第3話 杖と役目

 朝起きたら人になっていた。覚えている。自分を使っていた少女の職業と自分の使われ方。その前日も少女はいつもと何の違いもなく自分を使った。ある時は道を探る道具として、ある時は他者に知らせるツールとして、そしてある時は化け物退治の武器として。


 いつものように使われる、それはうれしいことだ。自我なんてあったのかもわからないけど、眠る前に手入れされてそれだけで十分だと思えるくらい俺は自分の使い手に好意を持っていた。


 そして急に記憶が飛んだ、寝床にしていた廃村のあばら屋、日差し差し込む明朝5時、人間の姿で目覚めた自分は全裸、そして隣には見覚えのある銀髪少女……やがて寝ぐせで跳ねた髪を整えながら起き上がった少女は寝ぼけ眼の、光を写さぬ、焦点を結ばぬ血の赤が透ける瞳で、しかし確かに自分を捉え、『杖?』と。


――不思議なことに俺は杖という名詞の付く『物』から『人』という名詞の付く『物』に進化? 変化? していた。しかし、その一単語、『杖?』と呼びかける声で自分が目の前でポヤポヤと春の陽気のような雰囲気を放つ少女の『杖』であったということに自信が湧いた。

 というよりも、俺は杖だ。とわかった。


「んまぁ……話を聞く限り付喪神的なものかもしれねえな」

 無精ひげの男は太い指先で顎を擦った。おそらく『』が、神様がいなくなってしまったこの世界に発生する歪みを退治するために杖を使っていたことが何かしらのトリガーになり人の形に変化したのだろう。という結論を出した大男。『にしても、にしても』とか言いながら杖と『』を交互に見つめる。

「そうそう、えーすけの言う通りー! だからあんまりいじめないであげて」

『えーすけ』に公認されたらだろうか。『』は嬉しそうに声を上げた。

 えーすけ、えーすけ。きいたことのある響きに杖は思考を巡らせる。そう……確か『』の親代わりみたいな男だ。そして『』の所属する会衆の長。

 掠れてあやふやなまだ『』に四肢がない時期にも男は存在していた。『』がかなり懐いていた覚えがあるがこんなに大きいとは……。

 しかし、その存在の影響力はやはり偉大なようで。いけ好かないチャラ男に清純な娘を奪われる両親のようであった昼と、先ほどまでショックで伸びていた衛助の娘の寧は何やら耳打ちしあっている、けれど玄関先での攻防の時とは異なり攻撃的な態度ではない。あまりいい気分ではないが俺が彼女たちを薄っすら知っているとはいえ、彼女たちは俺を知らない。無理もないし、彼女たちが礼儀知らずというわけでもない。

 杖のそんな複雑な思考はつゆ知らず『』は手探りで畳に置かれた茶を探す、危なっかしくまさぐる手に杖は手を重ねてお茶の位置を教える。

「ほら便利でしょ? 姉さん、寧ちゃん」

「まあ確かに便利かもしれないけどさぁ……」

 そういう問題じゃないんだよ……。昼は頭を抱える。

 杖はなんとなく共感した。この場に集う四人のなかそういう気持ちになっていないのは隣で茶をすする『』ぐらいだろう。

「見ず知らずなんてひどい……」

 ね、杖。と『』は杖の手を握る。

「もう見ず知らずじゃないよ、杖の隅から隅まで確認したよ」

 んと、髪も、顔も、……順を追って説明し始めた『』。杖の背中に電撃が走る、ペタペタと冷たい手が『』の頭をまさぐり、髪の長さを確認するように手で梳き、吐息のかかる距離で顔を撫でて、だんだんと下降していく、やがて恥ずかしさで熱くなった杖の肌に馴染むように『』の作り物の手も温まっていく、体が一つになってしまうのではないか杖は危機感を覚え「ちょっと……」。

 昼の冷めた声が杖を悪夢から復帰させる。

「いや、明らかに杖のトラウマになってるけど」

「え?」

 ひょい……と、『』が杖に手を伸ばす。杖はスッと躱す。

 ほぼ無意識の反応に『』は表情を曇らせた。

「ごめんねぇ……」

「別に、大丈夫だけど」

「だいじょうぶだけど?」

 数十分の沈黙が続く。

 誰かが唾を飲み込んだ。

「オ、オレは別にいいと思うが?」

「え、何? どういうこと? 何がいいの」

 寧が衛助を揺さぶる。

「父さん、本当にいいの!? 何がいいのかわからないけど『』は実質父さんのもう一人の娘みたいな子でしょう?」

「ああ、年ごろだし、そろそろ男が出来てもいいだろう? 止める筋合いはない」

 それに男の影があるってのは大人になった証拠じゃい! と機関車のように吸っていたタバコの煙を鼻から吐き出す。

 男の心に消えぬ、そして癒えぬ影を落としたの間違いではないか?

 だいたいのトラウマはその原因さへ乗り越えてしまえばどうってことはない、けれどこのエロのトラウマはどう克服すればよいのだろうか。もっと強大なエロで掻き消すのか、それとも初心なエロで掻き消すのか……。

「そうだけど、『』は「それにもしそいつが『』の杖だって言うならどこにでも持ち歩いてるハズだし裸だのなんだの見慣れてるだろ? だから今更どうこうって必要はねえよ」

 そういう問題ではないのでは? 寧も昼も黙り込む。

「それにお前ら、こいつが杖だから『』が家まで無傷で帰ってこれたんだ。それ以上の証拠があるか?」

 カンッとキセルの灰を落とした衛助は頬をひく付かせる。

「マジ、オレも信じらんねぇけど」

 寧は何とも言えない顔であったが昼は無表情。両者この信じがたいが謎の現実感がある状況に戸惑っている。

 二人の知る『』は見知らぬ男に絆されたり脅されたりするほど甘くはない。かといって見知らぬ男が『』をだませるなんてことあり得ない。けれどただの杖が急に人の形を得るなど信じたくないと。


 光さえ感じない盲目であっても、手足さえ幼いころにもぎ取られ作り物をあてがわれていようと『』は弱くない。この場にいるすべての人間がそれを知っている。

 しかし、この場にいるすべての人間は疑う。

 この少年は本当に『』の愛用していた杖なのかと。

――あの禍々しい杖なのかと。


「わかったよ、そんなに認められないなら杖と『』が二人で仕事を出来るか確かめよう。こいつが本当に杖だったらそれができるわけだ、あと、できるなら本庁にいって杖の更新もしてこい」


「いいな、二人とも?」

 二人ともという言葉が向いたのは杖と『』に対してであったが、その言葉には寧と昼を納得させる意味合いもあった。眼鏡を掛け、着物の合わせ目に腕を突っ込んでタブレットを取り出した衛助は『』に情報を共有する。

 杖が読みあげるにそれは本当に簡単な仕事だった。会衆としてのノーマルな本当に基本的な歪みの退治。人間になったばかりの杖であってもそれが初心者向けの、能力者でもない人間でもどうにか切り抜けられるような歪みの処理だった。

 現在11カ所に限られた完全安全居住区の外で暮らす人々を守るための仕事。完全安全居住区外に湧く化け物の退治。

 会衆に与えられたその単純な仕事のそれこそ根幹を成すようなことをこなすだけ。

 それだけだったハズなのだ。

 自身が『』の杖としてこなしてきた数多くの仕事がそうであったように、一日、または長くて三日で済むと思っていた。

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