第10話 序章

リヒトが走っていった方向へシウは走る。

長く伸びた草の根を無造作に掻き分け、踏み分けながら追っていくと、切り開かれた場所に出た。見たことのない景色に、思わず立ち止まる。


「何だ、これ…」


目の前に広がる光景に唖然とし、目を見開く。その有り様は、まるで戦の跡地のようだ。まず、焼け崩れた家らしきものが所々にあった。屋根が落ちて柱だけ立っているものもあったり、崩れた屋根の下敷きになり屋根しか見えないものだったり、形すらなく、見るも無惨な、建造物が建っていたという痕跡があるだけのものもある。その周りにぽつぽつと佇んでいる木の枝の先端は黒く煤痩けていて、緑の一つも生えていない。微かに残っている地面が露出した道筋も、今にも消えてしまいそうに長い草に隠されている。この場で何かがあった憶測はつくものの、数年は経過しているように窺えた。シウには、見覚えのない景色であった。記憶にない、新しいもの。否、シウはここを知っている。

ここは―――そう、カウラだ。


(どうなってんだ…)


一瞥し、ゆっくりと歩いて、確かめていく。

間違いなく、森の村と呼ばれていたカウラなのだろう。しかしこれは、一体どうしたことか。暫く辺りを眺めていると、ガサリ、後方の茂みから音がした。葉の擦れる音に、シウは反射的に振り返る。アンバーの瞳に写ったのは、草影からはみ出した、人影ではないもの。鳥ではない翼の形。こちらにも漂ってくる、人ならざる気配があった。


(…何だ?)


ぬっ、と顔を出したのは―――グレーの体色をした、小型のドラゴンだった。二足歩行で、尾を抜いてシウと同じ程の体長、瞳もグレーであった。が、奇っ怪にも瞳と表してもいいのか、判別できない。顔の表面との相違は窪みのみで、水分を含んではいなかった。それを言えば、鼻もそう。鼻だという形状こそあるものの、機能はしていない様子で固定されている。口は、なかった。当然に呼吸もしていない。生気を一切感じられないーーー何だ、あいつは。シウは、魔物を凝視する。魔物は、シウの姿を視認すると、蝙蝠に似た翼をゆらりとはためかせーーー低空飛行でシウに襲い掛かった。


「!」


突如の魔物の行動に驚愕しつつも、シウは咄嗟に剣を鞘走らせ、魔物の攻撃をギリギリ防いだ。ガキンッ。刃は唸り、ざりざりと爪を引き摺る。一瞬でも気を抜けば押し潰されそうな、重い一撃。そのまま腕を弾き飛ばし、片方の剣を鞘から引き抜くと、勢いのままに魔物へ一太刀を入れた。…ところが、鈍い金属音が響いただけで、その身に傷を負わせることは叶わなかった。―――刃を弾かれたのだ。確かに胴体にそれは当たっているのに…。


(くそ…!)


ビリビリと電気が流れたような痺れに伴い、痛みがじわじわと掌から腕へかけて走る。シウが狼狽した隙をつき、魔物はジオン目掛け、もう一方の腕を凪いだ。やばい、と直感したが、回避しようと判断するよりも、それよりも先に魔物から仕掛けられてしまった。間に合わない…!次にくる衝撃に耐えようと、体を強張らせ、緊迫状態にさせた。―――その瞬間、シウと魔物の間に、小規模な爆発が起きた。


「!?」


シウの体は低く宙を舞い、背中を下にした状態で吹き飛ばされる。落下したのは地面ではなく、雑草がクッションとなり、衝撃は緩和された。庭かに背中を叩き付けられたが、それにより幸いにも怪我はなかった。魔物は怯み、二、三歩後退する。驚き、呆然とする彼に、こちらに近付いてくる足音。


「おい、シウ!」


声を張り上げた主は、リヒトだった。勇み足でシウに走り寄ると、シウはリヒトを見上げる。


「リヒ…」

「さっさと立て!」


鬼気迫る叫びに、シウは直ぐ様立ち上がると、眼前に現れた彼を見た。ただならぬ事態であることを即座に理解する。いつも平静としている彼の表情が、いつになく強張っているからだ。悠長に質問をする暇はない。後ろに迫り来る魔物の気配にはっとし、振り返る。臨時体勢に入る魔物に、じりじりと後ずさった。


