第2話 俺の神様

「ねぇ、杖には神様っているのー?」

 THE能天気な声に杖と呼ばれた少年は何とも言えない顔で首を傾げる。

「人間の文化はまだよくわからない……」


 つい最近まで自分はただの杖だったのだ。朽ちかけた木でできた杖。そもそも本当に自分が杖なのかさえもわからない。杖のように使われる丁度いい長さの棒だったのかもしれない。

 そんなことを考えていると、首を傾げ不安そうに杖を見つめる少女に気づく。


「なんだよその顔」

 なんでもないよー。という拗ねたような返事になんとなくその心情を察した。

 杖は自信がなかったが、勇気を出して小さく口を開く。

 もし自分を作った人間が明確に『名前』を付けていてくれていたら、そうであったなら自分を作って名付けて世界に存在を確立させてくれた人が神なのではないか、と。

「ふ~ん、杖はそうおもうんだ……」

 何が気に入らなかったのか少女は少し残念そうにため息を吐いた。

 面倒くさい奴だ。杖は思った。

 このまま会話を終えたらさらに不機嫌になるだろう。そう思い杖は口を開く。

「じゃあ『』には神様っているのか?」

「いるよーいるいる! いまこうやって暗闇を照らしてくれる杖が神様!」

 杖は自分の体温が上昇したことを感じた。純粋に好意を伝えられたにも関わらず、あまりにもストレートなその表現にどうしたらいいか分からなくなった。

「ムッ……体温の上昇を確認!」

「手ぇ放すぞ……」

 照れてる、もしかして照れてる、と笑いながら『』(しょうじょ)は杖の手を強く握る。

 柔らかい手がギュッと自分の骨ばった手を握る感触に杖の体温はさらに上がった。

 フフと、『』は笑う。どこを見ているのかわからない赤い瞳が細まる。

 木漏れ日に照らされ肌の白さが一層目立つ。暖かいを通り越して熱くなった手で冷たく柔らかく色白な手をギュッと握り返す。

 杖はずっと守りたいと思っていた。それだけは確かだ。

 しかし、決して馴染むことのない道具と使用者の温度。

 杖は黙り込んだ。

「もうちょっとで事務所おうちかな?」

「ああ、俺の記憶が正しければ」

 不思議なことだが杖には確かに記憶がある。まだ棒っきれだった時にこの辺りに差し掛かると『』の足取りが軽くなったことや、すこし駆け足気味にコンクリートに足を引っかけて転びそうになったこと。

「段差」

 わかってるだろうけど。杖は付け足した。

 長らく整備されていない道路はひび割れ目の見えない『』が歩くには随分難しいものになっている。

 しかし、『』はひょいとそれを飛び越える。

「杖は凄いね」

「『』のほうが凄いだろ。だって何も見えてないんだろ? 光も」

「物心ついたときにはそうだったから」

 僕を構成する部品はほとんど気づかないうちにとられちゃったからね。

 どこか自嘲的に『』は呟く。

 でもね、よく考えると杖の方がすごいよ。と。

「僕が初めて歩ける足を貰ったときはどう立っていいかもわからなかったし、初めて物をつかめる手を貰った時はどううごかしたらいいか、なにをどうつかんでいいのかわからなかった」

 杖は話の流れがよくわからず立ち止まった。

 鳥の泣き声だけが木霊する。

「だから、つい最近までただ握られて地面をたたくための道具に過ぎなかったつえが人間として歩っているってことのほうが凄いとおもうって僕はいいたいんだ」

 『』は独り言のように杖に語り掛ける。初めてもらった足を不便だと思った事、初めて熱い物を掴んで驚いたこと。『作り物の手足であるのに触角を再現する機能を持ったこの手足』をどう使えば『普通に快適』に暮らせるのか。戸惑ってばかりだったことを。


 どこまでも白く、汚れを知らないその存在。杖として使われていた時は浮世離れしているその容姿が少し怖かった、けれど今は思っていたよりも親しみやすいと感じている。一つ一つの仕草や言葉が可愛いと、守ってやりたいと、そして独りにさせたくない、それぐらいしか杖だったころの感情は覚えていない、

本当にそんなものがあったのかもわからない──。

 後付けかもしれない。しかし、今ある感情は今生まれているものだ。そしてその芽生えた感情はどれもこれも、『』の温度や、笑顔を感じるようになったからだろう。

「いきなり寝床に現れた全裸の男を自分の杖だと認識できた『』のほうが俺を凌ぐ凄さだと思うけど」

「自分のつかってた道具くらいわかるでしょふつー」

「いや常識的に考えてくれよ……杖だった俺のほうが常識的な思考持ってると思うが」

「僕の常識ではそうなんですー」

 

