………」

 他にもいくつかの手作り弁当を食していたのだが、そのどれにも匹敵する美味しさ。トップに君臨するといっても過言ではない。これ以上のない美味しさ。

 ………え、朝と言ってる事が違うって? いやいや、美味しさなんて時と場合によって代わるのは当たり前の事なんだよ。うん。

「今の時点でこんなに料理が上手いなんて、君はきっと、将来いいお嫁さんになれるよ、絶対」

「いえいえ、そんなことは………」

 【てんびん座】は謙遜の台詞を吐くものの、その顔はまんざらでもない様子。

 コホン。

 ごまかすように咳を一つ入れると、余裕のある表情へと戻った。

 静かな一時による、優雅な食事。

「…………それにしても、昼休みだっていうのに、どうしてこんな誰もいないんだろね?」

 先よりはスローペースに箸を進める中、見渡される風景の違和感に、無意識に疑問の声が漏れた。

 あまり屋上へ来た事はないのでよく知らないが、昼休みという時間帯になら、もっと人がいてもよさそうなものなのだが。

 どちらかというと独り言に近いその疑問だったが、意外にもその答えが隣から発せられた。

「それは、貴方との静かで優雅な食事の一時を過ごす為に、他の生徒を一人残らず排除したからですわ」

「え?」

 いえ、間違えました。と、【てんびん座】。

「それは、貴方との静かで優雅な食事の一時を過ごす為に、他の生徒を一人残らず説得したからですわ」

 なにやら物騒な単語が聞こえたような気がして思わず聞き返したが、思い過ごしだったようだ。

 うん、説得なら、普通普通。普通でしかない。

「でも、ただ食事するのにそこまでしなくても………」

「いえいえ。必要な事でしたから。貴方と私の世界に邪魔な物は必要ありません。害虫一羽、泥棒猫一匹、雌猿一体としてそこには存在してはならないんですのよ」

「へ、へえ………」

 まあ、虫とは猫とかいたら、食事はしにくいだろうけども。学校に入り込んでくるのかな?

「私達の世界は汚れなき潔癖の場所ではならなくてはなりません。一片たりとも異物が入ってはいけないのです。そう、そんなものは排除、排除、排除ですわ」

「ふーん」

 キレイ好きなんだな。料理だけじゃなく掃除もできるのかー。

「………そう、そして私達に取り巻くあれらも、いずれ排除しなければなりません。私と貴方の世界にはいらないもの。ゴミであり、クズであり、石ころ達。彼女らは私の手で、いつか必ず、ね」

