第10話 だから『』は、彼を信じるしかない。 上
「でさぁ、『』ちゃん。ぜーったいにつぎに起こること知ってたよね!」
東京自治区の夜景をバックに青空のような髪を楽しそうに揺らして少女はそういった。
空色の少女の目は金色に輝く。オレンジ色の照明とガラス張りの壁から入る夜の光だけが輝く薄暗い部屋の中にまるで蛍が飛ぶかのように光が泳いだ。
「君こそ、アレくらいなら断ち切れてただろう?」
シトに靴を脱がして貰いながら『』は軽い口ぶりで返答する。
「やだなぁおたがいさまだよ」
わかってるならいうなよ君は。『』は手探りで探し出した狸のぬいぐるみを空色に投げつけた。
相手は模造品のようなものだが神様といっても過言ではないというのに。『』は不躾に接する。
たぬき! さがしてたんだよこれ!!! と空色の少女はぬいぐるみにほおずりした。
人を見限った神が天に昇り、荒廃した世界。
自治区というのは、まだ神がいた時代の名残を残し会衆が歪みを正さなければ人も住めなくなるような区外のように荒れることなく文明を保つことが出来た奇跡の地である。
その地から絶えず湧き上がる『歪み』を調整する神にも等しい能力を持った人柱。であり、自治区最大の会衆を束ねる社長。
その人柱『慧華』は『』の貴重な友人枠でもある。容姿と肉体両方でとっつきにくい『』とおなじくらいとっつきにくい立ち位置にいる慧華。両者とも友人と呼べる存在は少なく、誰しも一歩引いてしか自分と付き合ってくれない。
「シトは、」
「それじゃなにも進まないもん! 会衆庁はワルモノたちを退治しようとしないし! シトがあそこで泣か なくても起きたフコーだよ」
と、シトの放とうとした言葉を遮り、『』とは違った舌足らずさで騒ぎ散らす姿はまさかそんな偉大な存在とは思えない。
どちらかというと知恵が遅れているかのように見える。
「そうかもですけど、なんか、シトはできれば、もっと、うー」
「シトは馬鹿だから物事いい方にしか持っていこうとしないよね」
シト、褐色の黒狐耳は細い目をさらに顰めて頭を抱える。
「うっさいです! シトもがんばってるんですー!!!!」
八重歯をガッとのぞかせたシトは机をバンと叩いた。
薄目を開いた慧華が何かを手繰り寄せ糸でも切るかのように指を捻る。
「ご、ごめんなさい」
「シトはそれでいいんだよ、だって、シトだけ普通にできないのはふこーへーでしょ?」
「でもシト「難儀なものだよね、自分の感情がトリガーになって歪みを引き寄せちゃうだなんてさ」
感情の起伏、主に負の感情がトリガーになり自分の周りに歪みを引き寄せてしまう。それがシトの生まれつきの能力であった。
「難儀じゃないです、これは、」
難儀ではない。シトにとってそれは難儀以上のモノだった。幼いころから撒き餌のように歪みの湧いた場所に放り込まれ幾度も恐ろしい目にあってきた。神によって裁きが下されるその日まで。
人は誰も、シトと友人になることはできなかった。
「わらしがいれば大丈夫! ぜーんぶちぎってすててあげるから」
シトの嫌なものはぜーんぶ!! ぜーんぶ!!! 恐ろしいほど美しい神様は黒い狐に抱き着いた。
勢いそのままシトに連れ添われ床に腰を下ろした『』にも抱き着く。
「慧華そんなにうれしいの、なんでそんなにこうふんしてるの?」
「えー、らっていつものエロ着物じゃないし、ううん それだけじゃない シトの引き寄せたヤツ全部倒しちゃったよあの子、門番の力をかりたみたいだけど」
世界の流れなどだいたいがお決まりだ、数年、数百単位で技術や体系は違えど同じパターンを繰り返す、争って和解して、争ってまた争って、滅びかけて。だから慧華にとってそのイレギュラーは興味深い物だった。
少しの違いも、イレギュラーも、不快なものでは無ければ楽しいものだ。
「門番? っていうと佐久間?」
「うん、みえるよ共有する?」
「いい、いらない」
「『』ちゃん、やっぱりおかしい、普通しらないものはしりたいでしょ? わやしも、音きいてみたいよ?」
「慧華とはちがうよ、僕はこの暗闇がきにいってるんだ」
「わらし、自分の耳がきこえてないこと、『』ちゃんにいわれて はじめて 気が付いたけどわらしが知ってる音と『』ちゃんやシトが聞く音がちがうだなんて、わけわかんなくなっちゃう」
