第10話

 アーサーがからかって「ローラン」などと呼ぶせいで城内で働く半分くらいの人間に性別を勘違いされている。それだけならまだしも、アーサー王子が「そういう目的」でそばに置いていると思っている者さえいる。まさか本当に「そう」なのか?

 今日はもう上がっていいと言われ、自室に下がって私服に着替え終えたその時、ドアがこつこつと鳴らされた。返事をすれば顔を出したのはイライザだった。

「夜食持ってきた」

 一緒に食べよう、と軽食を乗せた盆を掲げたイライザに頷いて室内に迎え入れる。イライザを椅子に座らせて自分は寝台に腰掛ける。

「そっちは変わりない?」

「ローレンの代わりに城の中に詳しい人が来てくれたから、楽になったよ。必要なものもすぐ手に入るようになった」

「そう……」

 以前は、アーサーが気に掛けているとはいえ、どうしても目の届かないところがあった。彼もそれを感じてあの侍女をフレデリカのもとに置いてくれたのだろう。

 肉の切れ端が挟まったサンドイッチを口に運んでいると、イライザが「そっちは?」と尋ねてきた。

「―― フレデリカ様は私たちを連れてく気だって」

 昼間アーサーに言われたことを思い出す。

「覚悟を問われて、何も言えなかった」

 覚悟がないわけじゃない。だけど、ベインズの子息が亡くなったと聞いて、フレデリカが王になると知って。女の自分はここを男の誰かに明け渡さねばなるまいと、それが当然のように思った。加えて自分は孤児で、王位についていない今ならまだいいが王の側近が孤児だなんて許されようもない。

 ローレンのつぶやきに、イライザは膝に肘をつき俯いた姿勢で何か考え込んでいる。フレデリカが城入りすると聞かされてから特にイライザはこうして考え込むことが増えた。

「どうにか、あそこから出してやれないか、とは思うよ」

 フレデリカは今、王城の一番奥にある塔の最上階に部屋を与えられている。それはおそらく王になったところで変わらない。分家も既に残っていないデュマ家に力はほぼないと言っていい。ベインズをはじめとする貴族たちにいいように使われ、その姿を民衆に見せないまま一生を終える。

「実は、実家に呼ばれてるんだ」

 イライザは伯爵家の庶子だ。しかし、正妻の子でないことから父親に認められず幼少期は孤児院で育ったと聞いている。だからこそ今となっては名だけの旧家であるデュマ家で働くことになんの後腐れもなかったが、次期国王の側付きともなれば話は違う。

「縁談か」

「多分」

 ローレンが聞くとイライザは頷く。

「次の休みに行ってくる」

「結婚すんの」

「……」

 今度の質問はすぐには答えず、口を閉ざす。すべりこむようにして訪れた沈黙に、ローレンはサンドイッチを咥えたまま寝台に倒れ込んだ。横になったままサンドイッチを咀嚼していると、 

「行儀悪いぞ」

と注意が飛んでくる。最後のひとくちを口に放り込みながら

「起こして」

と手を伸ばせば、仕方ないな、と手が取られる。程よい力加減で体が引っ張り起こされ、イライザの手から力が抜ける。その瞬間を突いてつかまれた手を反対にぐいと引くと案の定体がローレンの方へ倒れ込んできた。うっ、とくぐもった声がローレンの胸元から上がる。

「―― っ、おい」

 いかにも不機嫌そうな声がおかしくてつい笑い声を漏らす。

「怒った?」

 イライザはローレンの胸に顔をうずめ黙ったまま服の裾を握りしめてきた。

「ふたりで守ろうな」

「…… ん」

 髪を撫でて言うと、ようやくかすかに声が返ってきた。



「ローレンどの」

 乾いた洗濯物をアーサーの部屋に運ぶ道中、ローレンはハワードに呼び止められた。ハワードは何か書類のようなものを小脇に抱えている。

「アーサー殿下を探してきてください。急ぎの書類と日程の変更をお伝えしたいのですが、休憩とおっしゃって散歩に行かれたきり戻られていないようなので」

「わかりました」

「あとこれは変更した今日と明日の新しい日程です。洗濯物は私があずかります」

 洗濯物をハワードにあずけ、代わりに書類を受け取ろうとした瞬間、ハワードの手に力がこもった。

「殿下が、なぜあなたを傍に置いたかわかりましたか」

 予想していない人物からの問いにローレンは思わず口を閉ざした。

 あのひとの傍にいたい。

 その意思はある。

 でも、どうにもならないことだって、この世の中にはある。幾度となく思い知らされてきた。女は男には勝てない。腕力で。圧力で。権力で。

「―― いえ……」

「あなたがわからないなら、私の殿下は気に入った見目の良い男を傍に置いて喜んでいる、ただのうつけだ」

 ハワードは書類から手を放すと、洗濯物を抱えなおして身をひるがえした。



 城内のことはまだ詳しく知らない。ただでさえ広いのに今まで一番奥で暮らすフレデリカとアーサーの世話しかしてこなかったのだ。仕方なくローレンは人に聞きながらアーサーを探した。そうしているうちにだんだんと人通りが増えてきた。衛士の見回りも多い。こんなところまで来たのは初めてだ。

 ふと大きな声のする方に目を向ける。衛士の訓練場だ。いつの間にか王城を抜け出ていたらしい。

「王城の奥からわざわざこんなむさ苦しいところへ何の御用ですか、侍従どの」

 それが自分に投げかけられたものだと気付いたのは、周囲の空気が変わってからだった。見ると、小柄な衛士が自分の方を真っ直ぐ見ていた。

「寝所で香でも焚いて待っていた方が良いのではないですか」

 頬がかっと熱くなるのがわかった。香というのは主に、そういう仕事をしている女、あるいは男たちが避妊のためや気分を盛り上げるために焚く。転じて、身分ある人物の寝所へ侍ることを指して言ったりもする。

 フレデリカを守るためであれば、どんな辱めも受けられると思っていた。それは今も変わらない。

『口にしなければ、伝わるはずのものも伝わらない』

 衛士に意見したなんて知ったらイライザはたぶん、怒るだろう。いちいち事を荒立てるな、とか、受け流すってことを知らないのか、とか。

『誤解が嫌なら否定しろ』

 背筋を伸ばし、正面から相手を見る。

「訓練中失礼致します、衛士どの」目の前で男が少したじろいだ。「少しお時間をいただいても?」

「…… なんでしょう」

「わたくしひと月前にアーサー殿下の身の回りのお世話を任されました、侍女のローレン・ベル・ヘイウッドと申します」

「―― 侍女?」

 男が理解できないといったふうに言葉を繰り返した。

「どなたかと勘違いなさっているようでしたので。覚えていただければ幸いです」

「……」

「ここへはアーサー殿下を探しに参りました。殿下をお見掛けしませんでしたか」

 もともと背が高いためか、背筋を伸ばすと少し小柄な男相手ではすっかり見下ろす形になる。加えて、一見穏やかそうな笑みの奥には不思議と有無を言わせぬ気迫がある。

「殿下なら奥で他の衛士と打ち合いをしておいでですよ、ローレンどの」

 横から聞こえた声に振り返るとローレンよりも少しばかり背の高い衛士が人二人分ほど離れた位置からこちらを見ていた。

「ありがとうございます。えっと……」

「アランです」

「アランどの。ありがとうございます」

 背の高い衛士が微笑むのにつられてローレンも笑みを返し、再び礼を言うと訓練場の奥に駆けていった。

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