 ふふふふふふふふふふふふふふ。

 と、突然笑い出した【てんびん座】。何を言っているのはいまいちよくわからなかった。

 僕はそんな【てんびん座】に対し、

 パク。

 その口へおかずを運ぶ。

 【てんびん座】は戸惑った様子のものの、あくまで余裕な態度を崩さないままそれを咀嚼して、飲み込む。それから視線によって疑問を呈してきた。

 僕はその答えとなる純粋な想いを告げる。

「こんなに美味しいものなんだから、早くしないと、僕が残り全部食べちゃうよ」

 と、お弁当を彼女に差し出した。

 そう、一人で食べるより、二人で食べる方が楽しいに決まっている。美味しいものならばなおさら。

 僕が言う事ではないが、折角の美味しいものを一人で食べるなんてもったいなかった。

 僕の言葉が通じたのか、「そうですわね」と彼女は自分の箸を手に取ると、弁当に手をつけ始めた。

「美味しい?」

 僕が尋ねると、

「ええ、とっても」

 【てんびん座】はそう答えた。




「あ、どうも」

 校門から出た直後、見覚えのある顔と目が合ったので、僕は軽く会釈する。

「……………」

 ぺこり。

 その相手は特に何も言わず、同じように頭を下げ、歩いていった。

 後姿を見送りつつ、僕は帰路の途につく。

 物語に登場するようなフードを頭にかけ、手にした水晶球をいつも持ち歩いているらしい【さそり座】。

 彼女は、学校内でよく当たるという評判の高い噂が広まっている占い師だった。

 僕はそこまで占いとかオカルトとかには興味がないのだが、以前一度だけ彼女に占ってもらった事があった。

 当時の僕は学校生活のごくごくありふれた些細な悩みについて相談したかったのだが、しかし彼女から告げられた結果はそれとはまったく異なるものだった。

 薄暗がりの部屋の中、魔法陣が床に描かれた狭い室内で、水晶球を覗き込みながら、【さそり座】は言った。

『君にはたくさんの生霊が取り憑いている…』

『どれだけ祓っても、いつの間にか戻ってきてしまう生霊達…』

『君はその生霊をよく知らない…』

『けれど、生霊達は君をよく知っている…』

『君の事を、君の全てを、君のありようを…』

『その全ての生霊達が、君へと手を差し伸べている…』

『けれど、君が掴めるのは、その内の、たった一つだけ…』

『一つを選べば残りは全て見捨てられる…』

『君は見捨てなければならない…』

『でも、気を付けて…』

『選ばれなかった生霊は、ただ見捨てられたりはしないから…』

『君に伸ばした手を、更に伸ばしてくるから…』

『この先君は、目の前に無数の選択肢が現われる…』

『何を選ぶかは、何を掴むかは、君次第…』

『そして、その結果がどうなるかも、君次第…』

『その大半は、破滅と絶望へと導かれてしまっている…』

『希望と繋がる道筋は、ごくごくわずかだけ…』

『多くの危機と苦難を乗り越えた先に存在している、希望…』

『しかし、私にはすべて見えている…』

『君のすべて…』

『君の未来…』

『君の選択…』

『君の結末…』

『君の行く末…』

『君の歩み…』

『君の事が、すべて…』

『私は君の事を何でも知っている…』

『だから、君が希望へと導かれていく事も、また……………』

 【さそり座】の台詞をすべて聞いた後、僕の反応はこうだった。

 はあ、そうですか。

 当たるとも当たらないともとれるその結果。僕にだけの特別な事のようで、存外、誰にでも当てはまるような言葉の羅列。