そう言いながら、慧華は寂しそうに二人から離れていく。
……ハナレテイク オト。
自身の関節のキシミ。繊維が擦れてその命を縮めるオト。指紋が擦れ合うオト。産毛の立てるオト。抜けた髪がその命を全うするオト。『』の記憶のオト。自分の興奮のオト。遺伝子のオト。古い皮膚が全てを全うしてたてたオト。イロイロな、形容できないような無数のオト。感情のオト。窒息死してしまいそうな程に深いシトから自分へ向かう視線のオト。
常人ならば発狂してしまうような情報量、古くなった細胞の動きや、相手の記憶が染みついた声さえコミュニケーションとして聞き消費する。それは神に等しい、のではなく神なのではないか。
薄く開かれた金色の瞳はその一連の動作が終わった後も視界を絞って音を捉える。シトの瞬き、『』の義肢の立てるわずかな軋み、風の騒めき、眩しい街の喧噪、黄色い居酒屋の喧嘩、張り詰めた黒色の野良猫とネズミの戦い、灰青色の路上生活者の吐息、ギラギラ輝く赤色の政治家の談合、か細い水色の会衆庁でつるし上げられる少年の泣き言、弾けるように黄色い佐久間の笑い……。
……こんなにも鮮やかで素晴らしい音があるというのに、この音は他人の知る音とは違う。それどころかかなりかけ離れたものらしい。
「しんじらんないよ」
慧華はただひたすら信じられない。世界はこんなにもワクワクする、色鮮やかな、窒息しそうなほど胸が高鳴るものであるというのに。
皆が騙しているのではないかと思うことがある。けれど、自分が聞いている音は他人にとっての音ではない。確かに、慧華は目を瞑れば無音の世界に落ちる。
深い深い、黒い無音。
ザラザラした。黒い底のない無音。
「毎回言うよね、慧華」
うん、と空色の髪を揺らす。
「わらしにみえてる音と 『』ちゃんやシトが耳で感じる音の なに にちがいがあるの」
「強いて言うなら価値観じゃないかな、僕に聞こえる音とシトに聞こえる音のいみはかなり違うとおもうんだ」
『』にとっては至極簡単な問いである。
「シトの聞く音もちがうんです?」
『』は過去を回想する。
まだ世界に対しての理解度が足りないとき、暗い闇の中でただ生きるためだけに音と熱と匂いと感覚だけを頼りに手探りで生きていたころ。ふと衛助が『』に向かって鳥の声が聞こえるか? 綺麗だと思うか? と問いかけてきたのだ。
味気のない砂だけを食べるような暗鬱とした生活の中で、初めて、世界の鮮やかさに気が付いた。目からうろこが落ちる、とはこういう事だと。後から気が付いた。
そういう事だ。
生きるために世界を捉えていた『』と、世界を謳歌していた衛助。
「シトはまわりに悪意がないか感じるために音をきくでしょう?」
そう、シトは自分が誰かに歪みをぶつけてしまわぬように声色を窺う。もし自分が悲しむような出来事があったら逃げられるように。
「でも僕は、まわりの様子をただ知るために、そのときどきに合わせて音を聞く焦点をかえる」
『』は周りを知覚するために、そしてたまに楽しむために音を聞く。
「でも、慧華はぜんぶが見えてしまう」
すべての情報が意味を持ったものとして慧華の頭に流れ込む。情報を見ている、それ故、優しい嘘で隠された現実はそこにない。嘘もその裏側にある真実だけが見えてしまう。
慧華はそれさえも許容する。
「おお、たしかにそーかんがえると」
シトに膝枕されていた慧華は金色の目をパッと見開く。
「わらしだけじゃなくて、みんながみんな違うんだ」
自分の目が写しているだけで、誰かが飾った『嘘』を反映することのできない世界を見ているだけの彼女が、その意味を理解できているかはわからない。ただ正直に、真っ直ぐに、無邪気に慧華は生きている。『』やシトが理解できない世界を、共感できない世界を、根本的に異なる世界を、
「だいじょうぶ シトのこと わやし が一番わかってるから」
泣いたという情報のあるシトの頬を撫でる。
『凸と凹が合わさって、気持ちがいい』
ただ、それだけ同じで、それ以外は何もかも違う。
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