第14話


 同じ頃、ローレンは中庭と厨房を行ったり来たりするのに必死だった。思いのほか飲み物の減るスピードが速い。

「忙しそうだな」

「―― っだ」

 中庭へ出る廊下の途中で声をかけられ、ローレンは立ち止まる。

 旦那様、と続けた声があまりに素っ頓狂で、公爵は笑った。

「フレデリカは元気か」

「はい…… あの、多分。私先月からアーサー殿下のお付きに移動になったので、フレデリカ様のご様子はイライザ経由でしかわからなくて」

「なるほど、そうきたか」

 デュマ公は顎に手をあててなんだか楽しそうだ。その何を考えているのかわからない姿は不安を煽られる。

「殿下はこの先も、私を城に…… フレデリカ様の下におかれるつもりなのでしょうか」

「それだとなにか困るのか?」

「…… 自信がありません」

 ローレンの呟くような頼りない小声に、公爵は再び笑った。

「あれはそうは思わないよ」

「え――」

 ローレンが聞き返すより先に公爵は軽やかな足どりで中庭へ戻っていってしまった。相変わらず掴めない人だ、と思いながらローレンは盆を片手に厨房へ向かう。

 自信が全くない、というわけではないけれど。普通は、身分が低ければ仮に男でも貴族に昔から仕えているとかじゃない限り王に仕えることはめったにない。だからだろうか。どこか、諦めのような気持ちがある。

 でも多分、アーサー王子は本気だ。アーサーがローラン、などと呼ぶので間違った名で呼ぶ者も多く、そう声をかけられるたびに訂正しているせいで名を覚えられている。

 そういえば、デュマ家に仕える家系はあるんだろうか。きっとあるはずだ。フレデリカのいた屋敷は別邸だったから目にしなかっただけで、本邸には多くの侍従が仕えていると考えて間違いないと思うが……。

「―― は―― と……」

「…… から…… 様の――」

 近道をしようと普段と違う角を曲がろうとしたときだった。中庭の茂みで、人目から隠れるように話す人影が見えた。

「―― 俺が聞いてるのはお前の気持ちだ! 侍従としての建前なんか聞いてない!」

 小柄な、というより未熟と言った方が正しいような華奢な体つきの人物が、抑えた声で言いながらもうひとりの肩をつかんだ。肩をつかまれているのは最近フレデリカの部屋付きになったマリアだった。

「これが私の正直な気持ちです。あなたにお仕えできれば、それだけで」

 もうひとり、細身の持ち主はウィリアム王子だ。

 明らかに自分が盗み聞きしていい会話じゃない。柱の陰に立って、迂回すべきか悩んでいると視界の端で何かが光った。何年もフレデリカのそばに仕える間、幾度か見た覚えがある。同時に思い出す、あの存在をなくす恐怖。

「伏せて!」




 自身の行く先に最後まで共に来てくれる人間は果たしているのだろうか。

 この瞳をもって生まれた意味を理解するようになってから、何度も考えた。ベインズは強い。諸侯が結託しても勝てないほどに。学べば学ぶほどベインズの強さを知る。けれどそれでいいと思っていた。エリオットの良い噂を聞くたび安心した。亡くなってしまうだなんて思いもしなかった。

 エリオットは優秀だった。彼こそが選ばれた存在であった。聞き分けよく振る舞えば振る舞うほど継承者エリオットが目の前に立ち塞がって、フレデリカの足は竦んでしまう。

 王になんてなりたくなかった。ならなくてよかった。この世の嫌悪を全て詰め込んだこの城に、一秒だっていたくはなかった。

 皆が立てと言う。

 皆が背中を押す。

 皆が私を崇める。

 わけがわからない。

 蒼褪めた空がじっとこちらを睨んでいる。

 フレデリカに与えられた部屋からは、城下の貴族街が見渡せる。ここに住む貴族たちのほとんどが今日の園遊会に招かれているためか町は閑散としている。

 ふと、いやな臭いがフレデリカの鼻をついた。なにかが燃えているような煙たい臭いだ。

 どこかで焚き火でもしているのだろうかと辺りを見回すうち、フレデリカの目にも黒煙が見えた。煙の元を辿ったフレデリカははっと目を見開く。

 貴族街の一等地。他の屋敷よりも一段高い場所に、ベインズの屋敷はある。煙はそこから出ていた。

 窓から乗り出す人の姿がある。その人物は煤にまみれた顔で外に向かって何か叫んでいる。周囲に人はいない。

 いつもはこの部屋に控えているイライザやマリアは園遊会の手伝いに駆り出されているため姿がない。いるのは部屋の外に待機する衛士だけ。衛士に伝えていては間に合わないかもしれない。

 部屋の窓からほんの少し離れた場所に太い樹木が佇んでいる。ここに飛び移れば城壁の上に立つことができる。城壁に立てれば、屋根をつたってベインズ邸まで行くことができる。

 音を立てずに出ていくことは容易いだろうが、ここから出ていけばアーサーは怒るだろうか。自分に失望するだろうか。

 迷いはしかし一瞬だった。

 体は思ったよりずっと軽々と木の枝に降り立った。フレデリカはそのまま城壁へ、それからどこかの屋敷の屋根へ、次は別の屋根へ――。屋根がなくなると適当な樹木に取りつきベインズ邸の張り出した窓のそばに立つ。煙が濃くなる。助けを求める人物と目が合う。その女性はコーデリアとよく似ていた。隣にいる侍女らしき女性が「クリスティアン……」と呟いた。

「―― 助けに、来た」

 フレデリカが息を吐きつつ夫人に手を伸ばすが夫人が首を左右に振った。

「夫が奥の部屋にいるの。でも廊下に火がまわっていて……」

 ベインズ公爵は今日の園遊会に参加しているのではなかったか。いや、細かいことを考えている暇はない。

「部屋はどこ?」

「まさか行かれるおつもりで?」

 侍女が信じられないといった顔で聞いてきたのにフレデリカは頷く。

「平民街から来る消火隊を待ってたら間に合わないかもしれないからああして助けを呼んだのでしょう」

「でも……」

「私は行く」

 フレデリカの頑なな態度に根負けしたのか、夫人は大人しくフレデリカの手を借りて窓から屋敷の外に出た。続けて降ろした侍女に助けを呼ぶよう告げて、フレデリカはまた樹をつたって公爵のいるであろう部屋の窓へ向かった。

 ここで、行かなければ同じになる気がして怖かった。


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