 そういう穿った思考回路である僕は、そういうわけでそこまで占いというものを信じ切れない。

 結局、その時相談したかった事は相談できなかったし。まあそれは今となってはどうでもいい事なのだが。

「……………?」

 ふと、僕は背後を振り返る。

 そこに広がるのはただのごくありふれた平凡な日常の一ページ。

 僕は気を取り直して、歩道を歩くが、

「……………?」

 しばらく歩くとまた、背後を振り返る。

 しかしそこにあるのは何の変哲もない風景。

 やっぱり気のせいかな………

 心の中でそっとつぶやく。

 ここしばらくの間、ふとした時に感じる視線。

 その視線は町中を歩く時だけでなく、学校にいる時や家にいる時も感じていた。

 蚊が周囲を飛んでいるような、まとわりついてきて離そうとしても決して離れないそれ。

 無意識の時には何も感じないのだろうが、一度気付くと居座るようにして中々はがれない。

 誰かが見ているのかと、辺りを見渡してもその原因たるものは特に見つけられない。

 うん。気のせいだ気のせいだ。ちょっと神経質になっているだけだけ。思春期の自意識過剰って奴だよ、きっとね。

 僕は区切りをつけるべく、最後に辺りを見渡した後、

「あ、どうも」

 ぺこり。

 もう一度偶然目があった【さそり座】に頭を下げてから、帰路を急いだ。

「………君の事これからもずっと見ているよ」

 という誰かの小さな小さな囁きは、僕の耳には届かなかった。




「だ~れだっ!」

 という声と共に、突如視界が闇に染まった。そして背中にかかる柔らかな圧力。ほんのりと温かいそれは、トクントクンと一定のリズムを波打っていた。

「……………」

 何も見えない状況ではあったが、僕の心中はいたって冷静冷静のクールクール。

 暗闇が支配しようと、耳は聞こえ全身の触覚は健在。嗅覚も活躍して状況の整理は容易い。

 『あの人』が後ろから目隠しをしている事実は、あまりにも簡単だ。

 僕がクイズに対する正解を答えようとした前に、底抜けに明るい声が耳を貫く。

「は~い。時間切れー。答えはー………じゃーん、私ですよー」

 視界が解き放たれ、それを遮っていた手で後ろを振り向かされると、僕はいとこの【いて座】と対面する。

「あ、どうも。こんにちは」

「むー、なんだなんだー、その他人行儀な反応はー。私とキミの仲じゃん。もっと仲良くしよ仲良くしようよ仲良くしてよ~」

 肩を掴まれぐわんぐわんと前後に揺さぶられる。互いの距離が近く、その口から酒の匂いがプンプンと漂ってきた。

「またこんなお昼から酒飲んでるんですか………」

「うーん? そだよー? だってぇー、今日の仕事はもう終わってるもーん」

「いや、いくら仕事が終わってるって言っても………」

「でー、それでねー、キミに会いに来たんだー、てへへ」

 恥ずかしそうに【いて座】は頭をかく。その顔が赤いのは恥ずかしさからなのか、ほろ酔いからなのかは判断がつかない。

「って、服ちゃんと着てないじゃないですか。上着も鞄もないみたいのようですし、またどっかに忘れてきたんじゃないですか?」

「うん!」

 実に気持ちのいい返事だった。

 シャツのボタンは一個ずつずれ、ズボンのファスナーは上まで上がり切っていない。

 よくもまあこんな格好で警察官が来なかったものである。

「はいはい。ちょっとじっとしててくださいね」

「ん? なんでー? ………って、ちょっとちょっとキミ、何で服脱がそうとすんのじゃー! えっと、そういうのはほら、こんな外じゃなくってホテルとか部屋の中の方が………」

