第5章〜現実か、悪夢か〜

第1話

 

 すっかり目が覚めてしまったぼくは、慌ててスマホのスケジュール表を見た。午後1時20分から一般教養の講義が2コマ、午後4時から午後6時まで学園祭の準備だ。

 寝過ぎて体がだるいけど、お腹も空いたしお昼ごはんはしっかりめに食べていこう。

 食堂は今日も混雑している。ちょうど3人分空いている場所を見つけたので、さっさと390円のチキンカツランチセットを注文を済ませて席に着いた。


「いただきまーす!」

「へ? 何やそれ、お前おもろいな」

「わざわざ、いただきまーす、なんて普通言わへんやろ」


 ぼくはきっちり手を合わせて、“いただきます”を言うと、サトシとコウスケに思い切り笑われてしまった。


「え、ま……まあ、そうだよね」

「変な奴やなお前、早よ食えや」


 サトシはそう言うとスマホの画面を見ながら、大盛りのチャーハンをガツガツと口に放り込んでいく。


「で、でも……ぼくはちゃんと味わって食べたいから……」

「何言うとんねん、そんなん言うてたらみんなで食う時に置いてかれるぞ」


 ぼくはまだ半分も食べてないのに、サトシもコウスケも、もう完食しそうな勢いだ。

 色んな人が、心を込めて作ってくれた食べ物。ぼくは、“いただきます”を言って、ゆっくり味わって食べて、ちゃんと“ごちそうさま”を言いたい。チップくんたちは、そうしてたんだ。ねずみたちとの生活で、感謝して食べる大切さを、ぼくは学んだんだ。


「あかん、もう食えへん」

「サトシあほやな、大盛りとか頼むからや」


 サトシは、生野菜サラダとチャーハンを少し残したまま、トレーを返却しに行ってしまった。


「カネもったいないけど、まあしゃあないか。3限行ってくる。コウスケ、また後でなー。マサシ、お前もそないゆっくり食ってたら間に合わんやろ、残してけや。あはは」

「いてらー」


 返却されたトレーを回収し、残された野菜とチャーハンを無表情で廃棄するパートのおばちゃんの姿を見て、ぼくは少し胸が痛んだ。


 ☆


『ところで、なんでいただきます、ごちそうさまを言うのか知ってるかい? 知ってる人、手上げてー?』

『大切に大切に育った命をおいしくいただくから! えっと、ありがとうっていう気持ちでね』

『そうだよね。大切な命を頂くんだから、その命に感謝を込めて全うしてもらう。そして、その命でぼくらは元気に生かされてる。その気持ちの表れだね。それと……』

『料理つくってくれた人への、ありがとうの気持ちよね!』

『そうそれ! さすがナッちゃん!』


 ☆


 夢の中のことなのに、何でこんなにもはっきり覚えているんだろう。

 ぼくも……以前はよく残したり、時間に追われて、味わわずに食べたりしていた。これからはどんな時だって、感謝して食べよう……。


「チャイム鳴ってるやん。遅刻やで。早よ食うか残すかしろよ」

「ごめんコウスケ。先に行ってて」

「……どないしたんマサシ、暗い顔して。悩みあるんやったらいつでも話しいや。とりあえず俺行くわ」

「……うん」


 やっぱり、あれは夢だったんだ。現実から逃げたいという思いが見せてくれた、束の間の幻だったんだ。ねずみが服着て、おしゃべりする絵本の世界なんて、あるわけがない……。

 いつまでも夢見心地じゃダメだ。目の前の現実と、しっかり向き合わなきゃ。

 毎日やらなきゃいけない事でいっぱいいっぱいだけど、将来の事もそろそろ真剣に考えないと本当にまずい。単位、卒論、就活——問題は山積み。そうこうしている間に、1ヶ月、半年、1年と、時は容赦なく過ぎ去って行く。


 3限、4限の講義も、全く頭に入らず、ぼーっと過ごしてしまった。ぼく、このままでいいんだろうか。何も前に進めていない。ネガティブな考えがぐるぐると、頭の中で回り始めた。


 ♢


「お疲れ様です」

「お疲れ様ですー! あとは……原田だけ来てない。またあの人連絡もないし……」


 午後4時。キャンパスの中庭で、学園祭の準備が始まる。

 設営班のリーダーの谷ノゾミは、かなりイライラしているらしく眉間に皺を寄せていた。遅刻の常習犯、原田ジュンイチが集合時間になっても一向に姿を現さないからだ。

 ノゾミは苛立ちを隠せず足をパタパタさせながら、スマホを耳にあてる。


「原田、早よ来て! 言い訳はいいから! 早く! あーもう! 遅れるなら連絡くらいしてよ!」


 ノゾミは、今にも持っているスマホを地面に叩きつけそうな勢いだ。

 ぼくは恐る恐る、ノゾミに話しかけた。


「ジュンイチ、何してるって?」


 ノゾミは、顔を真っ赤にして怒鳴る。


「今起きたーって! あり得ない!!」


 中庭を飛び越えて、キャンパス中に響くくらいの大声だ。


「もうほっといて、ぼくらだけで準備しようよ」

「みんなしんどいのに、あいつだけ何なんよほんとにもう!!」


 通りがかった学生たちが、一斉に振り向く。


「その、落ち着いて、ノゾミ」

「……はぁ、ごめん。しゃあないし始めよっか」

「謝らなくていいよ……悪いのは遅刻するジュンイチだからさ」


 テントを張ったり、他のサークルとの連携を取ったり、やるべきことはたくさんあるのに、ジュンイチが毎回サボったり遅刻したりするせいで、ぼくらの仕事は相当増えてしまっている。そういう無神経な人って、やっばりどこの世界にもいるものなのだろうか。

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