「と、そんなことがあったんですね、納得納得とでも言ってもらいたいのかこの変態豚野郎」

 玄関先で語気を荒げる黒髪眼鏡。

 亀甲縛りをされた少年は天井からつるされている。

「やっぱ俺の言う通りじゃん!? 結局こうなったじゃんおま、おまっ!?」

「あ、お姉ちゃん、ダメだって」

『』にお姉ちゃんと呼ばれている黒髪の少女が杖の顔面すれすれ、恋人同士ならキスしてしまうレベルの間合いに切っ先を突き付ける。

 ヒエッと動いた反動でァーストキスは鉄の味。

 あ、はいすみませんすみません……。と杖は平謝りした。

 本当に、数日前まで杖であったと信じられないくらい完璧な平謝りムーブだった。

 そしてついさっきまで『見知らぬ男を事務所につれてかえったらおこられるかも。もといた場所にすててきなさいっていわれるかも……』といっていた『』に対し、『え、何、家族に反対されるかもしれない? 俺も説得してみるよ』とか言っていた人間とは思えないムーブである。


―THE根性なし―


「お姉ちゃんやめて、これは正真正銘杖だよ」

「ほう『』、どこが杖だというんだ、やせ型のM豚にしか見えないが?」

 杖をかばうように立ちふさがった『』は首を傾げる。

――そういえば僕、どうして杖だってわかったんだろう。

 あれ、と。しばし時間が止まる。

「ほら、やっぱりわからない。家じゃ戦力にならないM豚を飼う余裕はないよ。元居た場所に捨ててきなさい」

「くぅん……」

 杖は小さく鼻を鳴らす。

「だって、朝起きたら全裸でとなりにころがってたんだもん!」

「いや、猶更。尚の事捨ててこい。早く、それか川にでも流してきなさい。明らかに変態だよ、明らかに変態だ、早く捨ててきなさい。得体の知れない変態をお姉ちゃんも衛助も切りたくないから」

「へんたいじゃないよー! 杖は服着てないじゃん!」

 昼は納得しそうになった。

 世の中に杖をデコるタイプのファンキーなご老人や若人わこうどはいても服を着せているのは見たことがない。人間以外で服を着せてもらえるのは小型犬や動物くらいのものだ。

 そら……、確かにそうかもしれない。

 と、納得しかけた姉であったが、形容しがたい違和感に脳が気付き始める『服着てないから杖ってナニソノ……ナニ?』根拠になってなくねーか? と。

 じゃあ、仮に家に泥棒が入って金庫の品を盗み出して、翌日金庫の中に知らないおっさんが入ってたらその知らないおっさんは金庫の中にあった物なの? 

 諭吉……なの?

「いやいやいや、ちょっと待て妹よ。まさかマジでそれだけの理由でそいつを杖だと妄信してんのか? おぉ?」

 どう言っていいかわからず昼は力押しした。

 まあ、確かに。杖は冷静に同意する。


 なんでこの『』は俺が杖だということがわかったのだろう。

 というか……普通に呼んでいるけど『』って――。

 杖はこの状況というよりも『』という少女に対して違和感を感じた。その違和感の正体が何かはわからない、思考の沼にズブズブと埋もれていこうとした。

 が、しかし、

「臭いというか、なんかこの草臥れたかんじ、あと骨っぽいごつごつしたところとか」

「え、俺臭いの!?」

 骨っぽいごつごつした感じ。や草臥れたかんじという言葉には納得できた。事実、自分の容姿がどこかくすんでいるということには気が付いていた。

 しかし、臭いとは……。

「信用ならんお姉ちゃんは絶対に信用しない」

「見たかんじは違うかもしれないけど、これは杖だよ?」

 『』は少女とは思えぬ腕力で杖を掲げる。

「いやそれ絶対違う、あんた目が見えないだけじゃなくて違う感覚も失ってない、それは諭吉じゃないからね」

「ちがうよ~、ないのは視力と手足だけだよぉ~ねえ杖ー、あと杖は杖だよ、諭吉って?」

 あまりのショックに放心状態の杖は、「はい、ワタシハツエデス」。と空返事、しかし昼はその微妙な信頼関係を許さないようで鋭い眼光を杖に飛ばす。威圧というかメンチを切る。

 タレ目だが据えた、底知れない黒い瞳が杖を穿つ。

 ナイフみたいだ。

「す、すんません」

 そんなに恐ろしい表情をされても困る。もとよりこの状況は杖自身も訳が分からないのだ。

 ズルッ……と何かを引き摺るような音に目線を下にずらす。

「ヒッ……妖怪」

「あ、寧。寝てないとダメじゃん」

 昼は妖怪という言葉にさら今にも命を奪ってやろうかとでも言いたそうな顔をした。しかし当の本人、妖怪は、床に這いつくばりながらお化けの仕草をしておどけた。

「あれぇ『』ちゃん誰ですか……その人?」

「杖」

 はい? という懐疑の声と共に寧は床に倒れ伏す。


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