 プチ、プチ、プチ。

 【いて座】のたわごとは捨て置き、僕は冷静冷静のクールクールにずれたボタンを一つずつ直していった。

 ちょっとだけのぞく下着は見えません。見えないといったら見えません。

「………はい、直りましたよ」

 ズボンのファスナーも直し、格好だけは社会人のそれへと戻った。

 まあ、顔が真っ赤に染まっているのでまともな人間には程遠いのだが。

「わー、ありがとー! そんなキミの事が好きー!」

 高らかな宣言と共に、【いて座】に思い切り引き寄せられ、頬と頬を合わせすりすりされる。酒の匂いが混じった息が間近で当てられ、ちょっと気持ち悪い。

 うわー、完全に酔っ払ってるな、これは………

 冷静冷静のクールクールに地獄が過ぎ去るのを待つ。

 はいそこ、ご褒美だとかラッキースケベとか言わない。

 そんな事を言うのはたちの悪い酔っ払いに一度も絡まれた事がない人だけだ。

 一度でも絡まれればそんな事これっぽっちも思わなくなるよ。絶対に。

 しかも、この酔っ払いの場合は………

「好き好き、大好きー! もう、大好き大好き大好き大好き。そんなキミだから、食べちゃおーっと」

 カプ。

「……………ッッ!」

 突如首筋に走る衝撃。

「うーん、あむあむ」

 【いて座】の歯が僕の首に思い切り付きたてられ、痛覚が悲鳴をあげている。

「………本当にやめてください」

 身の危険を感じた僕は腕の力を思い切り使って、【いて座】を引き剥がす。

 僕より背の高い【いて座】ではあるが、そこは男子と女子の差で何とか距離を取る事に成功する。

「人の体に歯付き立てるとかやめてくださいって何回言えばわかるんですか………傷物になったらどうするんですか」

「ん~? そうなったら私がもらってあげるって」

「あー、はいはいそうですかそうですか。それなら安心ですね」

 棒読みで返す僕。

 僕の心は冷静冷静のクールクールです。動揺したりなんかはしていません。

「ねーねー、キミを食べさせて私の物になってよなってよー。そうすればずっと一緒なんだよー。いいでしょいいでしょー?」

「よくないですって………ほら、もう帰りますよ」

 僕は【いて座】の肩を抱えると、いつものエンカウントの平常業務として、彼女を家に送り届けるべく歩き出す。

「がぶがぶがぶがぶ」

 その道中、何度か噛み付かれるのもまた、いつものパターンどおり、強制イベントの範疇だった。




 スタスタスタスタスタスタ………ピタ。

 家から出た直後、鍵をかけていると、近くから足音が聞こえてきたので、そちらの方に目をやった。

「あ、おかえりなさい」

「あら、貴方様。ただいま戻りました」

 僕の言葉に、合わせた手を前に置き、うやうやしく丁寧に頭を下げ言葉を返してきたのは、隣の家に住む【やぎ座】だ。

 昔から親を通じた近所付き合いがあり、それ経由で彼女と僕の間にも関係があった。

「本日は、これから奉公でございますか? 学業にもいそしんでいるというのに、精が出ていること」

「いや別に、バイトといってもそんな対した事してるわけじゃないから。好きでやってる事だし」

「そうでございますか。貴方様は昔から頑張り屋さんですものね。実に喜ばしい事です」

 うふふ。

 掌を唇に当ててつつおしとやかに笑む【やぎ座】。

 そういう彼女も、昔から変わってないな………

 そんな彼女の姿を見て、昔の記憶が掘り起こされる僕。


『いかがですか? お味の方は? 初めて作ってみたので、少々不安なのですけれど………』

『いや、すっごい美味しいよ。こんなの作れるなんてすごいね』

『そうでございますか。喜んでもらえたようで何よりです』

『君が作ってくれたんだもん。嬉しいに決まってるって』

『左様ですか。これからも調理した際には、是非食べてくださいね、貴方様』

『うん。楽しみにしてるよ』

 僕の答えに、満足そうに笑顔を見せた【やぎ座】。


『………そう、それでここはそのように解くのです。お分かりになりますか?』

『えーっと、いや、ちょっと………』

『ふむ。それでは、少し前の項を思い出してくださいませ。違うように見えるかもしれませんが、それと同じようにしてみれば解けるはずですよ』

『ん。前のページ? ………ああ、これかこれ。………これと同じようにして………だとすると、こうして………こうなって………あ、なるほど。わかったわかった!』

『ご理解いただけましたか?』

『うん。ありがとう』

『いえいえ。別になんて事はありません。貴方様が、将来ご立派な殿方になるために必要な事なのですから』

 勉強のできた僕を慈しむように見ていた【やぎ座】。


『え。僕の好きなタイプ? そうだなあ………格好いい人かな。銃持って敵のアジトに潜入するような人。さっき見てた映画のヒロインみたいな』

『そうなのですか? しかし、そのような方は貴方様には似合わないように思うのですが』

『なら、どういう人の方がいいって思うの?』

『おしとやかでいて上品でいて気品があり、いつも貴方様を立て、常に三歩後ろに付き従う大和撫子のような方が、きっと貴方様にはお似合いだと思いますよ』

『えーっとそれって………君みたいな?』

 僕の台詞に、おしとやかで上品で気品溢れる優雅な表情を返してきた【やぎ座】。


 ………本当、いつになっても変わらない彼女。

 そうそう、それともう一つ、変わらない事といえば………

「それでは、行ってらっしゃいませ。貴方様にご加護がありますように」

 【やぎ座】はそう言うと、僕に近付いてきて、唇を僕の耳元に寄せると、

「愛していますわよ。貴方様」

 と、甘い声で囁き、そのまま僕の頬にキスをした。

「………―――ッ」

 うふふ。

 彼女の行動に口をパクパクさせる僕に対し、からかうような笑みを見せると、【やぎ座】は自分の家の扉に手をかけた。

 こんな行動も、昔から相変わらずだった。

 彼女の表情を見るに、あくまでも冗談。からかう意味のそれ。

 ちょっとしたスキンシップの一つ。

 それ以上の意味はない、ただの親交の証。

 わかっている。わかってはいるのだが。

 もし、万が一、僕が本気にしてしまったらどうするのだろうと、いつも僕の頭の中に疑問が浮かぶ。

 【やぎ座】が家に入る直前、目が合って、彼女は変わらない笑顔を見せる。

 そんな彼女を一瞥してから、僕はバイト先へと足を急ぐ。




 サッサ、サッサ。ザザ。

 よし。ここも終わりっと。

 自身の功績であるきれいな廊下を改めて見渡しながら額の汗を拭う。

 僕のバイト先である天文学が専攻の研究施設。

 世間的な偏見イメージとして、研究者各たる者は研究一筋で身の回りの細かな事はおざなりであり、整理整頓とは程遠い存在だと思っていたものの、実際に見ているとそんな事はなく、掃除その他雑務のバイトの身としては、そこまで苦労する事はなかった。

 普段の掃除はあの有名な円形で丸いロボットがしているようだし、研究のデータやレポートなんかはすべてパソコンにて管理されているらしい。もちろんただのバイトである僕が見た事はないのだが。

