第9話



 神は我が王子の味方をしている。

 ハワードは密かに興奮していた。

 現王ヘンリーに生き写しの外見、何をやっても人並み以上に熟してみせる圧倒的な才能。王の器。母親の身分を理由に、あんな山奥の田舎で無駄に神を崇めて一生を終えるような人ではない。

 今このタイミングでエリオットが死に新しい、それも女性の寵愛者が姿を現したのも神の意志としか思えない。いやそうでなくても、これを逃すわけにはいかない。逃さない。

 我がアーサー王子は、王となる。


「ね、ね、聞いた? アーサー殿下のとこにすっごく素敵な侍従が入ったの」

「ああ知ってる、新しく城に来た二人目の寵愛者様のお付きだった人なんでしょう」

 厨房に隣接する侍従専用の食堂はいつ来ても賑やかだ。ハワードは侍女たちのかしましい声を受け流しつつ盆の上にティーカップや皿を手早く並べていく。そろそろケーキが焼き上がる頃合いである。

「なんでもデュマ家の人なんでしょ? 名家なんだからもっとお付きの人連れてきてもよさそうなもんなのに、全然それらしい人見かけないよね」

「ベインズの圧力があったのかもよ。デュマ家は古い家だし、殿下に侍従取られちゃうくらいだし」

 あのひとはねえ、と言う侍女の声には嘲笑の色が混じる。

「顔の良い男を傍に置きたいだけでしょ」

 ぴしゃりと音高く戸棚を閉めた途端話し声がやみ侍女たちが一斉に音のした方を見た。それがアーサーの侍従であると気付いた彼女たちは次々に青ざめハワードから視線をそむけた。

「―― 仕事を失くしたくないなら、無駄話よりするべきことがあるのでは?」

 ハワードが言うと、女たちは立ち上がりそそくさと食堂を出ようとした。すれ違いざま、それと、と付け加えてやる。

「ローレンどのは女性ですよ」



 アーサーの私室に茶器の乗った盆を置き、ハワードは資料室へ向かった。

「ローラン、これ資料間違えてるぞ」「ローラン、次の資料は?」「ちゃんと元の場所に戻せよ、ローラン」

 資料室では相変わらず見目麗しい王子のそばで、それに見劣りしない容姿の青年が忙しげに動き回っている。

「殿下、そろそろ休憩にいたしませんか。昼から休んでいらっしゃらないでしょう」

「―― そうだな」

 側に寄って提案するとアーサーは新しく付いた従者を仰ぎ見た。

「疲れたか? ローラン」

「はい…… いいえ」

 アーサーはどっちだ、と笑いながら立ち上がり今度はハワードを振り返る。

「休憩にする。そこに出てる資料片付けといてくれ。―― 茶はさすがに入れられるよな、ローラン?」

 アーサーは再びローレンを男名で呼ぶとにやっと笑った。


「…… おどろいた」

 第一王子は、寵愛者の腹心をまじまじと見た。それからもう一度茶を啜ると感嘆したようにため息をつく。

「こんなにうまいとは予想外だな」

「これでも、フレデリカ様のところで七年続けましたから」

 ハワードに茶葉の種類を教えさせなかったのはわざとだ。それを茶葉の見た目と匂いだけで当て、正しく淹れてみせた。先ほど資料室で見せたような慌てぶりはもう影も形もなく、熟練したそれのように優雅に茶のおかわりを注ぎこれまたそつのない仕草でカップを置き換えた。

 隙がない、と思う。常に外からの干渉に備えているかのような佇まいだがそれでいて殺気のような鋭さが少しもない。これはローレンに限った話ではなく、もうひとりの―― イライザと言ったか―― を見たときにも思ったことだ。

 ただの侍従なんて嘘だ。

「お前、本業は何だ」

「フレデリカ様にお仕えしていた、ただの侍従です」

「そう言うように言われてるのか」

「お答えできません」

 辛抱強く、だがあくまで焦りを悟られぬように聞き続けるが、きっぱりと言い返される。イライザに関してはランス伯爵家の庶子で、身元の確認も取れているのだがローレンの方だけは未だ曖昧だ。調べさせたところ、とある小さな農村の生まれで、デュマ家に仕える以前は親戚の紹介でデュマの傍系である地方領主の家で下働きをしていたらしい。すでに両親はなく、後見として見つかったのは小さな町で神官をしている老齢の男だった。今一つ、信頼度に欠けるような気がする。どちらにしろ、あの二人が単なる侍従でないことは確かだ。

 ―― デュマ公はいったい何に備えている?

 王だって彼女らの正体に気付かぬわけはないし、城に入れる前に調べ上げているはずだ。あの男はアーサーに任せると言った。まさか、ウィリアムでなく自分を王配に据えるつもりか?

 なぜだか急に、まだ自分もウィリアムも幼かった頃を思い出した。

『いかないであにうえ、いっちゃやだ』

 アーサーが神殿学校に行ったあの日、朝方こっそりと城を出ようとしたにもかかわらずどこからか嗅ぎつけて縋りついてきた弟に胸を引き裂かれるような気持ちにさせられた。ただ母親が違うというだけで、自分はこの子の兄でいることさえも満足にできないのだと思い知らされた。ウィリアムがこの先どこへ向かおうとアーサーはそこへ行けないし、アーサーがどこへ行かされようともウィリアムは共に行くことはできない。

「フレデリカは、お前たちを連れていく気だぞ」

 ぽつりとアーサーがこぼすと、ローレンは不意を突かれたように目を見開いた。

「けど、お前にその覚悟がないならここに置く意味はない」

 冷淡に宣言してなお口を開かないローレンにアーサーは痺れを切らしたかのように立ち上がった。

「仕事に戻る」

「―― はい」

 ついてこい、と伝えて資料室に戻る道中、後ろで控えめに響く足音を聞きながらアーサーは唇をひらいた。

「口にしなければ、伝わるはずのものも伝わらない。誤解が嫌なら否定しろ」

 その言葉に、ローレンは咄嗟に答えられずにいた。



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