第7話 地を這う神様

「お着替えを手伝ってほしい」

 義足を外しすっかり寛いでいた 『』は思い出したかのように背負っていたリュックをズイと差し出してくる。

 自治区の灯がすぐそこまで見え始めた午後4時、会衆組合が管理する小屋の中二人は向かい合う。水道や簡易的なシャワールームの置かれた土間と数人が休めるサイズの板の間。宿泊施設というには頼りないくらいの小屋。

 小さな裸電球が二人を照らす。

「着替えって?」

「着替えだよ」

「な、なんで?」

「明日は自治区にはいるんだよ。こんないつおまんこが丸見えになっちゃうか分からない恰好で行けるわけないだろう? 杖もそのハミチンが前提みたいな服から着替えるんだ」

 は、は、は、ハミチン!? と杖は自分の股間を手で隠す。

 口にリュックの持ち手を咥えた『』は僅かに残る大腿と義肢で四つん這いになって杖に飛び込む。

「ちょっ!!!」

 そもそもの話であるが杖は人間になった当初全裸だった、ほとんど警察も関与しない自治区外で行動するからといって全裸の男をひきずり回すのはかなり絵面が過激でまるでM犬の散歩風景ではないか。たまにそういう事情を知ってか知らずか、衣擦れの音を感じさせず嬌声を上げる女性や男性、時には同性の二人組に出くわすことがあった『』であるが、ただの盲人のように杖をカタカタさせて何食わぬ顔で通り過ぎるくらいのスルースキルを持ち合わせるようになってしまった。

 しかし、自分はそういった性癖を持ち合わせていない……ということで『』は杖に自身の着流しを身に着けさせた。しかし、身長140センチの『』と180後半はある杖では丈が違う。勿論チラチラと御魔羅がopenしていた。

「目が見えないからバレてないとか思ってたかもしれないけどぶっちゃけ……けっこうわかるんだよね」

 『』はポロンポロンと男性器が奏でる不思議な音色と気配を感じ取っていた。

 それは丁度よい丈の着物を仕立ててもらった現在、だいぶマシになったが変わらない。そもそも論、『』の戦闘スタイル的に『体の自由が効き、尚且つ汚れてもすぐ脱げる、自分でも他人でも脱ぎ着が楽、極力省スペースで持ち運びができる』みたいな思想で作られた服なので薄い生地で浴衣に近い、便宜上『着流し』と呼ばれているがそれはもうほとんど『着流し』とは言えない。むしろ『着流し』という装束に失礼なレベルで原型ブレイクが起きている。


 そう、回りくどい言い方でなくすと、そんなデザイン思想で作られた服を180後半の男サイズに大きくしたからと言って見えるもんは見える……、


――ちょっとキツイ姿勢を取ったりするとたまにはみでる。たまがはみでる。またがはみでる。


 手探りで着流しの裾を探した『』は「ちんちんがちらっと見える、チンチラ……うん、可愛いね」。ちんちらをモチモチした手で念を押すように杖の手をギュッと握った。

「そんな急にショックをうけないでよ。僕はそういうのにかんよーだからね」


――ぶっちゃけそういうつもりはなかった、嫌らしい考えなんて一ミリも持っていなかった。


 まあ、見えてるけど見えてないから無問題か、みたいな激甘な考えだったのだ。一発で異常性癖認定? されるなどと思ってもいなかった。杖は人間の姿になって初めての、そして最初で最後くらいにデカいダメージを感じた。


――しかし、こういうのは否定すればするほ変な空気になる、と思う……なんとなく。


 何かものすごいナチュラルボーン異常性癖に振り分けられてしまったが、誤解など直ぐ解けると思い口に出そうになった否定の言葉をもにょもにょと飲み込む。

「わかったわかったよ……俺が悪かった、けどどうにかならんのか……」

 『』は首を傾げ暫く考え込む。

「これでいいと思う」

「いいのか……」

 杖のもあるからね、と渡された服はシンプルなワイシャツと細身のズボン、ノースリーブとショートパンツ。下着一式。杖は服に等詳しくないが、というか服を着始めたばかりだが趣味は悪くないということだけ分かった。

「いやぁ、ほんと杖が杖になってくれてよかったよ。これが一番つかれるんだ、裏表とか左右とかそういうのは手で触ってわかるけど自分がちゃんと着れてるかわからなくて……」