 さて、と。後は各階のトイレ掃除か。

 今しがた使っていた掃除用具を片付け、残った作業に着手しようとしたその時、何かに体が引っ張られたので僕は動きを止める。

 その原因を見ていると、僕の服の袖を引っ張っている人物が視界に入った。

「……………ん」

 そんな言葉のような言葉じゃないよな一文字を発したのは、ここの研究者である【みずがめ座】だった。

 僕は挨拶もそこそこに、

「またサボってるんですか。休憩の時間じゃないのにこんな所にいて。他の人に怒られても知らないですよ」

 一回り背丈の小さな【みずがめ座】に説教じみた台詞で苦言を呈する。

 本来なら相手は僕の雇い主側なので、僕がとやかく言える立場ではないのだが、いかんせん【みずがめ座】はその背丈の通り僕よりも年下で、敬意の念からは程遠い存在になってしまっていた。

 学校を飛び級をしていて僕よりも何倍も頭がいい天才だというのは頭ではわかっている。しかし人は中身よりまず外見が目に入ってしまうので仕方がない。

「……………」

 【みずがめ座】は俯いた状態で、僕の服を握ったまま。何かしら構って欲しい、というアピールなのを理解する。

「………じゃあ、まあ。少しだけ話す?」

 僕の提案に【みずがめ座】はパァっと顔を輝かせると、僕を近くのベンチへと引っ張っていった。

 まあこれも、バイトの業務の一巻だという事で。

 そう自分に言い聞かせ、僕はベンチに腰を下ろす。

 さて何を話そうかと話題を考える前に、【みずがめ座】から話題が投げかけられる。

「あのねあのね。こないだあなたが言ってたから、こんなもの作ってみたんだ」

 と言って【みずがめ座】が取り出して見せたのは、一つの錠剤だった。

 一体何の薬かと、疑問を浮かべると、【みずがめ座】は楽しそうに語る。

「これを飲むとね。体が見えなくなって透明人間になれるんだよ」

「え、本当に?」

「うん。本当だよ」

 胸を張って自信ありげに答える【みずがめ座】。その顔に嘘や冗談の類は見受けられない。

 百年に一人の天才としてその名を世にとどろかせている【みずがめ座】。この研究所でバイトする中、その成果の一端を垣間見せられている僕は、彼女の言う事はまず本当なのだろうと確信する。

「へー、これがね………」

 興味深くその薬を手に取って見ていると、【みずがめ座】が追加の講釈を述べる。

「体の組織を全面的に変えちゃう薬だから、飲んだら一生元には戻らないんだけど」

「それじゃダメじゃん!」

 思わず口に持っていきかけた手を慌てて引き止める。

 そんな僕を意外そうに見上げつつ、「でもでも」と【みずがめ座】が言葉をつなげる。

「消えた人間が見えるメガネも一緒に作ったよ?」

「あー、まあそれならまだ………」

「一個作るのに、×××××円くらいお金がかかっちゃったんだけど」

 天文学的桁数の数字がその口からは語られていた。

「じゃあやっぱりダメだよね………」

 二個以上作るのは無理そうなそれで、一生それを持つ人にしか見えないんじゃ意味がないだろう。誰か一人だけにしか僕が見えないとか、そんなのは嫌過ぎる。

「あとあと、ただ開くだけで遠くにいける扉も作ったんだ」

「ああ、どこでも通じるドア的なあれ?」

 確か以前、雑談の中でそんな話をしたような気がする。

「うん。そうそう。あ、でも、どこでもっていうのはちょっと無理だったんだ………」

「いや、それでも十分すごいでしょ。………で、どことどこなら移動できるの、その扉?」

 【みずがめ座】は誇らしげに言った。

「私の研究室と、あなたの家」

「なんで僕にしか必要なさそうな場所をつないだの!?」

 思わずベンチから立ち上がり廊下に響き渡るよな大声でツッコミを入れる僕を、またも意外そうに見上げる【みずがめ座】。

 いや、十分すぎるほどにすごいのはわかってはいるのだが、どうしてそことそこをつないじゃったのかな、この子は。

 僕は疲れたようにどかっとベンチに座り直すと、沈痛な声で【みずがめ座】に言う。

「いやー、あのさ。僕が話した物とかじゃなくて、君は君がやりたい研究をしたほうがいいんじゃないかな」

 【みずがめ座】はゆっくりと首をかしげ、答えた。

「だから、それが私のやりたい研究だよ? あなたの役にたてるように色んなモノで研究するの。あなたの役に立つために。あなたに喜んでもらうように。それが私の生きがい。生きてる理由なんだ」