「こいつらは、何だよ…!剣も通用しねぇ…」


混乱するシウの呟きに、リヒトも背中を向けつつ、口を開く。


「…奴らは、ガーゴイルだ」

「ガーゴイル?」


耳にしたことのない単語に、視線を後方にし遣る。


「そんな名前の魔物、聞いたことがないぞ」

「ああ、通常ならば、ここらには現れない魔物だからな」


その答えに、シウは疑問を抱く。それもそのはず、リヒトの今の発言だと、本来はこの場にいない筈の魔物だということ。


「なんで、そんなやつらが…」

「それは分からん。…が、」


…先程の魔物の他にも、魔物は崩れた屋根や柱の物陰から姿を表した。全て同じ種族で、いま数えられる全て含めて、六体。もしかすると、他にも隠れている可能性はなきにもあらずだ。


「…この魔物は、地属性だ。皮膚…いや、体は石そのものであるから、刃は通らない。物理で対抗するのは、分が悪すぎる」


リヒトは前方を睨む。


「…かといって、無論石であるからして、幾分熱に強い。属性によっては、無効化される魔導もある」

「…だから、リヒトの炎も駄目ってことか」

「…ああ」


―――リヒトの魔導の属性は、炎である。

燃焼する物質には強いものの、水や岩といった類いには、威力は極端に萎縮してしまう。水は岩よりも効果はあるものの、あまり期待はできない。岩に関しては、それよりも更に効き目はない。なので、ガーゴイル相手には不利だということが見受けられる。少しづつ、二人との間を詰めていく魔物達。どうすればいい…。斬撃も打撃も不可、リヒトの魔導も通じない…。隙をつくにも相手の数が多い。仮に抜けられたとしても、もし今、視野に入る魔物以外にいたとしたら、それこそ一貫の終わりだ。多勢に無勢…。この状況…どう切り抜ける…?

シウが焦燥にたじろいでいると、


「…ジオン」


呼吸を潜める、背後の気配。


「…何だ?」


合わせるように、シウは静かに返す。


「オレが、血路を開く」


魔物は一歩、二歩と迫ってくる。


「ここから奴らを退ける。その隙にお前は、フォレスタへ全速力で走れ」


にじり寄ってくるガーゴイル達に、狙いを定めるリヒト。今にも放射されそうな魔力の高まりと、一点に集中する熱。


「そして、ラフルスへ抜けろ」

「何言ってんだ。んなことするかよ、退けれるんなら、二人一斉に駆ければいいだろ」


シウは、前方のガーゴイルを睨む。シウ達のいる位置は、カウラの中心に近く、入り口からは離れている。あまり良い案とは思えないが…、


「一辺には無理だ。走りながらの対処は困難が極まるし、何より相手は素早い。追い付かれれば二人ともやられる」

「…かといって、お前が残ることはねぇよ」


リヒトの考えは理解できる。だがそれもまた、シウにとっては最善案ではないのだ。どうしても違う打開策を目論んでしまう。例え、それしか方法がなくとも。


「…先程、小さな爆発で魔物は怯んだ。爆発は熱ではなく、振動だ」


ーーー確かに、シウが爆風で飛んだ瞬間、ガーゴイルも、僅かに後退した。それは効果があったという事。炎は物質に熱を与え留まるが、ものによっては超高温でない限り物質の性質は変わらない。冷めれば元通りになる。しかし振動は打撃ではないが、激震を与えられれば物質そのものが内部からダメージをくらう。


「…だから何だよ。それがどうしたってんだ」

「この役は、オレにしか出来ない」

「逃げるのは一緒でも出来るだろ。オレも剣じゃなく手とかで突き飛ばすことなら出来るから、」

「奴等の防御面を甘く見るな。最悪、手足が不能になるぞ。奴等は石だと言った筈だ」

「迫ってきた直前にだって、何とかかわしながら走ればいけるかもしれないだろ?」

「限りなく低い可能性だけでは、算段も意味を成さない。蛇足に成り果てるのが関の山だ」

「こんな時でもんな面倒な理論並べてんなよ。とにかくこいつらをどうにかして、」「ーーーシウ」


ふ、と。リヒトが短く、吐息を漏らす。それから、


「…行け」


それだけ。

半ば放り投げたような、静謐な声が、リヒトの口から短く紡がれた。強い口調だが、命令にしては投げ遣りな、しかし真摯な声色。場は張り詰めたままに、時間は待ってはくれない。魔物が、また一歩、また一歩と、こちらへ近寄ってくる。静寂さと緊迫感が漂う最中、暫くして、


「ー…、…分かった」

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