第4話

 

 小鳥のさえずり、朝の陽射し。

 木の匂い、台所の音。


 目が覚めたぼくは、思い切り伸びをして、周りを見渡してみた。……良かった。ここは、9匹のねずみさんたちの家だ。

 隣ではチップくんが、まだ寝息を立てている。


「おはよう、マサシくん」


 着替えているトーマスくんが、ハキハキした声で挨拶してくれた。


「ん、おはよう……トーマスくん」

「トムでいいよ。さ、顔洗いに一緒に行こう。チップもすぐ起きると思うし」

「うん……、あ、チップくん起きた」


 いつの間にか目を覚ましていたチップくん。思い切り伸びをしている。


「んーっ! あ、おはよう! マサシ兄ちゃん!」

「おはよう、チップくん」


 チップくんはすぐに着替えを済ませ、慌ただしくはしごを飛び降りて行った。朝から元気だなあ。

 タオルを持ったトーマスくんも続いて、はしごを下りていく。


 2階を見下ろすと、ナッちゃん、ミライくんも目を覚まし、洋服に着替えていた。

 普段と違い、ゆったりとした気持ちで迎えた朝だ。ぼくはのんびりと着替えを済ませ、昨日おばあちゃんが用意してくれたタオルを手に取り、はしごを下りる。

 