 ニコニコとした笑顔で言い切る【みずがめ座】。

 ああもう、これは何を言っても無駄かな。

 僕は天才の無駄遣いともいえる、あくまで他者優先の自分本位な【みずがめ座】の説得を、今日もまた諦めるのだった。




「あーっ! 王子様だっ!」

 すっかり日が暮れて夜の帳も下り、疲れた体を引きずるようにして自宅へと向かう最中、閑静な町中にひときわ明るい声が響き渡った。

 その声を発した人物は、通りの向こうからシュタタタッと駆けるようにしてずんずんと僕に近付いてくる。

 あ、彼女か………

 見知ったその顔に、僕はその場に立ち止まったまま彼女を出迎える。

「やあ」

「王子様だ。王子様だ。王子様だー!」

 はしゃぐようなテンションで彼女、【うお座】は僕の手をとりブンブンと上下に振る。

「ねえねえ、王子様。こっちこっち」

 と、こちらの都合を聞く事なく、【うお座】は近くの公園へと僕を引きずり込む。

 いつもどおりの彼女のマイペースさ加減に辟易しつつ、振り払うのも面倒だとわかっている僕は、彼女に従い導かれるままベンチへと座った。

 【うお座】は僕を座らせると、その正面に陣取ってキャンパスを取り出す。

 その見た目姿形通り、アーティストたる彼女。

 僕はよく知らないものの、その世界では有名な芸術家らしい【うお座】。その絵は一枚××千万円という値がつくらしい。

 そんな【うお座】に絵を描いてもらうなんて、という感情が最初の頃はなくはなかったが、何十回と描かれた今となってはあまり気にしなくなった。

 なぜか僕を王子様と呼び、彼女に見つけられるたびに絵を描かれる。

 まあ絵を描かれるくらいなら、別に何でもないしな………

 いくらかの疑問は渦巻いていたが、【うお座】はそういう人間なのだと、思うようしている。

 どこからともなくパレットと筆を取り出して、【うお座】はさっそく真っ白なキャンパスを彩っていくのだった。

 彼女は筆を進めながら、歌うように語りだす。

「とある国に、王子様がいました。

 格好良く、優して、誰よりも強い王子様。

 そんな王子様に恋する一人の女の子がいました。

 彼女は、毎日毎日絵を描いている女の子でした。

 彼女は王子様の絵を描きました。

 好きになってから、ずっと王子様の絵を描いていました。

 戦っている王子様。

 笑っている王子様。

 喜んでいる王子様。

 助けている王子様。

 色んな王子様を、描き続けていました。

 その絵を見て、王子様はすごいと褒めてくれました。

 彼女はもっともっと、王子様の絵を描きました。

 彼女は王子様が描きたい。

 王子様だけが描きたい。

 ただ、王子様を描きたい。

 彼女の絵はいつしか、王子様だけの絵になりました。

 絵の中にいるのは王子様が一人だけ。

 王子様だけがいればいい。

 王子様以外のものはいらない。

 王子様ではない他のものは邪魔でした。

 なので彼女は、王子様以外のその他のものを、少しずつ消していきました。

 消していきました。

 消して、消して、消していきました。

 消して、消して、消して、消して、消していきました。

 消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消して消していきました。

 王子様だけを描く、そのために。

 そうして世界に残ったのは、絵を描く彼女と、王子様だけになりました。

 彼女は絵を描きます。

 王子様の絵を。

 彼女は描き続けます。

 好きな人の絵を、ずーっと。

 そんな王子様と、彼女。

 二人だけが、世界にあるすべて。

 彼女は楽しそうに王子様を描きます。

 王子様は寂しそうに絵を描かれます。

 女の子は王子様と二人だけになれました。

 邪魔者はみーんな消えて、王子様といつまでも幸せに暮らしましたとさ」

 おしまい。

 と、そう語り終えるのと同時に、【うお座】は絵を描き終える。

 【うお座】はその場でキャンパスをひっくり返すと、その絵を僕の方へと見せてくる。

