第4話

 

 この世界に来てから14日目——3日後に元の世界に帰らなければ、ぼくの命が終わってしまう。



「……やっぱり元の世界に帰って、辛い現実と向き合うしかないんだね」


「よく聞くのじゃ、マサシくん。……もしマサシくんがこの世界をステキだと思ったなら、今度はマサシくんの住む世界で、マサシくんが思うようなステキな世界を……そしてステキな人生を創るんじゃよ」


「……うん?」


「その時はきっと……マサシくんが住む世界は、この世界で見たものよりもずっとずっと、素晴らしい世界になっているじゃろう」



 この絵本の世界に呼ばれたのは——幸せに生きるねずみたちと触れ合うことで、疲れた心と身体を癒し、忘れていた童心を思い出し、そして生きていく上で何が大切かを学び、自分がこれからどう生きていくかをしっかりと決めるためだったようだ。ただし、それは14日間だけ。いつまでも現実から逃げていてはいけないということだ。

 だけど、もう二度とこの世界に来ることが出来なくなるなんて。せっかくチップくんたちと友達になれたのに。こんなにステキな家族と出会えたのに。これから先、ずっとチップくんたちと一緒に遊べると思ったのに。もう、会えなくなるなんて。



「この書によれば、わしが生まれる前にも、同じように何人ものニンゲンさんが野原に現れ、そしてみんなわしの先祖の家に来て過ごし、14日目の夕方に去って行った……と記されておる」


「……その人たちは、今もちゃんと生きているのかな……」


「うむ、きっと、そうに違いないよ」



 彼らもまた、おじいさんたちの祖先のねずみたちとの生活の中で大切なことに気付き、新しい人生を切り拓いていったのだろうか。



「わしも、マサシくんたちの世界へ、行ってみたいなあ……」



 おじいさんは、窓の外を見ながら、そうつぶやいた。

 ぼくは答える。



「行かない方が、いいよ」


「……なぜじゃ?」



 嫌なことばかり思い出してしまう。

 向き合わなきゃいけない問題が次から次にやってきて、目の前のことをこなすだけで精一杯。「君のため」だとか言いながら嫌味ばかり言い、人を利用したり裏切ったりするような人たち。全く先が見えない将来。気付けば、1人ぽつんと無人島に取り残されたかのようになり、みんな自分のことだけで精一杯で誰も助けてはくれない——そんな世界。一握りの人だけが勝ち組として幸せになり、能力のない人は生きる価値も感じられず、努力しても報われない——そんな、ぼくらの住む世界。



「あんなにも、生きる意味がわかんなくなるような世界、やだよ。あんな世界で、ステキな現実なんて作れるわけないよ。ずっとここにいたい。ここにいたら、みんな優しいし、悲しい事なんかないし」



 ——チップくんにぼくの夢を話し、現実世界でまたしっかり生きていこうと決意したことも忘れ、ぼくはうつむいて涙をこらえながらおじいさんに訴えかけた。

 おじいさんは、そっとぼくに視線を合わせ、にこっと微笑んで言った。



「ほんとはね、ステキな世界は、自分の心で作れるんじゃよ」


「……どういうこと?」



 自分の心で、ステキな世界を作る。よく言われる〝思いは現実化する〟ってやつか。でも、それは雲を掴むような曖昧な話で、にわかには信じられない。それでもぼくは、おじいさんの話を真剣に聞いてみた。



「心で思い描いたことだけが、その人の体験になるんじゃ。だけど、ご先祖様の書によれば、多くのニンゲンはそのことを忘れている。心で幸せなことを思い描くと、それを体験できる。じゃが、心で辛いことを思うと、それも体験する事になってしまう」


「ぼく、無意識に辛いことを考えてしまってたかも」


「そう、思い描いたことが現実に影響を及ぼすことを知らないがために、例えば怒りや憎しみに、不安や恐怖にとらわれてしまった時、辛いこと怖いこと惨いことを、平気で頭の中に思い描いてしまうんじゃ」


「すごく、心当たりがあるね」


「思うだけだと何も悪いことは起きないと思ってしまっている。でも、そうじゃないんじゃ。それは自分から毒キノコを食べているようなものなんじゃよ」



 なるほど、嫌な想像も行く行くは現実になってしまう——というのか。普段の生活で、楽しい想像と嫌な想像、どっちの方が比率が高かっただろう。思い返せば、圧倒的に後者だった。



「心の中で、ひどいことを考えるのをやめて、楽しいことや幸せなことだけを考えるようにしたらいいの?」


「そうじゃ。例えばどんなことがあっても、〝これはいいこと〟〝最後はいいことになるに違いない〟と考えるんじゃ。それを繰り返せば、世界は変わる。今のマサシくんの境遇は、全てマサシくんの心が作ったものなんじゃよ」



 要するに、プラス思考で行こうってことなのだろう。だけど、本当にそんなことで現実は変わるのだろうか? 硬い岩のように居座る、面倒な現実。心にこびりついた不安、焦り、怒り、無力感、不信感。そんなに簡単に、消えてなくなるものだろうか。



「……まだよくわからないけど、そうかもしれないね。辛い、苦しい、嫌だ、……って、日頃から思っていたから、辛くて苦しい世界が出来てしまったってことなんだね。じゃあ、これからは楽しい事をたくさん考えれば、ステキな世界になるんだよね……?」


「そういうことじゃ。慌てず少しずつ、自分の好きな世界をイメージして行くといい。マサシくんが思い描くステキな世界は、どんな世界じゃろうな……。……そしてその世界で、どうか幸せに生きておくれ。わしは、何よりもそれを願うよ」



 ぼくはどんな世界で、どんなふうに生きていきたいのだろう。今までは何となく過ごしていたけれど、これからは自分の可能性を信じて、ワクワクしながら自分の将来を思い描いてみようか。少し、気が楽になった。



「ありがとう。もし、そんなステキな世界で幸せに生きることができたなら、また会えるかな、おじいちゃんたちに」


「それは……、わしにもわからない。じゃが、会えるって信じるよ」


「ぼくも信じる。必ず、会いに行くから」


「……ほっほ、マサシくんと出会えて本当に良かったよ。……さあ、寝ようか」


「うん、あと3日間、よろしくね」


「ああ。おやすみ」



 ぼくはベッドの中で考えていた。帰る方法は分かって良かったんだけど、もうこの世界に再び来ることはできなくなる。

 チップくんたちに、何て言おうか。きっとこの先もずっと、一緒に遊べると思っていることだろう。



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