第9話 会衆庁襲撃 下

 目を瞑った闇とも、夜の闇とも、目隠しをされた闇とも違う。

 ぶるり、と鳥肌が立つ、下腹部に重しでも詰め込まれたかのような圧迫感。

 生暖かい何かが縋の顔面に掛かった。


――これは、恐れ、恐怖だ。


 恐れを知った。

 縋は小便を漏らしそうになる。

 誰かが叫ぶ。声にならない叫び。その叫びに停止していた脳内が再起動される。

 しかし、誰もその声を聴きとれない。

 だから、

「伏せろッツ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 自分でもこんなにも大きな声が出るのかと驚いた。

 鼻が臭いを拾う。

 何かが腐った臭いの混じる、しかし、青果市場のようなフルーツ臭。

 臭いの作る導線を辿っていく。

 フッ――

 髪が耳をくすぐる。

 生暖かい吐息が冷えた体をねっとりと犯す。瞬時の判断――

 四つん這いの状態から腕を背後に伸ばし首を掴み地面に叩く。

 鈍い音、

 辺りでも同じような音や断末魔が響き始める。しかし、誰もその場から動かない。無理もない、完全なる暗闇だ。そもそも、自分以外の人間が相手を仕留められたかもわからない現状。

 腰を低く片手を床に付け“何処から何が来てもいいよう”神経を逆立てる。縋も元は杖である、目など使えなくとも全身で全てを感じ取る。皮膚は殺気と気配を、耳はわずかな衣擦れの音と世界の形状を。脳はその全てを統制する。

 無論、それを害するものがあれば。

(ぬわッ! アブねえぞ!! 俺は味方だアホ野郎)

 2撃目を決めようと手に握っていた襲撃者のナイフを下げる。

「なにこれ怖いんですけど!?」

 ちょっと、ちょっと出て行ってよ!!! と縋は自分の頭を殴りつける。

(んなことしても遮断できねえよ、白の相棒だろアンタ、何が起きてる?)

「知らんが、知らんから困ってるんだ『』もいないし、俺病気になっちゃったの!? 頭の中に妖精がいるよォ!?」

 オォン!? と、右から来た殺意を床に叩く、形状からして弓矢。血はほとばしらず硬質なもの同士がぶつかり合う音が響いた。

(どれだけ知覚できてるかわからんが、相手の思考だけ伝播させてやる)

 言葉が脳内に響いたと共に思考が次々と流れ込む。

 無数の思考、誰かの思考、純度百パーセントの戦おうという意思。戦おうというだけで、そこには何も存在しない。

 怯えも、悲しみも、苛つきも、怒りも、

 例えるならば、無。

 縋はまたも、恐れを感じた。

 しかし、そんなことよりもこの状況を脱したい。その感情が上回った。

 右、左、直上、――

 位置がわかってしまえば容易いもの。ナイフを飛ばし、叩き落した矢じりで皮膚を割く。

 ものの数分。必要なのはそれだけだった。

 庁内を覆っていた闇は晴れる。示し合わせたかのように――。


「やっぱ俺凄いか、凄いんか」

 膠着状態の周りをよそに縋だけがガッツポーズ、立派な、輝かしいアホ面であった。

 そしてそれもつかの間、とりあえず重要参考人として身柄を確保され、その後身分を証明できなかった縋はまた高いところからつるされることになった。


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