 それは、王子様と一人の女の子が、手をつないで一緒に暮らしている、そんな絵だった。

「すごく上手な絵だね」

 と、僕はそんな評価を下す。

 まあ、芸術なんていうのは人それぞれ。素人たる僕が、何かを語る事なんてできない。

「ありがとう。王子様」

 はにかむようにして言う【うお座】の顔は、闇夜を照らす街灯よりも明るい、夜空の中の星のように光輝いた笑顔だった。




[12のキャラクター全て攻略後、以下のイベント挿入]




 はあ………今日も疲れたな。

 ベッドに腰かけつつ、心の中で愚痴る僕。

 朝寝起きを起こされる事から始まり、学校で彼女らと係わり合い、下校後も色々なイベントが起こって振り回されっぱなしだった一日。

 その全てが終わって、寝る直前のこの時この瞬間だけが、唯一安息しながら過ごせる一時。

 また明日になれば、きっといずれかの彼女に振り回される事になるだろう。

 そう思うと気が重くなる事この上ないが、唯一安息が約束された時間まで、彼女らの事を考えてはこの体がいくつあっても足りない。

 今はこの時を余裕を持ちつつ味わうべきなのである。

 かといって、特にしたい事があるわけでもなく、唯一あげるとすれば、早く夢の世界へ旅立ちたいというその一点だけ。

 夢の中へ入りさえすれば、彼女達に振り回される事もないのだから。

 ………まあ、悪夢として再現される事もままあるのだが。

 僕は今日見る夢が悪夢でない事を祈りつつ、いそいそとベッドの中に入り、目を閉じた。

 そしてしばらくした後、意識が埋没する。

 ………。

 ……………。

 …………………………。

 ……………………………………………………。

 僕の意識が完全に落ちたその部屋で、息遣いをする音が木霊する。

 それの数は一つだけ―――――ではなく二つ。

 ベッドの僕のものと―――――更にもう一つ。

 そのもう一つを発している人物が、そっとつぶやいた。

「君には命の危機が迫っている」

「君の命を脅かす存在が、数多く存在している」

「幼馴染の彼女」

「妹の彼女」

「委員長の彼女」

「姉の彼女」

「クラスメイトの彼女」

「保健室の彼女」

「令嬢の彼女」

「占い師の彼女」

「いとこの彼女」

「隣人の彼女」

「天才の彼女」

「芸術家の彼女」

「彼女らは皆、君に永遠の絶望と無限の苦痛を与えんとしている」

「魔の手はもう、君のすぐそばにまで近付いている」

「一歩踏み出せば、もうそこは断崖絶壁の瀬戸際」

「一歩踏み外せば、底なし沼に導かれる今際の際」

「意味は何も知らぬまま、無知のまま、無心のまま、赤子のように迷い込む運命が既に決定されてしまっている」

「でも、安心して」

「君はボクが守る」

「どんな窮地だろうと、どんな地獄の淵だろうと、君はボクが守ってみせる」

「君のためならボクは命だって惜しくないよ」

「このボクの命に代えても、必ず」

「君を守るから」

「ボクは何の報酬もいらない」

「ボクは何の褒美もいらない」

「ボクは何の対価もいらない」

「ボクは何の財宝もいらない」

「君が君であり続ける事が、ボクの願いであり望みであり希望であり生きがいそのものなんだ」

「君がただそばにいてくれるだけで、ボクは幸せなんだ」

「ただその幸せを、守りたいだけ」

「だから、君は気にしないで」

「だから、君を絶望と苦痛の目にはあわせない」

「だから、君の事は絶対に守ってみせる」

「でも、たった一つ」

「一つだけ、わがままを言ってもいいなら」

「これだけを、君に伝えたい」

「ボクは君の事が」

「命に代えても守りたい君の事が」

「世界にたった一人だけの君の事が」

「大好き、だよ」

 もちろんそんな【へびつかい座】の台詞は、僕には聞こえない。

 僕はただそのベッドの上で、静かな寝息を立てつつ、寝ているだけ。

 【へびつかい座】はそんな僕のそばに、地を這う蛇のようにひっそりと存在しているのだった。


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