 長い間背負っていた荷物をようやく下ろしたかのように、心も体もスッキリとしていた。

 久しぶりに、ぐっすり眠れたようだ。


「あ、モモ姉ちゃんを起こさなきゃ……。モモ姉ちゃん、朝だよー!」


 チップくんが、長女モモちゃんの体をゆすって起こそうとしている。モモちゃんはまだ、夢の中だった。


 ♢


 玄関の扉を開け外に出ると、ひんやりとした森の朝の空気が、ぼくを迎えてくれた。

 朝日を浴び、そよ風に吹かれながら、ぼくは深呼吸をする。森の空気に混じって漂ってくる焚き火の煙の匂いは、子供の頃に行ったキャンプを思い起こさせる。


「やあおはよう、マサシくん」


 煙の方から、おじいさんの声。

 焚き火の両横には2本の支柱が立てられ、鉄の棒がかけられている。鍋を火にかけるためだろうか。


「おはようございます、おじいさん」

「やあ、いい朝だねえ」


 木や草の匂いに包まれた朝の森に、小鳥の歌声が響き渡る。見上げれば、1日の始まりを喜んでいるかのような、澄み渡った青空。

 森の空気を味わいながら、チップくんとトーマスくんがいる庭の奥へと向かった。


 広い庭の奥には、竹を切って作られた水道がある。近くの川から拾ってきたであろう水が、チャプチャプ音を立てながら石臼いしうすのような受け皿に流れ込んでいる。

 チップくんとトーマスくんはその水道で、気持ち良さそうに顔を洗っていた。


「あ、マサシ兄ちゃん来た。ねえ、顔洗ってみなよ。ひんやりして気持ちいいよ!」


 チップくんに言われた通り、ぼくは透明に澄みきった天然の水を両手ですくい、パシャリと顔にかけてみた。


「ひゃー、冷たあい!」


 顔面を濡らしながら爽やかな気分で上を向けば、絵に描いたような青。そこに土の匂いが混じった透明な風が吹き、心地良い冷たさが顔に沁み渡った。

 あまりの清々しさに、思わずまた深呼吸をしてしまう。


「農家のおじさんのとこへ、野イチゴもらいにいくよ! マサシ兄ちゃん、はやくはやく!」


 チップくんがぼくを呼ぶ。いつの間にか、手に大きなカゴをぶら下げていた。

 チップくんの隣には、下を向き目を閉じているナッちゃん。ぼくはそっと話しかけてみた。


「ナッちゃん、おはよう?」

「おはよ……マサシお兄ちゃん……ふぁーあ……」

「あはは、大丈夫? 眠たそうだなあ」


 チップくんは早く出発したそうにその場で足踏みをしながら、裏口の前にいるおとうさんを指さす。


「マサシ兄ちゃんも、お父さんからカゴを借りてきたらいいよ。僕はここで待ってるから」

「うん! ナッちゃんのぶんも、借りてくるね!」


 ぼくは裏口まで走り、おとうさんから大きなかごと小さなカゴを、それぞれ1つずつ借りた。

 これで、ぼくとナッちゃんも出発の準備は万端。

 ぐー、とお腹が鳴る。みんなとの朝ごはんまで、ひと仕事だ。


「さあ、行くよ!」

「行こー行こー! しゅっぱーつ!」


 ♢


 朝の森の中、草花が生い茂る小道を歩いていく。

 少し黄色くなった葉っぱの影に、朝露が光る。


「川の向こうのおじさんの家から、野イチゴを……ふあああー……、いっぱい、もらってくるんだ。」

「ナッちゃん、すごいあくびだなあ……。いつもみんなで取りに行くの?」

「えへへ……。うん。おいしいの!」


 おしゃべりしながら歩いていると、1本の丸木橋がかかった川に辿り着いた。

 ゆっくりゆっくり、丸木橋の真ん中を渡って行く。ギシギシときしむ丸木橋。横を見ると、ドドーッと音を立てて滝がもやのような水しぶきを上げている。

 先頭を歩いていたナッちゃんは橋の上で立ち止まり、川下の方に体を向けて何かを観察し始めた。

 チップくんがナッちゃんをせかす。


「ほらナッちゃん、早く行ってよ」

「ねえ見て、カエルさんだよ!」

「あ、ほんとだー!」


 川の真ん中にある岩場には、大きなアマガエルの姿があった。ねずみサイズになったぼくから見れば、猫ほどの大きさだ。

 アマガエルはぼくらの視線に気がつくと、すぐにピョーンと対岸の草むらに飛んで行ってしまった。


 橋を渡ると、踏みならされた道が木の幹を囲むようにぐるりと続いている。

 木の幹には、ぼくらの体と同じぐらいの大きさのカブトムシが2匹、くっついていた。


「うわあー、でっかい……」

「みんな朝ごはん食べてるんだね。さ、ぼくらも早く行こ! おなかすいたー!」


 いくつものリンドウが咲き並ぶ小道を歩いて行くと、高く伸びた木々がそびえ立つ林に出た。そのうちの1本の木に、窓や扉がついているのが見える。

 どうやら、着いたようだ。


「おじさーん! おはようー!」

「やあおはよう、チップくん。今日も元気そうだね」


 麦わら帽子をかぶったねずみのおじさんが、山盛りの野イチゴを抱えて玄関の扉から出てきた。


「新しいお友達の、マサシ兄ちゃんだよ!」


 チップくんがすぐにぼくを紹介する。

 ねずみのおじさんはぼくを見ると、麦わら帽子を取ってニコリと笑った。

 ねずみさんたちはみんな、笑顔が素敵だ。


「やあ、はじめまして、マサシくん。ニンゲンさんとは、珍しい。おいしい木の実を食べたい時は、いつでもうちにおいで。さ、これだけカゴに入れるね」

「どうもはじめまして。マサシです。野イチゴ、美味しそうですね」


 やはりここのねずみたちは、人間の姿を見ても、不思議がらないみたいだ。ぼく以外にも人間がこの世界に来たことがあるのかが、気になる。後でまた聞いてみよう。


「ありがとう! またねー!」

「はーい! いい1日を!」


 ♢


 ぼくらはカゴいっぱいの野イチゴを持って、来た道を戻ってゆく。ねずみサイズだから、野イチゴも手のひらにゴロンと乗せられるほどの大きさだ。


 日も高くなり、紅葉混じりの森の中はいっそう明るくなっていた。


「みんなは? 朝ごはん作ってるの?」

「うん。そろそろ出来た頃だよ」


 木の幹にいたさっきの巨大なカブトムシたちは、いなくなっていた。


 チップくんもナッちゃんも早く朝ごはんを食べたいらしく、小走りになる。カゴにたくさん入った野イチゴが、ポロポロとこぼれ落ちる。ぼくはそれを拾いながら何とかついて行き、再びギシギシときしむ丸木橋を渡って、緑の小道を戻った。


「おなかすいたあー!」

「マサシ兄ちゃん、走ろ!」

「あわわ、また野イチゴがこぼれ落ちちゃうよ」


 小道を抜けると、チップくんたちの家が見えてきた。

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