第8話
(父さんを殺したのは旦那様だ)
ローレンは確信していた。
けれど、なんのために? いくら考えても分からない。正しくは目の当たりにしたくない事実がそこにあるような気がして、ローレンは考えるのをやめた。迷いを振り切るように勉学と剣の稽古に専念するローレンに、以前から屋敷の奥へ出入りしていた同年代の少女イライザは思いのほか親切だった。分からないところは教えてくれるし、剣の打ち合いにも応じてくれ、いつしか仲間意識のようなものまで芽生えた。
フレデリカとも、うまくやれている、と思う。
「ローレン、本取って。一番上の段」
とはいえ無駄に高い身長を便利がられているだけのような気もするが。上の段に手を伸ばすと、服の裾から昔負った火傷痕がのぞいた。父に熱した鍋を押しつけられてできた痕だ。後ろから聞こえた息を呑むような声に、慌てて服を引っぱって隠した。
「すみません。お見苦しいものを」
「…… それ、痛いの?」
「え?」
予期していなかった問いに、ローレンは一瞬戸惑う。
「いいえ…… ずっと前のことなので」
「そっか。よかった」
フレデリカは柔らかく微笑むとローレンの右腕をひと撫でし「本、ありがとう」と言って机に戻った。フレデリカは時々妙に大人びているとローレンは思う。
たった六つ。ローレンの半分ほどしか生きていないはずなのに、ローレンやイライザの倍も生きているのではないかと思うほどの落ち着きと、思慮深さ。聡明で覚えも早い。これが神に選ばれたということか。―― わからない。王になど会ったことがないから。父も周りの大人も、信仰心など欠片もない人だったから。
ある日の夜だった。
辺りに漂う不穏な気配にローレンはふと目を覚ました。なんだか妙だ。喉の奥がざわざわして、澱が溜まっていくような気持ちの悪さがある。
寝台を降りた途端、施錠していない部屋のドアがいささか乱暴に開いた。
「フレデリカ様のところに」
イライザはそう言いながらローレンの部屋の窓から飛び降りた。ここ二階なのに、とか、一体何が、とか様々な考えが頭を通りすぎていく傍ら、足は勝手にフレデリカの部屋へと向いた。世話をしやすいようにと、フレデリカの部屋はローレンやイライザの部屋から階段を挟んだ反対側にある。
部屋の鍵は開いていた。
フレデリカは窓辺に立っていた。
カーテンを閉めたまま窓に額をつけ、祈るように何かを待っていたフレデリカはローレンに気付くと振り返り微笑んだ。
「夜中にごめんね」
「…… いえ」
窓の外から野太い悲鳴が上がった。駆け寄ってカーテンを開け外を見る。暗くてよく見えないが、わずかな月明かりで見える姿がじろりとこちらを見た。顔に傷がある。隣には小柄な影―― おそらくイライザが立ち、足元には人のようなものが転がっていた。時々光っているのは、剣だろうか。
「大丈夫だよ」
隣で少女が言って寝台に戻った。
「今日はもう大丈夫だから、お休み」
なんでもないようなそぶりを見せるフレデリカに、もしかして日常茶飯事なのだろうか、とローレンは思う。―― いや、違う。よく見れば肩が細かく震えている。たった六歳の少女が、理不尽に命を狙われて平気なはずがない。抱きしめてやるべきか、とは思った。思ったけれど、今抱きしめたら彼女以上に自分が泣いてしまう気がして、この七年ついぞ抱きしめることはできなかった。代わりにではないが、あれから似たようなことが会った時にはその人物に手を下したこともある。自分でも不思議なほど、躊躇なんてものはなく、あっさりとそれはただの肉の塊になった。
「アーサー殿下のお話、お受けしようと思う」
昼間の話に答えが出たらしいフレデリカはイライザとローレンを前に言った。
「ローレンが嫌でなければ明日殿下にお返事するよ」
「嫌なんて……」
自分からは言えない。フレデリカはいつも優しい。妙に大人びたところがあるくせに、時々こちらが困るような我が儘を言う時がある。初めはローレンに対してはそうではなかったが、数年経ったころから少しずつ言ってくるようになった。試されているのではとも思うが、普段が普段なだけに断れないことが多い。
「ご命令とあらば。―― ですがひとつ、お聞きしたいことが」
「何」
「…… 気分を害されるかもしれませんが」
「いいよ」
言って、と促されフレデリカの顔を見、続けて隣のイライザを見た。双方怪訝そうな顔をしている。
「フレデリカ様は」
思った以上に緊張していたのか、高い声が出た。
「―― フレデリカ様は、アーサー殿下を王配となさるおつもりなのでしょうか」
雇い主はあくまでデュマ公爵だ。それは十分に理解しているが、相反する命令がなされたとき、正しく動ける自信がない。
「まさか」
緊張した面持ちで見つめる従者に、幼い主人は笑って答えた。
「殿下にはたぶん、城にとどまるお気持ちはないよ。父上や母上と同じで、どっか遠くに行っちゃうんだ」
もう寝る、と言った主人にローレンとイライザは挨拶をして下がった。部屋を出るなりイライザの頭に手を乗せたローレンを、イライザは呆れたように見上げてきた。
「フレデリカ様にできないからって私にするな」
「ごめん」
「だいたい何だ、さっきのは」
イライザは相棒に対して少し怒りさえ覚えているらしかった。
「そんなことがあるわけないだろ」
「でもあの人は王配殿下の子じゃないし、もしかしたら」
「父親は同じだ」
吐き捨てるように言いながらイライザは身をひるがえした。
「母親が誰であろうと、腐ってもベインズだよ、あの男は」
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