「自信が持てないってか?」

 ンフフ、そーいうんじゃないよ、と『』は笑う。

 目的もなく手が宙を彷徨う。杖はよくわからなかった、しかし胡坐をかいた足の上にのっかり伸びをした『』の手が丁度頭の位置に来た時そっと頭を差し出した。

 フフ、とまた『』が笑う。僕はそんなに自分を卑下していないよ、と。

「えーすけのことだから僕に合うように作ってるんだろうしね。……僕が心配なのは普段見えない場所がみえてたり、……そういうかんじ」

「ああ、なんとなく理解した」

「じゃあ、明日は早く起きて馴れないとな」

 水で流す前に汚れだけ落とそう、と杖は『』を床に下ろした。


 折り畳み式のシリコンバケツに水が落ちる音と、古い蛇口の叫び。虫の声。

 なんだか懐かしい雰囲気だ。


「僕……なんかエッチな気分になってきちゃった……」

「その一言で折角の情緒が台無しだ」

「エッチな気分になっちゃうのはしょうがないよー」

 ゴロンと腹ばいになった『』が土間の縁まで手でバタバタと音を立てながら探り近づく。

「どうした?」

「濡れてきちゃった」

 これで拭いとけ、と杖はタオルを投げつける。

「ちゃんと拭けよナメクジが這った後みたいになる」

「まって、ちゃんと締めるから……」

 んッ……、ふぅ……。などという艶めかしい声を出す『』。杖は嫌な予感しかしないので敢えて何も聞こえないように振る舞う。

 こと、2分。

「いや、長ぇよ、何を締めてんだよ」

 満杯になったバケツを持って振り向くと自分が這った後を掃除するナメクジがいた。

「……変態」

「どちらかというと今の状況俺より『』のほうが変態だが!?」

 というかそれ掃除してもそんな簡単に止まらないんだから意味ないだろ、と『』を抱き上げると不思議なことに新しい這い後は付いていなかった。杖は『』が何をどうやって締めたのか気になったが何も突っ込まないことにした。

 杖自身も、わかってはいたが、この『』という不思議生命体には何も突っ込んではいけないということを本当の意味で理解し始めていた。

 無論下半身に突っ込むのではなく生態系に突っ込むという意味で。

 杖はだいぶ乱れていた服を脱がし、腕の接続を外し抱き上げる、いやんとかエッチ! とかあからさまな態度で言っているがもう気にしない。裸足の足でつい先ほどまで『』が掃除に浸かっていたタオルを掴み移動しつつ這い後を消していく。


 杖、強い男である。数日しか経っていないというのに強靭な精神には見張るものがある。

 が、しかし――。


「あんまり意地悪すると君の名前教えてあげないから」

 杖はピタリ、と手を止める。

「名前……?」

「うん、杖が自治区で名乗る“なまえ”」

 数日前のやり取りを思い出す。

 杖は暫く自分の身に何が起こったのかわからなかった。

「おっきい音したねぇ」

 そう言われて初めてドクン、と、自分の心臓が高く、熱く、鼓動を弾いたことを知覚した。

「え、あ……」

「いま、どんな顔してる?」

 腹筋と、僅かに残るでっぱりで跳ねた『』、呆けていた杖は押し倒され頭を床にぶつける。

 しかし、放心状態は続く。

「これが杖の嬉しい顔かぁ」

 猫がじゃれるかのように、頭や顔を杖の顔に押し付ける『』。痛い、とか恥ずかしいとかそういう事は思い浮かばない。

 杖はただ、ひたすら。

「嬉しいに決まってる……」

 その一言と共に、『』は身動きができなくなった。

「ぬわッ!?」

 何も写さぬ瞳の代わりに皮膚が動きを感じ取る。ただ笑っているのか、泣いているのかわからない震え。顔に伸ばそうと思っても腕はない。


 その感情はどちらにも理解できない物であった。

 多分、誰にも分らない。


『この世界に神が存在を認めた日の事を覚えている者がいるだろうか。

 どこにもいないであろう。』

 そういうことだ、今ここに、神様と存在を認められたモノが成立してしまった。


「もう! やめてよ離してよ! 名前教えてあげないよ!」

「ちょっとまってマジ明日にして……なんかよくわからなくて受け入れられないから……」


 その夜、布団に入っても未だに上機嫌な杖に『』は敵わなかった。そしてどんな下ネタを言おうと相手にしない杖に恐怖を覚えた。


 翌朝、あの日のようなシチュエーション。

 朝日が小屋の隙間から差し込み、衣をまとわぬ四肢もない少女を神のように照らす。

尊纏縋そんてんすがり

 頼られることを尊ぶ。杖にぴったりな名前だよ。すがり。


『神様は微笑んだ』


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